第2章 ループ主人公

第13話 「信頼と覚悟」



  名 前:クライ

  種 族:人族

  性 別:男

  年 齢:16

  職 業:デュアルブレイダー

  レベル:82

  称 号:針猫団副団長、ウォードの右腕、テスケーラの黒い影

  スキル:人族語、短剣技第五位、二刀流

  固 有:猫の爪、タイムリープ




 これがクライのステータスだ。


 ループを繰り返して成長したからか、あるいはもともとそうだったのか、ウォードとほぼ遜色のない戦闘能力を誇る。


 俺よりよっぽど強いもんだな……。


 ともあれ、俺たちは大通りから抜けて場所を変えた。



 俺が言うと、クライは素直にあとをついてきてくれた。


 大通りからひとつ外れた路地の階段に、俺とクライは座り込む。


 彼は先ほどから俺を見ようとはしなかった。


 その視線は、ここではないどこかに向けられているようだ。


 パレードの喧騒が遠くに聞こえる中、俺はクライに声をかけた。


「俺はずっと君を捜していたんだ」

「……」


 クライは足元を見つめている。


 俺は彼の気を引こうと、大きく身振りを交えながら話した。


「君と同じように、俺もこの日を何度も繰り返している。俺たちは同じ運命を背負った仲間なんだ!」


 だが、同時に興奮もあった。


 ようやく見つけたんだという気持ちがあふれてとまらない。


 俺は彼と一緒なら、この世界を抜け出せるだろうという希望を抱いていたのだ。


 しかし、そう思っているのは俺だけのようだ。


 クライの瞳に光はなかった。


「ジンさん、でしたか」

「ああ」

「無駄ですよ」


 クライは短く言葉を切った。


「あなたはわかりませんが、僕は死にます」


 青みがかった黒髪が風に揺れる。彼の声もまた、風に吹かれて消えてしまいそうだった。


「運命は変えられませんから」


 俺は反射的に口を開く。


「――そんなことはない!」


 俺は事実、リルネの運命を覆すことができた。だったら彼だって同じようにできるはずだ。


 恐らく俺自身、認めるわけにはいかなかったんだ。


 そんな気持ちを見透かしたかのように、クライは冷めた目で、声を荒らげたこちらを見る。


 切れ長の瞳は、凍てつくようだった。


「あなたがあがくのは勝手です。でも、僕にはもう無理だ」


 彼はおもむろに立ち上がると、俺に背を向けた。


 嘘だろう。


 まさかこんなに早く決裂しそうになるなんて。


 彼もまた、俺と会ったことで少しは喜んでくれると思ったのに。


 俺は慌てて彼の手首を掴む。


 ここで彼を行かせてしまったら、もう二度と会うことはできない気がした。


「待ってくれ、クライ!」

「……力づくで僕をとめますか?」


 無感情のまま告げられたクライの言葉に、俺は首を振った。


「違う。そうじゃない。俺はお前のことも救いたいと思っていて!」

「――だったら来るのが遅すぎませんか」


 振り返るクライは、その目でハッキリと俺を糾弾していた。


 俺の背筋が冷える。


 彼の心は虚無だった。


「僕がどんな思いで、何度繰り返して、何度挑んで、何度殺されたか、あなたにはわからないでしょうね。それを今さらやってきて、救いたいだって? あなたはいったいなにを言っているんだ」


 クライが俺の胸ぐらを掴み、淀んだ瞳を見開く。


「この世界に閉じ込められたばかりの半人前が、偉そうにしないでくれ。あなたはまだ、本当の絶望を知らないだろう」


 俺より十センチは背の低い少年が、刃物を刺し込むように囁いてくる。


 クライがいったいどんな地獄を見たのか、俺にはわからない。


 それこそ心が壊れて、人格すらも歪んでしまうような。


 俺なんかには決して耐えられないものだったのかもしれない。


 そんな地獄にたったひとりで、あがいて、あがいて、あがいて、あがいて、あがいて、あがいて、あがいて、その結果にダメだったから、ただひとり死んだような目をして踏みにじられる花を眺めていたのだ。


