第6話 「イルバナ領を越えて」
次に向かうのは、南の町ラカンジアだ。
そこと、あと何個かの町を越えれば、イルバナ領を抜けるのだと言う。
街道の端を歩く俺たちの横を、すごい勢いで馬車が駆け抜けていった。
夕日も沈みそうだってのに、危ないこって。
俺はスターシアの手を引く。今のはずいぶんと近かったな。
「大丈夫か、スターシア」
「は、はい。シアは無事です。ありがとうございます」
亜麻色の髪を押さえたスターシアは丁寧に頭を下げた。
しかし、暴走馬車を見かけるのは、これでもう何台目だろうか。
「さすがに、もうずいぶんと騒ぎになっちまっているな」
「そうね」
リルネはうなずいた。
テトリニの街、壊滅の報は今、イルバナ領内を駆け巡っている最中なのだろう。
街の人が石化したのは、つい昨晩のことだ。
「領兵が派遣されて、町中を探索するか、あるいはその前にヴァルゴニス家を訪ねて、そうしてあたしと父様の残した手紙を発見する。まあそれを信じてくれるかどうかはわからないけど」
「難しいところだよな」
実際、リルネや俺がテトリニにとどまって事情を説明したところで、説得力にはあまり変わりがない。
下手をすれば、重要参考人として捕えられ、そのままいつまでも拘束されかねないだろう。
「少なくとも、あの化け物を倒す手段を持ったジンが捕まったら、意味がないわ。だからあたしたちは独自に動くしかないの」
「だったらなんかこう、いい感じに取り計らってくれるような、領のお偉いさんにコネとかないのか?」
リルネは目を逸らした。
「ないわ。……人付き合い、苦手だったから」
「ああ、そうか。そうだよな」
「あんた今、『うわ、こいつ二度目の人生なのに全然うまくやってねえなあ』って思ったでしょう」
「思ってねえよ」
「少しは思ったでしょ」
「思ってねえってば。しつこいぞ」
俺が見やれば、リルネは俯いていた。
「あたしは思ったけどね」
「え?」
リルネは両手で
「なんでもっと真剣に生きてこなかったんだろうって、反省しっぱなしよ。あたしさえうまくやれたら、みんなを救えたかもしれないのに」
俺は頬をかく。
それは、たられば論だ。意味はない。
ま、そんなことはリルネだってわかっているんだろう。
慰めたところで仕方ないな。
「よし、じゃあ三度目の人生はちゃんとがんばれよ」
「今回がんばるわよ!」
そんな俺とリルネの会話を、スターシアは楽しそうに聞いていた。意味不明だろうに……、すまんな。
街道には旅人を泊める宿(宿場町みたいなもんか?)もたくさんあるようだが、今夜は野宿をすることになった。
リルネ曰く、テトリニ方面から来た自分たちが宿に泊まって、面倒事に巻き込まれるのはごめんだから、ということらしい。
特に反対する理由もなく、俺とスターシアも野営の準備に取り掛かった。
街道から少し離れたところにある森の木陰に、テントを張る。
ホームセンターで買ってきた持ち運び型のテントだ。軽くて高いのを選んできたが、どうなるものか。
敷く前に大きな石は取っとかないとな。
組み立てはあっという間だった。さすがフロムジャパニーズ。
「これならわたしにもできそうです」
横から作業を見ていたスターシアがニコニコとうなずいていた。森の中で微笑むメイドって絵になるな。
俺は腰につけていた剣をテントの中に放り投げる。ふう、真剣ってけっこう重いよな。これで身が軽くなったぜ。
「よし、じゃあ野宿だ!」
「なんでちょっとテンションあがってんのよあんた」
「こういうキャンプとか地味に憧れていたんだ」
「よかったわね、これからはいくらでもできるわよ」
「嬉しいなあ……」
テントの中に寝袋を三つ敷く。川の字だ。
それほど広くないテントだから、寝袋は密着してしまう。
男1に対し、女2か。
