第二章 努力の影響(3)
3
いや、ちょっと待て。
アメリア……さん、本当にとんでもない。なんだ、『音魔法』って……強すぎる。
見てわかるほど加減されてあの威力。しかも不可視とかいうオマケ付き。
はっきり言って、世界最強の魔法使いはアメリアさんだと言われても納得してしまう。
――『音の矢』
初めて見たときは震えた。
俺はあんな魔法で攻撃されたら終わると思った。この世界にはこんなにもえげつない魔法があるのだと心底恐怖した。
そして、同時に沸き上がる烈火の如き怒り。またしても俺を上回る人間。
本当にうんざりする。
対策を考えなければ。死ぬ気で対策を考えなければと思った。
幸い、アメリアさんはとても詳しく魔法の理論体系を教授してくれた。
正直、あの人は少し……いや、かなり普通ではない。
……俺の指導をしてくれているときのあの人の顔。息が荒く、口の端から涎が垂れ、目が完全にイッちゃっている。
明らかに頭の大事なネジが何本か外れている人間の顔だった。
しかし、教えてくれる内容に関しては信頼できる。それほどにアメリアさんとの時間は有意義だった。
まあ、指導の際『グッとやってシュリリリーンって感じ♪』みたいな擬音が多すぎるのが気になったが……理解はできる。
そして、アメリアさんの魔法に対抗する為に作り上げたのが――『闇の加護』。
無意識下だと捻出魔力量が著しく下がるというデメリットはあるが、それでも我ながらよくできたと思う。
ほんと、呆れるほどの『才能』だ。ちょっと努力すればすぐに成果が出る。
いや、努力なんてしなくてもほとんどの人間は俺の足元にも及ばないだろう。
あらゆる出来事が、俺は“選ばれた側”であることを証明する。その度に自尊心が膨れ上がる。
なのに――俺は既に自分を上回る人間に二人も出逢うことができた。
あぁ……本当に幸運だ。
努力しなければ越えられない壁がそこにある。『俺』にとってこれ以上の幸運が他にあるか?
良かった、本当に良かった。
これでまた近づける。
見上げることすら叶わない――真の高みへ。
俺の平穏はそこにしかない。立ちはだかる全てを叩き潰そう。
かなり面倒だが、やるしかない。
「ルーク」
父の呼ぶ声。
そうだ、今俺は嘘に塗れた貴族の集まるパーティーの真っ只中だった。
あまり考え事に耽るのは良くないな。
「どうかしましたか、父上」
「気に入った女はいるか?」
「……はい?」
本当に何を言われたのか分からなかった。
「気に入った女はいるか、と聞いているのだ」
「…………」
聞き間違いじゃなかったぁぁぁぁ!! 脈絡なさすぎるだろ!!
渋い顔していきなり何聞いてくるんだこの人は!!
「……特には」
静かにそう答えた。
実際、男女問わず多くの人間と言葉を交わしたがそんな者は一人もいなかった。
「ふむ、そうか」
……本当になんなんだこの人は!! 我が父ながら訳が分からなすぎるわ!!
「お前の縁談の話はいくつもあった。だが、私はその全てを断った。なぜだか分かるか?」
「……いえ」
「ルーク、お前自身に選ばせる為だ」
そうなのか。許嫁的な存在がいないことは知っていた。しかし、その理由までは分からなかった。
力を持つ者との“繋がり”を重んじるのが貴族だと思っていたが、どうやら父上は違うようだ。
「もしも、気に入った女がいたら私に言いなさい。――必ずお前の嫁に迎えてやろう。たとえ、それが王族であろうとな」
「…………」
ほんと、『ルークの親』って感じだ。
自分ならそれが可能であると信じ、まるで疑わない傲慢さ。しかもその目に一欠片の悪意も宿っていないからこそ余計にタチが悪い。
「感謝します、父上」
とりあえずそう言っておいた。
「うむ、それだけだ。パーティーを楽しみなさい」
ため息をつかずにはいられない。ただでさえどうでもいい貴族共の相手で疲れているのに、突然呼び出されて何の話されるかと思えばこれだよ。
『父上、余計なお世話すぎです』って正直に言ってやれば良かったか?
