第四章 清水姉妹による恋バナ


「聞いたよ圭!」

 弁当を渡した日の夜、本堂の言葉を噛みしめていると愛が急に私の部屋に侵入してきた。

「誰に何をだよ。というか勝手に部屋入ってくるなっていつも言ってんだろ」

「そんなのいいじゃん。私と圭の仲なんだから」

「親しき仲にも礼儀ありって言葉知らねえのか」

「えっ、圭、私のこと親しき仲だと思ってくれてるの! 嬉しい!」

「うるせえ。それで何を聞いたんだよ」

 このまま言い合っても愛が静かになる未来が見えないため、ひとまず話を聞くことにした。

「そうだった! 圭、お弁当渡せたんだって!」

「……誰から聞いた」

 そのことを知る人物は私のクラスメイトしかいないはずだ。

「それは秘密です。ただ、私の協力者は圭のクラスにもいる。それだけのことだよ」

 ふふんと得意げに愛がその無駄に大きい胸を張って答える。愛の交友範囲が広いことは前から知っていたが、私のクラスにも愛の知り合いがいたとは。

「まあそんなこと今はいいの。気になっているのは、圭に気になる人ができたってこと!」

「なんのことだ?」

「とぼけちゃって。ネタはもうとっくに上がってるんだぜ?」

 愛が腕を組みながらニヤニヤしている。私に理性という枷が存在しなければチョップをおみまいしていたことだろう。

「なんだよ。弁当渡したことならただの礼だ」

「ふーん。そんなこと言っちゃうんだ」

 愛が腕を組んだまま上半身を左右に揺らす。

「ウソついてるとでも言いたいのか」

「いや、そこまでは言わないよ。ただそれ、なんのお礼かな?」

「何って調理実習の……」

「そう! それ!」

 愛が腕組みを解き、そのまま私をビシッと指差す。

「清水圭さん、聞きましたよ。あなた、この前の調理実習サボらずに出席したらしいですね」

「そ、それがどうした。別に授業に出るのは自由だろ」

 自由というか、本来は出席して当然なのだが。

「もちろん。でもなぜ急に調理実習に出たのか。私、非常に興味を持ちました。それで更に詳しく話を聞いてみたら驚くべきことが判明しまして」

「な、何が分かったんだよ?」

 動揺して、それがつい声にも反映されてしまった。

「圭さん、あなた、とある男の子と一緒に作業していたらしいじゃないですか」

「それは係が一緒だったから……」

「それだけじゃありません。あなたが包丁を使った際に、その男の子があなたの手をとって教えていたという目撃証言があります!」

「うっ」

 あの時誰かに見られていたのか。正直あの時は作業するだけで精一杯だったから、他の奴の視線を気にする余裕なんてなかった。

「他人に心を簡単には許さず、人を寄せつけないあなたがそこまで気を許すなんて。その子はあなたにとって特別な存在なのでしょう。違いますか?」

「それは……」

 違うというのは簡単だが、それではこの姉は納得してくれそうもない。

「加えて手作り弁当を渡した相手も彼のようですし、もしかすると、突然あなたが髪を黒く染めたのも彼が原因なのではないですか?」

「むぅ」

 なぜいつもは勉強が難しいとわんわん泣き言を言っている情けない姉なのに、こういう時だけやけに鋭いのか。

「否定しないということは肯定だと受けとりますが?」

「……だよ」

「はい? もう一回言ってくださいますか?」

「そうだよ! 文句あるか!」

 もうどうしようもないと判断した私は言い訳を諦め認めることにした。

「ついに白状したね。それにしても圭に好きな子ができただなんてお姉ちゃん感動したよ。涙が出ちゃいそう」

「ウソつけ」

「へへへ」

「笑ってごまかすな」

 我が姉は困ると笑って、その場をなんとかしようとする悪癖がある。

