第一章 別れと出会い(3)
あれこれ話を振ってくれるハスミンと楽しく話しながら、歩くこと一五分。
数か月通っただけなのに、もはや懐かしさしか感じない母校へとたどり着く。
そして一年五組と書かれたプレートのある教室の前までやってきた。
「おはよう!」
俺が大きな声で元気よく挨拶をしながら入室すると、途端にクラスメイトたちがびっくりしたような顔を向けてくる。
何人かが反射的に「おはよう」と返してきたけど、彼ら彼女らも驚いたような顔をしているのは同じだった。
まぁそうだよな。
今まで静かに隠れるように教室に入ってきていた影の薄い俺が、夏休みが終わった途端にいきなり元気よく挨拶して教室に入ってきたら、そりゃあみんな驚くよな。
(ま、今じゃこっちのほうが素になってるから、わざわざ元の陰キャに戻すつもりはないんだけどな。そのうちみんな慣れるだろ)
しかしクラスメイトたちがさらに驚いたのはこの直後だった。
「みんな、おはよ~」
俺とほとんど同じタイミングで入ってきたハスミンが、俺に続いて明るい声で挨拶をしたからだ。
それを見て俺の時とは比べ物にならないくらいに盛大にクラス中がざわめいた。
「蓮見さんと織田が一緒? え、なんで?」
「一緒に登校したってこと?」
「まさか付き合ってるのか?」
「教室の入り口でたまたま一緒になっただけだろ?」
「だ、だよなぁ。ありえないよなぁ」
そんな声が教室のあちらこちらから聞こえてくる。
若干失礼な会話も聞こえてきたが、異世界に行く前のかつての俺はまさにそういう空気のような立ち位置だったので、ある意味当然の反応で気にするほどのことでもない。
俺はそんな彼らにもにこやかに「おはよう」と挨拶をすると、
「じゃあねっ♪」
「じゃあな」
「今日はありがと♪」
「だからいいってば」
最後まで感謝の言葉を伝えてくる律義なハスミンに苦笑しながら、俺はバイバイと軽く手を振ると、なんとか思い出すことができた自分の席へと足を向けた。
「おっす修平」
席に着いた俺に声をかけてきたのは、俺の高校での唯一の友人・
席も近くお互い陰キャ同士で友達がおらず、あぶれ者同士自然と仲良くなった――ような記憶がある。
なにせ五年前の記憶だから細かいところはかなりあやふやだ。
「おはよう智哉」
「なんか朝から雰囲気違うけどどうしたんだ? 蓮見さんと一緒に登校――なわけはないよな。ははっ、まさか二学期から遅咲きの高校デビューでもするつもりか?」
「まぁそんなところかな」
「うげっ、マジ系かよ⁉ 高校デビューは撤回して、同じ陰キャ同士、今までみたいに仲良く隅っこでミドリムシみたいに静かに生きようぜ?」
冗談めかして言っているが智哉の声は微妙に真剣だ。
唯一の友達がいなくなると不安に思っているのかもしれない。
「逆に俺と一緒で智哉も変わったらいいんじゃないか?」
「おいおい、そんな簡単に陰キャを変えられたら陰キャなんてしてないっつーの。っていうかマジでどうしたんだよ? 体格もやたらとマッチョになってるし、なんかもう別人だぞ? フランスの傭兵部隊に入って中東にでも行ってきたのか?」
「まぁな、俺も色々あったんだよ」
「まぁなってなんだよ、まぁなって。マジで中東でドンパチやってたのかよ?」
「中東には行ってないよ」
「だよな、びっくりさせんなって」
「ははっ、悪かった」
ま、中東には行っていないものの、異世界には行っていたんだけど。
しかも勇者になって魔王と戦って倒してきたばかりだ。
まぁなっていうのは、つまりそういうことだ。
もちろん正直に言ってしまうと頭の病気を心配されそうなので言いはしない。
そのまましばらく席に座って智哉とダベっていると、予鈴が鳴って担任の先生が教室に入ってきた。
すぐに担任の指示で体育館に移動すると、どこにでもある変わり映えのない始業式が始まった。
「なんで校長先生ってのは誰も彼もこうも話したがり屋なんだろうな……」
こういった式の定番、特に中身があるわけでもない校長先生のお話は既に一〇分を優に過ぎている。
俺にだけ聞こえるように小声でぼやいた智哉に、
「その意見には同感だな」
俺も同意せざるを得なかった。
「こんな長い話、誰も聞いてないって分かってないのかな? 完全に自己満足の世界だろ、これ」
「分かってないから長話するんだろ?」
「だよなぁ。あーあ、こういう自己中な大人にだけはなりたくないよなぁ」
ため息をついた智哉に限らず、周りを見回しても明らかに長話にだれている生徒ばかりだ。
それだけでなく一部の先生もだるそうな顔を隠そうとはしていない。
始業式の司会進行役を任されている二年生の学年主任(だったと思う)に至っては、イライラした様子で何度も腕時計を確認している有様だし。
ちなみに俺も面倒だとは思ったものの、勇者時代の文字通り死にそうになった経験と比べれば、校長先生の長話なんて頬を優しく撫でる春のそよ風みたいなものなので、しっかりと背筋を伸ばして聞いていた。
そういや『オーフェルマウス』でも王様とか大臣とか、偉い人は軒並み話が長かったんだよな。
人は偉くなると長話をしたくなるものなんだろうか?