いや、もっと面倒な状況になるだけだな……というか、分かったぞ。
原作で『ルーク』が実家に引きこもった後、次に主人公の敵になるのはおそらく父上だ。
主人公を逆恨みし、持てる力全てで潰そうとする。
言うなれば『第二章 貴族の謀略編』って感じだろうか。
まぁ、そうはならないが。
「――希少属性を発現させたというのに、随分と浮かない顔をしているのね」
女の声がした。
今度は何だ、と思わず言ってしまいそうになる。疲れた心のまま目を向けた。
そこに居たのはやたらと美人な女だ。透き通った銀色の長髪、切れ長の碧い眼、きめの細かい色白の肌。
彼女が街を歩けば、男女問わず誰もが目を奪われることになるだろう。
しかし、美人特有の冷たさのようなものを強く感じる。はっきり言ってしまえば好みじゃない。
俺が好きなのは、些細な日常にも一喜一憂するような感情豊かで元気な子だ。目の前にいる女はまさにその対極。……こんなことを考えてしまったのは間違いなく父上のせいだ。
「――アリス・ルーン・ロンズデール、だったか?」
「あら、私のことを知っていたのね。ルーク・ウィザリア・ギルバート」
ロンズデール伯爵家の長女、直接会うのは初めてのはず。
俺が名前を覚えているということは、それなりに優秀な有力貴族であるということだ。
「ルーク、とお呼びしても?」
「好きにしろ」
「そう。なら私もアリスでいいわ」
……あぁ、なんなんだ。なんで絡んでくるんだ本当に。
「お前は属性魔法を使えるのか?」
さして興味があるわけではないが、何となく聞いてみた。
「随分と上から物を言うのね。でも答えてあげる。使えるわ」
「そうか」
コイツを見て一つ思ったことがある。
たぶん、『氷属性』だろうってことだ。見るからに氷の女という雰囲気……ここが物語の世界なら尚更だろう。
「――『氷』か?」
「……誰に聞いたのかしら」
本当に当たっていた。見たまんますぎて逆に驚きだ。
「でも、それだけじゃないわ」
「……ほう」
「――『氷』と『毒』。それが私の属性よ」
……うわぁ。
二属性は本当に凄い……が、悪役っぽい。俺の『闇属性』に負けていない。
「……あまり驚かないのね」
アリスは俺の反応が不服だったようだ。表情こそほとんど変化ないが、声にはその感情が込められている。
「希少属性だからって見下しているの?」
「クク、そんなつもりはないが?」
俺の言葉に彼女の雰囲気は更に剣呑なものとなる。
「……いいわ。明日の予定は空いているかしら。模擬戦をしましょう」
「模擬戦だと?」
「えぇ。本来このようなことは許されないのだけれど、彼女がいれば可能じゃないかしら」
アリスの目線の先にいたのはアメリアさんだった。普段の姿からは考えられないほど“マトモ”で、今の彼女は正しく模範的な貴族令嬢だ。
……ギャップがありすぎる。まあ、なにはともあれ――
「あぁ、やろうか」
挑まれた勝負から逃げるなんて選択肢、俺にはない。
§
アリスは容姿に優れ、魔法の才能にも恵まれた。
そのため、彼女は自身を『肯定』する者に囲まれて育った。
だがそれとは対照的に、アリスの兄『ヨランド』は優秀とは言えなかったことが起因し、彼女の人格は歪むことになる。
ヨランドは優しかった。底抜けに優しかったのだ。
どんなに見下されようと、どんなにぞんざいな扱いを受けようと家族への愛情を失うことはない。そんな優しい男だった。
当然、アリスとヨランドは比較される。アリスは褒められ、ヨランドは叱られる。
そんな光景がロンズデール家では当たり前だった。
子は親を見て育つ。アリスもいつの間にか兄のヨランドを見下すようになっていき、そしてそれは次第にエスカレートしていく。気づけば暴力こそないものの、アリスがヨランドに罵詈雑言を浴びせるのは珍しくないものとなっていた。
しかしどんなに優しくとも、正常な人間にこんな生活を続けることはできないだろう。
そう、ヨランドには秘密があった。
