◆告白編
入学してから二週間が経過したある日のこと。
いつものように、莉里が下駄箱のロッカーを開けるとそこには白い便箋が入れられていた。
(ついに、来ちゃったか)
上向きだった気持ちは急転直下。
それを見た瞬間、一気に陰鬱な気分となった。
とはいえ、莉里の考えているものとは違う可能性があるかもしれない。
そんな一縷の望みにかけ、便箋を取り出し中身を確認する。
『大切な話があるので放課後屋上に来てください。
字面だけ見れば、時代錯誤の果し状という捉え方が出来なくはない。
だが、普通に考えるならまず間違いなく告白しかないわけで。
(はぁ、嫌だなぁ)
少し先の未来で確実に起きるであろう出来事が瞼の裏に浮かび、莉里は思わず息を吐く。
「莉里、まだ靴履き替えてねぇのか? チンタラしてたら遅刻するぞ――って、お前何持ってるんだ!?」
教室へ向かおうとしたところ、隣に幼馴染の姿が無いことに気が付いた彩人は下駄箱から動かない莉里のことを呼んだ。
が、その途中に莉里が持っているものに視線はロックオン。
面白いものを見つけたと瞳を輝かせ近づいていきた。
「なぁなぁ、なんて書いてあったんだ!?」
「大事な話があるから放課後屋上に来いだって」
「おぉ、このSNSが普及した時代に古風なことをするな。最近はそういうのもっぱらlemeですませるから逆に珍しい。俺初めて見た」
「まぁ、多分だけど手に入れる術がないんでしょ。本当最低限の子にしかlemeの連絡先渡してないし、グループとか入ってないから」
興味深そうに手紙を覗き込む彩人に、莉里がラブレターを送ってきた推察を語ると彼は「なるほど、そういうことか」と納得した。
「で、返答はどうするつもりだ?」
見てしまったからには気になるのだろう。
彩人は莉里にどうするのか尋ねてきた。
「断るよ。だって、私この人と話した記憶すらないもん」
莉里の答えはNO。
人となりを全く知らない相手と付き合うのは怖過ぎる。
どんなイケメンだろうと無理だ。
「なんだそりゃあ? 告白してくるくらいだからどっか接点あると思ってた」
「ないよ。真壁なんて人私は知らない」
「どういう考えで告白なんてしようと思ったんだ? ……あっ、もしかしてお友達からって奴か」
「下心満載の友達はちょっと遠慮したいなぁ」
彩人も莉里と同じ感性の持ち主らしく、今回の出来事には困惑気味。
相手の思惑を何とか読み取っていたが、出てきたものは莉里からすれば遠慮願いたいものだった。
雑談している時も、遊んでいる時も、常に狙われていると警戒しながら接するのは嫌だ。せめて、友人といる時くらいは気楽に過ごしたい。
「まぁ、そういうわけだから今日は別々に帰るということで」
「了解。適当に誰か捕まえて帰るわ。海とか暇そうだしいけるだろ。頑張ってこい」
「うん」
日常とはかけ離れた特別なイベントが起きたというのに、二人の間に流れる空気は穏やかそのもの。
それが、莉里にとって今は大変有り難い。
荒んだ心が落ち着いていくのを感じる。
莉里が微笑を溢すと、彩人もつられたように笑った。
◇
時間は足早に流れていき、気が付いた時には放課後を迎えていた。
「じゃ、またな莉里」
「またね、彩人」
「……おーい! 海。昼休み話した通りゲーセン遊びに行くぞ」
「おけ」
莉里よりも先に帰る準備を終わらせた彩人は、最低限の挨拶を済ませると鞄を持って友人の元へ駆け出して行く。
その姿はいつもよりもウキウキとしており、男友達との放課後遊びを楽しみにしていたことが容易に窺えた。
ほんの少し、それにつまらない気持ちになった莉里は今度自分も彩人と何処か遊びに行こうか考えながら鞄に教科書を詰めていった。
「あれ? 珍しいねりりっちがいとっちと帰らないなんて」
入学してからずっと毎日登下校を共にしていた彩人と莉里が初めて別々に帰る。
そんなレアな光景を目撃し、興味をそそられた朱李がどういう風の吹き回しだと問いかけてきた。
「今日はこの後ちょっと用事があるから、別々に帰ることにしたんだ」
「へぇ~。じゃあ、せっかくだし用事が終わったら一緒に帰ろうよ。りりっち」
「あぁ~、用事がいつ終わるか分かんないから、物凄く待たせるかもしれないし今日はごめんね。代わりに明日は何もないから一緒に帰ろうよ」
友人からの提案は魅力的で莉里は頷きたくなったが、ぐっとそれを堪えた。
それもそのはず、今朝もらった手紙には放課後としか書かれておらず正確な時間指定をされていなかったのだ。