俺なんか勇者としてスピーチを求められても、いつも要点だけ伝えてさっさと話を終わらせてたってのに。
最終的に一五分近くかかった校長先生のありがたいお話を聞き終えて教室に戻ってくると、次に新学期恒例の行事である席替えが始まった。
担任の指示のもと、教卓に置かれた箱の中に入った紙を順番に引いていく。
「七番……ってことは俺は窓際の一番後ろの席か」
「マジか、超当たりじゃんか。いいなぁ。えーと、俺は一五番……うげぇ⁉ マジかよ、特等席だ……終わった、俺の二学期……」
対照的に智哉は中央最前列のいわゆる「特等席」を引いてしまい、死にそうな顔をして俺を見てから、ガックリと肩を落として席を移動していった。
智哉を見送った俺は窓際の一番後ろ、新しい自分の席に座る。
俺の隣は――なんと偶然にもハスミンだった。
「よっ、ハスミン。席も隣だなんて奇遇だな」
「隣の席、修平くんだったんだね。さっきの今でこれとか、なにか縁でもあるのかも?」
「もしかしたら前世で知り合いだったのかもな」
「じゃあまた巡り会えて良かったね。ふふっ」
ハスミンが軽く握った右手を口元に添えながら楽しそうに笑う。
素敵な笑顔だった。
こうやって改めて近くで見てみると、ハスミンはとても美人ですごく可愛い。
アイドルのように整った目鼻立ち。
ミディアムヘアって言うのかな。肩にかかるくらいの少し茶色がかったゆるふわの髪は、片側にだけ小さなサイドテールを作っている。
ブラウスは半袖の夏服じゃなく、敢えて長袖を肘のあたりまで折って捲っているのが絶妙におしゃれ可愛い。
しかも明るくて笑っていることが多く、いかにも親しみやすそうな雰囲気をしている。
ハスミンとは席は隣だし、朝の一件で連絡先を交換したりと仲良くもなれたし。
そういう意味でも二学期は楽しい学校生活が送れそうだ。
「やっぱり平和っていいなぁ……」
何でもないやりとりで平和の尊さをしみじみと実感してしまった俺の口から、思わず独り言が零れ落ちる。
死と隣り合わせで本当に大変だった異世界での勇者生活。
それと比べたら帰ってきたこの世界は時間の流れが緩いっていうか、校長先生の話が長いことに文句を言って笑い合えるようなまったりとした世界で、ぶっちゃけヌルゲーだよな。
「ふふっ、なにそれ。それじゃあまるで最近まで平和じゃないところにいたみたいじゃん」
俺の声を耳ざとく拾ったハスミンがおかしそうに笑う。
「ま、平和なのはいいことだろ?」
「それは否定しないかな。じゃあ織田くん、平和な学校で改めてこれからよろしくね」
「こちらこそ改めてよろしくなハスミン」
ハスミンとのちょっとしたやりとりを終えたところで、
「よし、全員席を移動し終わったな。おしゃべりはその辺にしてホームルームを始めるぞ」
担任の先生の鶴の一声によってホームルームが始まった。
二学期最初のホームルームではまず今期のクラス委員や係を決めることになったんだけど、その一番最初のクラス委員決めが難航していた。
