第一話 〈フェシット〉のいる学校

「うー、なんだかんだで緊張するよなぁ」

 とある日の朝。

 その少年──志賀見しがみりゅうは、寝起きであまりはっきりしない頭を振りながら、ぼんやりとつぶやいた。

 髪を手ぐしで梳きながら、パジャマを脱いで手早く学校の制服に着替えていく。

 今まで休みの日以外ずっと続けてきたことで、この行為自体に新鮮さはなかった。

 腕を通すブレザーが、見慣れないデザインのものでなければ。

「俺も今日から高校生か。つい最近まで中学生やってたのにな」

 ネクタイを締めてからスタンドミラーをのぞき込んでも、流人は独り言をやめない。別にそれが趣味なのではなく、単にプレッシャーをはねのけようとしているのだ。

 鏡の向こうで、見慣れた三白眼と短い髪の持ち主が、こわばった顔をしていた。

 ふと、ピピピというアラーム音が鳴った。ベッドの上のスマートフォンが、恨めしげにこちらを見ている──そんな気が流人はした。

「はいはい、わかったよ」

 目覚ましを停止させ、スマホをポケットにしまう。何となくこれで気が引き締まった気がした。

 さぁ、次は腹ごしらえだ。

 階下のリビングに降りると、食パンを二枚、それに卵とウィンナーも焼く。コーヒーも沸かすが、ブラックはたしなめないからカフェオレだ。

 食卓はがらんとしているが、寂しいとは感じなかった。どうせ、

 リモコンに手をのばし、流人はTVテレビをつけた。

「うむうむ、やっぱりこのアナウンサーが一番綺麗だな」

 ──したり顔でつぶやく彼は、それなりに思春期を迎えていた。

 と、そんなおり、見計らったかのようにドタドタと階段を駆け下りる足音が聞こえ、リビングの扉が、バンッ、と勢いよく開かれた。

「ちょっとお兄ちゃん、ママ知らない!?」

「ぶふっ!」

 流人が噴き出しかかったのは、そこに立っていた少女のせいだ。

 自分より一つ歳下の彼女は、ふっくらとした頬に、くりくりとした瞳とみずみずしい唇の愛らしい顔立ちをしていた。髪はツーサイドアップにまとめあげ、最近急に伸びた背と手足は、同じく最近急成長した体つきと相まってアンバランスな色香を醸し出している。