「ごめん、ごめん。それでその子はどんな子なの?」

「お前だってアイツのこと少しは知ってるんだろ?」

 うちのクラスに協力者がいるなら、愛も本堂について多少は知っているはずだ。

「周りからの情報と本人からの情報だと結構違うからさ。できれば本人から直接聞きたいわけですよ」

「そこまで答える気はねえ」

「え~、なんで? 私、あなたの姉ぞ? 人生経験豊富ぞ? 恋愛相談乗れるぞ?」

「人生経験豊富って言っても私と一年しか違わねえだろ。それに恋愛経験に関しちゃお前だってないだろ」

 愛はその明るい性格とあまり認めたくないが優れた容姿から、男女問わずモテる。しかし愛は今まで告白されても全てを一蹴し、誰とも付き合ってこなかった。

「だってそれは……なんと言いますか……。運命感じなかったと言いますか……」

 急に愛の歯切れが悪くなる。こうなった原因は明らかだ。

陽介ようすけのことが好きだからだろ」

「な、な、なにを言っているのかな圭は! いきなりそんなとんちんかんなこと言い出して、全くこの妹さんには困っちまいますよ!」

 愛の声は明らかに動揺している。

 陽介は愛の昔からの幼馴染みであり想い人だ。

 幼少期から今にかけて、愛の陽介に見せる表情が少しずつ変化していく様子を見て、人はこうして恋に落ちていくのかと私は思ったものだ。

「今は私と陽介のことはいいの! それよりも圭のダーリンについて教えて!」

「ダーリンって言うな。私からはこれ以上何も言うつもりはねえ」

「フッフッフ、そんなこと言っちゃっていいのかな?」

「何がだよ」

 この顔は私の弱みを握っている時の顔だ。ただその弱みが何かさっぱり見当がつかない。

「私がこの一週間、朝早くからお弁当作りを手伝って、更に失敗作を一緒に食べてあげたこと、忘れたとは言わせませんぜ?」

「あっ」

 そうだった。今日までの一週間、愛は私の弁当作りを毎朝献身的にサポートしてくれていた。料理が終わっても愛のサポートは続き、弁当作りで生じた失敗作を一緒に朝食として食べてくれていた。そのせいで愛の目は生気を日に日に失っていたが。

「その顔完全に忘れてたね? でも圭が忘れても私は永遠に忘れないよ?」

「それならなんだって言うんだよ」

「考えてもみてよ。一週間もの長期にわたって、圭が作った料理と言えるかどうかギリギリグレーな暗黒物質を消費する手伝いをしてたんですよ。私すごい徳を積んでませんか? これは何かいいことがあっても許されると思いません?」

 我が姉ながら酷い言い草だが、私が作ってきた弁当のおかずの数々が食べるに値する料理だったかは一考の余地はある。

「でもアイツは喜んで食べてくれたし……」

「なんだって……」

 愛が信じられないとでも言いたそうな表情をしている。

「アレを喜んで食べるだと? 圭さんが現実を受け入れられなくて見た幻覚じゃなくて? その子もしかして人間ではないとか?」

「さすがにキレるぞ」

 私が作った弁当を喜んで食べたくらいで人外扱いするとはなんて姉だ。

「圭さん、あなたアレの破壊力を見誤っちゃいませんか? アレは笑顔が取り柄の私からスマイルを根絶やしにした代物ですぜ?」

「ぐっ」

 若干誇張気味に言っているとはいえ、愛の発言は概ね事実である。そうなるとそんな私の作った弁当を苦もなく完食してみせた本堂は、やはり只者ではないのかもしれない。

「とにかくあの失敗作の数々を私はものすごく頑張って食べてたんだから、その報酬として圭の初恋の子の情報開示を要求します!」

 確かに今日まで愛は弁当作りや失敗作の処理を毎朝手伝ってくれた。そのことに関しては、何か後で礼をしなければいけないとは思っていた。問題はその礼として本堂についての情報を差し出すかどうかだが……。