 わかった。確かに俺は彼に甘えていたのだろう。


 ようやくわかった。俺には覚悟が足りなかったのだと。


 俺は息を吸って、はく。


「……ウォードは言ったよ。仲間には信頼が必要だってさ」

「彼の口癖だ」

「そういえばあいつとレニィがお前を探していたな」

「お祭りの準備だよ。パレードは第三区までしかいかないだろう。だから明日、僕たちもお祭りをやろうってウォードが言い出してさ」


 クライはまるで遠い星の物語のように、淡々と語る。


「その日のためにけっこう準備したんだけど、それもこれもはすべて無駄だったよ」

「無駄にはさせないさ、クライ」


 腰に提げた剣を外して、俺はクライに突きつける。


 リルネを救うために、皆を救うために。


 そして何よりも――俺の目の前で、今にも泣きそうな顔をしているこいつのために。


「お前が俺を憎む気持ちもわかる。逆の立場なら俺だってそうするかもしれない。だから俺は、俺の覚悟を見せるよ」

「……覚悟だって?」

「ああ。俺にだって守りたいやつがいる。救いたいやつがいるんだ。そのために俺はここにいる。俺が、諦めるわけにはいかないんだ」


 そうだよ、ここからは俺の番だ。


《テスケーラの街にて、クライを時の迷宮から救い出せ》


 それが俺に与えられた役目だからな。


 そのためになにをすればいいか、今ははっきりとわかる。


 俺が差し出した迅剣ヴァルゴニスをクライは受け取った。


 訝しげに、俺を見上げる。


「僕は剣は使えない。扱えるのは短剣だけだ」

「力いっぱい突き刺すぐらいはできるだろ」


 俺は自分の左胸を叩く。


「心臓はここだ。できれば一息に頼みたいところだが」

「……なにを?」

「文字通り、命を捧げてやるよ」


 そこで初めてクライが息を呑んだ。


「なんで僕がそんなことを」

「俺のことが憎いんだろう」

「……ああ、殺してやりたいほどに。だからといったって……」


 クライは俺と渡された剣を交互に見比べている。


 俺は胸を張る。


 臆したり、怯んだりはしない。ただクライの目を見返し続けた。


「俺はどうしてもお前とこの時間を脱出しなきゃいけないんだ。そのためにできることだったらなんだってするさ」

「異常だ」

「今さら俺たちが正常だと思っているわけじゃないだろ」


 クライは剣をゆっくりと抜いてゆく。


 白刃が陽の光を浴びて鋭利に輝いた。


 剣の切っ先をクライは俺に向けてきた。


 その目の光は揺れている。


「……こんなことをしたって、なんにもならない」

「お前の気が晴れればそれでいい」

「おじさんは死ぬのがこわくないのか?」


 誰がおじさんだよ。


 俺はまだ25だよ。つっても、クライから見ればオッサンか。


 ま、でも、だから子どもに格好悪いところは見せられないんだよな。


 俺はあくまでも逃げも隠れもせず、両手を広げた。


「こわいさ、こわいに決まってんだろ。痛いし、もういやだよ。どこにいたって思い出すような悪夢さ」


 でもさ、と続ける。


「それよりもっともっとこわいのは、大切な人が俺の目の前でなすすべもなく死んでゆくことだよ。それに比べたら痛みなんて大したもんじゃねえ。死ぬほど痛いけど、我慢できる。大丈夫だよ、俺は男の子だからな」

「……僕だって、そうだった」


 クライは歯を食いしばりながら、剣の先端を俺の胸に近づけてゆく。


 剣をもつ手は震えていた。


 切っ先が刺さる。痛みに俺は顔を歪めた。


 人々の喧騒が遠くに聞こえる中、クライの口から言葉がこぼれた。


「自分が死ぬよりも、もっともっとつらかった。助けようと思って何度だってやり直したけど、でもダメだった。馬鹿だったのは僕だ。本当はすべて決まっていて、僕はその運命の道をなぞっていたにすぎない。無駄だったんだよ、あちこち駆け回って、思いつく手を全部試してみても! 僕にはできない! ひとりじゃなにもうまくいかないんだ! だから――!」