すぐに来るのか、一時間後に来るのか分からないこの状況に彼女まで付き合わせるのは忍びない。
明日は何もないから今日のところは勘弁してほしいと、莉里は手を合わせ軽く頭を下げた。
「マジ! おけおけ。そういうことなら今日のところは素直に引き下がってあげる。でも、明日は覚悟しておいてよ~? ちょっとりりっちとしたかったことがあるんだ~」
「したいこと? まぁ、分からないけど私そろそろ行かないとだから。バイバイ、朱李ちゃん」
「バイバイ~」
明日の放課後一体何をされるのだろう? と一抹の不安を覚えながらも莉里は朱李に見送られて教室を後にした。
帰宅する生徒達の波に逆らって階段を登り、屋上に辿り着いた。
周囲を見渡したところ、授業が終わったばかりだからか人っ子一人いない。
鞄を置き、差出人が来るまでの時間は屋上花壇に咲いている花々を見て時間を潰すことにした。
(懐かしいなぁ、この感じ)
風になびく色とりどりの花々を眺めていると、一度目の人生にてここでこうやって時間を潰していたことを思い出す。
大抵は相手が緊張しているからか、来るのが遅くなって莉里が先に居ることが殆どだった。
最初の方は、呼び出しておいて相手を待たせるのはどういうことかと腹立たしい思いをしていたのを覚えている。
だが、時は少し経ち恋を知ってからは相手の気持ちが少しだけ分かるようになり、途中からはあまりそういう風に思うことはなくなった。
そういうわけで、待つことに関して莉里は不満はない。
目を瞑り、花壇に咲いている花達と同じように春の柔らかな風に身を任せること、数分。
ガチャリ。
ドアノブをひねる音が聞こえた。
目を開け、音のした方向を向くとそこにはキョロキョロと緊張した様子で辺りを見渡す男子生徒が一人。
おそらく、彼が自分を呼び出した真壁という生徒だろう。
莉里は鞄を持って彼に近づいた。
「君が私を呼び出した真壁君?」
「は、はい! 莉里さんお待たせして申し訳ありません」
差出人かどうか確認すると、合っていたらしく真壁は慌てて待たせていたことを謝罪する。
素直に謝れるのはプラスポイント、過去告白してきた相手の中には待たせたことに対してなんとも思わない者もいたから。彼らに比べればマシな部類だろう。
しかし、彼は大きな地雷を踏んだ。
「下の名前で呼ぶの止めてくれるかな。初対面の人に下の名前で呼ばれるの嫌いだから」
「あっ、ご、ごめんなさい。以降気を付けます」
それは莉里のことを下の名前で呼んだことだ。
莉里にとっては下の名前で呼ばれるというのは特別なもので、それを許しているということは相手のことを信頼している証である。
それを親しくもない相手にされると虫唾が走る。
先程獲得した僅かなプラスは一気に吹き飛び、評価はゼロを下回りマイナスへ。最低評価へと落ちた。
不機嫌そうに目を細め、冷めた声で名前を呼び直すよう注意すると真壁は失敗したと青い顔をして、ペコペコと頭を下げる。
「直してくれるなら別に良いよ。で、私を呼び出した用件って何かな?」
「あっ、えっと、その」
まぁ、だからといってそのマイナスが消えるはずもなく。
依然として莉里は温度の感じない眼差しを向け、本題を話すよう促す。
自分が想定していた状況とはかけ離れた最悪の状況に口籠る真壁。
こんな状況で告白なんて出来るはずが無い。すれば、失敗するのが目に見えている。
しかし、莉里からすれば自業自得。平然と地雷を踏み抜いてきたのが悪いのだ。
ギスギスとした空間をどうにかすることもなく相手が口を開くのを待つ。
それから、どれほど経っただろう。
莉里の体感では二分くらいが経過したところで、真壁が意を決したように口を開いた。
「あ、あの! 一目見た時から街鐘さんのことが好きでした! 僕と付き合ってください!」
「ごめんなさい。貴方とは付き合えません」
ヤケクソ気味の告白を莉里は間髪入れずに両断。
少しの間もなく断られた真壁は顔を歪め涙ぐんだ。
「なんでですか?」
だが、一度覚悟を決めたのだ。この程度では引き下がらない。
真壁は断られた理由を聞いてきた。
「私が君のことを知らないから。好きじゃないから。だから付き合えない」
莉里は簡潔に分かりやすく心の内を説明した。
「なら、知ってください。僕とお友達になってくれれば」
「それもお断りします。私男の人苦手なので」
「そんなこと言われても、水無月君とは仲良さそうに喋ってるじゃないか!?」
