第二章 帰還勇者のリ・スクール(1)
九月二日、俺の五年ぶりのお勉強生活が始まった。
しかし女神アテナイの加護を受けている俺にとって、高校の授業はベリーイージーだ。
例えば英語の授業。
「じゃあこの部分の日本語訳と、この英文を通して作者が言いたい要点を……織田」
英語教師に指名された俺は、シャキッと起立すると訳文を読み上げる。
「はい! 訳は『もし誰かが世界最強のディープ・ブルーにチェスで勝てるとしたら、それはこっそりコンセントを抜いた時だろう』です」
「ふむ、正解だ」
「そしてこの英文全体で作者が言いたいことは、『人間がまともに勝負しても相手にならないほどにコンピュータの性能は今やめざましく進化している』ということです。ちなみにディープ・ブルーは当時の最先端スーパーコンピュータの名前です」
「よく調べてあるな、訳も意味も完璧だ」
「ありがとうございます」
俺が着席すると隣の席のハスミンが「すごっ⁉」って顔で見つめてくる。
ちなみに俺は英語が得意というわけではない。
むしろ英語は最も苦手な教科の一つ「だった」。
しかし今の俺には女神アテナイの加護があった。
女神アテナイは異世界『オーフェルマウス』の総合神だが、元々は愛と知の女神だったらしい。
知とはつまり知識。
だからその加護を受けた俺は、英語を日本語と同じ感覚で扱うことができるのだ。
本来これは『オーフェルマウス』に転移した時に、意志疎通ができるように与えられた常時発動スキルなのだそうだ。
最初っから常に発動しっぱなしのためスキルの名称すらない。
もしかしたら名前くらいはあるのかもしれないけど、少なくとも俺は知らなかった。
そのスキルが俺が異世界から帰還したことでこの世界に持ち込まれて、どんな言語でも理解できるスーパーチートになってしまったというわけだ。
しかも単純に言葉の意味を理解できるようになるだけじゃない。
数式への理解力までもが格段に向上しているため、数学なんかも教科書をペラペラと捲って軽く眺めただけで、すべて完璧に頭に入ってきてしまうのだ。
昨日の夜、予習をしようと思ってびっくりした。
高校の勉強なんて五年ぶりにやったはずなのに、英語や数学が小学校の算数よりも簡単に理解できてしまったから。
(このチートスキルは学歴社会で生きる日本人にとって最強チートだよな。常時発動していて俺の意思じゃオンオフできないから、ズルしてるって感覚もあんまりないし)
これはもう、俺に与えられた才能としてありがたく使わせてもらおう。
マジでこれさえあれば東大や京大にだって入れるんじゃないか?
別に東大や京大に特段行きたいわけではないんだけども。
「修平くんって頭いいんだね」
そんな俺に、ハスミンが視線は前に向けたまま、教科書で口元を隠して小声でこっそり話しかけてきた。
「割とな」
同じように俺も教科書で口元を隠しながら言葉を返す。
チートのおかげとはいえ、ハスミンみたいな可愛い女の子に褒められるのは嬉しい。
「いいなぁ、頭良くて」
「そう言うハスミンも勉強は得意なんだろ?」
確か一学期の期末テストで、毎回張り出される成績上位者一覧に蓮見佳奈という名前があったはず。
俺の中ではもう五年前の出来事なんでかなりあやふやだったんだけど、美人で人気者なのに勉強までできるなんてすごい人だなぁとかなんとか、そんなことを思ったような記憶がかすかにあった。
「わたしは得意っていうよりも、どっちかっていうとガリ勉タイプだから、実はついてくので精いっぱいなんだよね。でもいい大学に行って公務員になりたいから、勉強はしないとだし」
「努力家なんだな」
「意外でしょ?」
ハスミンは横目で可愛くウインクすると再び授業に集中し始めた。
(一生懸命勉強して成績を上げてる人を見ると、チートのおかげで勉強がめちゃくちゃ簡単でラッキーとか思ってた自分が、ちょっと申し訳なくなるな)
でもま、このスキルに関しては俺の意思でどうにかなるもんでもないし、異世界を救った勇者なんだからこれくらいの特典はあってもいいと思うことにしよう。
俺は英語に限らず、数学、国語、古文・漢文、化学、世界史etc.…を余裕綽々でクリアさせてもらった。
だがしかし。
英語なんて目じゃないくらいに、元勇者の俺がぶっちぎりで無双したのが体育の授業だった。
二学期前半の体育のカリキュラムは、主に体育館でのバスケットボールだ。
今日はコートを二面取って、片方は男子、もう片方では女子の試合形式の授業が行われていた。
男女ともに三チームずつ作って、ローテーションで二チームが対戦、一チームが休憩がてら審判をする。
そしてうちのクラスにはバスケ部で一年生の夏からレギュラーを獲った、身長一八〇センチを超える爽やかイケメンの伊達くんがいた。
なのでチーム分けで伊達くんが入らなかった俺のチームメンバーは、端から勝つのを諦めていたんだけど、俺だけは違った。
(相手の得意分野だろうが、俺はやる前から負ける気はないぞ。そして戦闘用の勇者スキルはいっさい使わず、純粋な身体能力だけで勝負する――!)
