第15話 「死の報酬」
第三区の商人に変装した俺とクライは検問を抜ける。許可証があるからか、まったく疑われることはなかった。第一区の中にさえ入ってしまえば、あとは祭りの活気にあふれた町に紛れることは容易だ。
ちなみに服装を整えたクライは見違えるような美少年になっていた。彫りの深い顔立ちに、わずかに青みがかった髪が高貴な美貌を引き出している。
こいつのそばにいると、まるで俺がお付きみたいだ。
そういえばリルネのときもそうだったな……。俺はもはや、そういう運命を背負っているのかもしれない。
「坊ちゃま、さあ参りましょう」
「……? 何の真似?」
「まあ気にするな」
俺は腰を折って、さささとクライを先導する。クライは首を傾げながら俺についてきた。
少し歩いて、俺たちは目的地に到着した。聖堂塔の周りはさすがに人だかりが多い。初詣のようだ。
そのほとんどは観光目的でやってきた人たちなんだろう。聖堂をお参りするとなんらかのご利益があるのかもな。
俺は日本人的な考えをしながら辺りを見回す。
塔の周りには槍をもった見張りの兵士が何人も立ち並んでいる。
「ずいぶんと警護が厳重だな」
「そりゃあ聖女さまがいらっしゃるテスケーラの中枢だからね。むしろ表の見えているところにいる兵士は少なすぎるぐらいだよ」
そうか、中にはもっとたくさんの兵士や騎士がいるわけか。
人の列に並んでいると、クライが声をひそめて俺に説明をしてくれた。
「聖堂塔は全部で五階構造になっている」
見物客が入れるのは一階のみ。そこには初代聖女の像があり、さらには代々の聖女の肖像画が飾られているんだとか。
それを一目見るためにこの人だかりか。すごいな。
二階に騎士団の詰所があり、三階は聖女の身の回りの世話をするものたちの部屋。四階が聖女の儀式を取り扱う部屋になっていて、そして五階が聖女のプライベートルームなんだという。
つまりグロリアスは二階にいるわけか。
俺は塔を見上げながら、ぼんやりとつぶやく。
「聖女ってここでなにをしているんだろうな」
「退屈を潰しているんだろう」
クライは吐き捨てるように言った。
いや、そういう曖昧なことを聞きたいわけではなくてな……。
まあいいか。
「で、どうやってグロリアスに会いにいくつもり?」
「正面から堂々と訪ねていくんじゃだめだろうか」
俺の言葉にクライは「どうせそんなことだろうと思った」とつぶやく。まあ、俺は聖堂塔に来るのは一回目だしな……。
クライは顎に手を当てる。
「手段はいくつかある。けれど、この時間のグロリアスが聖堂塔のどこでなにをしているかは、実は僕もよくわかっていない。だから、ある程度は賭けになってしまうよ」
「そうか、ま、しょうがねえな」
俺はぽりぽりと頭をかく。クライはそんな俺を見て眉根を寄せた。
「何度も戻れるからといっても、そんな風に命を粗末にするような行ないは嫌いだ」
「いやいや、誰もンなこと思ってねえって」
俺は手をパタパタと振って否定する。
「俺だって痛いのは嫌だし、もう死にたくなんてねえよ。だけど、動き出さなかったら確率はゼロだろ。やってみなくちゃわかんないことは、やってみないとわかんねえんだよ」
クライは俺を見上げたまま、さらに顔をしかめた。
「……そんなつもりで言ったようには聞こえなかったから」
それはたぶん自分でも言い訳がましい言葉に聞こえたのだろう。きまり悪そうに目を逸らす。
俺はニッと笑って、クライの肩を叩いた。
「オッサンはいちいちシリアスになりすぎねえもんなんだよ。無駄に疲れるだろ? ほら、クライも肩の力抜けって」
「そういう人生の先駆者を気取って自慢げに助言をするような人は、嫌いだ」
「あ、そ……」
めっちゃツンケンしてんじゃん……。
ともあれ、クライはなにか算段を立てたようだ。
「ま、たとえ失敗したとしても、オッサンと一緒なら僕ひとりが落ち込むことにはならなさそうだ」
「んだよそれ」
俺が笑うと、つられてクライもわずかな微笑を覗かせた。それは俺が初めて見るくらいの笑顔だった。
剣や短剣は入り口で没収された。まあ当たり前だな。
その後、俺たちは迷い込んだフリをして、二階への階段をあがっていた。
