屑(5)
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毎週やっている飲みサーの飲み会の日。酔っ払って前後不覚の馬鹿が一名ほど床に転がっている惨状でも、まだまだ元気なやつはいる。正気かどうかはともかくとして。
俺はこういう馬鹿騒ぎも嫌いじゃなかった。はずだ。だが今日はどうにも乗り切れなくて、一人騒ぎの中心から外れた喫煙所へ向かった。
秋の過ごしやすさと冬へと向かう肌寒さの入り混じる十一月らしい夜気の中で、紫煙をくゆらせて思う。
ふけちまおうか。
酔い潰れたアホ共の面倒を見るなんて面倒くさくてやっていられない。俺自身潰れる側になったことがないから余計になんで俺がと思わざるを得ないのだ。
まあ実際には適当なやつに押し付けるから俺が面倒を見ることなんて滅多にないんだが。今日はやけにペースが早いから万が一ということもある。
静かに飲み直したい。誰かいないかとスマホをスクロールすれば目に留まったのは雲母の名前。
雲母とはあれから何度か遊んだが、あれで存外都合のいい女だった。やたらと探りを入れてくることも減ったし、何時に呼びつけても来る。
ああいっそ雲母の家で宅飲みでもいいか。そのまま泊まってもいい。何を考えてるのかわからんが俺は合鍵まで渡されているのだ。今日だっていやとは言われまい。
雲母は一人暮らしだ。事情なんて何も知らないが、大学生にもなればさほど珍しくもない。俺だって実質一人暮らしだ。
最後に両親の顔を見たのはいつだったか。どっちも不倫相手のところに入り浸っているらしい。
もっとも俺も最近は雲母のところに転がり込むことも少なくないから何も言えないし、そもそも言うつもりもないが。
「お、美味そう」
雲母宛のメッセージを入力していると、ちょうどそのタイミングで雲母からメッセージが届いた。今日は和食だったらしい。写真が添付されていた。雲母の手料理を褒めたからか、あれ以来ちょくちょくこの手のメッセージが送られてくる。
「あ、霞! こんなとこにいた〜!」
転がり込めば明日の朝食も用意してもらえるだろうし、なんて打算的なことを考えながら返信しようとしたところに声をかけられて振り向く。
「小春か。なんか用か?」
飲み会に参加していた女の一人に、スマホを持っていた方の腕に抱きつかれる。これではスマホが使えない。
「霞はぁ、二次会、行く?」
「行かねぇ」
「だよねぇ〜! なんか今日、霞、つまんなそうだったしぃ」
即答すると、何が面白いのか小春がケラケラ笑いながら俺の腕を引く。
「じゃあさ。二人で、抜けちゃわない?」
慣れすら感じさせる上目遣いでそう誘われた。どこに誘われたかなんてわざわざ言うまでもない。
……そういや最近、小春とは遊んでなかったな。
「じゃあ吸い終わったら行くか。俺の荷物、取ってきてくれ」
「おっけー!」
スマホに目を落とす。いつでも作りますなんてメッセージに、酔っ払いの介抱をするからまた後で、なんて大嘘をついてやり取りを半ば強制的に終わらせた。
「ヤバイ! 彼氏来るっぽいかも!」
俺の肩にもたれかかるようにしてスマホを弄っていた小春が飛び起きて言った。
「マジか」
細かい事情なんて聞いている暇はない。手早く服を身につけて、部屋の窓を開け放つ。
「すぐ来るのか?」
「わかんない」
「了解。じゃあな」
部屋の片付けをする暇はなさそうだった。最低限見つかるとマズイものだけを回収して即脱出。元々いつでも逃げ出せるようにしていたので散らかしてはいない。後は運任せだ。バレたらバレただと割り切って歩く。よくあることなので慣れていた。
「つーか彼氏いるなら先に言えよ」
それなら家じゃなくてホテルに行ったのに。などと毒づいたところで後の祭りだ。脳内メモに「小春、彼氏有」とだけ書き込んでおく。使うことはなさそうだが。
時計を見ればちょうど終電がなくなる頃だった。具体的には途中までは行けそうだが、乗り換えには間に合わず、家にはたどり着けないぐらいの時刻。かと言って距離的にはタクシーを呼ぶほどでもない。