というか身体能力を大幅に強化する『女神の
センターラインから助走なしでダンクを決めたりしたら、さすがにまずい。
超高校生級とか余裕で通り越して、もう人間を辞めちゃってるレベルだ。
ってなわけで、俺は伊達くんとマン・ツー・マンでマッチアップすると、この五年で鍛え上げた身体能力をいかんなく発揮して勝負を挑んだ。
「甘い! 右だ!」
実戦で鍛え上げた超絶反射神経でドリブルを簡単に止めると、
「よっと!」
抜群の跳躍力で、身長で勝る伊達くんのシュートをブロックする。
さらには、
「もらった!」
駆け引きを読み切ってパスカットしてターンオーバーすると、一気にドリブルで敵陣に持ち込み、
「おおぉぉ――っ!」
フリースローラインから大跳躍のエアウォークで中空を駆けると、そのまま豪快なダンクを叩き込んだ!
とまぁ終始そんな具合で、試合は俺の大活躍によって下馬評を覆した俺たちチームの圧勝に終わった。
「マジかよ……? どうなってんだ……?」
試合後、伊達くんがぽかーんと口を開けて呆然自失で俺を見つめてくる。
さらには隣のコートの女子たちが、自分たちの試合そっちのけで感想を言って盛り上がっているのが聞こえてきた。
「ねぇねぇ、伊達くんて一年生でバスケ部のレギュラーになったんでしょ? その伊達くんに勝っちゃう織田くんってマジすごくない⁉」
「ヤバみ~」
「うんうん! 織田くんが運動神経こんなに良かったって知らなかったし!」
「しかも私気付いたんだけど、織田くんってかなり細マッチョだよね?」
「さっき腹筋見えたけどバキバキに割れてたよ?」
「二学期に入ってから明るくて爽やかだし」
「あれ? 織田くんって結構良くない?」
「だよねー」
「ねぇねぇハスミン。ハスミンって織田くんと席が隣だしクラス委員と副クラス委員だし、最近よく織田くんと話してるよね? 織田くんがどんな人か教えてよ?」
「えっ⁉ わ、わたし⁉」
その場のノリもあるのだろう。
やや過剰評価気味に盛り上がる会話の輪から少し距離を取っていたハスミンが、急に話を振られたからかびっくりしたような声を上げる。
「え、なにその反応? なんでキョドってるの?」
「べ、別になんでもないし? だいたいわたしだって修平くんとそこまで仲いいわけじゃないから。ただの友達だもん」
「修平くん?」
「え、あ、う、うん……」
「ねぇねぇみんな聞いた⁉ 修平くんだって!」
「おいおいハスミンさんや、男子を名前で呼ぶとか、ただの友達どころかとっても仲がよろしいんじゃないですかな?」
「あれ、なんかハスミンの顔赤くない? え、もしかしてハスミンって――」
「ち、違うし! わたしが修平くんを好きとか勝手なこと言わないでよね」
「あれれ~? おかしいなぁ~? 私まだ何にも言ってないんですけどぉ?」
「ハスミンって織田くんのことマジすきぴ的な?」
「~~~~~っ!!」
俺とのことでからかわれたハスミンの顔が真っ赤になる。
まったく女子ってほんとなんでも恋バナに結び付けようとするよな。
ハスミンみたいな人気者の女の子が、突発高校デビューをかました元・陰キャを急に好きになったりするわけないじゃないか。
「こら女子! 織田がすごいからって男子のほうばっかり見てるんじゃない! 今は授業中だ、ちゃんとそっちも試合をしろ! 全員まとめて減点するぞ!」
「「「「はーい、すみませんでした~!」」」」
自分たちの試合そっちのけで男子の試合を観戦して盛り上がっていた女子たちが、体育の先生に怒られて試合を再開する。
そして体育の先生は女子を静かにさせると、休憩がてら審判をしていた俺のところへとやってきた。
「織田、ちょっと話いいか?」
「なんでしょうか」
「えらく上手かったが、お前部活かなにかでバスケをやってたのか?」
「いえ、ずっと帰宅部です。バスケは体育の授業以外ではやったことはありません」
「とてもそうは見えなかったが……実は運動神経が良かったんだな。一学期はそうでもないと思ったんだが、俺が見落としていたか」
首を傾げる体育の先生。
これはあれだな、陰キャあるある『意外と先生はしっかり見てくれている』だな。