テントの中には、若い女子特有の柑橘類のような匂いが立ち込める。
……ううむ、なんかこれまずい気がするな。テントもうひとつ買ってくればよかった。
寝袋をひとつ引っ張り出す。
「俺、外で寝るかな」
「森の朝なんて、朝露で体びっちょびちょになるわよ」
「シャワーの代わりになっていいじゃないか」
いそいそと外に出ようとする俺の腕を、スターシアが掴んだ。
真剣な目で、俺に訴えかけてくる。
「ダメです、ジンさま。ジンさまをひとりお外に出すわけにはいきません」
「え? いや、でも女性は女性で固まっていたほうがいいと思うんだ」
「いいえ、ジンさまが出るぐらいならわたしがひとりでお外で寝ます。リルネさまとジンさまは中で休んでください」
しまった、スターシアのいいところが出てしまったよ。
忠誠心に厚くて、なんていい子なんだ。
「いやいや、さすがにスターシアひとりにさせるわけにはいかないよ」
「ですが……」
「だったら俺がスターシアとふたりで外で寝るよ」
「不毛だわ」
リルネが突っ込んでくる。
うん、そうだな……。
「とりあえずこれからのことはあとで考えるとして、きょうは三人で寝ましょ。昨夜だってあたしたちろくに眠れてないんだから、つべこべ言わず体力回復に努めるべきだわ」
リルネお嬢様の鶴の一声になって、そういうことになった。
「見張りとかはいらないのか?」
「大丈夫よ、もしもなにかがやってきたら、あたしの精霊が起こしてくれるわ」
「便利だな、それ」
「でしょ」
そんなことを言い合いながら、俺たちは並んだ寝袋に横になった。
俺が左の端っこ、スターシアが真ん中、リルネが右端だ。
「それじゃあおやすみー」
「おやすみー」
「おやすみなさいませ」
目を閉じる。
だが。
「眠れないわ!」
「やばい、これ眠れそうにないな!」
俺とリルネは飛び起きた。
遅れて身を起こしたスターシアは「?」という顔をしている。
「なんか森の中のあちこちから音がして、気が昂るっていうか! あと土とかなにこれ、すごい固いじゃないの! 木の根があちこちに当たるのよ! 意外と凸凹だし! 平らじゃないし!」
「つか、俺たちやっぱり現代っ子なんだな……。野宿ひとつまともにできないとは……」
リルネはがじがじと髪をかきむしる。
それから立ち上がった。
「ちょっとジン! テント持ってて!」
「お? おう」
俺たちはテントを出る。
テントの固定を外し、荷物を外によけて、スターシアとふたりで持ち上げていると。
リルネは魔法を詠唱していた。
「いいわ、土魔法でこの辺りの土をぐずぐずにして、と……」
「お、なんか粘土みたいになっていくな」
リルネは何度も魔法を調整しながら、テントの下の地面を柔らかくしていった。
「よし。これで土の固さはだいぶ解消されるはずだわ。あとは――、アシード!」
リルネが腕を払う。その指先から火の粉が飛び散った。
すると直後、中空には一匹の蜥蜴が出現していた。いつか見たあの精霊、サラマンダーだ。
アシードって名前があったんだな。
『何用だ』
相変わらず低くて渋くていい声だ。すごい威厳がある。
「周囲の炎属性の濃度を高めてちょうだい。自然発火が起こらない程度にね」
『承知した』
サラマンダーの体が紅く輝いてゆく。
次第に、辺りから物音が遠ざかっていった。
「なにをしたんだ? リルネ」
「場には属性というものがあるのよ。火水風土。場の支配属性を変更すれば、その属性に反する生き物は逃げてゆくわ。獣や虫は、たいてい火を嫌がるからね」
「たき火を焚くようなものか」
「……まあ、その程度の理解でいいならいいんだけど」
リルネはなぜかジト目で俺を見やる。
「ま、ありがとアシード。もう大丈夫よ」
『我が主よ』
「……な、なんですか?」
なんで敬語?