 特に胸が大きい。後は子供っぽいのにここだけ大人顔負けだ。しかも現在、それらを包むのがキャミソールと白いパンツしかないときた。後は丸出しである。

 流人は咳き込むのを抑え、やっと言葉をつむいだ。

「りお、お前、朝から何て格好してるんだ!」

「あれぇ、お兄ちゃん? ひょっとしてあたしのせくしーな姿に興奮しちゃった?」

「だ、誰が妹の体に興奮なんかするか。嬉しそうに腰をくねらせるんじゃねぇ! それより何かに着替えてこいよ、みっともないから!」

「その着替えるための制服がないのよう! ねぇ、ママ見なかった?」

「母さんなら、学校だって。今日はだろ?」

「あ、そっか……もう、制服どこやったかなぁ」

 頬を膨らませた妹は、ふと何かに気づいたかのように鼻をくんくんと鳴らした。

「ああ、いい匂い。これはもしや、トーストと目玉焼きとウィンナーでは?」

「食卓に並んでるがな……お前のぶんもあるから着替えたら食べろよ」

「わぁい、お兄ちゃん大好き。着替え見つからないし、先に食べるね!」

 調子よく言ってから、りおは腰掛けた。

 流人の膝の上に。

「……おい、りお。いきなり何してるんだ」

「だってほら、このまま座ったらお尻が冷たいじゃん?」

「じゃん? じゃねぇよ! だからって俺を座布団代わりに使うな!」

 温かく柔らかいものがもぞもぞと動くので、流人としては非常に落ち着かない。

 りおに「どいてくれ」と命じたが「えー、いいじゃん」という言葉が返ってきた。りおはそのままトーストと目玉焼きの載った皿を自分の前に持っていこうとする。

 ぺい、と彼女を引き剥がし、流人はそばにあった自分の鞄を隣の椅子に置いた。その上に座らせる。本当はこれでも不本意だが、膝の上よりマシだ。

「いいからさっさと食べろよ」

「はーい」

 割と素直に従った。やっぱり、兄をからかってただけか。

 ため息を吐いて、流人は朝食を再開した。

 大体は察したと思うが、りおは流人の妹である。性格は明るくお調子者だが、愛嬌があるからか不思議と他人に嫌われることはない。

 だが、流人としてはもう少し大人しい性格に育って欲しかったと思っている。彼女は何かと自分をからかってくるのだ。

 たとえば。

「じー」

「何だよ、りお。こっち見て」

「ねぇ、お兄ちゃん。あたしの胸とか見たい?」

「……お前は何を言ってるんだ?」

「そこの最後のウィンナーくれたら、見せてあげてもいいかもよ~」

「いいから持っていけ! タダでやるから!」

「やった、お兄ちゃん大好き♪」

 喜びの声もあらわにりおは流人の首筋に抱きつくと、ウィンナーを箸でつまんだ。

 一事が万事こんな感じである。

 ある意味ブラコンだな、と流人は思う。妹として懐いてくれるのは結構だが、もうちょっと距離の取り方を考えてほしい。

(あれでも昔は、もうちょっとおしとやかだったんだけどな)

 もじもじと、「あたしが大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんにして」と言っていたのを、流人は何となく思い出した。

 今なら「お嫁さんになってあげようか?」と、笑いながら言いかねない。

(もう少し慎みとか、落ち着きとか、そういうのを持って欲しい)

 どちらかというと大人な女性が好みの流人としては、そうしみじみと思うのだった。

 それにりおは──

『──新モデル、本日発表』

「うん?」

 TVから聞こえた明るい女性の声に、思考を中断された流人はそちらを見やった。

 見れば、画面に数人の人間が立たされているのをアナウンサーが紹介している。何かしらのニュース──というか、特集コーナーらしい。

 問題は、その特集されてるということだ。

『家庭でも手が届くお手頃な値段に、性能は従来のものより数段アップ。何より、十代から四十代までの外見を手広く揃えています。二一世紀も半ばを過ぎ、人造人間の技術はここまで進みました──』

「ああ、やっぱり〈フェシット〉の宣伝か」

 興味なさそうに流人はつぶやいた。

〈フェシット〉。「作った」という意味で、その語源が示すように人工的な人間のことを指す。すなわちロボット、もしくは人造人間である。

 人間が今日まで蓄えた知識はついに禁断の領域に踏み出してしまった────と、心ある科学者が嘆いたのは昔のことだ。

 どのような生体パーツとしても培養できる〈人工細胞ハイパーセル〉、そして人間の頭脳と同様な情報処理を可能とする結晶体〈イデア〉。この二つを手に入れた時、人がもう一つの『人』を生みだそうと考えるのは必然だっただろう。

 特に、それまで人工知能といえば主に与えられた情報で処理を行う『特化型人工知能』だったのが、〈イデア〉によって体験から思考を導き出し柔軟な問題処理を行える『汎用人工知能』が作られるようになったのが大きい。

 かくして、未知への挑戦は行われる。

 特殊金属の人工骨格、特殊バイオメタルによる人工筋肉、食物を分解し動力源と細胞保持の栄養に分けるバイオバッテリー。これらの開発が順調に進んだこともあり、割とあっさり人造人間は完成した。そして〈フェシット〉の通称を得て世間に浸透したのである。

 なぜ、流人がここまで思いを馳せるぐらいに〈フェシット〉の歴史に造詣が深いかというと、その方面に携わる研究者だからだ。小さいころからこの辺のうんちくは散々聞かされてきた。だからと言って、自分がその道に進むつもりはないが。

(大体、うちって両親そろって研究してる割には、家に〈フェシット〉が一体もいねぇしな。おかげでそれがどんなもんか未だによくわからんし)

 家の内外にかかわらず、流人が〈フェシット〉を見たことはほとんどない。

 そもそも高価なため持っている家庭がレアだ。流人自身も、そんな家庭は片手で数えるぐらいしか見たことがなかったし、それらの家人と特別親しいわけでもなかった。 要するに流人は、〈フェシット〉と縁のない人生を歩んでいたのである。