 その手から剣が落ちて、カランと地面を転がる。


 俺はそんなクライを引き寄せて、抱きしめた。


「……ごめんな、来るのが遅くて。本当に、すまない」

「っ」


 クライは声を押し殺しながら。


 そのまま、少しばかり泣いた。


 俺は彼の絶望を少しは受け止めてやることができたのだろうか。




 しばらく経って、落ち着いた彼は俺の隣でわずかに恥ずかしそうな顔をしていた。


「……さっきのは少し気が緩んだだけだ。勘違いしないでくれ、まだあなたを信用したわけじゃない。この鬨の迷宮を脱出するために利用できるかもと思っただけだ」

「ま、それでもいいさ」


 俺は腰に剣を差し直しながら、肩を竦めた。


 クライは不機嫌そうに顔を歪める。


「あなたのように訳知り顔で近寄ってくる大人のことは、嫌いだ」

「刺すか?」

「それはすべてが終わってからにさせてもらおう」


 だったら俺そのまま死ぬんじゃ……。


 懐かない猫のようなこの顔が、クライの本当の顔なのだろうか。だとしたらまあ憎たらしいが、きっと仲良くできるだろう。


 クライはそっぽを向いたまま話を変える。


「で、どこまで知っているんだい」

「ああ、そうだな」


 俺はこれまでのことを語り出した。


 何度繰り返しても聖女の騎士グロリアスが追いかけてきて、自分たちを殺しに来るのだと。


「ふむ」


 クライは顎に手を当てる。


「そうか、グロリアス。僕たち第四区の住人だけでは飽き足らず、旅人までもその手にかけているのか」

「旅人……?」


 あっ、そうか。


 あいつ、もしかして俺たちが入国した際に記帳した名前を見て、俺たちを探しにきていたのか。


 だとしたらその帳簿を回収すれば……、いや、無理だ。俺じゃあ門の中までいけない。途中で戻されちまう。


 むしろそれよりもだ。


「なんであいつは見境なく人を殺しているんだ。あいつの身になにがあったんだ


 俺が問いかけると、クライはそのことをどうやら知っているようだった。


 彼は沈鬱そうな表情を隠そうともせず、腰に手を当てながら唇を噛みしめた。


「この日、テスケーラにはひとつの大きな事件が起きた。そのせいで街は大混乱に陥ったんだ」

「その事件って……」


 クライは言った。


「……聖女が殺された」

「――!?」


 そうか、なるほど。


 聖女が死んだのならば、彼女を守護する役目のグロリアスはなんとしてでもその犯人を見つけ出すだろう。


 そして復讐を遂げ、その血で罪を贖おうとするはずだ。


 第四区が襲われたのも、犯人の手がかりがあったからだったのか。


 グロリアスは針猫団の団長ウォードと、その副団長クライを捜していた。彼らがきっとなにかを知っていると思っているのだ。


 その後にアテが外れたから、今度は旅人たちを襲ったっていうわけか。


 決して許されないような暴走だが、それは逆に考えれば聖女を殺した犯人さえわかれば、この惨劇を止められる可能性があるってことじゃないか。


 俺の胸に俄然、希望がわいてきた。


「だったらどうにかして、誰が聖女を殺そうとしているのか、それを調べてゆけば……!」


 両手の拳を握る俺と正反対に、クライは目を伏せている。


 まるで少女のように美しい彼の横顔は、物事がそう単純ではないと告げているようだった。


「……なんだ、他にもなにを知っているんだ?」

「もちろん僕もそう考えたよ。誰が聖女を……、ティリスを殺そうとしているのか。そのために駆けずり回っていたといっても過言ではない」


 クライはまるで結論を先延ばしにしているような喋り方だった。


 自ら認めたくないとでも言うように。


「どうしてもティリスのいるテスケーラ聖堂塔に侵入する必要があった。狭い下水道をさかのぼるために、腕を斬り落としたことだってあった。あのとき手伝ってくれたウォードには、悪いことをしたな」


