第14話 「聖堂塔への道」
テスケーラの大通りを聖堂塔へ向けて歩いてゆく。
クライは俺が本気だとわかったらしく、呆れた声を出した。
「あの怪物相手に話せばわかるとでも、本気で思っているのか? あなたのその楽観的な性格はどこからきたんだ」
「ちなみに試したことはあるのか?」
俺が問いかけると、クライの言葉からわずかに勢いが失われた。
「……ないよ、あるはずがない。僕の言葉が届いたことなんて一度もないからな」
「それはいい情報だ。よし、だったらどうなるかまだわからないってやつだな」
「つまみ出されるか、その場で斬り捨てられるのがオチだ。こんな死に方あまりにも無駄すぎる」
「別に、お前ひとりで死ぬわけじゃないだろ?」
死ぬなら俺も一緒だろう。
まあそう言ったところで、クライが納得する様子はなかった。
パレードが終わったからか、辺りには人の流れが戻ってきた。さまざまな格好をした人たちが街にカラフルな彩りを加えている。この街に住んでいる住人の他、遠くから行商にきた商人などが入り交じっているからだろう。
しかし通りを歩いていると、たくさんの視線を感じた。それはもっぱら俺にではなく、隣のクライへと注がれている。
やはりというかなんというか、クライの身なりのせいだろう。
彼は影を背負った美少年のような容姿をしていて、現代日本ならさも人気が出そうなルックスなのだが、どうしてもボロをまとった姿は第四区以外の人間に警戒心を抱かせてしまうようだ。
「……本当に聖堂塔に向かうつもりなら、門を越えなきゃいけないよ」
「門?」
俺の問いに「……本当になにも知らないんだな」とつぶやくクライ。
別にいいと思うんだ。この街のことをなんでも知っているクライが隣にいるなら、俺がなにも知らなくても……。
そんなことをのうのうと口に出すと、おそらく芽生えかけたクライとの信頼がぶち壊されてしまいそうな気がしたので、俺は適当に笑ってごまかした。これが大人の余裕ってやつだ。
クライはしばらく俺に冷ややかな目を向けた後、道の先にある詰め所のような建物を指した。何人かの騎士が立っている。
門というよりは、検問のような感じだ。
「あれがそうか?」
「聖堂塔は第一区にあるから、第二区の商人や第三区の平民は通してもらえるけれど、僕たちにとっては近づくのも容易じゃない」
第一区。貴族街か。
その話を聞いて、俺はなんだか少しさみしい気持ちになってしまった。
聖女サマの加護がこの街を守っているっつったって、第四区の人間は聖堂を拝みにいくこともできないんだな。
第四区は街の住人と思われていない、か。
物陰に隠れて門の様子をうかがいながら、俺はぽりぽりと頬をかいた。
「なあ、クライ。どうしてみんなは他の街にいったりしないんだ?」
「それは僕たちがなぜ第四区などという劣悪な環境に甘んじているのか、ということかい?」
「ん、まあ……」
ちょっと深入りしすぎた質問だったかな。
反省する俺に、クライはこともなく言う。
「僕とウォード、それにレニィはもともと針猫隊という
六年前の事だった、とクライは言う。
それはまるで遠すぎる過去を思い出す老人のような目だった。
「針猫隊は街から街へと移動し、交易をしながら暮らしている小さな二十人程度の商隊だった。扱うものもそんなに高価じゃない。それでもあの頃は平和だった。護衛の爺さんに僕たちは剣を習って、将来はきっと商隊を引き継ぐんだろうと信じていた」
クライは自らの手のひらを見下ろしながら、語る。
「ウォードはボスの息子で、責任感もあったし、僕たちはみんなウォードが次のボスになるんだろうと思っていた。だけど南のリオネスの街からテスケーラに来る途中、事件が起きてしまった」
語り口は淡々としている。怒りや悲しみ、憎しみといった感情をどこかに置き忘れてきてしまったかのようだ。