この時間の見回りのルートはクライがすべては愛くしていたようで、驚くほどにすんなりと二階へつくことができた。
「問題はここからだ」
石造りの階段を上ったクライは物陰に隠れながら、辺りを窺う。
細長い廊下が左右に伸びてゆき、細い窓からは陽の光が差し込んでくる。
二階は騎士団の詰所があるフロアだ。ここで俺たちが騎士と出くわさずにグロリアスを探し出せる可能性は低い。だったらせめて、アタリをつけてから向かわなければならない。
確率が一番高いのは、グロリアスのいる団長室。パレードに出たあとでたまった仕事を片付けているのではないかという。
聖女の騎士とはいえ、四六時中聖女と一緒にいるわけじゃないらしいのは、俺たちにとってありがたい話だ。五階にまでいかなくても済むからな。
次に二階にある稽古場で剣を振っている可能性。あるいは詰所で他の騎士の指導にあたっている可能性。最悪なのはやはり、予定があって聖女のもとへと行った可能性か。
だったらセオリー通りに、上から潰していこうか。
「クライ、案内を頼む」
「あいよ」
俺たちは身を屈めながら二階を歩く。
クライは一切足音をさせない歩き方だ。それに比べて俺はどうしてもわずかな音が響いてしまう。せめてあいつの足手まといにはならないようにしなければ。
しかしあちこちのドアから騎士が出てきたら、一発でアウトじゃないかこれ。心臓がドキドキする。
まさか一撃で斬り伏せられるとは思わないが、目的の達成が遠ざかってしまう。
俺は無事を祈りながらクライのあとをついてゆく。
「ダメだ」
刃物のような鋭い声を発して、クライが立ち止まった。
「曲がり角から誰かが来る。このままじゃ鉢合わせだ」
「マジかよ」
辺りには隠れられるような場所はない。こういう場合は手近なドアの中に身を潜めるのがセオリーなんだが……。
くそ、どこもカギがかかっている。
「仕方ない」
クライはしゃがんで靴底に手を当てる。すると手のひらの中には、小さなナイフが収まっていた。
「お前、それ」
「こんなときのためにだよ。オジサンが注意を引きつけていてくれ、僕がやる」
「いや、待ってくれ!」
時間はないが、俺は小声でクライに怒鳴る。
「できれば殺したくはない。グロリアスと話をする前から騎士団と敵対したくはないんだ」
「だったらどうするつもりなんだよ! もうそこまで来ているんだぞ!」
「……俺に、任せてくれ」
俺は拳を握って、彼にそう言い聞かせる。
「なんとか、解決してみせるから」
「……」
クライは舌打ちをしてナイフを懐にしまう。
いったいどうすればいいのかは俺自身にもわかっていない。
だが、誰かに殺されたからといって、罪のない人を殺して目的を達成しようというのは、なにかが違うんじゃないだろうか。
クライにうまく説明することはできなかったのが心残りだが、やるしかない。結果で彼を納得させなければ。
俺は息を吸い込んで、「ええっと」とひとりごとをあげながら曲がり角を曲がった。
するとそこには、騎士と思われるふたりの男がいた。ひとりは髭面でゴツく、もうひとりは一流企業の社員のようにスマートな顔をしている。
「おいお前、なにやってんだここで」
「んん? 下の観光客か?」
言葉が出なかった。
目の前が赤く染まり、記憶が刺激される。こいつらは――。
泣きじゃくるリルネの姿が思い出された。そうだ、こいつらは俺を檻に閉じ込めて、リルネを拷問していたふたりじゃないか――。
なんでこんなところで鉢合わせなきゃいけないんだ。俺は己の不運を呪う。
固く握った拳が、皮を貫く。怒りが、衝動が弾け飛びそうだ。
だめだ、こらえないと。
内側から『復讐せよ』という声が響く。
リルネの無念を晴らすのだ、と。
黒き欲望は俺の胸を焦がす。
「よ、よお!」
俺は笑顔で手を挙げた。
「ジャッカス! バリトン! お前らここで働いていたんだな!」
あいつらは顔を見合わせた。今ならどうだ。一撃は入れられるんじゃないのか。相手は戦闘訓練を受けた騎士とはいえ、不意を突けばひとりぐらいは。
いいのか、リルネのあの泣き顔をなかったことにしてもいいのか? 俺の中のなにかが俺を責める。
「誰だ? お前の知り合いか?」
「いやあ……、そういえばバーで隣に座っていたのが、こんな顔だった気が……」