 テスケーラ聖堂塔はこの街の中心にある巨大な建物だ。


 塔というよりはどちらかというと大聖堂といったイメージのほうが近いかもしれない。まるで城のように大きくて、有事の際は実際に要塞として使われていたらしい。


 そのとき俺はクライの顔を見て、さらに恐ろしい可能性に気づいた。


「クライ、お前……、まさか、誰が聖女を殺したか、……知っているのか?」

「知っているよ。僕はその現場をこの目で見たんだ。ティリスが一刀のもとに斬り捨てられる光景を」


 クライは顔を手で覆った。その指の隙間から俺を覗く目は、地面を映す。だが彼が本当に見ているものは、その瞬間の光景なのだろう。


「ティリスを殺したのは――、グロリアスだった」

「――」


 それはさらなる地獄へと落ちる前触れのような言葉だった。




 俺は一度、リルネたちのところへと戻った。


「どこいってたのよ!」と目を吊り上げる彼女に、俺はクライを紹介する。


「実は彼が雑踏で困っていたから、その助けをしていたんだ」

「はあ!? まったく……アンタってやつはどこでもそうなんだから、せめて一言いってからどっかいきなさいよね!」

「ああ、悪い悪い。気をつけるよ」


 クライは理解できないという顔だ。


「あなたはいつもこんなことばかりしているのか?」

「婆ちゃんから、人の助けになりなさいって教えられてな」

「……頭がどこかおかしいんじゃないか?」

「よく言われる」


 俺は苦虫を噛み潰す。実際によく言われるのだから、俺ってやつは救いようがない。


 一方、スターシアの様子が少しおかしかった。


 彼女はクライを見るなり、眼帯をしている目を手で押さえた。少し痛みを感じているような声でつぶやく。


「あの、ジンさま、こちらの方は……」


 スターシアはなにかに気づいているようだ。


 もしかしたら彼女には、リルネやクライのような《エンディングトリガー》にかかわる人物を察知する力があるのかもしれない。


 だが、俺はいつものようにごまかす。なにも気づいていないフリで笑った。


「ああ、さっきそこで知り合ったんだ」

「……そう、ですか」


 スターシアは言葉を飲み込んだ。それでいいんだ。彼女が危険に飛び込む必要はない。


「それでさ、俺はこれから少しクライの手伝いをしなきゃいけないんだ。代わりに宿を教えてもらったから、お前たちは先にそっちへ向かっていてくれよ」

「はあ? ……大丈夫なの?」


 リルネはあからさまな不信感を抱いているようだ。


 無理もない。クレイの身なりは第四区から出てきた姿そのまんまだ。失礼な言い方をすれば、小汚いものだった。


 俺は笑顔で両手を広げる。


「まあまあ、感じが悪かったら引き返せばいいだろう。あ、泊まるときにはクライの名前を出せばちょっとおトクな感じになるはずだぞ。それとこれ、俺の荷物も頼むな」

「あ、ちょっと、アンタねえ!?」


 俺は背負っていたリュックをリルネに押しつける。


「じゃあ俺たちもういくから! じゃあなー!」

「なんなのよもう! 勝手なことばかり!」


 クライの手を引っ張って、俺は慌ててリルネたちから離れてゆく。


 しばらく走ったところでクライが眉根を寄せていた。


「たぶんだけど、彼女には僕が紹介した宿は合わないと思うよ」

「大丈夫だ。あれはあれでリルネは真面目だからな。きっと待っていてくれるさ」

「グロリアスが踏み込んでこないとも限らない」

「どこにいたって襲われるんだ。だったらお前のことを信じてみるよ」


 クライは嫌そうな顔をした。


「そんなに簡単に信じるだなんて言わないでくれ。あなたの言葉に重みがなくなる」

「んなもん気にして生きているわけじゃねえからなあ」


 俺が歩く後ろをクライがついてくる。


「それにしても、いったいどこに行くんだ。僕の話を聞いて『考えがある』と言っていたけれど」

「俺の好きな言葉を教えてやろうか? 人事を尽くして天命を待つ、っていうんだよ」

「……聞いたことがない。僕は学がないんだ」

「だったら教えとくよ。やるだけやったら、あとは運命に身を委ねるって言葉だ」

「なんだか無責任だね」

「そうでもないさ。このやるだけやるっていうのが大事でさ」


 俺は通りの向こうに建つ巨大な聖堂塔を親指で指し、クライを振り返りながら笑った。


「だから、――まずはグロリアスに会いにいこうぜ。なんで聖女を殺そうとしているのか、問いただしてみようじゃないか」


 そのときのクライの顔は、俺が初めてみる呆気にとられた少年そのものの顔だった。

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