第三章 清水さんのお弁当(1)
「こんなはずじゃなかったのに……」
自室で枕に埋もれながら、誰に言うでもなく思わずそう口にする。私はベッドの上で今日の調理実習について思い返すことにした。
今日の調理実習に出た目的はあの男……本堂大輝と一緒に調理することだった。同じ班だったため、一緒に調理する機会は思っていたより簡単に作ることができた。当初の計画では、一緒に作業する過程で調理がうまいことをアピールする予定だった。計算外だったのは思っていた以上に本堂が調理慣れしていて私の調理の腕が壊滅的だったことだ。
(まさかあそこまで差があるなんて……)
確かに普段調理は全くしないし前までの調理実習はサボっていたから、後から呼び出され家庭科の先生と二人で調理をしていた。だけど包丁で切るくらいなら楽勝だと始める前の私は思っていた。結果として私は本堂にずっと教えてもらっていて、全然調理できるところを見せられなかった。最初の想定とは大分異なっていて今回よかったことは……。
(アイツの手、思ったより硬かったな)
ハッとして頭をブンブン左右に振る。
本堂の手がゴツゴツしていて、思っていたよりも男らしかったからなんだというのか。確かに異性に手を触られた経験など、他に幼い頃に父に触れられた記憶くらいしかないが、別にどうということはない。
(それに一緒に調理して嬉しかったって……)
再びハッとしてベッドの上をゴロゴロ転がる。
本堂は私以外と調理しても嬉しいと言ったに違いない。本堂の一言で何を自分は浮かれているのか。
自分の頬を両手で軽く叩く。
もう終わってしまったことは仕方ない。大事なのはこれからどう巻き返すかだ。どうにかして私が料理下手ではないと分からせてやらねば。
問題はその方法だ。調理実習はもうしばらくないから、何か別な機会を作り料理ができるとアイツにアピールする必要がある。方法について以前スマホにメモした内容を見ながら考えていると、以前に本堂と松岡がしていた恋愛トークを思い出した。
『だったら好きな子が作ってくれたお弁当は、さすがに大輝も興味あるんじゃないか?』
『それは……そうかも』
本堂は手作り弁当に興味があるか松岡に聞かれ肯定していた。
ならば弁当を作り本堂に渡せば喜ばれ、更に料理の腕もアピールでき一石二鳥ではないか。我ながらいい案が浮かんだと思ったが、同時にとある問題も浮上した。
(いきなり手作り弁当を渡すって変だと思われないか?)
漫画では女子から好きな男子に作った弁当を渡すシーンは見たことがあるが、現実でそれはありえることなのだろうか。少なくても私は見た記憶がない。でも私が見ていないだけで、現実でも起こっているのかもしれない。
自分だけでの判断が難しいと思った私は、人に意見を聞いてみることに決めた。
「おい、
自室から出て隣の部屋の前まで来た私は、ドアをノックしながら部屋の主に語りかける。すると部屋の中から足音がした後にドアがゆっくりと開いた。
「あれ、圭、どうしたの?」
ドアの隙間からこの部屋の主である姉の愛が不思議そうな顔を見せた。
「少し聞きたいことがあって……」
「えっ、圭から私に質問があるなんて珍しいね! これは明日には空から何か降ってくるかも! とりあえず部屋の中に入りなよ。お菓子もあるよ。ささ、入って、入って」
「うるせえ! とりあえずその手を離せ!」
部屋に引きずりこもうとする愛の手を振り払う。愛の相変わらずのマシンガントークにげんなりする。もう既にこの姉のところに聞きにきたことを後悔してきた。
「少しって言っただろ。ここでいい」
「いいの? 廊下だとお父さんとかお母さんに聞かれるかもよ。聞かれて大丈夫な話?」
「ぐっ」
別に悪事を働くわけではないが、この話を知る人はなるべくなら少ない方が望ましい。
「……話が終わったらすぐ戻るからな」
「もちろんいいですとも! それでは圭を私の部屋までご案内しま~す」
