レオンの章
「あいつは友だったよ」
勇者アレスとの関係性を聞かれた時の、彼の答えは簡潔だった。
服の上からでもわかるほど、身体は鍛えられ、引き締まっている。刈り込まれた金髪、短く整えられた髭、端正な顔立ちだが、見る者を圧倒する眼力が、彼が尋常ではない人物であることを示していた。
友――彼とアレスの関係はそんな単純なものではないはずだった。学院時代からの付き合いであり、死線を何度も潜り抜けた同じパーティーの一員。
レオン・ミュラー。剣聖レオンと称えられている彼は、かつて勇者候補の筆頭でもあった。
「特別な意味はない。ただ、あいつと会うまで、俺には友と呼べる人間がいなかった。それなりに身分の高い家に生まれたからな。貴族の家に生まれると、人間関係は上か下しかない。敬うか敬われるか、会った人間をそういう風に値踏みする。なかなか最低だろう? 貴族とはそういうものだ」
そう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
今のレオンには、そういった貴族然としたところはない。むしろ、身分の分け隔てのない公明正大な人物として知られている。現に、わたしに対しても身分の違いを感じさせない、くだけた話し方をしている。
――では、アレスと会ったときはどうだったのか?
「俺はそのとき貴族だった。いや今も貴族だが、貴族という生き物だったんだよ。それも勇者候補だった。剣を使わせれば俺以上の者はいないという自負もあったし、勇者は自分に違いないと増長していた。周囲もそう俺のことを見なしていた。だから……」
レオンの目が陰りを見せた。
「あいつのことは嫌いだった。貴族のみが入ることのできるファルム学院に、土足で入ってきた平民。それも風貌の冴えない男だった。視界にすら入れたくなかった」
――今も存続しているファルム学院は、勇者の育成機関として名高いが、貴族のみが入れる学院ではない。むしろ、実力さえあれば誰にでも門戸を開いている。
「今は……な。当時は違った。設立当初の理念は失われ、貴族が自分たちの子弟に箔を付けるだけの機関に成り果てていた。もちろん、金があれば入れたから、建前上、入学には身分は必要なかったが、わざわざ、そんなところに入ろうなんていう酔狂なヤツはほとんどいなかったよ。強くなりたければ、私塾に入るなり、高名な剣士の弟子になるなり、冒険者として経験を積むなり、方法はいくらでもあった」
――ではなぜ、アレスはファルム学院に入ったのか?
「簡単だ。あいつは勇者になりたかったからだ。強い戦士になる方法はいくらでもあるが、勇者として認められるには、ここに入るしかなかった。まあ、考えてみれば学院に入らなければ勇者になれないなんてことはなかったんだが、当時はそう信じられていたし、あいつもそう思っていた」
――初めて会った時はどうだったのか?
「忘れた、と言いたいところだが、今でも夢に見る。一瞥して吐き捨てるように俺は言ったんだ。『おまえに勇者になる資格はない』と」
――アレスは何と答えた?
「『それでも、ならなければならない』と言った。平民に口答えされるとは思わなかったから、俺は激怒したよ。その場で斬り捨ててやろうかと思ったが、さすがに教員に止められた。学院内での刃傷沙汰は困る、とな。教員たちも、あいつのことを場違いな人間と思っている節はあったが、さすがに殺すのは不味いと思ったんだろうな」
――アレスはどんな生徒だった?
「凡庸だったよ。学院に入る前は少し冒険者をやっていたようだったから、戦闘技術はそれなりにあった。だが、剣の型も我流だったから、基本からやり直されていたな。卒業までに何度も試合をしたが、俺が負けることはなかったよ」
――勇者アレスは学院時代から素晴らしい成績を収めていたと信じられているが?
「あれは後付けだ。魔王を倒したから、学院時代の顔見知り連中が掌を返したように褒め称えた。『学生のときから勇者の輝きを見せていた』とかな。あいつは輝いてなんかなかった。だが、異常ではあった」
――異常?