「……分かった。だけど絶対に他の奴には言うなよ」

「やったー! 任せて。こう見えて私、口はダイヤモンドより堅い女って言われてるから!」

「誰にだよ」

 全く信用できないが、どの道私に気になる人ができたと知られてしまった以上、愛は私が話すまで毎日私の部屋に来るだろう。それは非常に面倒だ。

 そうなるくらいであれば、ここで借りを返す形で話してしまった方が今後の平穏な生活に繋がるような気がする。

「それでは清水圭さんにお聞きしていきたいと思います。まず単刀直入にお聞きしますが今回圭さんがお弁当を渡した相手のお名前を伺えますか?」

「……本堂」

「圭の照れ顔キタコレ! え、うちの妹可愛すぎでは? 下の名前はなんて言うの?」

 いつもの六割増しでやかましい。こうなると分かっていたから話したくなかったのだ。

「……大輝」

「なるほど本堂大輝君、事前に聞いていた子の名前と一致しますね。それでは次の質問です。彼、本堂大輝君との出会いを教えてください」

「中学三年の時だ」

「えっ、同じ中学校だったの! それで一体どんな風に出会ったのかな? 詳しく教えて」

 質問には簡潔に答えていくつもりだったが、愛は詳細に言わないと満足しそうもない。私は説明を始める前から少し気が重くなっていた。

「さっきも言ったが、最初に本堂に会ったのは中学三年の時、場所は校舎裏だ」

「うちの中学の校舎裏といえば告白の名所ですが、もしかして!」

「ああ、確かにアイツに会ったのは放課後に告白されてた時だ」

「やっぱり! 最初から告白スタートですか! あれ、でも圭は知らない人からいきなり告白されるのは苦手だったんじゃ……」

 鋭い指摘だ。愛と陽介が時間をかけ少しずつ恋に落ちていく様子を近くで見てきた私には、相手の内面を知ろうともせずに告白してくる奴らの考えは理解できなかった。

「私に告白してきたのは本堂じゃねえ」

「えっ、どういうこと?」

「他の奴に告白されてた時にアイツが現れたんだ」

「ええ! どういう状況? なんで大輝君、そんな場面で現れたの?」

 愛が疑問を覚えるのも当然だ。面倒だがここは丁寧に説明しなければならないだろう。

「そもそも私は放課後、校舎裏に知らん奴に呼び出され告白された。ここまではいいか?」

「うん。圭も中学の頃は結構モテてたもんね」

「私よりもモテてたお前に言われたくないけど、そうだ。その日も一目惚れだとかなんとか言ってきたからいつもと同じように断った」

「まあ圭ならそうだろうね」

「ここまではよかったんだが、問題はここからだ。私に告白を断られたことがお気に召さなかったソイツは、断り方が気に食わないだの言ってキレ始めた」

「それ、大丈夫だったの」

 愛はさっきまでと打って変わり真剣な顔になる。中学の頃の出来事なのに、さっきあったことのようにハラハラしている。愛は私のことになると少し心配性になる傾向がある。

「大丈夫じゃなかったら、さすがにその時に言ってる」

「だよね。良かった~」

 愛の表情が分かりやすく和らいだ。

「それにしてもどうやってそのピンチを脱したの?」

「今から話す。その告白してきたやつがキレて私に近づいてきた時に、待ってと声をかけてきた奴が本堂だった」

「おお! ここでさっきの話と繋がるんだね」

 なんか伏線回収したみたいな盛り上がりだが、説明が単純に前後してしまっただけだ。

「そうだ。本堂はキレてた奴と私の中間に割って入ってきて自己紹介を始めた」

「えっ、そのタイミングで? 大輝君ってちょっと天然?」

「結構マイペースなんだよアイツは。それで自己紹介を終えた後に私に告白してきた奴に、私とどんな関係なのか聞かれて困った表情をしてた」

「知り合いどころか初対面だもんね」

 あそこまで困った顔をした本堂は後にも先にも見たことがない。

「それで本堂が今日初めて会った人だって正直に話したら、男がなんで告白の邪魔したんだとまた怒って」

「その子の言うことも、その前に圭に対してキレてなかったら一理あったかもね」

「本堂も苦笑いして謝ってたな。でもその後に急に真剣な表情になって、何事もなく告白が終わっていたら去るつもりだったけど私に手を出そうとしてたのを見て止めにきたって、男に向かって言い放ってた」