サラマンダーに名を呼ばれてちょっぴり後ずさりするリルネに、アシードは告げる。
『変わったな』
「へ?」
そう言ったきり、サラマンダーはみるみるうちに小さくなり、そうして線香花火が消えるように夜に溶けていなくなった。
火の残光がまぶたの裏に焼きついている。
「リルネ、お前変わったのか?」
「……さあ」
リルネは首をかしげて、それからハッと気づいたような顔で俺を睨みつけてきた。
「あんたのせいじゃないんだから! これはあたしが決めたことなんだからね!?」
「え、なんで俺怒られてんの」
納得がいかない俺の横で、スターシアがやっぱり楽しそうに微笑んでいた。
改めて、俺たちは川の字で横になった。
「おやすみ」
「おやすみー」
「おやすみなさいませ」
おお、これはけっこう快適だな。
テントの下にマットレスを敷いたような感じになっている。
周囲も静かだし、この調子ならちゃんと寝れそうだ。
目を開いてテントの天井を見上げる。
なんだか遠くに来た気がするな。
まだ野宿一泊目だってのに。
これから先、テトリニの街で石化した人を助け出したときにも、そう思うんだろうか。
すー、すー、とすぐ近くから寝息が聞こえてきた。
スターシアだ。寝つきがいいな。
「……って!」
しまった。俺は慌てて口を押える。
つい横を向いてしまった。
スターシアは体を横にして、つまり俺の方を向いて眠っていた。
耳にかかった長い髪が一房こぼれて、唇に垂れている。
寝るときにはさすがに眼帯を外していて、ふわりと立った長いまつげが風もないのに揺れていた。
まるで天使と見まごうかのような寝姿だ。かわいい。
いやそれよりもなによりも。メイド服を脱いで、薄手のワンピースで眠っている彼女の胸元が、腕に挟まれてぐんにょりと変形したその平均よりはるかに大きい胸の谷間が、この位置からでははっきりくっきりと見えてしまう。
やばい。
ここしばらくずっと忙しくてピピピしていなかったため、俺のピピピがやばい。
リルネの親父さんをもとに戻すという旅の最中ですら煩悩を消し去れないんだから、これだから男ってやつは……。
数日前のスターシアの言葉が脳裏に蘇る。
『ご主人様のために体を差し出すのは、女奴隷の仕事のひとつと聞いております。……ご迷惑でしたか?』
バカ、俺のバカ! なんで今そんなことを思い出すんだ!
頭の中をピンク色の妄想が犯してゆく。
リルネの誕生日を無事に迎えられたら、そのときは――、と話していた。
だったらきょうがそのときなのでは、と思わないでもない。俺が襲ってもスターシアはきっと受け入れてくれるだろう。それどころか、喜んでくれるような気さえした。このテントの下で俺たちはひとつになるのだ。
なに言ってんだ俺は! 隣にリルネが寝てるんだぞ!
俺が煩悶していると。
「……ア、アノ」
やけに緊張したような声がスターシアの奥から届く。リルネだ。
「……あ、あたしが外で寝る……?」
待ってくれ!
なんでそこだけそんなに空気が読めるんだお前は!
俺とスターシアが肉体関係アリで旅を続けるとか、お前だけすげー気まずくなっちまうだろうが!
「なあリルネ……」
「え!?」
リルネはやけに大きな声を出した。
スターシアが一瞬だけぴくりと震え、その後なにごともなかったかのように寝息を立てる。「えへへ……ジンさま……」と寝言をつぶやいていた。この魔女かわいい。
それはそうとして、スターシア越しにリルネの荒い息遣いが聞こえてくる。
「ちょ、ちょっと……、あ、あたし、そういうの困るんだけど……、い、いくら十五歳で成人になったから、って……、まだこころのじゅんびが……」
なにがそういうのなのかはわからないが、俺もテンパっているのを自覚しているので、深くは突っ込まない。
代わりに。
「……スターシアを気絶させたって方法で、俺も寝かしてくれないか?」
「は?」
割とマジな「は?」が返ってきた。
「いい朝だ」
俺はテントの外に出て伸びをした。
幻惑や混乱など、精神に効果を及ぼす魔法は風属性の分類らしい。
そのうちのひとつに、対象を眠らせる魔法があるという。
この睡眠魔法は俺に効果てきめんだった。
術者と対象の間に信頼関係がなければ成立しないというから、まあ催眠術みたいなもんだろうな。興奮している相手や、戦闘には使えないらしい。
スターシアを寝かせた手段は物理的なやつだったらしいし……。
まあ、それはいい。
俺は水筒の水で顔を洗っていた。スターシアはすでに起きていて、俺たちに朝食の準備をしてくれている。
「お、リルネ、水がなくなっちまったぞ」
「あたしは井戸じゃないんだから」
リルネが人差し指で水筒を指差すと、そこからは水があふれてきた。
「うお、すげえ便利だな」
「これも支配属性の要領よ。水筒の中を水属性で満たしたの。場の属性変化は魔法使いが一番最初に覚える技術だから」
「それって俺も使えるかな」
「え? うーん、どうなのかしら。落ち着いたらちょっと練習でもしてみる?」
「おお!」
憧れの魔法使い!