愛は楽しそうに私の腕を掴み部屋の中まで勢いよく引っ張っていった。
「それで容姿端麗、学業優秀な生徒会副会長のお姉ちゃんにお話って何かな?」
「自分で容姿端麗とか言うな。それに学業それほど優秀じゃねえだろ」
現在、私は愛とミニテーブルを挟んで向かい合う形で座っていた。高校生になってからは愛の部屋にほとんど来ていなかったが、部屋の中は漫画やゲームやぬいぐるみばかりで昔とそこまで変わっていないように見えた。
「さっきも言ったけど聞きたいことがある」
「何? 私みたいに明るく可憐で美しくなる秘訣?」
「……戻るか」
「冗談! 軽いジョークのつもりでした! 圭さんのお話を私にぜひ聞かせてください!」
「……次に茶化してきたら本気で戻るからな」
「押忍! 了解しました!」
愛が敬礼のポーズをとる。私は最後まで部屋に戻らず質問の答えが聞けるだろうか。
「あのさ……。いきなり弁当渡されたら愛だったらどう思う?」
「それは圭からってこと?」
「いや、どちらかというと普段話すことがある男から」
「えっ、突然なにゆえって思う」
やはりいきなり異性に手作り弁当を渡す行為は変なのか。作戦を一から練り直さなくてはいけないらしい。
「……分かった。参考になった。戻る」
立ち上がり去ろうとすると、愛に腕をがっしりと掴まれた。
「ちょっと待って。話の全貌が全然見えなくてこのままだと眠れないよ。もう少し詳しく私に話してみない? 心配しなくても絶対に損はさせませんよ!」
確かに先ほどの質問だけでは意図が分からないか。でもこの姉に全部を話していいものだろうか。正直不安しかない。ただ自分一人では手詰まりなのも事実だ。
「全部は言わないぞ」
「大丈夫、私は一を聞いて千を知るウルトラハイパー美少女なので!」
「それならさっきの質問だけで全部分かるだろ」
私は心の中でため息をつきながら愛に説明を始めた。
「ほうほう、つまり圭はお世話になったその男の子に、私の料理スキル本当は高いんだぜってアピールしたいと。そしてそのためにお弁当を作って渡したいと」
「要約すればそんな感じだな」
説明を始めて数分後、私は本堂の名前や過去の出来事の一部を隠しながら目的を伝えることに成功した。
「いいんじゃない? チャレンジしてみたら?」
「さっきなにゆえって言ってなかったか」
「さっきは私が突然男の子にお弁当貰ったらって場合でしょ? それと圭が話してくれた場合だと意味合いが大きく変わってくるよ」
「どう違うんだ」
「女子からの手作り弁当は男子にとっての夢! 何をしてでも手に入れたい、そんな代物なのですよ!」
「そうなのか?」
松岡もそんな感じのことを言っていた気がするが、いまいちピンとこない。
「そうなんだよ。それにせっかく圭が自分でやりたいと思ってるのに、チャレンジしないのはもったいない! 一度だけの青春、全速力で駆け抜けようぜ!」
「あ、ああ」
愛の勢いに困惑を隠せない。なぜ私よりも愛の方がやる気に満ちあふれているのかは不明だが、詳しく話した結果、前向きな話が聞けたことは収穫だ。だけどまだ懸念はある。
「作っても、結局渡す理由がないと渡しづらくないか?」
「それは前の調理実習に助けてくれたお礼とでも言っておけばいいんだよ」
なるほど。その発想は私にはなかったものだ。
「それで作りたい料理ってもう決まってる?」
「いや、まだ決めてない」
本堂が入っていたら嬉しいと言っていたしょうが焼きは入れたいが、他はまだ未確定だ。
「それじゃあそこから考えないとね。私も楽しみになってきたよ」
「何がだよ」
「え? そりゃ圭のお弁当作りの手伝いだよ」
何を当たり前のことをとでも言いたげな顔で愛が見てくる。
「別に弁当は私一人でも作れる」
「おいおい、調理実習の時に例の子におんぶにだっこだったことをもう忘れたのかい?」
「うっ」
調理実習の日の何度も本堂に包丁の使い方を教えてもらった記憶がよみがえる。