 だから彼は歴史は詳しくとも、それが実際にどんなものなのか、各家庭でどういう風に扱われているのかは、ほとんど知らないままでいた。

 かろうじて知ってるのは、〈フェシット〉を購入した家庭はそれを自分の家族として扱っていることぐらいだ。

 中には子供が生まれないため、代わりにお迎えしている家もあるらしい。

 多少たとえがあれだが、ペットを飼うみたいな感覚だろうか。

「ま、この家には〈フェシット〉はいらねぇか」

「何の話、お兄ちゃん?」

「わざわざ購入しないって話だよ。子供、二人もいるからなぁ」

 ──たとえ、そのうち一人がでもな。

 りおの顔をぼんやり眺めつつ、流人はそんなことを思った。

 と、そのりおが顔を赤くして、てれてれと首を振る。

「やだ、お兄ちゃん。そんなにまじまじと見つめられたら照れるってば~」

「アホなこと言うな。それより、制服の方は探さないでいいのか?」

「あ、忘れてた! もう、ママってばどこに仕舞ったんだろ!」

 りおは残っていたトーストのかけらを口に放り込むと、ガタッ、と席を立った。来た時と同じく慌ててリビングを出て行く。

 だから、もう少し落ち着きをだな──流人はため息を吐いてから、ふと首をかしげた。

「あれ? そういえばりおはまだ中学生なんだから、今日は学校に出かける日じゃないよな。始業式は明日だろうし。何で制服探してるんだ?」

 まぁ、気にしても仕方ないか。あっさりと疑問を捨てる。興味がないわけではない、帰ってきてからいくらでも聞けばいいと思っただけだ。

 それより、自分は早く入学式にいかなければならない。

 流人は自分に言い聞かせると、さっさと身支度をすませて家を出た。


 実のところ、流人が入学しようとしている高校は、彼が行きたい学校ではなかった。

 もう少し遠くの、しかし中学の友人が多い学校に行くつもりだったのだ。

 しかし、彼の母親がそれにストップをかける。

「流人、うちの学校の方が安くつくからこっちにしてくんない?」

「はぁ?」

「いや~、あたしが理事長やってる学校があるでしょ。『〈フェシット〉開発』の団体が経営してるやつ。あれ、〈フェシット〉開発の関係者は教材費なんかをかなり割り引いてくれるから。そっちで決まりということで。よろ~」

「ちょっと待てや、おかん! 勝手に決めるな、おいいいい!」

 なんだかんだで強引に進路を変えられてしまった──ただ、家に近い上に、関係者なら入試もパスできる学校だったので、流人としても損だけではなかったが。

(費用が割り引かれるぶん、小遣い上げるって約束とりつけたしな)

 かくて、流人はここ──『私立FDG高等学校』の体育館にいる。

 ちなみにFDGとは『Fecit Development Group』の略称で、〈フェシット〉開発団体のことらしい。詳しくは知らないが、父も母もこの組織に所属していて「輝かしい功績を収め続けている(母親・談)」とか。

 入学式は非常に退屈だった。校長の挨拶は長いし、そもそも後のクラス分けが流人には楽しみすぎて、式自体はどうでも良かったのである。

 入学生に祝辞を述べる生徒会長が女性で、遠目から見てもやや大人びて美人なのが、そこそこラッキーなぐらいだ。

 何となく周囲を見回そうとしたが、露骨に首を回せないのでよくわからない。ただ、中学時代の友人はまったくこの学校に入ってなかったので、確認できたにせよ見知った顔はないはずだ。

 ちゃんと友達できるのか。そんな不安はあるのに、校長の祝辞はまだ続いているのだ。

(早く終われ、早く終われ)

 そんなことを一心不乱に念じてたからだろうか。

 流人をちょっとした天罰が襲った。


    ○


「ノォオオオオッ!」

 声に出しかけて必死に飲み込み、流人は目をみはって体をねじった。

 ギュルルル、と腸が鳴る音が体内から聞こえてくる。額に脂汗がにじんだ。

 入学式が終わって、クラスごとに教室に案内される段取りとなった。そして先生の指示に従って体育館からそそくさと出た瞬間、急に下腹が痛み出したのだ。

(しまった、カフェオレに使った牛乳、結構消費期限過ぎてた気がするっ!)