「大輝君って自分の思ってることをしっかり言える子なんだね」

 私もあの時は正直驚いた。男か女か分からないような顔をしてのほほんとしているから、人にあまり意見できないタイプだと勝手に思っていたからだ。

「本堂は意外とそういう奴なんだよ。それで男は私の断り方が悪かったとか本堂に話してたけど、それでも手を出したらダメだって諭されて言葉に詰まってた」

「うんうん。それで?」

「最終的には男も本堂と話して少し頭が冷えたみたいで私に謝ってきた」

「男の子も反省できたんだね。愛はそれに対してどうしたの?」

「私も少し言いすぎたのかもしれないと思って謝った」

「話を聞く限りだと男の子の方に非がある気がするけど。それでもごめんなさいできるのは偉いね。ナデナデしてあげる!」

「やめろ! 本当になでようとするな!」

 愛の手をかわす。愛は高校生になってもまだ私のことを子供扱いしてくる。いつになれば私は愛から大人として扱われるのだろうか。

「あ~、まだなでてないのに~。まあ今はいいや、話はそれでおしまい?」

「ほとんどな。それからアイツは私たちが校舎に戻るのを見届けてから去っていったよ」

「なるほどね。中学の頃はそれから大輝君に会ったの?」

「ちらほら廊下で姿を見たことはあったけど、話したのはあと一回だけだな」

「そうなんだ。何を話したの?」

「お前があの日あの場所にいたのは偶然じゃないだろって」

「え?」

 どうやら私と本堂の話した内容は愛の予想から外れたようだ。その証拠に愛はあっけにとられたような表情をしている。

「どういうこと? 説明プリーズ」

「別にあの告白が仕組まれてたとかそういうことじゃない。ただおかしいと思わなかったか? 同じ中学通ってたなら分かるだろ? 校舎裏は用もなくいるところじゃねえって」

「確かに言われてみれば。あまり人が来ないから告白するにはいい場所になるわけで」

 私もはじめに本堂に会った時はその違和感に気づかなかった。後から何度かその出来事を思い出してようやく疑問に感じたのだ。

「それで後から本堂にそのことについて聞いてみたんだ。そしたらいたずらが見つかった子供みたいに困った顔してさ」

「それで?」

「本堂が言うには、最初は校舎の中にいて窓から私と男が校舎裏に歩いていく姿が見えたらしい。それで男が少しキレやすいことで有名だから、一緒にいた私のことを心配して校舎裏まで追いかけてきたらしい」

「大輝君って心配性だね」

 愛の私への対応もその時の本堂と同じくらい過保護な気はするが。

「それは私も少し思った。それで本堂に言ったんだ。友達でも知り合いでもない私のために、なんでそこまでしたんだって」

「大輝君はなんて?」

「自分が後悔したくないからだって。見て見ぬふりして私がケガとかしたら自分が嫌いになりそうだから行動しただけだって言ってた」

 その時の本堂は少しだけ寂しそうに見えた。

「あくまで自分のためにしたってことね。それで愛はどう返したの?」

「……お前いつもこんなことしてるのか。気をつけないとお前も危ないぞって……」

「圭さん? そこは助けてくれてありがとうって言って顔を赤く染める場面では?」

「誰が染めるか! 私だって礼はちゃんと言わないといけないって思ったけど、言葉が出てこなかったんだよ……」

 自分で自分が嫌になる。どうしてあの時に感謝の言葉一つアイツに言えなかったのか。

「圭はちょっと不器用なところあるからね。まあそこが可愛くもあるんだけど。それで中学の頃のお話はおしまいかな?」

「ああ、それからは中学の間アイツとは話してねえ」

「なるほどね。まあ大体の話は分かったよ。危機的な状況にさっそうと現れた一人の男の子。その子に救われて圭は恋に落ちる。いいね、グッドな恋愛してるんじゃないですか!」

「やかましい。別にこの時に惚れたんじゃねえよ」

「えっ、違うの?」

「この時はちょっと変わったお人好しがいるなって思っただけだ」

「そうなんだ。それならいつ圭は大輝君にときめいちゃったの?」

 愛の目は今朝と打って変わってキラキラしている。妹の恋愛事情に興味津々だ。

「もう十分話したから今日は終わりでいいだろ」

「そんな殺生な! いい感じに盛り上がってきたのに、それはあんまりですぜ」

 愛が私の両肩を掴み前に後ろに揺らす。私は少しイラッとしながら愛の手を払いのけた。

「うっとうしいな。さっきの話で弁当の分くらいは返しただろ」

「それはそうかもしれませんが……。そうだ、惚れた理由を私に教えてくれたら、圭の恋路を陰ながらサポートするよ!」

「いらねえ」

「即答!」

「自分の恋もままならねえ奴に任せられるか」

「ぐはっ」

 愛とその想い人の陽介はお互いに好き合っているにもかかわらず恋人にはなっていない。これは単にお互いに想いを告白していないからだ。陽介は愛が他の奴の告白を全て断っていることから尻込みし、愛は陽介から告白してほしいと宣っている。そのため愛と陽介は幼馴染み以上恋人未満の関係を現在進行形で続けている。