「彼は長い付き合いの幼馴染で、家族のようなものだから例外。君とは訳が違う」
「そんな!?」
彩人と莉里が親しそうにしているからだろう。
頼み込めば友達くらいにはなれると思っていた真壁は莉里の話を聞いて絶句した。
少し観察すれば莉里が男を避けていることくらい分かるだろうに。
どうやら、恋をしているからか彼は自分の都合の良いようにしか莉里のことが見えていなかったらしい。
「クソッ!」
誰に向けてかは分からない罵倒の言葉を最後に、真壁は屋上から勢いよく逃げ出した。
ドアが閉まり、一人になったところで莉里は大きな溜息を吐く。
(勝手に呼び出して、告白してきてあんな顔をしないでよ)
思い出すのは先程振られた時に見せた真壁の傷ついた顔。
相手のこともよく知らぬまま、自分勝手に告白してきた癖にまるで被害者のような顔をしていた。
被害者は莉里の方なのにあんな顔をしないでほしい。したいのはこっちの方だ。
あんな顔をされてしまえば、自分が悪者になったように錯覚してしまう。
(容姿だけで好きになった癖に。私のことをちゃんと知りもしない癖に……)
相手に非があると分かっている。
でも、彼を振って傷つけたというのは事実だ。
心優しい莉里は、それを見て見ぬふりが出来ない。
相手が本気で自分にぶつかって来ていることが分かるから。
自分が悪くないと分かっていても、自分にも非があったのではないかと心の何処かでは考えてしまう。
――自分があの時ぶつからなければ。
――自分がもう少し分かりやすく男子に冷たくすれば。
今日のような出来事は起こらなかったのではないかと。
無意味なのにもかかわらず、どうしても考えてしまうのだ。
「……はぁ、帰ろ」
これ以上この場にいると自己嫌悪のループに陥りそうだと思った莉里は、真壁が出て行ったのとは反対側のドアから屋上を出る。
ガヤガヤと騒がしい喧騒を避け、歩き続けること暫く。ようやっと駅に辿り着いた。
幸いなことに先程電車が出たからか、ホームには人の姿は殆どない。
とりあえず、莉里は端の方にあるベンチに腰を下ろした。
時間を潰すため読みかけの小説を開いてみたが、頭の中に先程の一件がチラついて一ページも進めない。
(読書は駄目だ)
一人静かな空間にいるのが良くないことに気が付いた莉里は、パタンっと本を閉じ顔を上げると目の前にここには居ないはずの少年が立っていた。
「えっ?」
「よう、しけた顔した美人なお姉ちゃん。俺と一緒に遊ばない? 退屈はさせねぇぜ」
驚愕に目を見開く莉里。
そんな莉里を置いて、彩人はおちゃらけた調子でナンパ師のような口調で遊びに誘ってきた。
「何でここに彩人が? ゲームセンターに行ったはずじゃ……」
「そのつもりだったんだけどな~。海と自販機でジュース買って駄弁ってたら、たまたま長い間放置されてたお汁粉を自分のと間違えて海が飲んじまってぶっ倒れてさ。今日のゲーセンなしになった。さっきまで海を保健室に運んだり何やらして大変だったわ」
理由を尋ねると、彩人はケラケラと楽しそうにここにいる理由を語ってくれた。
友人が倒れて、遊ぶ約束が無くなって彩人の方も中々大変だったらしい。
「それは残念だったね」
「まあ、生きてりゃこういう日もあるだろ。気にしてねぇよ。運の良いことに新しい遊び相手も見つかったわけだしな。莉里どうせ暇だろ? 久々にゲーセン行ってパァッと遊ぼうや。そうすりゃ嫌なことも忘れるぜ」
昼休みの時間。楽しそうにゲームセンターで何をするかで盛り上がっているのを知っている莉里は彩人のことを労わる。
が、彩人は特に気にした様子もなくむしろ満面の笑みを浮かべ遊びに誘って来た。
落ち込んでいる莉里を元気付ける意味も含んでいるのだろうが、長年の付き合いがある莉里には分かる。
これは単純に彼が遊びたいから誘って来ているのだと。
良いように使われるのは癪だが、実際のところ今の莉里には大変有り難かった。
「仕方ないなぁ。どうしてもっていうなら付き合ってあげる」
「どうしてもだから付き合ってくれ」
「はーい、分かったよ」
けれど、それを素直に口にするのは憚られてついつい憎まれ口を返す。
遊びたい欲が高まっているからか、彩人の方はその程度のことは歯牙にもかけず遊ぼうと言って来て、莉里はやれやれと肩をすくめるのだった。
その後、二人はゲームセンターへ遊びに行きコインゲームやリズムゲーム、プリクラなどを陽が沈むまで満喫し、帰る頃には莉里の頭の中からすっぽりと嫌な記憶は抜け落ちていた。