それは――彼が極度の『シスコン』であり『ドM』であるということ。
ゆえに、彼はそれを苦とも思わない。それどころかアリスに見下され罵倒されることに性的興奮を覚えていたのだ。
正しく彼の優しさに嘘はなかった。常人からすれば憐憫の情を覚えずにはいられないこの状況の全てが、彼にとってはこの上ない幸福だったのだ。
だからこそ優しくなれた。どこまでも優しくなれた。――しかし、ヨランドのその『優しさ』はアリスの人格を歪めてしまうこととなる。
自身より年上の兄を罵倒し続けるうちに、彼女の心に『嗜虐心』が芽生えたのだ。その小さな芽は時と共に育ち、彼女をゆっくりと『ドS』へと変えていったのである。
それから時を経て、アリスはルークと出逢う。
ルークの全てを見下す目。それを見た瞬間、アリスの心は一つの強烈な欲望に支配された。――その傲慢な目を『屈辱に染めてやりたい』という、抗うことのできない欲望だ。
ルークは『闇属性』を発現させた存在。
しかし、彼が魔法を学び始めて一ヶ月も経っていないことをアリスは知っていたのだ。彼女は既に三年以上も魔法について学んでおり、二つの属性を発現させた正しく逸材。
負ける道理はない。そう、負ける道理なんてなかったのだ。
「アアァアァアァアァァアッ!!!」
悲痛な叫びと共にアリスは魔法を乱射する。
だが、何の意味もない。ただ、『闇』に呑まれて消えるだけ。
ゆっくりと歩み寄るルークを止めることはできない。
そして、アリスの首筋に剣が突きつけられた。――またしても。
「る、ルーク君! そこまで! そこまでだよー! これ以上はダメだからね! あぁ、でももうちょっとだけ……やっぱりダメ!」
アメリアの声が響く。
「中途半端だなァ、お前は。何もかもが中途半端だ」
「ハァ……ハァ……」
アリスは地べたに倒れ伏した。ほぼ全ての魔力を使い果たし、もはや立っていることすらできなくなってしまったのだ。
何度挑んでも結果は毎回同じ。ただ近づかれ、首に剣をつきつけられる。
それで終わり。
『氷属性』の魔法を使おうとも、『毒属性』の魔法を使おうともなんの意味もない。
ただ“闇”に呑み込まれて終わり。
何一つ理解できない。もはや勝負にすらなっていない。
「ハァ……ハァ……」
負ける度に浴びせられる、ルークの自尊心を踏みにじる言葉の数々。
それは、アリスがこれまで兄に浴びせてきた言葉そのものだった。
「無様だなァお前は。この程度でよく俺に挑んできたものだ」
屈辱に染めるはずが、染められたのはアリスの方だった。
彼女の自尊心が音を立てて崩れていく。これまでの全てが跡形もなく消え去っていく。
彼女の心はその負荷に耐えられなかった。
「ハァ……ハァ……もっと……」
――時として、人の心は『裏返る』。
それは自分を守る為なのか、それとも元からそうであった本質が暴かれたのか。
その答えは定かではないが、アリスの心は確かに裏返った。
「もっと……ハァ……罵倒しなさいよ……罵倒すればいいわ……ハァ……」
「……は?」
すなわち――『S』から『M』へと。
§
気に入った女がいたら言え。
そう言った翌日、何やらルークが女と会っているではないか。
これはつまりそういうことだろう。
盛大に勘違いしたルークの父クロードにより、その見事な手腕も相まってアリスとの縁談が極めて円滑に進められているのだが、その事実をルークが知るのはまだ先の話だ――。
§
「……カハッ」
ズタボロになり、地面に手をついたアベルは血反吐を吐きだした。
あまりに異質な光景。だが、これは決して珍しいものではない。
ただの日常。アベルにとっての当たり前の日常なのだ。
「やめろ。これ以上はダメだ」
「もう少し……もう少しだけ……」
「そうか。やはりやめないか」
「――うっ」
エルカの手刀により、アベルの血のように紅い眼は光を失う。
赤子の手をひねるよりも容易く意識を刈り取った。肉体的限界はとっくに超えており、魔力も完全に枯渇している。アベルに抗う術などありはしない。