「授業の模擬戦では、勝つか、自分が本当に倒れるまで戦った。少々のダメージでは諦めなかった。教員相手でも本気で立ち向かった。教えられた内容でわからないことがあれば、理解できるまで教員か同級生に聞いていた。型をなぞった反復練習は、夜遅くまで行っていた」
――それだけなら熱心な生徒、というだけではないだろうか? 勇者の逸話としては、むしろ弱い。
「熱心というレベルではない。あいつには休憩という概念がなかった。自由な時間を一切持たなかった。時間はすべて『勇者になるため』に使っていた。あいつは寝ていたんじゃない。活動の限界が来て、倒れていただけだ。平民だからだと、ちょっかいを出していた連中も、すぐにあいつに関わらなくなった。誰が見ても常軌を逸した執念だったからだ」
――そこまで努力をしていても、彼は平凡だったのだろうか?
「いや、それなりに成長はあったよ。というより、『そこまですれば成果もあるだろう』という程度だ。努力しても才能の差は超えられない。それは厳然とした事実だ。結局、剣では俺に及ばなかったように、他の分野でも一番になることはなかった。無論、成績は悪くなかった。だが、あそこまでやれば、誰でもその程度の成績を取れる。……まあ、あの努力をできる人間はいないだろうがね」
――確かに卒業時、アレスは首席ではなかった。首席を取ったのはレオンだったはずだ。
「俺が首席を取れたのは、伯爵の息子というバックボーンがあったからだ。同時期に王族がいれば、そいつが首席を取っただろうさ。もっとも、俺は相応に成績が優秀だったがね」
レオンはニヤリと笑った。不敵だが、人好きのする笑みだった。
――ところで、あなたはアレスを友と呼んだが、一体いつそのような関係になったのか?
「三年時の終わりにある野外演習のときだ。三年間で学んだことの総決算として、魔物と戦うためにロゾロフ大森林へと遠征した」
――ロゾロフ大森林は今でも魔物の出没する魔境として知られる。ファルム学院では、現在でもこの野外演習が伝統行事として行われている。
「魔境といっても、場所によって魔物の強さは随分と違う。あそこは国がいくつも入り込んでいるくらい広いからな。生徒たちが行くのは、比較的弱い魔物が出る領域だ。熟練の冒険者であった教員もついていくし、護衛のための騎士も同行する。危険はほとんどない……はずだった。だが、魔人のひとりが、この演習を狙った」
――その話は有名だ。勇者の英雄譚のひとつにもなっている。襲い掛かる魔人を、後に勇者のパーティーとなるメンバーたちが倒したのだ。
「あれは英雄譚と言えるような恰好の良いものではない。引率の教員と護衛の騎士のほとんどが殺されている。もちろん、生徒たちにも犠牲者が出ている。言ってみれば、王国の失態だ。それを誤魔化すために、生き残った生徒が英雄に祭り上げられた」
――確かに、たくさんの犠牲者が出たことによって魔人の強さが強調され、それがゆえに、学生でありながら魔人を撃退した勇者たちの勇敢さが引き立てられている。
「後で思い知るが、あの魔人は、魔人の中では強くはなかった。ただ狡猾だった。勇者になるかもしれない学生を殺すことで、少ないリスクで功績を立てる狙いがあったのだろう。教員や騎士たちも、俺たちを守る戦いを強いられなければ、もう少し善戦できたはずだ」
――弱くても魔人といえば魔物の中では最強クラスの種族である。魔人を相手に、生徒たちは何故勝てたのか?
「簡単な話だ。実力的には最初から勝てたんだよ。学生といえども、俺やマリア、ソロンの力は抜きん出ていた。ただ、実戦経験がまったく足りていなかった。弱い魔物なら倒せても、自分たちより強い魔物を連携して倒す術を知らなかった。俺はひとりで斬りかかって、あっさり倒された。ソロンは自信のあった魔法が通用せずに混乱していた。マリアは回復できない死体を前に呆然としていた」
――聖女マリア、賢者ソロンは、言わずと知れた勇者パーティーのメンバーだ。だが、このとき彼らはまだ力を発揮できていなかった。ではアレスはどうしていたのか?