「街道を進んでいる最中だ。野盗の集団が僕たちのキャラバンを狙ったんだ。彼らは近隣でも有名なやつらだった。僕たちは必死に抵抗をしたが、歯が立たなかった。家族は殺され、僕とウォードとレニィ、そしてもうひとりだけが逃された」
当時、ウォードやクライはまだ十歳だ。かなうはずがない。
「追いかけて殺される寸前に、今度は何者かが野盗に襲いかかった。きっとそのどさくさに紛れて、僕たちはテスケーラに逃げ延びることができた。ウォードは今でもその『何者か』を探しているみたいだけれど、どうせ野盗同士の仲間割れかなにかだろう」
クライは首を振った。
「生きてテスケーラに辿り着けたのは、数少ない幸運のひとつだった。あのとき野垂れ死んでいたら、今のように時の迷宮に閉じ込められることにはならなかったんだろうけど……、皮肉な話だね」
「……それで、それからずっとテスケーラに?」
「ああ。僕とウォードとレニィ、そしてもうひとりはこの街に隠れるようにして住むことにした。身寄りのない僕たちが第四区に流れ着くのは当然の帰結だ。あの区画は治安も悪いし、水も汚くて、人の住むような場所じゃない。それでも第四区を出ようとは思わないよ。なぜなら、それでも街の中は安全なんだ」
安全。俺はその言葉が妙に耳に残った。
「魔物もいないし、野盗が集団で遅いかかってくることもない。だから僕たちは第四区にとどまっている。生き方がもう変えられないとしても、それでも僕たちは今の現状を受け入れてしまっているんだ。――だから、僕たちは塀の中にとどまっている」
希薄なクライの感情の奥に、俺は苦い連帯感を覚えた。
それはなんだろうか。俺が会社に勤めて、人を騙してものを売るような仕事を続けながら、『生活のためだ』と自分に言い訳をして過ごしていた日々を連想させるようなものだった。
クライはおそらく今の状況を本意とは思っていないのだろう。だがそれでも、今の自分を変えられないと思っている。思い込んでいるのかもしれない。
なにもできないはずがない。でも、できないと思っているうちは、それが自分を縛り付ける呪いのように作用するものだ。
「……なんですか?」
クライが不機嫌そうな目を向けてきた。
俺は大人ぶってなにか言おうとしたが、結局は「いや」と首を振った。
オッサンが人生経験に基づいたアドバイスをしたところで、若者は嫌がるだけだろう。
「事情はわかったよ。不躾な質問をしてすまなかったな」
俺が素直に謝ったのが意外だったのか、クライは「へえ」とつぶやいた。
「そういう殊勝なところもあるんだね」
「俺をどういうやつだと思ってんだよ」
「強引で理不尽で性急なおじさん、かな」
「いいところないな!」
俺は頭を抱えて叫ぶ。
そこでクライは物陰から検問を眺め、「さてと」と話を変えた。
「じゃあまずは聖堂塔に向かうために、あの門を越えようか」
そうだ、クライは以前に聖堂塔に忍び込んだことがある。あの門を越える方法も知っているんだ。
俺にとっては心強いが、彼の活躍に引っ張られているだけというのは申し訳ないな……。
「なにからなにまですまないな、クライ……」
「最初からあまり期待していない」
あんまりにもあんまりな言葉を浴びて、俺たちは商業区である第二区へと戻った。
大通りから外れたそこに建っていたのは、ごく普通の洋服屋だった。
小物やバッグなんかも並んでいて、旅人向けというよりは、この街で過ごしている平民のための品揃えといった感じだ。
俺たちの他に客はいない。
「こんにちは」
カウンターの奥にいた店主のばあさんにクライが挨拶する。ばあさんはニコニコと笑った。
「クライじゃないか。きょうはどうしたんだい? 今の季節の新作なら、まだ入っていないよ」
「ターフィさん、こっちのおじさんはジン」
俺は素直に頭を下げる。おじさんって年じゃないけどな……。
「信頼できる男かどうかはまだわからないけれど、少なくとも僕のために死ぬ覚悟はあるようだ」
「ん、んっ!?」
なんだそれ、どういう紹介だ!?
