第一章 砂漠に降る雨(5)

 ◇


「……今ので終わりか。気が済んだならさっさと帰るぞ」

「うんっ。お待たせ、お母さんっ」

 少女は満足げな笑みを浮かべて振り返る。ステージを照らす青い煌めきがそのまま映り込んだかのように輝く瞳を見て、「お母さん」の表情はより一層険しくなった。

「お店の人も、ありがとうございましたっ!」

 ニコニコ笑顔でオーバーなお辞儀をし、足早に店を出ようとする母親に続いた少女に、店員は微笑みながら手を振った。

「あのねお母さん、すごく……すっっっごく、キラキラだった!」

「聞いてもない感想を勝手に言うな」

「はぁいっ。えへへっ……ふ〜♪……ふーふん〜♪」

「歌うな。やかましい」

 心の底から楽しそうな少女とは対照的に、苛立ちを隠そうともせず毒づく母親。あまりに凸凹なふたりの姿を、周囲の人々は不思議そうに見送った。

「あんな親子、この街に住んでたっけか?」

「いや、見ない顔だよ。よその集落や廃墟から来たんじゃないかしら」

「しっかし似てない親子だったな……あれ? そういえば母親の方、弁当注文してたときに娘は家で待ってるって……聞き違いかな」

 雑談をしながら店じまいに取り掛かる店員を横目に、朝からずっとテレビ前の席に座っていた二人の男性のうち、足を怪我している方がぽつりと呟いた。

「そういやお前の娘さん。結局出てこなかったな」

「……………………、ああ。そうだな……」

 返事は来ないとばかり思っていた男が驚いて向かいの席に向き直ると、じっと虚空を眺めていたはずの彼の同僚は、モニターを見つめながら静かに涙を流していた。

「……久しぶりに聞いた気がするわ。お前の声」

 さっきの不思議な少女の登場といい、今日はおかしなことが続くものだと男は苦笑した。


 ◇


「フレア。どうしたの、座り込んで」

 熾烈なライブが終わった後のステージで、涼しい顔をしたレインはまるで何事もなかったかのように淡々とフレアに声をかける。

 当のフレアは、ステージ上にくずおれるように座り込んだ姿勢のまま、煌々と青く光る共心石シンパシウム像の方を無言でじっと見つめていた。

「そこにいると邪魔になるよ。もう終わったから」

 レインの言葉にフレアはハッとレインを見上げ、ほとんど反射で怒鳴り返す。

「まだ終わってない……っ!」

「え」

 思わず口をついて出た自分自身の言葉に動揺し、フレアはぎゅっと唇を結んだ。

「あれ。もう終わったよね、ライブ。私たちの後、まだいたっけ……?」

 一方のレインは、何やらズレたことをぶつぶつ呟いていた。

「……いいえ。私たちで最後よ」

「だよね」

 そしてレインは表情ひとつ変えないまま、座り込んだままのフレアへと手を差し出す。

「……何よ、その手は」

「疲れて立てないなら手、貸すよ。の手」

「っ……バカにしないで。一人で立てるわ」

 乱暴に振り払うことはせず、宣言通りフレアは一人で立ち上がった。

 そうだ、まだ立てる。まだ歩ける。まだ戦える。まだ終わってない。

「……レイン」

「なに」

「次こそは必ず、私が勝つわ」

「こちらこそ」

 熱のないレインの返答を背に、フレアは早足でステージを後にした。

 未だに舞台を照らし続ける青い光。依然、『最強』の座は揺るがない。


 ステージを降りた後、各国ごとのアイドルたちが利用する「楽屋」に向かったレインは早々に着替えて帰り支度を済ませ、ただ一人部屋に残っていたアイドルに目を向けた。

「……クローバー? 着替えないの?」

 レインが楽屋に戻ってきた時からずっとステージ衣装のまま、部屋の隅に立ち尽くして俯いていたクローバーは、レインの問いかけにも反応しない。

 フレアもそうだったが、戦舞台ウォーステージに負けるとアイドルは反応が鈍くなるんだろうか。

 とはいえ、プロデューサーからは帰りも一緒に橋車ブリッジに乗るよう言われている。いつまでもクローバーをこのままにしておくわけにはいかない。

「クローバー」

「……っ!?」

 縮こまった肩に手を乗せると、そこから電気でも流れたかのようにクローバーの身体が大きく跳ねた。振り返った顔は青ざめ、目は見開かれ、唇は小刻みに震えている。

「……っ、あ……っ。レイン、ちゃん……」

「着替えて帰ろう。一人じゃ無理なら手伝う」

「てつだ……っ、い、いえっ、平気、です……」

 途切れ途切れに掠れた声。日頃喉を鍛えているアイドルが出すような声じゃない。

「やっぱり具合、良くなかった?」

「……っ、そ、れは……」

 震える唇の隙間から、不規則に漏れる呼吸。青ざめた顔に止まらない汗。これだけの条件が揃っていれば、いかに他人に関心のないレインでも異変には気づく。

 楽屋を見渡し、二人分残っていた水のボトルを見つけたレインは、一本手に取って蓋を取り、クローバーに差し出した。

「はい。水飲んで」

「……っ、はい……。ありが、……っ!」

「あ」

 クローバーの震える指先が取り落としたボトルの中身が、レインの服にかかった。

「ごっ、ごめんなさいっ……!」

 真っ青になりながらタオルを取り出し拭き取ろうとするクローバーに、レインは全く動じていない様子で静かに答えた。

「いいよ。もう一本あるし」

「そ、そういうことじゃ……っ」

 顔を上げたクローバーの目に、レインの無表情が映り込む。

 彼女はきっと、何も気にしていない。クローバーの支度を待たされたことも、着替えたばかりの服が濡れたことも、残りの一本は自分の水だということも、同じ事務所のアイドルが負けたことも。怒っていいのに、苛立っていいのに、失望していいのに。

 クローバーが切望してなお取りこぼした勝利にすら、何の達成感もないのだろう。

 普通の人間がどれだけ手を伸ばしても届かないような圧倒的な高み。

 心なんてとうに捨て去った、最強の……。

「……あぁ。本当にすごいなぁ、レインちゃんは……」

 そよ風のように弱々しく消えた声は、目の前のレインの耳にすら辿り着けなかった。

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