「はぁ……全く。本当にこれでいいのか。自問自答の日々だよ。――ジェーラ」
「かしこまりました、エルカ様」
――『治癒』
ジェーラと呼ばれた女性がそう唱えた瞬間、アベルの身体が緑色の光に包まれ、瀕死だったことが嘘のように傷が癒える。
「今日は何回だ?」
「……ゆうに五十は超えているかと」
「本当にイカれているな。お前にも迷惑をかける」
「何をおっしゃいますか。私のこの力でエルカ様から受けた恩のほんの一部でも返せるのなら、それにまさる喜びはありません」
「相変わらず強情な奴だ。あれほど神官になれと言ったのに、結局己の信条を曲げなかったしな」
「金銭を払える者にしか癒しを与えないという神殿の考え方は、とても賛同できるものではありませんので」
「……フフ、変わっているな。まあ、私も人のことを言えた義理ではないが」
エルカはふと視線を落としアベルを見る。
剣の才があるとは言えない。魔法は使えどその才もない。
それでも、何かに取り憑かれたように『強さ』を追い求める少年。
エルカはその理由を知るからこそ止めることができない。
「――『道』などなければ、素直に諦めろと言えたものを」
アベルは当然の如く属性魔法を使えない。
無属性魔法も使えるのはたった一つのみだ。
しかし――そのたった一つの魔法によってアベルの高みへの『道』は繋がった。
いや、繋がってしまったと言うべきか。それは道とも呼べない細く荒れ果てたもの。
正常な者であれば、無意識のうちに選択肢から外してしまう程の道。
『良かった……本当に良かった……何もなかったらどうしようってずっと不安だった。でもこれであとは――進むだけだ』
高みへと続く道がある。
その事実を知ったときの、アベルのあの何かに取り憑かれたかのような笑みをエルカは忘れない。
それがどんなものであろうと、確かにそこに道がある。アベルにとってはそれだけで十分だったのだ。
この日はエルカ自身が決意を新たにした日でもある。
アベルは壊れてしまう。自分が導かなければ簡単に壊れてしまう……そう思ったからだ。
エルカは悩んだ。悩んで悩んで悩み抜いた。
気づけば夜が明けていた、なんてことが珍しくないほどに。
アベルには幸せになって欲しい。エルカは偏にそう願っている。
もうやめろ、諦めろ。強さだけが全てじゃない。世の中には他の選択肢がいくつもあるのだ。
何度も言おうと思った。――しかし、
「……言えなかった」
覚悟と狂気に満ちたあの目を見てしまうと、いつも言葉はどこかへ消えてしまう。
エルカは“その目”を知っていた。理解してしまったのだ。――何を言っても無駄であると。
アベルは止まらない、止まれない。
だからこそ、エルカも覚悟を決めたのである。
その修羅の道を共に歩むという覚悟を――。
§
「いつでもいい」
「参ります」
刹那、アルフレッドの姿が掻き消えた。並の者では目で追うことすら叶わない超加速。
そこから繰り出される横薙ぎの一閃。
ルークはその一撃を正面から受け切ることができないことを知っている。決して覆ることのない体格差、純粋な筋力だけで勝負しては勝ち目などないのだ。
ゆえに求められるのはそれらを上回る圧倒的技量。――気の遠くなるほどの鍛錬の果てに成しえるそれを、ルークは息をするように実現してしまう。
完璧なタイミング、角度でアルフレッドの剣をしのぎに当てた。
あまりに美しい受け流しだ。
しかし、アルフレッドにとってもそれは想定の範疇。ルークならばこの程度は当たり前。ゆえに防がれること前提の動きなのだ。
次の瞬間、アルフレッドは容赦のない蹴りを放つ。
王国剣術からかけ離れた、相手の虚を衝くことのみを考えた一撃。
だが、ルークはその蹴りを半身で躱した。
それだけでは終わらない。間髪を容れず鋭い突きがアルフレッドを襲う。
(素晴らしい……ッ! 不意打ちに対する最小限の回避行動にとどまらず、あまつさえ反撃まで……ッ!)