だが、その言葉を聞いたばあさんは細めた目をゆっくりと開く。俺が勝手に思っていたよりもずっと鋭い眼光が俺を貫いた。
「あんたがそこまで言うなら、いいだろうよ。そいで、きょうはなんの用だい?」
「第一区に潜入したい。服と許可証を見繕ってくれ」
「そいつはまた、穏やかじゃないねえ」
どうやらここは非合法なことも取り扱っている店のようだ。薄々そんな気はしていたが。
「ウォードの使いかい?」
「いや、これは僕の独断だ」
「へえ、珍しく無茶するじゃないか。ずいぶんと顔色も悪いし、大丈夫かい?」
「……」
クライは押し黙った。もしかしたら彼は、こういう荒事が苦手なタイプだったのかもしれないな、と思った。
「ま、金を払えば用意してやるよ。そっちの兄ちゃんの分もだね?」
「うん」
「ちょっと待ってな、今持ってくるから」
ばあさんは立ち上がった。後ろのドアを開いてどこかへと去ってゆく。
クライが小さくため息をついた。
「別にしたくて無茶をしたことなんて、一度もないんだけど」
そのつぶやきはひどくつらそうに聞こえた。
彼になにか声をかけようかと思った、そのときだった。
「み、見つけたああああああああああああああ!」
あまりにも巨大な声がして振り返ると、外に面したウィンドウにぴったりと顔をくっつけて、茶色い髪をもつ女子中学生ぐらいの少女がいた。
その猫のような目がキラキラと輝いている。
「レニィ……」
嫌いな食べ物を目の前に突きつけられたような顔で、クライはうめいた。
そういえばレニィはずっとクライを探していたな。
レニィはドアを開いて中に入ってくると、クライの胸元に指を突きつけてきた。
「もう! どこにいっていたんだよ、クライ兄ちゃん! おかげでアタシは街中走り回ることになっちまったんだかんね! この恨みは一生覚えておくかんね!」
クライは目を逸らす。だがレニィは彼の様子に気づかず突っかかってゆく。
「どこでなんで油売っていたか知らないけどさ! クライ兄ちゃん連れていかないとアタシがウォード兄ちゃんに怒られるんだかんさー! ホラホラ、いくいく、ホラいくからね! まったくクライ兄ちゃんは昔からホントそういうところあるんだから、だからアタシが面倒見てないといけないんだからホントもうそういうところホントもー!」
レニィがクライの腕を強く引くものの、クライはその場から動こうとしなかった。
ほえん? と顔をあげたレニィに、クライは冷たい目で告げる。
「僕には少し、やることがある。君たちの下には帰らないよ。ウォードにもそう伝えていてくれ」
「え!? 帰らないってなに!? 家出!?」
「……」
クライはレニィに背を向けた。拒絶の姿勢だ。
少女の顔がさーっと青ざめてゆく。
「え、ちょっとどうしたのクライお兄ちゃん、いつもとなんか、様子がちがくない……?」
そこで初めてことの重大さを知ったかのように、レニィは小さな体を震わせる。
レニィは目に見えて狼狽していった。
「ちょ、ちょっとそんな、もしかしてお祭りの打ち合わせがめんどかった……? ウォード兄ちゃんが強引だった? ね、ねえちょっと、帰らないってそんなこと言わないでよ、クライ兄ちゃん、レニィがなんかしちゃった……? あ、そ、そうだ! ほら、帰らないとレニィが兄ちゃんに叱られちゃうから! だから、ね、帰ろ!? ね!?」
「……」
茶色のくせ毛を振って取り乱すレニィに、クライはなにも言わない。
レニィはクライの顔のほうに回り込みながらその大きな瞳を潤ませて、なおもすがる。
「も、もしかしてなんか怒っているの? レニィなんか悪いことした? ねえ、クライ兄ちゃんがそんなツンケンするなんて……。ね、ねえ、これなんかの罰なの? だったらレニィ反省したからさ、お祭りの準備とかお手伝いしなくても、レニィがやるからさ……いつもの優しいクライ兄ちゃんに戻ってよぉ! ねえ、ねえ……」
ぐずぐずと鼻をすするレニィは、もはや半べそをかいていた。
クライは俺と初めて会ったときのように、なんら表情を浮かべていない。そこにあるのは虚無だけだ。
俺にはクライの気持ちが痛いほどにわかる。
