第二話 失われた青春のページ(6)

 週明けの放課後。

 あたしたち三人は今回の謎の答えを、暦先生に報告しにいった。

「暦先生、いますかー?」

 保健室に入ると、いつものように暦先生は椅子に座ってあたしたちを迎え入れてくれる。

「こんにちは、みなさん。今日は何か用事ですか?」

「はい。例の図書室での謎が解けたので、聞いてもらおうと思って。まずはこのプリントなんですけど……先生?」

 あたしが取り出したプリントを見せると、暦先生はいつになく神妙な面持ちになる。

 黙ってそれを受け取って、しばらく目を通した後でようやく口を開いてくれた。

「この謎を、あなたたちが解いてくださったのですね」

「は、はい。そうですけど……どうかしましたか?」

 頷くあたしに、またも暦先生は口を閉ざしてしまうけど。

 ほんの少しだけ逡巡した後で、ようやくその理由を語ってくれた。

「私、八年ほど前にこの学校に通っていましたの」

「え? 先生、うちの卒業生だったんですか?」

 あたしは冬子、はるると顔を見合わせるけど二人とも首を横に振る。

 誰も知らなかった事実に驚いている間も、暦先生は続けた。

「遅刻や欠席ばかりで、かなりギリギリの卒業でしたけどね。学校が嫌いだったわけではないのですが、ちょっとした事情で休みがちで」

「へえ……暦先生、真面目そうなのに」

「うふふ。私は結構不真面目だったのですよ。だけどそんな私にも、親しい友達が一人だけ居ましたわ。授業をフケる時に使っていた図書室で出来た、本好きの友達が」

 一瞬だけ、あたしの頭にあの文学少女のことが過る。

 いや、それは関係ないはずだ。だって、八年も前のことなのだから。

「その子は熱心な図書委員で、文化祭で催しを企画するほどでした。誰も図書委員の出し物なんて、興味がないでしょうに。ひねくれているのに、変に真面目な子だったから」

 暦先生の視線が、手元のプリントに落ちる。

 文章を眺めているのではなく、その先にある何かを見ているような目で。

「だけど彼女は文化祭の前日に、書庫で本を整理している時に亡くなりましたわ。脚立を使って本を整理している時に体勢を崩し、不運にも床に頭を打って……」

「先生。もしかして、その生徒の名前って……」

 知ってはいけない気がする。だけど、知らないままではいられない。

 だって、あたしは関わったから。あの謎を作った少女と、向き合ったから。

「夏凪さんが図書室で出会った少女と、同姓同名ですわ。彼女の名は──」

 直木読子。

 そんなことがあるわけない。そんなのは非現実的だ、と。

 その場にいる誰もがそう考えたはずだ。

 だけど『彼女』の正体、その輪郭が浮き彫りになっていくにつれて冬子とはるるの顔が青ざめていくのが分かった。

「つまりそれは、直木読子は……幽霊って、ことだよね?」

「そ、そんなわけないっしょー! だって、ナギとは会話をしているわけだしさぁ」

「だけど、僕らとは会話どころか対面もしていない。いつだって彼女は、渚が一人で居る時にしか現れなかった。不自然なくらい、いつ行っても会えなかったのは……つまり」

「ぎゃー! それっぽい口調で語らないでよ、フユぅ! 泣く! また漏らす!」

 そんなの、あたし自身が信じられない。

 あの子にはしっかり足もあったし、三角布だって額に巻かれていなかった。身体も透けていないし、笑う仕草も、低めの声も、綺麗な目も。

 あるいはその命だって欠けているようには、感じなかった。

 あの時、あの瞬間。静謐な図書室で確かに、直木読子は存在していた。

 だからあたしは、謎解きで手に入れた、電話番号にもう一度電話をかける。

 直木読子の存在証明を、求めて。

「……やっぱり繋がらない、よね」

 だけど何度試しても、あの時の一回以外電話が繋がることはなくて。

 この謎の不完全な終わり方に、納得出来ないのに。

 謎を作った彼女がもう居ない以上、この先を望むことは難しい。

「せめてあのノイズの謎が解ければ良かったのに」

「ノイズ、ですか?」

「はい。三人で謎を解いて電話をかけた後、一度だけ電話が繋がって。その時に流れてきたのが、外国語みたいなノイズでした」

 スマホを取り出し、録音しておいたそのノイズを暦先生に聞いてもらった。

 すると、最初は真剣な面持ちだった暦先生だけど。

「……そう、ですか。なるほど、彼女らしいですわね。ふふっ、あはは!」

 普段見ることがないくらい、大きく口を開けて笑い出したのだった。