アルフレッドは心の内で感嘆の声を上げ、瞬時にその雑念を消す。
全身全霊を傾け、殺すつもりでいかなくては勝負にすらならない。
身体を後ろに反らし、そのまま宙返りすることでルークの突きを躱しつつ距離をとる。
その際、下段から上段へと斬りつけるがルークも当然のように防いだ。
「アッハッハッハッ!! やはり剣は楽しいなァ!!」
攻守が逆転する。
ルークが距離を詰め、斜め上に剣を振り上げた。それを防いだアルフレッドがすかさず反撃。
そこからは怒涛の剣撃の応酬だった。
電光石火、疾風迅雷。息継ぎするタイミングすら間違うことを許されない連撃。
だが――この二人の心にあるのは『楽しい』という感情のみ。
袈裟斬り、胴打ち、凌ぐ、蹴り、斬り上げ、受け流し、フェイク、諸手突き、足払いからの横薙ぎ――。
勝利の為に何一つ妥協のない剣のやり取り。アルフレッドはヒリつく命のやり取りに高揚と懐かしさを感じつつ、ほんのわずかに不甲斐なさを抱かずにはいられなかった。
(――ったく、嫌だねェ歳をとるってのは)
いつまでも続くかと思われた剣の攻防にやがて終止符が打たれる。
「俺の勝ちだなァ、アルフレッド」
「参りました。さすがでございます、ルーク様」
ルークの剣先がアルフレッドの喉元に突きつけられた。
「全盛期のお前と戦えないのが残念でならんよ」
「……フフ。私もそう思っていたところです。尤も、挑戦者という立場からですが」
「おいおい、お前は俺の師だろうが」
とっくに教えることなんてありませんよ、とアルフレッドは内心で思う。
正直なところ、これ以上アルフレッドと模擬戦を行うのは控えた方がいいくらいなのだ。
あまり同じ相手とばかり戦えば変な癖がつきかねない。それでも未だに剣を交えるのはルークに相応しい相手がいないことと、ほんの少しのアルフレッドの我儘だ。
ルークの剣を直に感じたいという抗えない欲求によるものなのだ。
(しかしまぁ、いい加減やめねぇとなぁ。それにもう俺じゃ力不足だ。――本当にとんでもねェ)
ルークが属性魔法に目覚めたことにより、剣術をやめてしまうのではとアルフレッドは思っていた。だが、そうはならなかった。
これからもルークの剣を見ることができる。その時の歓喜は言い表すことができない。
とはいえ、ルークの相手として相応しい者が見つからないのも事実。
どうするべきかと考えていると、
――ぱち、ぱち、ぱち。
乾いた拍手が聞こえてきた。
ルークとアルフレッドが共に目を向ける。――そこに居たのはアリスだった。
「剣術を嗜むというのは本当だったのね。とても素晴らしかったわ」
アルフレッドはすぐさま頭を下げる。
しかしルークはその姿を確認すると、隠す様子もなく嫌な顔をした。
「アルフレッド、湯浴みの用意をしてくれ」
「かしこまりました」
そのまま無視して立ち去ろうとするが、
「……ハァハァ」
聞こえてくる嫌な息遣い。
「それをやめろと言ったはずだが、忘れたか?」
ルークは我慢できなかった。
「何? 次は暴力を振るうの? その鍛え上げた剣技で私の服をズタズタにして辱めるつもりなのね」
「……もういい。帰れ」
アリスとの模擬戦を行ったのはつい先日のこと。それでも、すでにルークは彼女のことが嫌いだった。
嫌いというよりも、気持ちが悪いから近寄りたくない、と言った方が正しい。
それは理解できないものへの忌避感と言えるだろう。
「私の話を聞いた方がいいと思うのだけど」
「お前の話など聞く価値があるとは思えん。だからさっさと――」
「――私とあなたの婚約が成立したわ」
「帰っ……は?」
ポトリ、と汗を拭うタオルを落とした。
ルークをして理解できない言葉。いや、言葉そのものが理解できないのではない。この状況の全てを、脳が理解することを拒んでいるのだ。
「……今なんて言った?」
「嘘ではないわ。今朝方お父様からこの話を聞いて、私も了承したの。喜んで、ってね」
「……少し待ってくれ。頭が痛いんだ」
ルークの思考が高速で回転する。
アリスと出会ったのはつい先日のパーティーだ。
なのになぜこんなことになる。早すぎる。あまりにも早すぎる。
そんなことができるのは――
(――アンタか父上ェェエエエエエッ!!!!!)