あやふやな記憶をたぐり寄せる男の前、俺はバカのような愛想笑いを浮かべていた。
殺意は十分に隠せている。これだったらあいつらは無防備に俺の間合いに踏み込んでくるはずだ。
体が熱い。なにも知らない顔でこちらに近寄ってくるこいつらが憎い。お前たちのせいで、俺たちは――。
俺は思いきり唇を噛み締めた。端が切れて血がにじむ。その痛みが、俺に理性を与えてくれる。
――、そうだ、ダメだ。
違う。なかったことにしてもいいのか? じゃない。
なかったことにしなければならないんだ。そうだ、あんなことは起こらなかったんだよ。
俺は顔をあげた。
「いや、実はさ、俺は」
あ。
声をあげたその直後、騎士たちの後ろにいつのまにか立っていたクライが、動いた。
ひとりの男の口元になにかガーゼのようなものを当てる。すると男はたちどころに意識を失った。もうひとりの男が振り向いた頃には遅い。さらにその口元にガーゼを当てる。これでふたりはいともたやすく無力化された。
「お、お前っ」
俺がなんとかするって言ったのに……。
まあ、殺さずにいてくれただけ、マシか。
「オジサンの様子がおかしかったからだよ」
こともなくクライは言う。
俺はというと、ふたりの騎士がその場に崩れ落ちる寸前に彼らを支えていた。あの勢いで倒れて頭でも打ってしまったら、どこか怪我してしまうだろうから。
先ほどまで憎んでいたはずのふたりに、なぜそんな気遣いをしてしまったのかはわからない。だが、考える暇もなく俺は動いてしまったのだ。
クライはそんな俺を見て、怪訝な顔をした。
「……あなたも、この人たちにひどいことをされたんじゃないのか」
「え?」
そうか。
度重なる繰り返しの果てに、クライが一度も拷問を受けなかったっていうのは、考えにくいのか。
だとしたらクライも、こいつらに……。
「騎士たちは口では別け隔てなく人たちを守ると言っておきながら、第四区の人間がどうなろうと知ったことじゃないんだよ。こんなやつらを殺すことに、躊躇する必要はないだろ」
そこでクライは懐からナイフを取り出した。薬で昏倒した彼らにトドメを刺すつもりか。
俺はクライの手首を掴む。
「……やめよう、クライ」
「なんでだよ」
俺は背中にびっしょりと汗をかいていた。
こちらを睨むクライに、腹の中に抱えた憎しみを認めながらつぶやく。
「今はまだ、彼らは俺たちになにもしていない……。それがすべてじゃないか」
「……」
クライは立ち上がる。
彼はナイフを靴底にはめ直すと、ふたつ隣のドアを指さした。
「こいつらはあそこから出てきた。中から物音はしないから、そこに隠しておこう」
俺は自分の主義にクライも付きあわせてしまっただろうか。
「悪いな、クライ」
「……いや」
少年は首を振った。
「あなたの言うとおりだよ」
さらに歩くと、グロリアスの団長室の前に辿り着いた。
中の構造に詳しいクライがいなければ、絶対に途中で捕まっていただろうな……。
俺は深呼吸をしてドアをノックする。
クライは嫌そうな顔をしていたが、何事にも手順は必要だ。
「入れ」
中から岩をこすりあわせたような声がした。
いた。
それは幸運のはずなのに、俺はここから今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られる。
まるで自分自身の恐怖と向き合う時間だな。俺は何度も斬り殺されたことを思い出しながら、ゆっくりとドアを開いた。
中央には大きな机がひとつ。その奥に腰掛けて書類の山に埋もれながら、巨体の怪物はこちらを見やる。
白髪の混じった髪を後ろに流し、顔に刻みつけられたシワはその厳しい半生を象徴しているがごとく深い。開いた目から放たれる眼光はなにもかもを白日のもとにさらすかのようだ。
聖女の騎士グロリアス。お互いに剣をもっていない状態で対峙をするのは、初めてだ。
さて……、ここからが本番だ。
俺とクライは中に入って、後ろ手にドアを締めた。
「……なんだ?」
グロリアスに警戒する様子はない。当然だ。こいつぐらいの強さなら、相手が誰であろうが余裕綽々で構えていられるだろう。
ここから先はさらに慎重にやらなければならない。まったく、緊張が続くぜ。