「こ、暦先生? 大丈夫ですか?」

「あーあ、コヨちゃん壊れちゃった。叩けば直るかな?」

「ダメだよ、はるる。僕と違って先生は繊細だから。というか、どうして君は困ったことがあるとパワーに頼ろうとするのさ……?」

「ウチが解決するよ! 拳で!」

 あたしたちが困惑していると、ようやく笑いを抑えて暦先生が理由を教えてくれた。

「すみません、みなさん。私の友達は相当なひねくれ者でして、最初から他人にこの謎を解かせるつもりはなかったようですわ」

「と、言いますと?」

「このノイズ、内輪ネタですの。私と読子の間で流行っていた、変な遊びです。こんなの、誰にも分かるわけがないのに……全く、本当にひねくれているんですから」

 結局何も分からないあたしたちを尻目に、暦先生は「このデータ、お借りしますね」と断りを入れてから、ノイズを自分のスマホに転送する。

「このアプリを使って、こうすれば……ノイズの謎が解けるはずですわ」

 暦先生のスマホから流れてきたのは、ノイズではなく。

『最後の謎が解けるのは、やっぱりあなたくらいよね。答えを見つけてくれてありがとう、暦。ご褒美にジュースを奢ってあげる』

 ちゃんとした言葉だった。しかもそれは、特定の一人だけに向けたもの。

「私たちの間で、喋ったことを逆再生して、音声を送りつける遊びが流行っていまして。あの頃はこうやって、学校でくだらないことをして笑い合ったものですわ」

 そう語る暦先生の声には、悲しみや寂しさはない。

 大好きだった友達との思い出を懐かしむ、楽しそうな声音だ。

「じゃあ、最初から彼女は暦先生に向けてこの謎を作ったっていうことですか?」

「それは正解とも言えるし、不正解とも言えますわね。真面目な彼女は出し物として成立させつつ、こんなものを真剣に解いてくれる人がいないと思っていたのでしょう」

 ただし、私を除いては。

 どこかで聞いた決め台詞の後で、付け加えるように言ってから暦先生は笑う。

「私はこの謎を作っている彼女の姿を、よく目にしていましたから。本を心から愛し、図書室で大切な本たちに囲まれていたあの子の顔が……大好きでした」

「きっと……読子も、暦先生のことがすごく大好きだったと思いますよ」

 一人だけ友達がいた。そう語った、あの文学少女とのやりとりを思い出す。

 常に無表情な彼女だったけど、友達のことを語る時だけは可愛い笑顔だった。

「ええ。不良少女と文学少女。どちらも友達がいないタイプでしたからね。さて、と」

 椅子から立ち上がった暦先生は大きく伸びをして、あたしたちに笑いかける。

「湿っぽい空気になってしまいましたわね。謎解きはこれにて終わり! 約束通り、あなたたちにおいしいお肉をご馳走しますわよー!」

 ラーメンの次は焼肉。それはそれで、すごく魅力的だったけど。

「いや、ごはんはまた今度でいいですよ。だよね? 冬子、はるる?」

 あたしが何を考えているか、二人には言わずとも伝わったようだ。

「女子のお腹を満たすのは、おいしいごはんとスイーツというのは定番ですけど、僕たちとしてはご褒美のジュース片手に、もっと他のもので満たされたいというか?」

「そうそう! ウチら、もっとコヨちゃんのJK時代の話を聞きたい! 具体的にはその頃、コヨちゃんがどんな恋愛をしていたか、とかね! えへへ!」

 そんなあたしたちの提案に、暦先生は困ったように笑う。

「あらら、昔話は恥ずかしいですわね。何なら、高い焼肉を奢った方が気楽なくらいですが……でも、しょうがないですね。今日だけは、特別ですわよ?」


 それからあたしたちは、四人で日が暮れるまで語り明かした。

 学校のこと。勉強のこと。恋愛のこと。

 そして、大切な友達のことと、昔話。

 あたしが出会った直木読子は、一体何だったのだろう?


 例えば。あの日からずっと図書室にあった、思いの残滓。

 例えば。久しぶりに友達に会うために、遠いところから遊びに来た同級生。

 例えば。その名を騙る全くの別人。よく似たそっくりさん。暦先生のドッキリ。


 正体は今となってはどうでもいいことだし、ほんの些細なことだよね。


 だって、確かに『彼女』はそこにいたのだから。


 だから彼女の正体という大きな『謎』は、解き明かす必要はない。

 

 暦先生とあたしたちにとって……読子は大切な、青春の一ページになったのだから。

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