もちろん先生は仕事として生徒全員の成績をつけないといけないから、陰キャであろうと見ているのは当然といえば当然なんだろうけど。
それでも生徒の間ではとかく影が薄く名前くらいしか覚えられていない陰キャとしては、ちゃんと一人の生徒として見てもらえていることが地味に嬉しいんだよな。
「夏休みに一念発起して身体を鍛えました。その成果だと思います」
怪訝な顔をしている体育の先生に、俺はもはや定番となった言い訳で答える。
「そうだったのか。性格も明るくなったみたいだし、やる気があるのは良いことだぞ。高校生の間はなんでも積極的に挑戦してみるといい。いくらでも失敗できるのが若者の特権だからな」
「はい」
「この調子でがんばれよ。このまま真面目にやれば通知簿は五をやるからな」
「ありがとうございます、期待に応えられるようこれからもがんばります」
その後も俺は魔王との戦いで磨いた運動能力をいかんなく発揮して、バスケの授業で無双した。
「なぁ織田」
そんな俺に授業が終わってすぐ、爽やかイケメン陽キャの伊達くんが話しかけてきた。
「なんだ?」
恥をかかせやがって、とかそういう恨み言でも言われるのかと思ったら、
「マジすごかったなお前! なぁなぁ、今からでもバスケ部に入らないか? お前なら速攻でレギュラー間違いなしだぜ! つーかなんだよあれ、完全に高校生のレベルを超えてたぞ⁉ フリースローラインからエアウォークとかお前NBAプレーヤーかよ⁉」
伊達くんはまるで自分のことであるかのように嬉しそうな顔をして、早口で捲し立てるように熱弁を振るい始めたのだ。
そう言えばそうだった。
伊達くんはイケメンで背が高くて、スポーツもできてバスケ部の一年生レギュラーで。
さらにはちょっと勉強が苦手なところが、またそれはそれで魅力と女子から評判で。
しかも誰にでも分け隔てなく優しくて面倒見がいいから、男子からも頼りにされている。
つまり男女問わず誰からも好かれる好青年な正義の陽キャなんだった。
「ごめん、俺は部活はしないことにしてるんだ」
「そうなのかぁ。それだけ動けるのにもったいないなぁ」
「せっかく誘ってもらったのに悪いな」
ちなみに部活をやらないのは俺が極度の負けず嫌いだからだ。
もちろん異世界に行く前は陰キャらしく、何かで負けてもヘラヘラ愛想笑いしながら「ま、俺なんてこんなもんだろ?」って流すような性格だった。
だけど勇者として絶対に負けられない戦いを続けていくうちに、自然と勝ちにこだわる性格に変わってしまったのだ。
そうならざるを得なかった。
だから体育の授業程度ならまだしも、例えば公式戦で負けそうになったら俺は絶対に勇者スキルを使ってしまう。
俺が持ってるものを使って何が悪いんだって言い訳して絶対に使う。
賭けてもいい。
だけどさすがにそれはダメかなって思うんだよな。
それは俺本来の力じゃなくて女神アテナイに貰った後付けの力だから。
なので熱くなる勝負事は、最初からやらないほうがいいと考えていた。
「いやこっちが勝手に言っただけだから気にすんな。でもマジですごかったぞ。すげージャンプ力だったし、反応とかも早すぎてガチでびびった」
「伊達くんもたいがいスゴかっただろ? さすが夏休み前に一年生レギュラーを獲るだけのことはあると思ったよ」
「サンキュー。ああ、あと伊達でいいよ」
「じゃあ伊達って呼ぶな」
「言っとくけど次は負けないからな? 今日から気合入れ直して練習するから、次の体育を楽しみに待っとけよ?」
「それなら俺も言っておくけど、俺はかなりの負けず嫌いなんだ。やるからには次も勝たせてもらう」
「お、言ったな? バスケ部レギュラー舐めんなよ?」
俺は伊達と仲良く話しながら教室に戻った。
ついでに着替えの時に連絡先も交換した。
さらには伊達の知り合いの陽キャ男子たちの連絡先までゲットする。
図らずも異世界から帰還してわずか数日で、クラスカーストトップの男子・伊達と、女子・ハスミンと連絡先を交換することになった俺だった。
(俺の新たな学校生活は極めて順調だな。この調子でリスタートしたスクールライフを楽しもう!)