俺は宿で待ってくれているであろうリルネやスターシアの顔を思い浮かべながら、勇気を胸に口を開く。
「俺の名前はジン。折り入ってあんたに話があるんだ」
クライは黙っていて、グロリアスは俺を値踏みするように見つめている。
恐ろしい。喉が渇く。だが、これが前へ進むための手がかりになるかもしれないのなら――。
「きょう、聖女さまが危険な目に遭うかもしれない。俺たちはそれを伝えに来たんだ」
グロリアスが目を細める。
「我ら騎士団の仕事を侮りに来たのか?」
それだけで魂を握り締められたような気持ちになった。
「ち、違う、そうじゃない」
これじゃあウォードのときと同じ、二の舞だ。同じ轍を踏むわけにはいかない。
本当にグロリアスが聖女を殺すのか。そうだとしたらその動機はなんなのか。今は少しでも多くの情報を集めなければならないんだ。
やっとここまでこれた。これは千載一遇のチャンスなんだから。
「グロリアス、俺たちはあんたに聞きたいことがあって――」
「――なぜティリスを殺す」
底冷えのするような声は、俺の隣の少年が発したものだった。
クライ。ここまで大人しくしていてくれたと思ったら。
「あんたがどうしてティリスを殺すんだ。あんたはずっと守るって言ったじゃないか。だから僕たちは、あんたにティリスを」
彼は悔しさと憤り、そして悲しみを背負ったような瞳でグロリアスに迫る。俺はそれを止められなかった。
グロリアスはクライを見て、わずかに眉をあげた。それは明らかな驚きの感情を示していた。
「……まさか、クライか? なぜここに。いや、それよりも、どうして私がそんなことを」
「しらばっくれても無駄だよ。僕はハッキリと見たんだ。あんたがティリスを斬り殺すその光景を」
なんだ……? このふたり、知り合いなのか?
ティリスって聖女のことだよな? いったいなにをいっているんだ、クライは。
だがそれよりも俺が気になったのは、多弁なグロリアスの態度だ。
「待て、クライ。私は我が宿命のために生きている。この剣に誓い、ティリスさまに危害を加えるはずがない」
「だったらどうしてあんなことをしたんだよ!」
これまでに出会ったグロリアスとはまるで違う。今までずっと敵対していたからだろうか。いや、きっと違う。まだなにかこの事件には仕掛けがある。
俺は衝動に駆られて、『鑑定』の力をグロリアスに使った。
すると、以前とは違った反応が示された。
名 前:グロリアス=ミョルニラン
種 族:人族
性 別:男
年 齢:53
職 業:ナイト
レベル:???
称 号:???
スキル:???
固 有:???
その多くは伏せられている。俺のレベルが足りないからだろうか。
だがそれよりも、『鑑定』がグロリアスに効いたというのがなによりも大きい。
聖女が殺される前と後。そのふたつでグロリアスのなにが違うのか。
それは――。
俺の思考とクライの怒りに水を差すようなタイミングで、ドアがノックされた
「団長、お話が」
返事の間もなくドアが開く。
そこに立っていたのは、先ほど昏倒させたばかりの男。髭面のほうだ。彼は部屋の中を見回すと、俺に目をつけた。
「お前か」
感情のない目が俺を捉える。
――瞬間、俺は直感した。
髭面の男はためらわずに剣を抜くと、俺に向かって振り上げてきた。
「ジャッカス、待て!」
「オッサン!」
グロリアスとクライが同時に叫ぶ。
俺はその瞬間、避けるための一手を犠牲にして、彼に言葉を放った。
「――ジャッジ!」
剣が振り下ろされて、俺の体が斜めに斬り裂かれる。
痛い、なんて痛みだ。
胃の中のものをすべて口から逆流させながら、俺はその場に崩れ落ちてゆく。足に力が入らず、目に入るものは天井を照らすランタンの光だけだ。
命が少しずつ失われてゆく。血が流れ落ちて床を濡らす。クライやグロリアスの怒鳴り声がする。
そんな中、俺は笑っていた。
視界に『鑑定』の結果のウィンドウは表示されなかったから。
やはり、そういうことだったのか。
スターシアの見た黒衣の化け物は、間違いではなかったんだ。
痛い。
でも、よかった。
これで、次こそは――。
必ず、お前にこの拳を、届かせてやるからな――。
――こうして、俺の意識は、五度目の闇に堕ちていった。