 死にはしない、と使ってしまったのが運の尽きだったか。

 先導する教師に告げることも気が引け、流人はこっそり生徒の列から外れると──何人か不審げにこちらを見たが、構ってはいられなかった──あるものを探した。

 幸い、体育館の外にそれはわかりやすく設置されていた。四角い独立した小さな建物。中央には青い男性のマークと赤い女性のマークがある。

 すなわちトイレだ。

(すぐに行って、戻ってくれば何とか!)

 うなずき、素早く中に駆け込んだ。

 ──しばらくお待ちください──

 数分後、流人はすっきりとした顔でトイレから出てきた。気分も晴れやか、あらゆるものが新鮮に見える。

 が、先ほどの場所に戻ってきた瞬間、爽やかな気持ちはあっという間に崩壊した。

 生徒も教師も、一人として残ってないのである。

「あれ、ちょっと待てよ……お、おい、皆もう行ってしまったのか!?」

 慌てて周りを見渡すが、ただ春の穏やかな風が吹き抜けるばかりだ。

 ちなみに、『私立FDG高等学校』の敷地はかなり広い。

〈フェシット〉関連の特殊技術を学ぶ学科があり、実習や研究用として数種類の特殊校舎を擁しているためだ。体育館、学食、購買の他に生徒が利用できる施設がいくつかあり、高校というより小さな大学といった趣がある。

 つまり、初めて入る人間が案内もなしに目的の校舎にたどり着けるような場所ではないのだ。そして流人は案内を失った、この学校に初めて入る人間だった。

(やべぇ、このままじゃ迷子になっちまう)

 というか実際にもうなってるのだが。

 入学初日で迷子なんて、ある意味レジェンドだ。一年間はこのネタでクラスメートにからかわれるかもしれない。それは避けなければ!

 きょろきょろと周りを見渡し、せめてどこかに学校の案内図でもないか探し始めた。

「えっと、えーっと……わっ!」

 よそ見しながら走ったからだろうか。途中で、足をもつれさせ、転んでしまう。

「あいつつ」と顔をしかめながら、起き上がったその時。

「……あなた、どうかしたのかしら」

「え?」

 声をかけられて、流人は振り返った。

 ──より強く、春風が吹いたと感じた。

 そこに立っていたのは、長い黒髪をなびかせた少女だった。顔は整って美しく、唇が艶やかに光っている。髪を押さえる手は、白く細かった。細い目は大人びていて──ここで初めて、流人は彼女の素性に思い当たった。

(この人。入学式で挨拶をしていた、生徒会長の……)

 考えている間にも少女はこちらに近づき、ふとハンカチを差し出した。

「怪我、してるわ」

「え?」

 転んだ時に頬をすりむいたらしい。慌てて受け取って傷口に当てる。

 それを見届けてから、少女は小首をかしげてみせた。

「それで、どうしたのかしら。新入生は、もうクラスに移動しているはずだけど?」

「あ、えっと、その、俺……トイレに行ってて」

「はぐれたのね」

「……はい」

「わかったわ。そういうことなら、こっちに来て。私が案内してあげるわ」

「本当ですか!?」

「ええ、もうここには私以外の生徒も教師もいないもの」

 対応こそクールだったが、その口調は柔らかかった。

 微笑すら浮かべているその表情に、流人は何だか舞い上がりそうな自分を感じた。

 ただ──その笑顔には、どこかぎこちなさも見られる。作り笑いをしているような。

(何だろう、本当は忙しかったりするのかな……それとも、生徒会長とはいえ見ず知らずの新入生と話すのは緊張するのか)

 とはいえ、流人としては彼女にすがるしか、教室にたどりつく術がない。

 何よりこんな綺麗な女性と一緒に歩けるのは、正直得だし。

「お願いします」

 丁寧に頭を下げると、彼女は再びあの微笑を浮かべた。


 生徒会長の少女は、丁寧にも名前を「常磐ときわルイ」と名乗り、道すがらの時間つぶしに学校の簡単な紹介までしてくれた。流人も名乗り返し、その説明に耳を傾ける。

「『私立FDG高等学校』は、元々は〈フェシット〉関連の研究者を育てるためにと作られた技術学科の高校なの。最近は普通学科の導入も進んで、他の道へ進む生徒も多く入ってきているのだけれど」

