朝帰りの登校風景 1
先生はお酒を飲んでいたので車で送ってもらうわけにもいかず、俺は先生の部屋のベッドを使うように提案されたがさすがに辞退し、畳敷きの部分に布団を敷いて寝た。
根性で歩いて帰ることもできたかもしれないが、それで俺の足が悪化したら先生は立ち直れないくらい落ち込みそうだったので、俺も世間体よりも先生の気持ちを優先せざるを得なかった。
「はぅん……私、先生としてとてもいけないことをしてしまったような……生徒を家に送っていくって約束したのに、お泊まりをさせちゃうなんて。後で運転しなきゃいけないのに、ついお酒に手が伸びちゃって……」
「身体のこともありますし、お酒はほどほどがいいと思いますよ」
「……怒ってない? 私のこと、やんちゃな先生だって思ってるでしょう?」
「思ってないですよ。むしろ、俺の方が色々謝らないといけないと思ってますし……」
「え……な、なに? やっぱり部活の見学には行けないとか、そういうこと?」
先生は俺に裸を見られたことについては、朝になるとそこまで気にしている様子でもなかった。
それはそれで寂しい気もするが、先生が恥ずかしがっているところを見て喜ぶというのもどうかと思うので、平和で良かったと思うべきなのだろう。
「吹奏楽部のことは、今日にでも来てとかそういうことは言わないわ。押してだめなら引いてみろって言うしね。本当は引いていきたいんだけどね」
「……熱心に誘ってもらって、すみません」
「ううん、いいの。先生は、部活のことだけで海原くんのサポートをしたいって思ったわけじゃないのよ。海原くんがいい子だから、応援したくなるっていうか……」
先生は運転するときは逆光が気になるのか、色付きの眼鏡をかけている。いつもあどけなさを感じる先生の横顔が大人びて見える――助手席から見ると先生のスカートからすらりと伸びた白い太ももが目に入り、昨日よりも少し短めのスカートに変わっていることに気がつく。
「海原くん、先生のファッションチェックしてない?」
「あ……す、すみません先生、当たり前ですが、昨日とは違う服なので……」
信号待ちの停車の間に、先生がこちらを見る。先生は眼鏡をずらして、その下の瞳を悪戯っぽく輝かせて俺を見た。
「海原くんのこともチェックしてあげる。朝シャワーを浴びたから、髪の毛がさらさらね。今日もかっこいいわよ」
「っ……い、いえ、全く俺はそんな、かっこいいとかそういうことは……」
「ふふっ……そういう反応はかっこいいより、可愛いなのよね」
天然なところがあってほんわかとした先生だと思っていると、こうやって不意を突かれる――やっぱり杜山先生は、大人の女性だ。
「うーん……どうしましょう、これ以上学校に近づくと、他の子に見られちゃうかしら……海原くんが私と朝帰りしたなんて噂になったら、説明するのが大変そうね」
「おかげさまで足はもう大丈夫なので、ここからは歩いて行きますよ。ここまで送ってもらっただけでも、十分助かりました」
「本当は学校まで行きたいけど、海原くんに迷惑がかかっちゃうものね……」
「波風は立てないのが一番です。次の信号で止まってるうちに降りますね」
「ええ、気をつけてね。もし痛くなったら、すぐに私を……あっ、まだ連絡先を交換してなかったわね……私のバッグの中に名刺ケースがあるから、出してくれる?」
「は、はい……それじゃ、失礼させてもらって……」
先生のハンドバッグを開けて、最初に目に入ったのは財布だった。そして化粧ポーチが入っていて、手帳などが入っており――内ポケットに何に使うかわからないが、おそらくルージュのようなものと、鏡などが入っている。
「あ……これですね。凄い、吹奏楽部の顧問としての名刺なんですね」
「ええ、部活の子たちに連絡先を伝えたり、コンクールで他の学校に挨拶をするときのために作ったの」
俺も吹奏楽部の部員たちと同じで、学校で接点のある人として連絡先を教えてもらえる――そういうことだ。
「それじゃ、この名刺を一枚……」
「それは学校の用事で使うアドレスが乗っているだけだから、もう一つのアドレスをメモしておいてね」
「え……い、いいんですか?」
「友達に教えるために作ったんだけど、財布にアドレスの乗ってるシールが入ってるの。財布を開けていいから、それを出してみて」
人の財布を開けることはまず無いので、緊張しつつも財布を開ける――先生の言う通り、細長いシールタイプのメモに、アドレスが書き込まれていた。
「大学の時に作ったんだけど、全部使わないうちに卒業しちゃったの。ごめんなさい、男の子は可愛いシールとかは使わないわよね」
「名刺に貼っておく分には、便利だと思います。それに女の人は、ずっと可愛いものが好きだったりしても普通じゃないですか。俺は、いいと思いますよ」
「……やっぱり、海原くんは……」
先生は何かを言いかける――だが、事前に言っていた通りの信号までやってきて、ちょうど赤信号になり、先生は車を停車させた。
「先生、ありがとうございます。じゃあ、またあとで」
「え、ええ……行ってらっしゃい、海原くん」
俺は車を降り、最初は松葉杖を使わずに立つ――そして杜山先生の車が走り去ったのを見てから杖を突いた。
もうかなり痛みは引いてるが、まだ足をかばって歩いた方が良さそうではある。治りを早くするためにも、俺は杖を突いて歩いた。
貰ったばかりの名刺を、ひとまずカバンの外側のポケットに入れておく。ここでも折れ曲がったりはしないだろうと思うが、後でバスの定期入れに収納するまでは、気をつけておかないといけない。
移動に時間はかかるが、早めに出てきたので問題はない。他の生徒が自転車で俺を追い抜いていったりもする――やはりこれ以上学校に近づいていたら、目撃される可能性が飛躍的に高まっていただろう。
また一人、うちの学校の女子が、車道の隅を自転車で走っていく――しかし、少し先で自転車が止まり、乗っていた黒髪の上級生がこちらを見た。
「……海原?」