第8話 千影との初デートは……?
翌日、六月四日土曜日。梅雨入り前のこの日は朝から快晴だった。
時刻は九時四十五分、待ち合わせの時間の十五分前に、咲人は結城桜ノ駅の前にある『アリスちゃん像』のところにやってきた。
それほど混んでいない時間帯だったので、すぐに目当ての人物は見つかった。
ただ、見つかったはいいが、なんというか——
「ち、千影……?」
「あ……! こ、こんにちは、咲人くん……」
「こ、こんにちは……」
ぎこちなく挨拶を交わしたのは、初デートの照れが一つ。もう一つは——今日の千影の格好が気になって仕方がないということだ。
まず、思わず目が行ってしまうのは、かなり際どいミニスカートだ。肩は出ているし、胸元も開き気味で、けして似合っていないわけではないが——なんというかキャラに合わない。彼女は普段からこういう格好を好んで着ているのだろうか。
いや、千影自身もかなり恥ずかしそうにしている。
「あの、今日の服装……」
「せ、攻めてみましたっ……!」
「お、おう……攻めたな?」
「でも、これはさすがに恥ずかしいです……」
声が尻すぼみになっていく千影を見ながら、じゃあ着てくるなよというツッコミはさておき、なるべく見ないように咲人は心がける。
「それで、その……どうして恥ずかしいのに着てきたの?」
「咲人くん、こういうの好きかと……」
「き……嫌いではない。ただ、無理に着てほしいとは思わないけど……」
「ううぅ……ひーちゃんに借りるんじゃなかった……」
光莉ならたしかに着てそうだと思ったが、それがある意味不思議だ。双子で顔も体型も似ているのに、どうして服装で違和感を感じるのか。
ただ、落ち着かなそうにもじもじしている千影の姿は、なかなかに破壊力がある。そもそもスタイル抜群だし、それを惜しみなく見せようという姿勢は、ある意味で称賛に値する。
よく頑張ったと評価したいところだが、あまりほかの男に見られたくない。さっきから通りすがる男性たちの目が釘付けだ。
そりゃそうか。それくらい千影は魅力的な女の子なのだ。
「次からはもうちょっと大人しめでいいからね……?」
「それだとひーちゃんに負けちゃいます! ひーちゃんはもっと露出度高めなので!」
「えぇっと……その論理で争い続けたら、いつか取り返しのつかないことになるよ? そうなったら、俺は隣を歩ける自信ないけど……」
千影も取り返しのつかない状況を想像したのか、顔を真っ赤にした。
「た、たしかに……包帯とか、絆創膏とか……それは無理ですね……」
いったいどんな服装を想像したのだろうか。そもそもそれは服装だろうか。
少しだけ想像してしまい、咲人も真っ赤になったが、やれやれと気を取り直して彼女に笑顔を向けた。
「でも、俺のために頑張ってくれたことは嬉しいよ」
「は、はい……あ、ちょっと待ってください」
千影は咲人から少し離れ、右耳に手を当てた——
『——よし、じゃあそろそろ移動開始。腕を組んで歩こうか!』
と、千影が隠すようにつけているイヤホンから光莉の声がした。
「えぇっ⁉
腕を組むと聞いて、千影はビクッと反応した。
「いきなりそれは、だって……当たっちゃうから……」
『おっぱいのこと? いいからいいからやってみよぉー』
「ら、
双子がこっそりと通信していることを知らない咲人は、漏れてくる千影の言葉を拾って首を捻っていた。
(……ネガティブ? ラジャってなんだろう……? 独り言か……?)
やがて千影は大きく息を吸い込んで、咲人の元に戻ってきた。
「さ、咲人くん!」
「え⁉ な、なに……?」
「う、ううううう……腕を組んでもいいですかっ⁉」
「えぇっ⁉ ま、まあ、いいというか、はい、どうぞ……」
咲人はもしやと思い、千影の胸元に一瞬目が行きそうになったが、なんとか堪えた。
「では……——宇佐見千影、行きますっ!」
と、千影は咲人の左腕をとった。じつは右腕のほうが位置的に落ち着くのだが、右耳にしたイヤホンを見つからないようにする工夫である。ちなみにこのあとの二人の心境は——
(あ……当たっちゃうよぉ〜〜……!)