初めてリルネを死なせてしまったとき、俺は彼女を遠ざけた。リルネは怒ったが、それでも俺は優しい言葉を告げたりはしなかった。
どんなに嫌われても、疎まれても、怒られても、彼女が死ぬよりはマシだと思ったのだ。
拒絶されるほうはつらいだろう。けれど、自分の親しい人を遠ざけようとしなければならない立場の気持ちも、俺にはわかる。
クライは耐え忍んではいるが、身を切られるほどに痛いはずだ。
俺はふたりの間に割り込んだ。
頭の中のリルネに『おせっかい』だとか言われながら。
「まあまあ、待ってくれ、おふたりさん。ここは俺、ジンに説明させてくれ」
レニィがまるで親の敵を見るような目を向けてきた。
「……なんなのよ、あんた」
「いや、まあ、俺はおせっかい焼きでさ」
「……」
なにも言わないクライをちらと横目に見て。
「あのさ、レニィちゃんだっけ」
「兄ちゃんたち以外に気安く呼ばないでくんない? おじいちゃん」
「…………」
俺の笑顔が引きつった。
おじいちゃんは初めて言われたな……。
「クライは帰らないんじゃなくて、実はまだ帰れないだけなんだよ。なあクライ?」
俺は馴れ馴れしくクライの肩に腕を回す。
レニィは猫のような目を大きく瞬かせていた。
「……なに、それ」
はっはっはと笑いながら、俺は両手を広げた。
「いや実はさ、クライはお祭りでちょっとやりたいことがあってさ、そりゃもう壮大で盛大でものすごいイベントなんだよー」
「……は?」
クライが顔をしかめて俺を見上げた。
俺はアイコンタクトで合図を送る。まあまあ、俺に任せろ。
「で、実はそのことをウォードとレニィには隠しておきたかったんだ。っつっても、今バレちまったけどさ。だから『きょうは』帰れないってことを言いたかったんだよ、クライは。まったくもう、こいつってば本当に嘘をつくのが下手だから、あんな言い方しかできなかったんだろうなー」
レニィは半信半疑の目で俺とクライを見比べる。
クライはしばらく押し黙っていた。角度的にレニィからは見えなかっただろうが、なにか非常に苦悩をしているように眉を寄せていた。
やがて彼は諦めたように大きなため息をつくと、顔をあげた。
「まったく……、誰にも言うなよ、レニィ」
困ったような笑みを浮かべながら、クライは唇に人差し指を当てた。
レニィは大きく目を見開く。
「僕はきょうは姿を現さない。だけど明日になったらアッと驚くような、誰も見たことがないようなお祭りにしてやるから。チビたちみんなにも、一生忘れられないような思い出を作ってやるよ。ウォードにもナイショだぞ」
「う、うん!」
レニィは拳をギュッと握って、その場で何度も大きくうなずく。
潤んだ目を拭うと、レニィはしかしその顔を赤く染めた。
「だ、だからって! あんな風になにも言わないなんて、ずっこいぞ! クライ兄ちゃんが嘘をつこうとしたって、アタシにはすぐわかんだからな!」
「泣きべそをかいていたのは誰だっけかな」
「――ッ、あ、アタシじゃないかんね!」
ごくごく自然に笑うクライと、彼に食ってかかるレニィの姿を眺めながら、俺はなんだか胸の中が暖かくなるのを感じていた。
じゃれあうふたりの子どもたちの笑顔を、絶対に守りたいという決意が、再び大きくなってゆく。
涙腺が刺激されて、目の前がかすんできた。あれ、俺ってこんなに涙もろかったかな。
笑いながら目を潤ませる俺を横目に、クライは眉根を寄せた。
「……なんであなたが泣きそうになっているんだよ、もう」
その声の響きは、優しかった。
レニィと別れ、ばあさんから通行証と上等な服を受け取り、着替えて、俺たちは聖堂塔へと向かった。
「あんな約束をしたところで、死んじゃったらなんにもならないんだよ」
愚痴るようにつぶやくクライの肩を叩いて、俺は笑った。
「だったら、なんとしてでも、明日まで生きておかなきゃな」
クライは不機嫌そうに口をへの字に結んだ。
「……そのときには、あなたにも手伝ってもらうからな」
「ああ、任せておけ」
ドンと胸を叩く俺からそっぽを向いて、クライはため息をついた。
「なんでそんなに嬉しそうなんだよ……」
そううめくクライもまた、わずかに頬を緩めていた。