「朝はお母さんも忙しいだろうし適任なのは私だけですよ。そんな私のサポートが、今回は特別お姉ちゃん大サービスでタダ!」
「通販みたいに自分を押し売りするな」
「てへっ、ついつい。それにしても私の補助のあるなしで、成功確率は全然違うと思いますよ圭さん? 私、お菓子とか暇な時に作ったりするし、きっとお役に立ちますぜ?」
ふざけ倒している愛だが料理の経験は私よりずっとある。本堂にクオリティが高い弁当を渡したいなら頼るほかない気がする。
「……朝早く起きれるのか?」
「可愛い妹のためならそれくらい造作もないことですよ。圭が一言お願いお姉ちゃんって言ってくれたら、もう何日だって付き合います」
「誰がそんなこと言うか!」
というか人生でこれまで一回もそんなこと言った記憶がない。
「え~、一言、本当に一言でいいから! お願い!」
愛が手をすり合わせる。言うまで折れないつもりだ。
「……お願いお姉ちゃん。……これでいいだろ」
「可愛い~! よしお姉ちゃん、可愛い妹のためにフルパワーで頑張っちゃうぞ~!」
消えたい。いますぐにここからいなくなりたい。私は出だしから大きくやる気を削がれながらも愛と一緒に弁当を作る準備を始めることにした。
※ ※ ※
「なあ、今日の清水さん、なんだかいつにも増して機嫌悪くないか?」
「お前もそう思う? なんか他校の奴とケンカして手をケガしたって噂だよ」
「そうだったんだ。清水さん髪を黒く染めたり授業サボらずに受けたりしてたから、まじめになったのかと思ってたけど相変わらずなんだな」
クラスメイトがコソコソ私の噂話をしているがそちらを向く気力もない。それもこれも全て手作り弁当が原因だ。
(もう最悪だ)
弁当は一応できあがった。手伝ってくれた愛からトレードマークの笑顔が消えることになったが、完成はしたのだ。問題はその出来栄えだった。
卵焼きは醤油のせいか、はたまたこげのせいか分からない、ただ黒さを追い求めたような謎の塊になり、本堂の好きなしょうが焼きも同様に黒さが際立つ肉塊となった。
今回は愛のサポートがあったにもかかわらず何度か包丁で指を切り、傷は浅かったものの愛には心配をかけてしまった。
結果として完成した弁当は、とてもじゃないが人に渡せる代物ではなかった。
私は最初自分一人でその手作り弁当を平らげようと思ったが、責任を感じた愛が半分こにしようと提案してくれた。そのおかげでなんとか食べきれ、胃がもたれる程度で済んだ。
正直、圭の料理スキルは予想以上というか想定外だったね、と愛は死んだ目で後に語った。
「おはよう清水さん」
「おう」
今日の朝の事件を思い出していたら、いつの間にか隣の席に本堂が座っていた。
本堂になんの罪もないことは分かっているが、今朝の弁当の失敗もあり自然と眉間にしわが寄っている気がする。
「あの清水さん。僕、何かしたかな?」
そんな私の顔を見たのか本堂は困ったように笑っていた。
「別に何もしてねえよ」
実際に本堂は私を怒らせるような行動はしていない。私が怒っているように見えるのは私自身が問題だ。
「それなら困ったことでもあった? 僕でよければ話聞くよ?」
「……なんでもねえ」
お前のために手作り弁当作ったけど失敗したから落ち込んでいる、とは口が裂けても言えない。
「そう、分かった。……あれ、清水さん手をケガしてるけど大丈夫?」
とっさに手を隠したが遅かった。完全に油断していた。言い訳を考えねば……。
「……ちょっと色々あったんだよ。深い傷じゃねえから気にしなくていい」
「うん。でもお大事にね」
苦しい言い訳だったが本堂は納得してくれたようだ。安心したらいつもより早く起きた反動からか睡魔が襲ってきた。
「今から寝るから起こすなよ」
「うん、先生来る少し前に起こすね」
「起こさなくていいって言っただろ……」
いつもであればここから起こすか起こさないかで言い合いになるのだが、早朝から弁当作りをして精神的に疲れていたのか、今日は早々に意識を手放すことになった。