(あ……当たらなければどうということはない……!)
とまあ、
* * *
「うわぁああああああーーーーーーーーー……!」
「きゃぁああああああーーーーーーーーー……!」
一時間後、咲人と千影は絶叫していた。
ここは『結城カノンワールド』といって、このあたりだと最大級の遊園地である。海が近いので高所からの眺めも良い。夜になるとパレードがあり、海上から花火が上がる。家族連れはもちろんデートスポットとしても大人気の場所だ。
今、二人が乗っているジェットコースターは、天空から海に落ちていくというコンセプトで作られているので、絶叫マシン好きにオススメだ。
スリルと爽快感を味わった二人は、次のアトラクションに移動する前に、広場のベンチで少し休憩することにした。
千影は咲人が買ってきたドリンクを受け取ると、カラカラになった喉を潤した。
「はぁ〜……生き返りました。ありがとうございます」
「いっぱい叫んだからね」
「そうですね——あ、ちょっと待ってくださいね……——」
と、千影は右耳に手を当てて「えぇっ⁉」と急に真っ赤になった。
「ら、
またラジャって言ったな、と咲人は訝しむように見た。
「さ、咲人くん……!」
「え? なに?」
「その……ド、ドリンクを……そちらの味にも興味がありまして……」
「え? ああ、交換する?」
「は、はいぃ〜……」
ドリンクを交換すると、ストローの吸口を見て千影は真っ赤になっていた。
「では……——宇佐見千影、行きますっ!」
と、ギュッと目を瞑りながらストローに口をつけた。
ところで、いちいちそのカタパルトから放出されるときのようなセリフはいるのだろうか。多少呆れながら、咲人も千影と交換したドリンクのストローの吸口を見た。
(なるほど、そういうことか……)
気にしては負けだと思い、咲人も口をつけた。
「ところで、どうして今日は遊園地だったの? まあ、デートと言えばって感じかもしれないけど」
ふと千影はクスッと笑った。
「じつは作戦です」
「作戦?」
「普段の私は、たぶんキツい性格に見えると思います。態度とか、言い方もキツいし、それは自覚しているんですが……素の自分を出すのがどうしても苦手なんです」
千影は、本当は自信のない子なのかもしれないと咲人は思った。
彼女にだって、自慢できるところは多くあると思う。たとえば成績や、この優れた容姿など。それらが自尊感情につながらないのは、彼女がなにかに劣等感を抱いているからだろう。もしかして光莉だろうか。
そんなことを思いながら、千影の言葉に耳を傾ける。
「でも、素の自分は、こういうところが好きだったり、可愛いものが好きだったりします。お洒落にだって興味はあるし……そういう自分を知ってほしかったんです」
「そっか……教えてくれてありがとう」
遊園地だと素の自分が出しやすいのだろう。たしかに、今日の千影はいろいろな表情を見せてくれている。思わず見とれてしまうほどに、千影の表情は明るくて柔らかな印象だ。こうした無邪気な姿は学校では見られないので、なかなか貴重だと思う。
とても魅力的だし、作戦成功だと咲人は思った。
「普段からそうしてればいいのに」
「それはちょっと……」
千影は咲人のほうを向いて、はにかんだように笑った。
「家族と、友達と……心を許せる人にしか、恥ずかしくて見せられないので……」
そう言われるとなんだか面映い。
心を許せる人の中に、自分も加えてもらえたのかと。
「敬語は? 光莉には普通に話せてるみたいだけど、俺にも気軽に話していいよ?」
「これは『地(じ)』と言いますか、咲人くんがそうしてほしいのなら直します」
「ああ、いや、そのうちで大丈夫」
千影の敬語は、距離を置くような話し方というより、柔らかな印象を与える効果がある。聞いていて心地よいし、彼女の魅力の一端でもある。
本人が無理に使っているわけではないのなら変える必要もないだろう。無理強いはしないが、いつか光莉と同じように話してもらえたら、それはそれで嬉しいかもしれない。