「へぇ」

「最大の特徴は、まず〈フェシット〉技術に携わる技術者縁故の生徒が多いこと。これは身びいきではなく、なるべく同じ道に進む生徒を集めたいという学校の意向なの──〈フェシット〉関係者の子供は、親と職業に就く傾向が強いそうよ」

「そうなんですか」

 流人は心の底から感心した。ルイの言葉はわかりやすく、声も聞き取りやすい。さすが生徒会長といったところだろう。

 もっとも、自分は技術者の子供でも技術者になるつもりはないのだが──そう思いもしたが、水を差すのはやめておいた。そんなことで、この少女の気分を害したくはない。

 代わりに、こちらから質問を向けてみる。

「あの、俺〈フェシット〉に関してそんなに詳しくないんですけど……家族の代わりに迎えてる人が多いって、本当なんですか?」

「それは……そうね。家庭での購入者の目的の八割はそうと言われているわ」

「じゃあ、やっぱりこういう学校にも、〈フェシット〉って通ってるんですか?」

「ええ。学校に通う〈フェシット〉はいるわ。特に十代モデルは売れ行きがいいから、それを学校に通わせたがる家庭も多いみたいね……実のところ、この学校の特色の一つに、〈フェシット〉の受け入れ態勢が進んでいるというものがあるの」

「受け入れ態勢が進んでいる? どういう意味ですか?」

「〈フェシット〉は歳を取らない。だから、高校に通えるのは、十代半ばから後半ぐらいのモデルの〈フェシット〉なの。でも、この学校では〈フェシット〉であるなら、設定年齢に関係なく入ることもできる。極端な話、高齢者モデルでも入れるわ」

「来る者拒まないんですね。じゃあクラスにお年寄りがいたら〈フェシット〉と思って間違いないんですか」

「ええ。もっとも、そんなケースはレア中のレアだけど……とにかく、この柔軟な姿勢のため、この学校は〈フェシット〉の数も多い。普通の学校だと数人と言われているけど、ここではその約一○倍もの人数がいるという話よ」

