◆体力テスト
空は雲一つない快晴。
寒くもなく暑くもないそんな絶好の運動日和。
この日、運のいいことに彩人達はグラウンドにて身体測定を行っていた。
「よっと!」
「はっ、えっぐ!」
「やっば、めっちゃ飛んでんだけど」
「六十メートル!? 野球部の奴より飛んでるとか水無月ヤバ過ぎんだろ」
「ハッハッー! まぁ、俺にかかればざっとこんなもんよ」
体育は彩人の得意科目。持ち前の身体能力を活かし体力テストを無双していた。
今やっているのはハンドボール投げ。
手のひらにギリギリ収まるくらいのボールを投げて、飛距離を測るというもの。
野球部でも超えることのなかった六十メートルの大台を突破した彩人に、周囲から驚愕の声が湧き上がる。
周りの歓声を受け、分かりやすくニヤけるお調子者の彩人。
「よーし。もっぱつすげぇのかましてやるから見とけよ。よっこい…あっ」
「あっ、すっぽ抜けやがった」
「〇・五メートル。ぷっ、だっさ」
「やっちまったぁ!!」
「あ~あ」
「まぁ、彩人君らしいと言えば彩人君らしいね」
しかし、調子に乗ったのがいけなかったのだろう。
二投目は綺麗に手からすっぽ抜け、少し前の地面に落下。クラス内最低記録を叩き出した。
絵に描いたような完璧な即落ち二コマ。
頭を抱えて項垂れる彩人を見て、男子達から今度はドッと笑い声が上がった。
「最悪だ」
「お疲れ様」
「おつかれ、色々最高だった」
顔を両手で隠しながらトボトボと歩いて戻ってきた彩人を、春樹と海が優しく迎え入れる。
が、今はその優しさが逆に効く。
彩人はドカッと地面に腰を下ろし、暫く身悶えた。
「りりっちすごーい! めっちゃ早いじゃん」
「ん?」
フェンス一枚挟んだ運動場にいる女子の方で何やら歓声が上がる。
気になった彩人は目だけ向けると、どうやら莉里が活躍しているらしい。
(アイツ勉強だけじゃなくて運動も出来るのバグだよな)
昔出会った時は、逆上がりも出来ないくらいの運動音痴だったのに。
小学校の時、二年だけ一緒に柔道の習い事をしてから急に覚醒したのだ。
元々頭が良く、要領のいい莉里は師範の教えを凄まじい速度で吸収し、あっという間に道場にいる同年代の女子達には負けなし状態となった。
これを機に、身体の効率的な動きを理解したのか、その他の運動も人並み以上に出来るようになった。
天は二物を与えずというが、あの幼馴染に関しては例外だろう。
自分もあれくらい頭が良かったらなと、彩人も時々羨むことがある。
「うわっ、めっちゃ揺れてる」
「何カップだよ、あれ?」
「マジ、同じクラスで良かった~」
莉里が近くを通ったところで、男子達が喜びの声を上げる。
クラスで人気の美少女が間近を通ったのもあるが、理由の九割くらいは彼女が持つ年齢にそぐわない大きな果実だ。
ブラをしていてもなお揺れる大きな胸に男子達の視線は釘付け。
彼らは本気で感動していた。
例に漏れず、彩人の視線も幼馴染の胸に吸い寄せられていた。
(また、デカくなってねぇか?)
が、見ている理由は他とは少しだけ違う。
彩人が注目しているのは、莉里の驚異的な発育スピード。
去年の夏休みに海で遊んだ時よりも格段に胸が大きくなっていたことだ。
同年代の女子達と同じ時期から膨らみ始めておきながら、今では周囲とかなりの差を付けている。
一体何を食べたらあんなに育つのだろうか?