「そうだ。気になってたんだけど、どうして俺のことを好きになってくれたの?」
千影は急に恥ずかしそうな表情になった。
「塾で……私が先に通っていたんですが、咲人くんはあとから入塾しましたよね?」
「うん。俺は夏期講習からだったし」
「そのときはあまり意識してませんでした。気に障ったらごめんなさい」
「あ、いや……それで、どうして?」
「あれは夏期講習の終盤のことです——」
* * *
——私は数学が苦手なほうです。考えて答えを出せるまでに時間がかかるので、実力テストでは、中盤以降の応用発展問題を解くのに時間がなくなっていました。
その日は塾の授業が終わって、教室で居残りをしていました。
どうしても解けない過去問があって悩んでました。垂心と空間図形の問題でした。
こんなときに限って数学の先生が不在で、理科の先生にお願いしてもイマイチわからなくて——わかるまで粘ろうと一人で解いていたのですが、やっぱりダメで。
数学のアプリに頼ろうか迷ったんですが、いったんお手洗いに行ったんです。
そして戻ってきたら、ホワイトボードに私が解けなかった問題の解答と解説が書かれてありました。この数分間のあいだに誰が解いて書いてくれたのかな?
とりあえず、お礼を言いに先生たちの控室に行ったんですが、みんな首を捻るばかり。誰も知らないと言います。そうしたら、社会の先生がポロッと口にしたんです。
「そういや、さっき高屋敷が帰っていったな……」
「高屋敷、さん……?」
「北中の男子だよ。最近残って勉強してるんだ。——ま、あいつならあり得るな……」
「え? どうしてです?」
するとほかの先生たちも納得したように頷いていました。
社会の先生はこう言いました。
「——あの子は、本物の天才だ」
勉強ができるという意味で、そう言ったんだと思いました。
そのあと、なんとなく気になってその男子のことを目で追うようになりました。
いつも暇そうにしています。眠たそうにしています。大きなあくびをしています。やる気がないのかと思ったら、みんなが問題を解いているあいだ、その人だけ解き終わっていました。
夏期講習が終わったあと、一度隣に座ったことがあるのを覚えてますか?
私は、どうしても確かめたかったんです。本当に、天才なのか。
そうしたら、本当に驚きました。本当に、まるで解答解説を写しているように、問題をスラスラと解いていました。まったく追いつけません。
それからしばらくして——始めて咲人くんに話しかけた日のことです。
今さらですが、あのときはとても勇気が要りました——
「あ、あの……」
「え?」
「う、宇佐見と言います……」
「ああ、はい……高屋敷です」
急に話しかけられて驚いた顔をしていましたね? そのときの顔が印象的で今でも覚えています。私は、正直緊張しまくりで、顔が熱かったです、はい……。
それで、一度訊いてみたかったことを訊ねてみました——
「どうして、ここの塾に? 北中から遠いですよね? 北中の近くにもここの系列の塾があったと思うんですが‥…」
「……まあね」
「じゃあ、どうして……?」
「……特に理由はないよ。普通に、みんなと同じように塾で勉強したかった。でも、ここに来て良かったと思う。気が楽だし、宇佐見さんみたいな真面目で努力家な人がいるから刺激になるんだ」
そのときの言葉と表情が印象的でした。
寂しいような、諦めたような、安心したような、そういう顔をしていました。
でも、そのときの私は、私のことを見てくれている人がいるんだなって、嬉しかったし、恥ずかしかったし、刺激になると言われ舞い上がっちゃいました。咲人くんには追いつけないと思っていたので——。
ただ、冷静にあとで考えてみて——高屋敷くんには、地元の塾に通えない理由があるんじゃないかな? ……そう深読みしてしまいました。
高屋敷くんの言う「普通」ってなんだろう? みんなと同じように、というのはどういう意味なんだろう? 普通というものに憧れを抱く人を、私は知りません。