「こんなことなら雲母のとこ行っとけばよかったな……」
気分が乗らない飲み会に、一歩間違えれば修羅場、おまけに帰りの足がないと、どうにも今日は調子が悪かった。
「霞さん……?」
聞き覚えのある声に呼ばれたのは、案の定乗り換え先の終電に間に合わずちんたら歩いていた時のことだった。
「雲母? なんでこんな時間に」
高校が同じだっただけあって、俺と雲母の家は比較的近い。そういう意味ではこの辺りで雲母とばったり出くわすことはおかしなことではなかった。
「コピー機のインクが切れてしまって」
小さく掲げられたファイル。大学で提出するレポートか何かだろうか。コンビニで印刷していたようだ。
「酔ってしまわれた方は大丈夫でしたか?」
「……ああ。まあな」
そういえば雲母にはそんなような嘘をついたんだった。一瞬何の事かと思った。
近寄ってきた雲母がほんのわずかに眉をひそめる。迷ったのがマズかったかもしれない。こいつの勘の鋭さは異常だ。
「もしかして、臭うか?」
「え?」
「結構吐いてたからな……。かかってはいないと思うんだが」
そういえばシャワーを浴びる暇もなかった。一時間以上経っているとはいえ、経験上女は男よりも匂いに敏感だし、勘付かれるようなこともあるかもしれない。
だが俺もそれなりには慣れている方だ。こういう時はげんなりとした様子で心底疲れたように尋ねれば、詮索されなくなることも知っていた。
「い、いえ。臭ったりはしていませんよ」
ほらな。
「そうか。そりゃよかった。用事はそれだけか? なら行くぞ。送ってく」
「いえ、いいですよ。大した距離じゃありませんし」
「今何時だと思ってんだ」
こつんと雲母の頭を軽く小突いて手を取れば、振り払うことなくついてくる。ほんのり笑っていて嬉しそうだった。相変わらずちょろい女だ。
「上がっていきますか?」
雲母の住むマンションの一室。そのドアの前で雲母にそう誘われた。
「お疲れみたいですし。明日は一限から大学ですよね。もし起きられなくても起こしてあげますよ?」
正直、送り狼的なことは全く考えていなかった。なんせついさっき別の女を抱いてきたばかりである。その手の欲求は限りなく薄くなっていた。
だが疲れていたことも本当で。気付けば頷いていた。
「ねぇ、霞さん。今度、一緒に出かけませんか?」
シャワーも借り終えて、部屋でゆっくりとしていた頃。ベッドに隣り合って座り、俺に少しだけ体重を預けていた雲母がデートに誘ってきた。
「……どう、ですか? 迷惑なら、いいですけど」
アルコールと疲労感の眠気で鈍った頭が言葉の意味を咀嚼する間に、不安気になった雲母がそう尋ねてくる。
「ああ……。じゃあ、行くか」
「はい。それでその、行ってみたいところがあって。霞さんは行ったことありますか?」
強張っていた雲母の表情が緩んで、スマホの画面を二人で覗き込めるように傾けた。
ああ、ここか。
ベッタベタなデートスポットだ。それぞれ別の女とだが何度も行ったことがある。
「あるんだ」
表情に出してしまったらしく一瞬で見抜かれた。雲母の方に視線をやれば、悪戯っぽい視線で俺を見上げている。
「元カノと?」
どう答えるのが正解か。いつもなら瞬時に導ける答えが中々出てこない。そんな俺を見て何を思ったのか、雲母が笑い出す。
「あははっ。いいんですよ、別に。有名なデートスポットですし。霞さんぐらいモテる人なら行ったことがないなんて言われた方がびっくりです」
言われてみればその通りだった。隠す意味もない。
「やめておくか?」
「え? どうして?」
含むもののない心底不思議そうな表情で雲母が小首を傾げる。
別の女の影がちらつくようなところへ行くのは嫌がるタイプだと思ったのだが。
「言ったでしょ。私は霞さんの中では誰にも負けたくないって」
唇を舐めた雲母がどことなく挑発的な笑みを浮かべて、俺の耳元でそっと囁いた。
「他の子との思い出も、全部全部私が上書きしてあげる」