「はぁ、はぁ、圭もなかなか言ってくれるじゃない」

 愛はなんとか精神的ダメージから立ち直ったようだ。

「事実を述べたまでだ」

「我が妹ながら見事なジャブだぜ。まあ待ってよ。恋愛についてのアドバイスは少し難しいかもだけど、私にはまだできることが残ってる」

「なんだよ」

 まともな案ではないと思いつつも一応耳を傾ける。

「生徒会副会長権限で大輝君を呼び出して、圭のことどう思ってるか聞いてあげるよ!」

「ぶちのめすぞ」

 生徒会副会長の地位を生かすタイミングは絶対に今ではない。

「ええ、パーフェクトアンサーだと思ったんだけどなぁ」

「どこがだ。職権乱用もいいとこだろ。それにそんなことしてよく思われてなかったらどうするつもりだ」

「ちょっと心配しすぎじゃない? 圭はスーパープリティガールなんだから大丈夫だよ。きっといい感じの言葉を大輝君がくれるって」

「誰がスーパープリティガールだ! とにかく却下だ却下!」

「厳しいなぁ。まあさっきの話は半分冗談としても、圭の恋を応援してくれる人が同じ学校にいるだけでも結構心強いと思うんだけどな」

 確かに私の本堂への気持ちを知る人物は今のところ愛だけだ。協力者がいるのといないのとでは大分違う気がする。愛の提案は私にとっても悪い話ではないかもしれない。

「……分かった。だけどくれぐれも邪魔だけはするなよ」

「おおっ! 話に乗ってくれたということは、大輝君にときめいた時のエピソードも教えてくれるということですね!」

「ときめいてないけどな」

「我が妹ながら素直じゃありませんなぁ。じゃあ大輝君のこと気になったきっかけとでも言えばいいかな」

「まあそれなら話す。あれは高一の頃……」


※ ※ ※


 高校一年のある日の放課後、私は忘れ物を取りに教室へ戻っていた。

 忘れ物に気づいたのが学校から出てしばらく経ってからだったから、教室前に着く頃には教室内に人はほとんどいないだろうと考えていた。

「そういえば俊也、今日は時間大丈夫なの?」

 聞きなれた声がしたのでドアを開ける手を止め思わず身をかがめる。

「ああ、今日は部活休みだから問題ない」

「ならよかった」

(なんでよりによってあの二人が残ってるんだ。教室入りづらいな)

 中から聞こえてくる声から、どうやら教室内にまだ残っているのは本堂と松岡の二人だけらしかった。二人は教室の前にいる私に気づいていないようだ。

 高校に進学し私は本堂と同じクラスになった。あの時以来本堂と話す機会は中学ではなかったから、同じ高校に入学していたことも入学式の時に初めて知った。

 最初は席が離れていて交流はなかったが、何度目かの席替えで偶然本堂と隣の席になった。話して分かったのは、本堂が私に高校で初めて会ったと思っていることだ。

 中学の時の一件を忘れてしまったのか、それとも髪を染めた私を別人だと思っているのか。なんとなく悔しかった私は、自分から中学の頃に会ったことがあるとは言わなかった。

 だが本堂はそんな私に毎日のように話しかけてきた。クラスメイトから怖がられ距離を取られている私に対してだ。本堂は私のことを一体どう思っているのだろうか。

「ずっと気になってたんだけど、大輝って清水さんのこと怖くないのか?」

「清水さんが怖い? なんでさ」

「だって染髪は校則で禁止されてるのに金色だし、うっかり目が合うと睨んできて怖いし。それによくないことしてるんじゃないかって噂も結構聞くぞ」

(松岡め、私がいないからって本堂に好き放題言いやがって)

 前半二つは事実なのでそこは反論のしようがないが。

 松岡に好き勝手言われるのはまだいいが、本堂から同じような発言を聞きたくなかった私は帰るため教室のドアに背を向けた。

「僕は清水さんのこと怖いとは思わないけどな」

 本堂のその言葉が私の歩みを止めた。

「なんでそう思うんだ?」

「清水さんって少し分かりにくいけど優しい人だと思うんだよね」

「そうか?」

 松岡は心の底から疑問に思ってそうだ。

「うん。声をかけたら清水さんはいつも返事してくれるし。見た目は少し派手だけど話してみたらいい人だよ」

「それは大輝が誰でもいい人だと思うからじゃないか?」

 松岡は今の本堂の発言だけでは私への警戒を解いていないようだ。

「そんなことないよ。俊也は知らないと思うけど、清水さん掃除の時とかはいつも一緒にやってくれるんだ。清水さんは清水さんで他の人のことを考えてくれてると思うんだよね」