前に、数学の問題の解答解説をホワイトボードに書いたかどうかは——
「——え? さあ? 先生じゃないの?」
上手くはぐらかされちゃいましたが、私は気づいていました。
高屋敷くん、嘘を吐くときの癖がありますから——。
* * *
「——あの問題を解いたの、咲人くんですよね? そろそろ答えを教えてください」
千影から笑顔を向けられ、咲人は照れ臭そうにそっぽを向いた。
「……まあ、ちょっと、出すぎた真似をしちゃったけど……」
「どうして、問題を解いてくれたんですか?」
「なんというか、宇佐見さんが悩んでる感じだったから、その……放っておけなかったんだ……」
千影はクスッと笑った。
「咲人くんはそうやって、いつも私のことを助けてくれますね」
「いや、正直出すぎてるとは思ってるんだけど……」
「いいえ、本当に助かってます。そういうところです……私が咲人くんを好きになったのは。出すぎと言いつつ謙虚で……そういうさりげない優しさも、頼りになるところも、私は全部好きです」
千影は目を細め、頬を朱に染めた。
あのころから千影は俺を意識してくれていたのか。何気ないことを特別な思い出のように話してくれて——あんな些細なことで、彼女は今こうして好きと言ってくれているのか。
(良い子すぎるだろ……)
こんな子と付き合えて、照れ臭いというか、嬉しいというか。
「でも、だからというか、このあいだの中間テストの結果を見て残念に思って……」
「ああ……だから、あのときプリプリ……怒っていたんだね?」
千影は反省した様子で「はい」と頷いた。
「私は咲人くんが本当の実力を隠したんだと思いました。塾で、刺激になるって言ってくれたのはなんだったのか……自分勝手かもしれませんが、私は咲人くんに追いつきたいと努力してきました」
「俺に……?」
「はい。……私は天才ではないので、努力することしかできないんです。だから、あの結果を見て、急に裏切られた気分になったんです……。咲人くんに追いつきたくて努力してきたのに、どうして本気を出してくれなかったの、と……」
勝手に対抗意識を燃やしていた——ないしは、咲人に刺激を与える存在になりたいと努力してきた結果、千影は今の学年トップの成績を修めるようになった。
それなのに、実力を隠すようなことをされたので腹が立ったのだろう。
「あのときは、不躾でごめんなさい……。でも、理由がハッキリして納得しました。咲人くんは目立ちたくない、出る杭になりたくなかったんですよね?」
「うん……」
千影はいちだんと真面目な表情になった。
「それは……私と会う以前に、なにかあったからですか……?」
「……まあ、いろいろ」
そう言って笑顔で誤魔化したが、千影は察した様子で「そうですか」と項垂れた。
「ところで、俺が嘘を吐くときの癖って?」
「それは……秘密です」
「え? なんで?」
「だって……浮気をしたらすぐに分かるようにしないといけませんからね? 癖を直されてしまったら、嘘かどうか測りかねますから」
と、千影は冗談ぽく笑って見せた。重たくなった空気を変えたかったのだろう。
「あー浮気なんてしないしない……というか、千影と光莉と二人彼女がいる段階でキャパオーバーだからさ?」
そう言って咲人も冗談っぽく笑ってみせた。
* * *
軽く昼食を済ませたあと、メリーゴーランドやお化け屋敷、コーヒーカップなど、一通りアトラクションを楽しんだ。
アトラクションに乗るよりも待ち時間のほうが長かったが、他愛ない会話ができたので、待っている時間も苦痛にはならなかった。
そのうち夕方になった。園内を黄昏が染める。
いつの間にか外灯もついていて、園内は夜の顔を少しずつ見せ始めた。もうすぐパレードの時間である。
「最後に、あれに乗りたいです」
と、千影が指差したのはライトアップされた大観覧車だった。
二人は三十分並んで待ち、ようやく自分達の番になってゴンドラに乗り込んだ。
「観覧車に乗るの、人生初だ」
「すごく景色がいいんです。楽しみですね」