「じゃあ数十人いることになるんだ。それはすごいですね!」

 素直に感心した。今までの学校で〈フェシット〉の生徒に出会ったことはなかったが、ここなら出会うことがあるかもしれない。少し楽しみかも。

 と、その心を読んだかのように、ルイが釘をさした。

「ただし、〈フェシット〉に会っても正確にそうとわかるかどうかは不明だけど」

「どうしてです?」

「〈フェシット〉に素性を伏せさせて、通学させている家庭も多いから。学校側も、その希望に添う形で〈フェシット〉の生徒を扱っているしね」

「え、何でそんなことを?」

 流人はつぶやいたが、ルイは答えなかった。

 代わりに足を止め、通りかかったテニスコートを見つめる。誰かが放置したのだろうか、ボールとラケットが寄り添うように置かれていた。

「あなた、兄弟っている?」

 流人は首を傾げた。唐突な質問よりも、それを口にするルイがどこか悲しそうな顔をしていることに驚いたのだ。

 それはルイ自身も同じなようで、首を振って表情を戻した。

「ごめんなさい、急に変な質問をしたわ」

「いますよ、兄弟」

「え?」

「妹ですし……その、義理なんですけど」

 その言葉に、予想以上にルイがまじまじと見てきた。

 流人はどこか照れくさく感じながら、手を振って話を続ける。

「俺が五歳の時に、両親が連れてきたんです。親友の娘だから、しばらく預かるって」

「そうだったの……」

「でも、たとえ義理だろうと家族は家族だから。俺もあいつを大切にしてきたつもりです。ただ、予想以上にやんちゃに育ったんで、今はそれが心配で」

「どうして?」

「ちゃんとした淑女にして返さないと、本当の両親に悪いじゃないですか」

「確かに」

 ルイは感心したように言った。同時に、少し複雑そうな顔もする。

「あなたは、妹さんが自分から離れていく時のことも考えてるのね」

「お預かりしてる娘さんですから。ただ、いつもべったりで、俺から離れてくれる気配がないのも心配で……」

「それだけ、慕われてるということよ」

 そう言ってから、ふと彼女はぼそりと付け足した。

「でも、だからこそ。私はあなたに嫉妬を覚えるわ」

「え?」

「いえ、何でもない……大切にすることね、その妹さんを」

「は、はぁ」

 その声に、どこか冷たいものを感じて、流人は肩をすくめるのだった。


 ほどなくして二人は目的地、すなわち新一年生の教室がある教室棟へとやってきた。ルイが、白い手を向ける。

「ここよ。後は中に入れば、教室の上にクラスのプレートが貼ってあるわ」

「どうも、お世話になりました!」

「構わないわ」

 ルイはそう言うと、ふと柔らかい微笑を浮かべてみせた。

 そのまま流人の頭に手を乗せる。

「頑張ってね、新入生さん」

「あ……」

 そして、ルイは立ち去った。流人はそれを見送りながら、頭をなでられたことに少しだけ頬が熱くなるような気持ちでいた。

(美人な先輩に、あんなに優しくしてもらえるなんて……)

 嬉しいが、男の身としてはちょっと照れくさい。

 何となく立ちすくんでいると、ふと重要なことを思いだす。

「しまった、ハンカチ!」

 渡されてから、返していない。でもルイはとっくに姿を消してしまっている。教室にも早く行かなければならないだろう。

 いつか返そうと胸に固く誓い、流人は教室へと向かった。


    ○


 自分のクラス、『一D』の教室はすぐに見つかった。

 こっそり扉を開けると、中は生徒の活気のある声で騒がしいものの、教師の姿は見つからない。様子をうかがっていると、近くにいるチャラそうな男が声をかけてきた。

「よう、あんた迷子になったらしいな。トイレに行くところ、ばっちり見てたぜ。入学早々伝説じゃん」

「なんだよ、唐突に……というか、どちら様?」

「ふふふ、よくぞ聞いてくれた! おれの名はてんどうしゅう! この学校でいずれビッグになる男だ。まぁ仲良くしてやってくれ、レジェンド!」

「テンション高い奴だな……というか、レジェンドって呼ぶな」

 それだけは避けたかったのに。流人は口を尖らせたが、不思議と怒る気にはなれなかった。修司と名乗るこの男子とは、何となく仲良くなれそうな気がしたからだ。

 肩をすくめてから、改めて教室を見回しつつ彼に尋ねる。

「それで、今教室はどうなってるんだよ。先生は?」

「安心しろ、今は待機中で先生は外に出ている。必要なプリントとかを持ってくるらしい」

「ふー、助かった……じゃあ滑り込みセーフだな」

「セーフかどうかは微妙だけどな。先生も、お前がいないことにしっかり気づいていたぞ」

「げっ、マジかよ。こりゃ、入学早々怒られるかなぁ」

 がっくりうなだれていると、隣から明るい声が割り込んできた。

「あはは。本当、人に説教するわりにはそそっかしいよね、お兄ちゃんって」

「うるさいな、りお。大体、お前は……」

 そこで。

 流人は愕然として、目をみはった。

 りお、だって?

 恐る恐る、からかうような声の方を見る。そこには確かに妹の姿があって、しかもその体は入学したてのこの学校の制服に包まれてた。

 机に──本当に机の『上』に──座ったまま、手をひらひらと振ってくる。

「待ってたよ、お兄ちゃん。遅いから心配しちゃった」

「り、りりりり、りお! どうしてここに!?」

「どうしても何も、あたしも今日からここの生徒だもん」

「いや何言ってるんだ。お前まだ中三だろう!」

 思わず詰め寄る流人だったが、りおは気にしないように机から飛び降りて言った。

「やだなぁ、お兄ちゃん。この学校はそういうのパスなんだよ。年齢に関係なく、入ることができるって知らないの?」

「馬鹿たれ、それはさっき俺も聞いた! でも、それが可能なのはあくまで〈フェシット〉だろうが!」

「だからさ、あたし〈フェシット〉じゃん」

「……はい?」

 何言ってるんだ、こいつ。

 流人が呆然としていると、妹は拳を宙に突き出し、可愛らしく言った。

「ワイヤードパンチ♪」

 バシュッ、と音を立てて射出される。

 りおの右手が。

 金属のワイヤーでつながれたそれは、天井に触れてから、素早く彼女の腕の断面──なめらかで綺麗な金属でコーティングされている──に戻って装着される。

 にぎにぎ、と手を動かしながらりおは笑った。

「信じてくれた?」

「は、はぁああああああああ!?」

 脳が情報を処理しきれなくなり、流人は叫ぶのだった。

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