理由は簡単、誰もクラス委員に立候補しないからだ。
クラス委員はクラスをまとめる代表者――と言ってもそれは名ばかり。
何か権力があるわけでもなく、仕事といえば先生に言われて職員室までプリントを取りに行ったり、授業の始めと終わりの号令をかけたり。
さらには月に一度のクラス委員会議に出席したり、何か決める時には司会をやったりと、つまりは実質クラスの雑用係にすぎないので仕方がないんだけど。
(誰かやりたい人がいたらと思って一応様子見をしてたんだけど、どうやら希望者はいなそうだな。ならよし、俺がやるか)
五年間の戦いの中で、俺は平和な日常の大切さを痛感した。
当たり前のように学校に通えることの価値も理解した。
魔王との熾烈な戦いで国力が激しく弱体化していた『オーフェルマウス』では、一二歳を迎えた子供は貴重な労働力として農作業や軍需品生産といった生産活動に従事させられていて、学校には通えなかったからだ。
だからまたこうやって平和な高校生としての生活を送れるのなら、クラス委員を始めとして色んなことを積極的にやってみたいと俺は考えていた。
「はい! 誰もいないなら、俺がやりたいです」
教室の一番隅っこの席でハキハキと大きな声で言いながら挙手した俺に、教室中の視線が集中する。
朝教室に入って来た時と同じように、クラスメイトたちは「なんだこいつは?」みたいな目をしていた。
「ほぅ、織田か。休み前とはすっかり雰囲気が変わったな? じゃあ他に誰もいないようなら織田にやってもらうとするか。誰か他に立候補する者はいないか? 今ならまだ間に合うぞ?」
担任の先生がそう言ってクラスを見回しながらしばらく待つものの、もちろん異論なんて出るはずはない。
クラス委員なんて面倒なだけの雑用係を進んでやりたい高校生なんて、普通はいないからな。
みんな、どうぞどうぞといった様子で俺に視線を向けている。
「じゃあ二学期のクラス委員は織田にやってもらう。頼んだぞ、織田」
というわけで、俺は晴れて一年五組のクラス委員に就任した。
「クラス委員に決まった織田です。全員が気持ちよく学校生活を送れるようにがんばりますので、二学期の間よろしくお願いします」
前に出て簡潔に就任の挨拶をすると、
「じゃあ後は織田に任せるから、副クラス委員と係を決めていってくれ」
初めての仕事として先生からホームルームの司会を引き継いだ。
「では続いて他の委員と係を決めたいと思います。副クラス委員の立候補はありませんか? 規定によりクラス委員が男子の場合は、副クラス委員は女子がやることになっています」
昨今流行りのポリコレ的にどうかと思わなくもないものの、実際問題、体育を筆頭に男女別の授業はあるし女子特有の問題なんかもあるので、これに関しては必要な区別だと俺は思っている。
しかし俺の声に女子は皆、一様にうつむいてしまった。
(そりゃそうだよな、面倒くさいだけだもんな。あ、もしかして俺と目が合ったら指名されるとか思ってるのかな?)