純粋に彩人は発育の理由が気になった。
もし、それが分かればもっと身長差が出来るかもしれない。
そんなことを考えていると、幼馴染の瞳がこちらを捉えた。
(やべっ)
別にやましいことを考えてはいけない。
けれど、胸を凝視していたことによる何ともいえない気まずさを感じた彩人は、咄嗟に彼女から視線を下に移した。
彼女の足は一定のリズムで動いており、無駄がない。日常的にランニングをしていることが窺える。
けれど、彩人は何故か違和感を覚えた。
その正体を掴もうと、目を凝らし観察しようとしたところでハプニングが起きた。
「ふみゅ!」
「
「あぁ、なんてことだ。我らの
「転んだ時の声まで可愛らしい。…‥じゃなくて、担架持ってこい! 至急、天使様を保健室にお運びしろ」
春樹の幼馴染である
クラス全員の視線が一斉に集まる。
結構な勢いで地面に突っ込み、膝から結構な量の血を流している。深く抉られたのが想像に容易く、かなり痛そうだ。
瑞樹が膝を抱えて蹲っていると、蒼い顔をした春樹が真っ先に駆け寄っていく。
瑞樹は小柄で大変保護欲をそそる見た目と語尾に『です』を付ける特徴的な話し方から、莉里程とはいかないまでも
そのため、ここでアピールをしようと何人かの男子が春樹の後に続いた。
「絶対あんなに人いらんだろ」
「胴上げして運べそう」
「悪化しそうだな」
春樹を含め六人の男子が瑞樹の元に駆け寄ったのを見て呆れる彩人と海。
当然のように春樹以外の男達は、爪弾きにあい春樹が保健室まで連れ添うことになった。
「俺が消毒してあげるからいかないで!」
「我々の舌で消毒を」
「きしぇです」
「「ぐはっ! ありがとうございます」」
「春樹……助けてです」
「ハハッ、それじゃあ行こっか」
それでも何とかアピール――ではなく、役に立つと言う名目のもと、気持ち悪い願望を口にする
瑞樹からは至極冷めた目で罵倒されたが、それでも嬉しそうにしている。
あれはもう末期だろう。どんな名医でも手に負えない。止めるとしたら警察のお世話になる以外選択肢はないだろう。
本気で怖がる瑞樹に春樹は苦笑いを浮かべながら、保健室へ向かった。
視線を莉里の方へ戻す。
ちょっとした騒ぎこそあったが、女子の長距離走は止まることなく継続中。
一周してきた莉里がまた近くを通った。
「ハッ、ハッ、ハァ、ハァ」
タイムを見たところこの一周でラストだろう。
最後のラストスパートに向けてギアを上げると思ったが、莉里は苦しそうな顔をしてさっきと同じペースで走って行く。
(あぁ、そっか。コイツも、どっかやってたんだ)
今の光景を見て、ようやく彩人の中にあったモヤモヤが晴れた。
彼女は間違いなく怪我をしている。
瑞樹のように分かりやすく転んではいないので、走っている途中で捻った感じだろう。
正直、あまりにも上手く隠しているものだから、今の今まで全く気が付けなかった。
「……はぁ、しゃーねぇな。俺ちょい、トイレ」
「イットイレ~」
結構早めな段階で捻っているのなら、走ったせいで変に悪化している可能性がある。
世話のかかる奴だ、と彩人はため息を一つ。
トイレに行く、と海に嘘を吐きその場を後にする。
「確か、昨日買った奴が入っているはず。おっ、あったあった」
教室に戻りゴソゴソと自分の鞄を漁る。
鞄の下に手を突っ込んだところで、お目当ての物を見つけた。
彩人が取り出したのは、湿布とテーピングテープ。
何故こんなものがあるのかと問われれば、本当にたまたま。
昨日の帰りに父親から、腰を痛めたから湿布とついでに切らしているテープを買ってこいと言われたから。
で、いざ買って帰ってみたら『なんか治ったから大丈夫』と言われてしまい、鞄から出すタイミングを逃したのだ。
骨折り損のくたびれ儲け。
買いに行く意味なんてなかったと思っていたが、まさかこんなことで役に立つとは。
世の中なにがあるか分からない。
ジャージのポケットにそれらを突っ込み、運動場へ。
「おか。お通じはどうだった?」
「絶好調だったぜ」
「スプラッシュマウンテ○位?」
「流石にそこまでじゃないな。海、その例え使うと消される可能性あるから止めとけよ」
「わかった」
海と合流したところで、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
整列し、礼を終えると「海。ちょっと用事あるから先帰ってろ」彩人は真っ先に莉里の元へ走った。
「五分ジャストとかマジやばくない? りりっち早過ぎ」
「アハハ。そこそこ走るのは得意だから。あっ、どうしたの彩人?」