ゴンドラはゆっくりと回る。時計でいうところの九時に差し掛かったころ、咲人の位置から海が見え始めた。
「夕日に照らされて綺麗だ。ほんと、すごく景色がいいね?」
「良かった。私もそっちに座ってもいいですか?」
「ああ、どうぞ」
千影は咲人の隣に座った。
そうして、二人はしばらくのあいだ、夕日に染まる海を静かに眺めた。
「綺麗ですね……」
「そうだね。こうしていると、一日の終わりって感じがするな」
「そうですね……咲人くんは、今日のデート、楽しかったですか?」
「ああ、もちろん」
咲人にとっては貴重な一日だった。学校とは違う、穏やかで身を委ねたくなる安心感が千影にはあった。母性的なタイプなのかもしれない。
「千影といると、心が穏やかになるというか、安心できたよ」
正直に伝えると、千影は小さく苦笑した。
「それは嬉しいですけど、私的にはもっとドキドキしてほしかったです」
「ごめん、そんなつもりで言ったんじゃ……」
「いいんです……——あ、ちょっと待ってください……——」
と、千影は右耳に手を当てて「えぇっ⁉」とまた急に真っ赤になった。
「
(ど、どういうことなんだろう……? ネガティブ……?)
咲人は隣で慌てふためく千影を見ながら呆れて待つ。なぜか話題に置いていかれているような気分だ。
少しして千影は両頬を押さえながら目を瞑った。
「ら、
「ど、どうしたの?」
「……え? ああ、なんでもないですっ!」
なんでもありそうだ。
千影はなぜかキョロキョロと落ち着かなくなり、ひどく落ち着かない。見ているこちらがそわそわする。
「え、えぇ〜っと……咲人くん、なにか忘れてはございませんか?」
「……ございません? え? なにを……?」
「で、ですから、その〜……ひ、ひーちゃんにして、私にはまだしてないことをですね……」
「あ、ああ、なるほど……。でも、いいの?」
「は、はい! どうぞ……!」
ふと千影が緊張気味に目を閉じた。咲人はそっと手を伸ばすと——
「ひゃあぁ……⁉ 耳ぃいいい〜……⁉」
左の耳たぶに触れたところで、千影が身じろいで咲人の手から逃れた。
「な、なにするんですかっ……!」
「いや、だから……おまじない? なんか、人違いをしないためのって……」
「おまじない……? な、なるほど……昨日のアレはそういうことだったのか……」
千影はなにかを思い出して納得した。昨日のうちに光莉からなにかを聞いていたのかもしれない。
一方の咲人もなんだか納得していた。
光莉の言っていたおまじない——姉妹であっても、双子であっても、耳たぶの柔らかさは違うということだ。光莉と始めて会ったとき、彼女の耳たぶに触れさせられたのは、双子だと気づかせるためのヒントだったのかもしれない。
いや、ヒントにしてはちょっとハードルが高すぎやしないか。千影の耳たぶに触れる前提で出されたヒントなんて、ヒントとは呼べない。人が悪すぎる。
とりあえず、これは違うらしい。
だとすれば、光莉にして千影にはしていないことと言えば——
「ほ、ほかに、していないことがありますよね?」
「え? な、なんのこと……?」
「あ、その顔は気づいてますね? 嘘を吐いたときの癖が出ていますよ?」
「うぐっ……⁉」
「じゃ、じゃあ私から言います……ち、ちゅーですっ! 私、まだしてもらってません!」
千影は静かに立ち上がって、座っている咲人の下腹部を跨いだ。本人は脚を広げる格好になっているので、ミニスカートの中、パンツが丸見えになっていることに気づいているのだろうか。
それから、咲人の顔の脇を通るように両手を伸ばし、後ろの窓を押さえるかたちになる。つまり、今咲人の目の前には千影の豊満な胸がある。
これはマズい。立ち上がろうにも立ち上がれない。
咲人は目のやり場に困って、千影の真っ赤な顔を見た。
「あの、ち、千影さん……⁉ この格好は、いったい……⁉」
「う、上からの指示です!」
「上って誰だっ⁉ どんな命令が下ってるんだ⁉」
「お、おおお、押し倒せとっ……!」
「ちょっと待て! その責任者を出せっ!」