即座に答えに辿り着いた。
(父上の手腕がアダとなったッ!! なんでたった数日で婚約が成立してしまうんだッ!! 縁談の話が出ている程度ならばどうとでもなったというのにッ!! しかもよりによってなんでこの女なんだァァァァッ!! ウワァァァァァッ!!)
そう、縁談の段階であればよかった。どうとでもなった。
しかし、婚約が成立してしまったならば話が変わってくるのだ。
一度成立した婚約を破棄すれば、相手のメンツを潰すことになる。もちろんギルバート家にとってそんなもの痛くも痒くもないだろう。
それでも、自身がギルバート家に汚点を残すという事実がルークは許せないのである。
「なぜだ……なぜこんなことに……」
「そんな……ハァハァ……嫌な顔されては悲しいわ」
「…………」
(なんでコイツは頬を赤らめているんだ……)
「私の全てを変えてくれたルークには運命すら感じているというのに、貴方はそうではないのね」
「あぁ」
「そう。だけどメリットは三つもあるわよ」
「……言ってみろ」
アリスの息遣いは依然として荒く、頬の赤みは増すばかり。
ルークはそれが理解できず、気持ちが悪いため蔑んだ目を向ける。
それによりアリスの息遣いはさらに荒くなる。――以下、繰り返しである。
「まず、ロンズデール家は魔法にとても高い適性を持っているということ。私と貴方が結婚すれば、優秀な子孫を残せることはほぼ間違いないと思うわ」
「…………」
「次に、私は絶世の美女であるということよ」
「…………」
「私という女を側に置くことで、貴方は男として高いステータスを獲得することになるわ。美しい女性を側に置くことでしか得られないステータスというものが男にはあるでしょ? まあ、それは女性も同じかしらね」
「…………」
(……本当にコイツは真顔で何を言ってるんだ?)
「最後に、私と結婚すれば貴方はストレスに悩まされることがなくなるわ」
「……なぜだ?」
「私は貴方のどんな欲望でも受け止められる自信があるからよ。それが、如何にハードなものであろうとね……ハァハァ」
「…………」
身をよじり悶えるアリスを見たルークは力が抜け、倒れるように地べたに座り込んだ。
どうしてだ。
どうしてこうなった。
どこで間違ったんだ。
ルークの頭脳をもってしてもその答えは見つからない。
もう疲れてしまったのだ。だから現実から目を背けることにした。
(アメリアさんがオススメしていたのは『アスラン魔法学園』だったな。難しいらしいし、いろいろと頑張らないとなー……あはは……はは……はぁ……)
「ルーク、大丈夫?」
アリスの問いかけにルークが答えることはなかった。
§
クロードは自身の書斎にてルークがいつ喜びのあまり走ってくるのか、厳格な顔つきをほんの少し綻ばせ、ソワソワしながら待っているのであった――。