「ちょっと野暮用があってさ。八雲ちょっと莉里貸りていいか?」
「どうぞどうぞ。そういうことなら私先にミナミナと帰っとくね」
「うん、分かった」
「サンキュー。ほんじゃ、あっち行くぞ」
話があると伝えると、朱李が気を利かせて二人っきりの状態にしてくれた。
彩人は礼を言い、人目の少ないプレハブの裏に莉里を連れて移動する。
「で、どこやったんだ?」
「ッツ! ……何で……分かったの?」
単刀直入に尋ねると、莉里はどうして分かったのかと目を見開く。
「何年付き合いがあると思ってるんだよ。幼馴染の様子が変かどうかくらい分かるわ。まぁ、他の奴らは気がついてなかったっぽいから、そこは安心していいんじゃねえの」
「……そっか」
呆れ顔で彩人が理由を説明すれば、彼女はホッと胸を撫で下ろした。
「右足の付け根。走ってる時に捻っちゃって。最初はそんなだったけど、途中から段々と痛くなって」
誰も周りに居ないからだろう。
莉里は素直に足が痛くて困っていたと打ち明けた。
「あんま無茶すんなよ。ほら、靴脱げ。湿布とテーピング持ってきた」
「何で持ってるの?」
「たまたま昨日帰りに父さんに頼まれて買ったんだよ。そんで帰ったらピンピンしてて。完全に無駄足だったわ」
「ふふっ、なんて言うか陽さんらしいよね」
持っている経緯を話すと、彼女は穏やかに微笑み靴と靴下を脱ぐ。
真っ白でほっそりとした長い足が目の前に差し出される。
大抵の男ならば生唾ものの状況。
だが、彩人は特に何を思うこともなく手を伸ばした。
「……ッ!」
「あっ、悪い。痛んだか?」
彩人が足に触れると、ビクッと莉里の身体が跳ねる。
反射的に手を離し、莉里の方を見上げると何故か明後日の方向を向いていた。
「だ、大丈夫。私に構わず一思いにやっちゃって。さぁ」
「……敵キャラの背後に抱きついて、主人公の必殺技を喰らって敵諸共死ぬ奴みたいなこというキャラだっけ? お前」
少し様子のおかしい莉里に、彩人は戸惑ったが彼女のお望み通り処置を行った。
「これでよし。ちょっと動いてみろ」
「う、うん」
テーピングを巻き終えたところで、莉里に靴を差し出す。
彼女は頷くと靴を履いて、言われた通りにその場を少し歩く。
「いたっ」
「ありゃ、ちゃんとやってたと思うんだが。無茶し過ぎたな。痛むんならおぶってやろうか? 保健室連れて行ってやるよ」
きちんと処置したはずなのだが、三回地面を踏み締めたところで莉里は痛みに顔を歪めた。
やっぱり保健室に連れて行って診てもらった方がいいかもしれない。
そう思った彩人はおんぶを申し出た。
「保健室に行くほどじゃないから……。でも、うん、そうだね。お言葉に甘えて校舎まで運んでもらおうかな。でも、人目はちゃんと気にしてね」
「おう、任せとけ」
最初こそ渋った莉里だが僅かな逡巡をした後、結局申し出を受け入れた。
この時、莉里がやけに綺麗な微笑みをしていたのだが、彩人は気付かぬままその場にしゃがみ込む。
肩に手を回されたところで、両手で抱え込んで立ち上がった。
「……ねぇねぇ、彩人」
人のいないルートを探しながら歩いていると、不意に莉里が耳元で囁いてきた。
「ん? どした」
「さっき見てた私の胸はどう?」
何かあったかと尋ねれば、ふにゅりと柔らかい物が一層押し付けられると同時に莉里が爆弾投下。
「なっ!? 気付いてたのかよ! あ、あれはそういうんじゃないからな! デカくなったなって。あぁ、違う! 成長したって意味だぞ! やましいことはない」
一瞬にしてぶわっと背中から嫌な汗が吹き出す。
何とか誤解を解こうと弁明をする彩人。
しかし、気が動転しているせいか誤解を招くようなことを言っていて。
「うんうん。分かってるよ。彩人も男の子だもんね。仕方ないよ。今回は助けてくれたから特別に許してあげる。あっ、降ろそうとしない。男ならちゃんと自分の言葉に責任持ってよ」
「うっせえ! お前が変なこと言うからだろ!」
だから、莉里の誤解は解けずじまい。
おんぶしているせいで顔は見えないのに、声色だけでニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべているのが分かってしまう。
耐えきれなくなった彩人は、莉里を下ろそうとしたがガッシリとしがみついてきて叶わない。
「おーりーろ!」
「おーりーなーいー!」
「やーめーろ!!」
「いーやーだ!!」
子供のように二人は降りる、降りないの押し問答を繰り広げそれは校舎に着くまでの間続くのだった。