「ふむ、なるほどな」

「よくない噂が独り歩きしているだけで、話してみれば清水さんはみんなが思ってるよりずっと優しくて面白い人だよ」

 本堂が私のことをそんな風に思ってくれていたなんて知らなかった。表では笑顔で話しかけてくるが、裏では他のクラスメイトのように私を恐れているのだろうと思っていた。

 でもそれは違っていて本堂は私を見た目や雰囲気だけで判断せず内面まで見ようとしてくれていた。

「大輝がそこまで言うならそうなのかもな。さすがに面白いまでは同意できないけど」

「俊也も清水さんとちゃんと話してみれば分かるって。それに清水さんは……」

 顔が急激に熱くなる。心臓の鼓動が早くなっているのが自分でも分かってしまう。ここにこのまま留まっていてはいけない気がする。私はここまで戻ってきた理由も忘れて廊下を駆け出した。


※ ※ ※


「……と、これが本堂が気になるようになった理由だ」

 黙って聞いていた愛が急に手を叩き始めた。人形が突然動き出したみたいで不気味だ。

「ブラボー、よかった、実に素晴らしかったよ。容姿だけで判断せず中身までちゃんと見てくれる。まさに真実の愛! これは全米が涙しましたわ」

「適当なこと言うな」

「ごめん、ごめん。でも大輝君いい子だって思ったのは本当。正直、前までの金髪圭ちゃんが他の人からすればちょっとだけ近づきにくかったのは事実だからさ。そんな圭に真剣に向き合ってくれてた人がいたっていうのは、お姉ちゃんとしてかなり嬉しいよ」

「急にまじめになるな」

「理不尽!」

 自分でもそう思ったが、いつもちゃらんぽらんな姉がまともなことを言うと調子が狂う。

「とりあえず本堂については結構話したから満足しただろ」

「はい。圭の青春赤裸々恋愛トーク聞いて心が若返りました」

「それはよかった。なら帰れ」

「ええ! なんか急に冷たくない? 冷たすぎて風邪引いちゃいそう。クシュン」

「うるせえな。もう目的は達成しただろ」

 そもそも愛は本堂について聞くために私の部屋まで来たはずだ。目的を達成した今、もうここにいる必要はないだろう。時計の針は十一時を回りいい頃合いだ。

「それはそうだけどさ。まだ最近大輝君のこんなところにドキッとしたとか、大輝君が別の女の子と話してて少しモヤッとしたとか、そんな甘酸っぱいお話が聞きたいわけですよ」

「勝手にドキッとさせたりモヤッとさせたりするな。帰れ」

「ヤダヤダ。お姉ちゃん部屋に戻りたくない~。もっと圭のお話を聞きたいな。大輝君とのこれまでの思い出とかさ。圭とまだまだ恋バナしたい~」

 愛は十七歳にもなってまだイヤイヤ期であるらしい。しょうがない、伝家の宝刀を抜く時がきたようだ。

「恋バナっていうのはどちらか一方だけがするもんじゃねえよな? 私も聞きてえな、陽介とどこまで進展したとか、陽介のどこが好きだとか、陽介をいつ異性として意識したとか。お前もちゃんと教えてくれるんだよなぁ?」

 愛は視線があっちこっちをさまよっている。

「おっと、そういえば明日までに終わらせないといけない課題があったのを忘れていたぜ」

「明日は土曜日だぞ」

「……おっと、まずい。急に眠気が襲ってきたぜ。本当に残念だが恋バナはまたの機会にするとしよう」

「逃げる気か」

「逃げるなんて人聞きの悪い、これは戦略的撤退だよ。当初の目的は果たしたわけだしね。それではアデュー」

 そう言うと愛は自分の部屋へと戻っていった。

「いつもホントに嵐のように去っていきやがって」

 静かになった部屋で私は誰に言うでもなくそう呟いた。

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