「あいつは……魔人を見るなり、逃げろと皆に指示していた。固まらずにバラバラに逃げろと。一戦も交えず逃げろとは、臆病なヤツだと思ったよ。だが、あの指示に従った生徒たちが生き残り、立ち向かおうとした連中が死んだ」
――アレス自身は?
「逃げた連中を追おうとする魔人を阻んでいた。決して正面から立ち向かおうとはせず、間合いをとって牽制した。ひとりでも多くの人間を助けようとしたのだろう。だから、俺が魔人に倒されたときも、あいつはその間に割って入った。あいつが来なければ俺は死んでいた」
――アレスはあなたも逃がそうとしたのか?
「いや、俺には『立て! そして、戦え!』と言ったよ。ひどいとは思わないか?
たった今、魔人と戦って負けた俺に『戦え!』と言うんだぞ? 戦っても勝てるわけがないと思ったよ」
――でも、あなたは戦った。
「生まれて初めて完膚なきまでに叩きのめされて、俺のプライドはズタボロだったが、それでも平民がひとりで戦っているんだ。貴族の、伯爵家の俺が逃げるわけにはいかなかった。
それにあいつは言うんだ。『勇者になるんじゃなかったのか?』ってね。なけなしの勇気を振り絞って立ち上がったよ。
今考えれば勇気ってやつを出したのは、あのときが初めてだったと思う。俺はあのときまで人生で勇気を出したことなんかなかった。一度も困難に立ち向かったことなんかなかったんだ。だから、魔人という脅威に直面したとき、あっさりと心を折られて死を覚悟した」
――勝てない相手にあなたはどうやって戦ったのか?
「あいつと同じ戦い方をしたよ。正面から向かわず、距離を取り、隙を見て斬りかかる。俺が弱者の戦い方と嘲った、騎士にはあるまじき戦い方だった。しかし、やってみてわかった。あの戦い方は自分よりも強い相手には有効だということを。個体として人間よりも強い魔物には、最初からそういう戦い方をすべきだったんだ。
俺とあいつで、魔人の隙を見て何度も斬りかかった。あいつの指示を受けて、ソロンは牽制する目的で魔法を使うようになった。マリアも戦っている俺たちの回復に専念するようになった。で、勝ったわけだ」
――初めて勇者のパーティーが機能した戦いだった?
「言ってしまえば簡単だがね。戦っている間は勝てるなんて思ってなかった。俺たちの攻撃が効いているかどうかもわからなかったしな。ただ、あいつが何の躊躇いもなく戦っていたから、俺たちも戦えたんだ。あいつだって何度も何度も倒されていたんだ。だが、あいつは何度倒れても、すぐに起き上がって立ち向かった。
後で俺は理解したんだが、あいつは授業の模擬戦のときから、こういう戦闘を想定していたんだろう。だから、模擬戦で何度倒されても、簡単に負けを認めずに勝てるまで挑んだ。俺たちが何となく受けていた授業で、あいつは多くのことを学んでいたわけだ。強い相手にどう立ち回ればいいのか、どう戦えばいいのか……そういった差が、あの野外演習で出た」
――命を助けられたから友だと思ったのか?
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」
レオンは虚空に目をやった。
「俺はあのとき『ああ、こいつが勇者だったのか』と思った。負け惜しみじゃないが、態勢を立て直した後、魔人にもっともダメージを与えたのは俺だ。実力的に言えば、やはり俺のほうがあいつより強かった。でもそういうことじゃない。勇者に強さは必要だが、それだけじゃない。無論、身分などまったく関係なかった。勇者はその在り方こそが問われる。
俺は勇者ではなかった。そして、初めて人のことを認めた。身分が上とか下とか関係なく、対等の人間として、な」
――何故、勇者は死んだのか?
「それがアレスという男の運命だったのだろう。それだけのことだ」