もちろん実質雑用係のクラス委員にそんな強権的かつ独裁的な権限はないし、誰もいなければ抽選をすることになるだけなんだけど。
(もしくは俺と一緒にクラス委員をやるのが嫌って線もあるか。傍から見れば俺は二学期にいきなり高校デビューをかました陰キャ君だもんな。そんな俺と一緒に副クラス委員をやりたいと思う女子がいないのは当然といえば当然か)
逆に、例えば男子陽キャグループのリーダーでバスケ部の一年生レギュラーの
そういう意味では俺じゃないほうが良かったのかもな。
ま、今さらだけどな。
さてと。
誰も立候補はしないみたいだし、無駄に時間を使うくらいならさっさと抽選で決めてしまうか。
選ばれた女子は運が悪かったと思って二学期の間だけ諦めてくれ。
仕事はなるべく俺が一人で引き受けるからさ。
なんてことを考えていると、
「じゃあわたしが立候補します」
沈黙するクラスメイトたちの中から突然、ハスミンが手を上げた。
「ええっ、蓮見さんが副クラス委員やるの?」
「蓮見がやるなら俺がクラス委員やってもいいぜ」
「俺も俺も!」
「織田ー、クラス委員代わってくれよー」
学年で一、二を争うほど可愛いと人気のハスミンが立候補したことで、すぐに陽キャ男子たちを中心にざわついた声が上がるものの、生徒だけでの話し合いならいざ知らず、担任がいる前で正式に決まったことが今さらひっくり返ることなどなく、他に立候補もなかったことからハスミンが副クラス委員となった。
「ハスミン、立候補してくれてありがとう」
「ううん、わたしが勝手に立候補しただけだから修平くんに感謝されるようなことじゃないし」
小声で感謝の言葉を伝えた俺に、ハスミンも小声で言いつつ微笑みながら胸の前でパタパタと両手を軽く左右に振る。
「いやほんとに助かったから。あのまま誰も立候補がなくて抽選になったら、俺を恨む女子が一人生まれちゃっただろうからさ」
「ふふっ、それはちょっとあったかも?」
「だろ?」
「あと正直に言うと、急に雰囲気が変わった修平くんに引っ張られちゃったのもあったかな? クラス委員になったのが修平くんだったから、つい手を上げちゃったっていうか……えへへ」
ハスミンが恥ずかしそうに小さく笑う。
「ついでもなんでも、俺が助かったのは事実だからさ」
「だいたい助かったって言ったら、修平くんにはわたしのほうが朝に助けてもらったばっかりなんだよね」
「だからあんなのは全然大したことはないんだってば」
「じゃあ朝のと今のでトントンってことで。これで貸し借りは綺麗さっぱりなしってことで、ね?」
「そういうことなら。じゃあお隣さんに続いてクラス委員でもよろしくな」
「こちらこそ。でもわたしってあんまりクラス委員とかになったことがないんだよね。だから頼りにさせてもらうからね?」
小さく笑いながら言ったハスミンに、
「任せてくれ、頼られるのは大の得意だ」
俺は自信満々に答えた。
「えっ?」
途端にハスミンが目を丸くする。
おっとと。
つい反射的に勇者時代の反応を返してしまった。
「ああいや、それくらいやる気があるってこと」
「あ、そういう意味ね」
俺はハスミンとの会話をいったんそこで切り上げると、ホームルームの司会を再開する。
「それじゃあ次は係を決めていくから、俺が司会をしてハスミンはみんなに分かりやすいように板書してもらっていいかな? 俺は先生に提出する用紙に、決まった人の名前を書いていくから」
「任せて、字を書くのは大の得意だから」
ハスミンが俺のセリフを真似しながら小悪魔っぽく笑った。
言葉の通り黒板に係と名前を書いていくハスミンは、字を書くのが大得意と自分で言うだけあってとても綺麗な字をしている。
長らく見ていなかった綺麗に書かれた文字を見て、俺はまたどうしようもないほどに平和を感じてしまう。
(綺麗な字を書く余裕があるっていいことだよなぁ)
『オーフェルマウス』は長年にわたる魔王軍との戦争で、経済・文化ともに疲弊しきっていた。
戦時体制が敷かれていたこともあって平民の学習機会はほとんどなく、庶民の識字率は一〇%を切るありさまだった。
エリート層にしても字を綺麗に書くよりも先にすることが山ほどあり、だから字を綺麗に書くという能力は全く必要とされていなかったのだ。
エリート層ですらぶっちゃけ読み書きができればそれでいい。
実際、女神に仕える高位神官のリエナですらかなり字が汚かったしな。
まぁリエナ本人は、
『魔法陣を描くのに必要な古代神性語・ハイエーログリーフは綺麗に書けるから問題ありません。それに勇者様だって字は汚いじゃないですか』
とかそんなことを言っていたけども。
向こうの世界は一事が万事そんな風だったから、ハスミンの綺麗な板書を見て俺は割と本気で感動してしまったのだ。
あと、字が綺麗な女の子はお淑やかそうで個人的に好きだ。
自分がそんなに字が綺麗じゃないから、自分にないものを持っている相手に魅力を感じてしまうっていうか。
それはさておき。
その後は特に問題もなくトントン拍子で係が決まっていき、今日は授業もないので夏休みの宿題を提出すると、そのまま俺たちは放課後へと突入した。