やばいな、俺も手から炎を出したり、両手から水をあふれさせたりできるようになるかもしれないのか。
ワクワクしてくるな。
「もしお前を超える魔法の才能があったらごめんな、リルネ」
「別に張り合っているわけじゃないから、いいけど」
にこやかに告げると、リルネは釈然としない顔をしていた。
「朝ごはんの準備が整いましたよ」
「おー」
「はーい」
スターシアはふたり分のパンに、燻製肉とチーズと菜を挟んだものを用意してくれていた。
「あれ、スターシアのご飯は?」
「わたしはあとでいただきます。お気遣いありがとうございます」
ニコニコと微笑むメイド姿のスターシア。
なるほど、そういうことか。
よっぽど奴隷としての教育が根づいてしまっているのだろう。
その気持ちはいじらしいが、俺は咳ばらいをした。
「わかった。次からはスターシアも自分の食事を用意しててくれよ。メニューは俺たちと同じものだ」
「え……? ですがそれは」
スターシアはちょっと困ったようにリルネを見やる。
リルネもうんうんとうなずいていた。
「あたしたちのあとにごはんにしたら二度手間でしょ? 一度で済んだほうが後片付けも楽じゃない。それにジンもあたしも、一緒に食べるほうが嬉しいわ」
「うむ」
俺たちが言い聞かせると、スターシアはしばらく戸惑っていたようだったが、やがて腰を折って頭を下げた。
「わかりました、次からはそうさせてもらいますね。ジンさま、リルネさま、ありがとうございます」
顔をあげたスターシアは笑顔だった。
輪になって食事を取っている最中、リルネが突然、俺を指差しながら立ち上がった。
「ちょ、ちょっと! あんたなにしてんの!?」
「いや、ちょっと塩気が足りないと思ったから、調味料を。ああいや、別にスターシアの料理がおいしくないわけじゃないんだ」
「てかなんなのよそれ! 明太子マヨネーズって書いてあるんだけど! ただのマヨネーズでも飽き足らず!?」
「スーパーで買ってきた」
「ちょ、ちょっとよこしなさいよ! かけなさいよあたしにも!」
「えー」
「えーじゃないわよ! 誰の出した水で顔洗ったと思ってんのよ!」
「しょうがないな、少しだけだぞ」
俺がチューブからピンク色のマヨネーズを垂らす。パンで受け止めたリルネは「わああ~~~……」と小さな子のような歓声をあげた。
「や、やばいわこれ……、明太子マヨネーズ……、すごいわ、明太子が宝石みたいに輝いているわ……」
「お、おう」
ぱくりと一口かじったリルネは、頬を押さえながら悶えた。
「すごい、すごいわ……! あたしがかつて生きていた世界では、こんなものが当たり前のように存在していただなんて……! めんたいマヨのありがたみも知らずに生きていたなんて! あたしってば、なんて罰当たりだったのかしら……! あたしもうめんたいマヨに足を向けて眠れないわ!」
「う、うん」
すごい、面白い。
あのリルネが、アホ丸出しみたいになってる。
本当はリルネを驚かせようといろんなものを持ってきたんだが、一度に見せるのはもったいないので、小出しにしていこう。
「あ、スターシアも食べてみるか?」
「で、では、いただきます」
おそるおそるパンを差し出してきたスターシアに明太子マヨネーズをかけてやる。
おいしいおいしいと鳴くリルネがうるさい中、スターシアは小さくパンにかじりつく。
それからびっくりしたように目を丸くした。
口元を手で押さえながら、スターシアは俺をじーっと見つめる。
その目の端に、わずかな涙が浮かんでいた!
「す、スターシア!?」
「な、なんふぁ……、ぴりり、ってしましゅ……」
あ、ああ。
この世界で生きてきたスターシアには、ちょっとカラかったんだな……。
「な、なんかすまんな……」
「ひえ、おいひいでしゅ」
瞳を潤ませながら健気に微笑むスターシア。かわいい。
そんな彼女を見て、昨夜の姿――その蠱惑的な胸の谷間を思い出してしまう。
「う……」
俺は思わず罪悪感から目を逸らした。
スターシアの姿がロングスカートのメイド服で本当によかった。もうちょっと露出が激しかったら、俺のピピピは大変なことになっていただろう……。
こうして、俺たちはこの日、ラカンジアの町に到着した。
テトリニの街より二回りほど小さなラカンジア。その町の郵便屋に手紙を託したあとは、少しの食料品と雑貨を買い込み、その日のうちに町を後にした。
少なくともイルバナ領内でリルネは、色々な意味で有名すぎるからな。
馬車を買うのも、領内を出たあとにするべきだろうというのが、俺たちの見解だった。
俺たちはすぐにこの判断が正しかったのだと知る。
なぜなら、すでに追っ手は放たれていたのだから――。