「で、では……——宇佐見千影、い、行きますっ!」
と、千影が唇を寄せてくるが、
「ちょ、ちょっとタンマ! やっぱりこれはダメだっ!」
と、咲人は千影の唇が触れる前に止めた。
「……して、くれないんですか?」
「いや、する……でも、こういうのではなく、もっと、こう……千影らしくいこう!」
そう言って千影を元のポジションに戻し、彼女の肩に触れた。
咲人はやれやれとため息を吐く。
「そこまで積極的に頑張らなくてもいいじゃないか?」
「でも、それだと……ひーちゃんに負けちゃうので……」
「勝ち負けとかじゃないよ。俺は、どっちも好きになったんだし、そこに優劣をつけるつもりはない。……気持ちは嬉しいけど、千影は千影のペースでいいんだ。負けず嫌いを出すところは、もうちょっと違うところがいいと思うよ?」
「咲人くん……」
咲人は千影を安心させるように微笑を浮かべた。
「俺が、彼氏として、なんとかリードするから……」
「……わかりました。では、お任せします——」
そう言うと、千影は静かに咲人の首に腕を回した。咲人は彼女を静かに引き寄せる。
ゴンドラは十一時を回っていた。
遥か地上では、明かりが消えて暗くなったと思いきや、途端にライトアップが激しくなった。パレードが始まったらしい。賑やかな音楽がゴンドラの底に響く。
花火が上がった。赤、青、緑、黄色、オレンジ——。上空は、次々と色と音が弾ける幻想的な世界に包まれた。そんな魔法の時間が始まったころ——。
二人は静かにキスを交わしていた。
長く、柔らかく、優しい時間が静かに過ぎていく。ゴンドラが三時の位置を過ぎていた。ゆっくりと離れた二人は、火照った顔で見つめ合う。
「改めて問います……私とお付き合いしてください」
「うん……これからも、よろしく——」
そうして、二人はもう一度キスを交わした。
* * *
遊園地を出て、電車に向かって歩いていると、咲人と千影は自然に腕を組んでいた。
はしゃいで歩き回って疲れたのもあるが、デートの余韻が大きかった。この一日で、千影との距離がぐっと近づいた気がした。
「今日のデート中、咲人くんからひーちゃんの話が出ませんでしたね?」
「デート中に、ほかの女の子の話題は禁句だと思って」
「それ、誰から教わったんですか? 場合によってはムムムーです」
「……一般常識かな?」
咲人は伯母のみつみから教わったと言おうか迷ったが、それよりも千影から光莉の名前が出たことのほうが気になった。
「咲人くん、本当は気になっているんですよね、ひーちゃんのこと……」
「え?」
「たぶん、普段の……学校のことですよね?」
デート中に訊くのは遠慮していたが、どうやら見透かされていたらしい。
「……まあ、訊いていいか悩んだんだけど、学校を休んでいる件が気になってる」
千影はふと視線を膝に落とした。
「……最近ずっと欠席していて、じつは先日ひーちゃんの担任の先生とお話ししたんです。このペースだとかなりマズいと……」
「欠席する理由は?」
「わかりません。両親にも話してくれないので……」
「そっか……。中学や小学校のときは?」
「小学四年生あたりからちょくちょく休みがちでした。中学になってから一気に増えて、そのときも理由は特に話してくれませんでした……」
「不登校ってやつか……」
咲人はそこで一つ納得した。
どうして光莉の話題が学校で出なかったのか。
出なかったのではなく、誰も口に出さないようにしていたのだ。
不登校生徒は今どき珍しくない。咲人の中学時代も、クラスに一人はいた。社会的に見ても、小学校から中学校にかけて、不登校の人数はぐんと増えていく傾向にあるという。
理由は様々で、本人が理由について理解していないケースもあるらしい。大半は本人の『無気力・不安』からくるそうだが、『親子の関わり方』や『学業の不振』など、べつの理由と重なることもある。だから、端的に理由の判別はしづらいのだという。
クラスを受け持つ担任教師の対応は——咲人が知る限り、不登校の生徒の話題には触れないという感じだった。
ただ、けして問題に蓋をしているわけではなく、あえて触れないだけ。
もしクラスでその話題が上がったら、誹謗中傷には厳しく律し、思いやるなら笑顔で共感するというのが常だった。
そうしたことが数年続いていくとどうなるか。生徒たちの中にもルールが形成される。教師と同じ、不登校のクラスメイトにはあまり限り触れないという暗黙のルールだ。
無視するわけではなく、触れない。
不登校の生徒本人も触れられたくないと感じているかもしれないし、周りはどうしていいのかわからず、けっきょく触れてはならないのだと思ってしまうのだろう。
今まで学校で光莉の噂を聞かなかったのは、そういうことなのだろうと咲人は思った。
「ご両親は? 困っていたりするのか?」
「いいえ、ひーちゃんのやりたいようにやったらいいというのが宇佐見家の結論です」
咲人は頭を悩ませた。
「その……放任主義的な感じか?」
「それに近いかもしれません。ただ、ひーちゃんのことを信じているんだと思います」
「信じてる? なにを?」
千影はいっそう真剣な目で咲人を見た。
「じつは、ひーちゃんは……あ、ちょっと待ってください……——」
千影は右耳に手を当てて「えぇっ⁉」とまた急に真っ赤に——またこのパターンか。
「
(なんで急に前向きになった……?)
独り言(?)が終わると、千影が急に「はふん」と脱力して、咲人の肩に頭を乗せた。
「あの……今日はとても疲れて、到底家まで帰れそうになくて……」
「そ、そうなの……? 急にどうした?」
「休憩的ななにかをしないと帰れないので、休憩を挟みませんか?」
「いや、まっすぐ帰れると思うんだけど……」
「そこを曲げて休憩がしたいとお願い申し上げているわけですので、ぜひ……」
千影は頭を咲人の肩にゴリゴリと擦りつける。なんだか日本語が変だし、歩きにくい。
「あの、千影——」
と、肩で千影の頭を押し返すと、反動でポロッとなにかが地面に落ちて転がった。
「あぁっ……⁉」
「ん? ……イヤホン?」
咲人は拾い上げて自分の耳につけてみる。
『そのまま駅で下りてお泊りコース! うちもあとで行くから、場所を——』
「……光莉?」
『あ……』
咲人はキョロキョロと辺りを見回した。道路を挟んで向こう側の歩道、サングラスとマスクをした怪しい人物と目が合う。が、すぐに誰かわかった。向こうも見つかったことがバレたとわかり、小さく手を挙げる。
『あははは……やぁ?』
「千影に変な指示を出していたのはお前か? ずっとついてきていたのか?」
『えぇーっと……——緊急離脱! さらばっ! ——』
と、怪しい人物は駅に向かって駆けていった。
咲人は呆れながらイヤホンを外し、汗だくになっている千影の手にそっと握らせる。
「まあ、なんだ……自分とアイデンティティは大切にしようね?」
「…………はいぃ〜……」
咲人はすっかり呆れていたが、一方で光莉はすごいやつなのではないかと思った。
言い方は悪いかもしれないが、ある意味「お硬い」はずの千影が、ここまで操られるとは思ってもいなかった。まったく、とんでもない姉である。
それでも、千影が可愛いことには、なんら変わりないのだが。
<先行公開はここまで! このあとは、光莉とのデートだけど……
まさかのお家に連れ込み!? そしてドキドキ暴走して……
続きは11月17日発売の1巻にて!>
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「じつは義妹でした。/双子まとめて『カノジョ』にしない?」
公式Xでも連載中!
https://twitter.com/jitsuimo
作品特設サイトOPEN!
https://fantasiabunko.jp/special/202311futago/
「じつは義妹でした。」コンビ 白井ムク×千種みのり最新作
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