第一章 砂漠に降る雨（４）
◇
『第十二演目、『鉄の国』ウィスタリア対『砂の国』クローバー。勝者、ウィスタリア』
画面から発せられた敗北を告げる無機質なアナウンスに、『砂の国』十二番鉱区街中央食堂の客がいっせいにどよめき出す。
「えっ、おいマジか負けやがった！ どこの誰だよアイツ……！」
「なんか見覚えある気がするけど……誰だったかねぇ」
「ああっ、思い出した！ ほら、今朝レインと一緒にいた地味なヤツだよ！」
「何ぃ!? じゃあレインの事務所のアイドルってことかよ！ ったくよぉ、ホントあそこはレイン以外パッとしねえな……！」
好き放題の野次を飛ばす客に冷ややかな視線を送りながら、防砂コートを羽織った女性がカウンターの店員に告げる。
「……鉱員弁当、二人前」
「すみませんねお客さん、騒がしくて……今日はたまたま
「いや、いい。元々持ち帰るつもりで来た。家で娘が待っているんだ」
明らかに不機嫌そうな声だったので、店員はそれ以上刺激しないよう厨房に下がった。
「なあ、最近『砂』の負けが続いてないか……？」
「新人がどいつも不甲斐ないんだよ。どこの誰だかわからんようなアイドルでも『鉄』のはきっちり結果出してきやがるのに」
「二番鉱区が全部『鉄の国』に取られてからまだ二ヶ月も経ってないのに、この調子じゃすぐに三番も持ってかれちゃうんじゃ……」
漠然とした不安と共に、次第に大きくなっていった彼らの喧騒は、
『最終演目。『砂の国』レイン対『鉄の国』フレア』
その名前を聞いただけで、嘘のようにぴたりと止んだ。
「……まあ、最後はどうせレインが勝つからいいか」
「数字の若い昔の鉱区なんて出涸らしの廃村はともかく、ここや他の重要な街は全部レイン一人で守れてるしな。まったく、砂の国の『恵みの雨』様様だわ」
「ほんとほんと。フレアのヤツもしぶといよな、よくやるよ」
「でもま、あとはもう結果のわかりきったお人形劇ね。それじゃ省エネっと」
店員の女性が慣れた手つきで中継映像の画面を消そうとする。それを止める客もおらず、そればかりか一人、また一人と席を立ち食堂を後にしていく。
当然だ。彼等が観ていたのはアイドルのライブではなく勝敗で、彼女たちの歌やダンスに興味を持っている人間など一人もいない。
そして『砂の国』最強のアイドルであるレインは、今日も当然いつも通りに勝つに決まっている。結果がわかっているのなら、わざわざ見届ける必要もない。
彼等が信頼しているのはレインのパフォーマンスの技量ではなく、ただ彼女が「勝てるアイドル」「最強のアイドル」であるという事実だけ。
この場にも誰一人、最終演目を……レインのステージを観たいと願う者はなかった。
「ま、待ってください……っ！」
今日この日だけは、たったひとりを除いて。
「あのっ、もうちょっとだけ観ててもいいですかっ」
声を上げたのは、レインと同じか少し下くらいの年頃の少女だった。ハキハキと元気なよく通る声に、何人かの客の顔が少女へと向く。
「べ、別にいいけど……どうせいつも通りレインが勝つだけよ？」
「どうもありがとうございますっ！」
ぱっと満面の笑みを浮かべ、元気に丁寧な感謝を述べた少女に、画面を消そうとしていた店員の女性も思わずほんの少し顔を綻ばせた。
「おとなり、失礼してもいいですか？」
テレビ前の席に座っていた男性が、無言でこくりと頷く。「ありがとうございますっ」と元気に告げてから、少女は姿勢正しく特等席に着き画面を見つめた。
「わぁ……っ！」
画面に映ったアイドルの姿に、少女はらんらんと瞳を輝かせる。
誰の目にも留まることのない、道端の花を愛でるように。
誰もが俯いて走り去る大雨の中、雲間に虹を探すように。
少女ただ一人だけが、レインのことを見ていた。
「鉱員弁当二人前、お待たせしました」
分厚い風呂敷包みの弁当を受け取った防砂コートの女性が、はたと何かに気づく。
「……っ」
あたりを見回し、画面の前に釘付けになった少女を見つけると、忌々しげに舌打ちをしてから少女に歩み寄った。
「おい、何してる。帰るぞ」
「あっ、お母さん。ちょっと待って、もう少しだけ……っ」
母と呼ばれた女性は、少女が夢中になっている画面に目をやり、深く溜め息をついた。
「……何が楽しいんだ、こんなもの。アイドルなんて、くだらない……」
そして、そのくだらないアイドルのライブとやらが終わるまでは動いてくれそうにない少女を待つべく、手近な空席にどかっと腰を下ろすのだった。
◇
まずは、互いが一曲ずつ持ち寄った自らの持ち曲を交互に歌う「自由曲」パート。
そして、『橋の国』で定められた共通の曲を二人で同時に歌う「課題曲」パート。
公平を期すため、課題曲はおよそ四十曲ある候補の中からランダムに選ばれ、ステージの直前にアナウンスされるまでアイドル本人に知らされることはない。
事前にいくらでもレッスンできる自由曲は、お互い上手く演れて当然。勝敗を分けるのは、お手本となる歌や振り付け……つまり採点基準が明確に決まっていて、かつ審査員の点を直接取り合うことになる課題曲の方だ。
自分の得意分野を発揮できるか、相手の苦手な曲を引き当てられるか。パフォーマンスの実力だけではなく、そういった勝負運も結果に大きく影響してくる。
『続いて、課題曲。二十七番。両アイドルは所定の立ち位置へ』
ただし、それはあくまで普通のアイドルが相手だった場合の話。
最強のアイドルには、苦手とする課題曲など存在しない。
「……ふー……っ」
レインの真横、数メートル先の立ち位置から、フレアの微かな吐息が届く。
自由曲は演目前に名前を呼ばれた順に披露する。今回はレイン、フレアの順。そのまま息つく暇もなく課題曲パートに移行するので、後攻側がやや不利となる。
しかし、フレアは自身の持ち曲で最も激しいダンスを伴う楽曲を完璧に踊り切った直後、ものの数秒で既に呼吸を整え終えていた。
フレアは強い。レインがこれまで相手してきたどのアイドルよりも。
加えて『二十七番』は激しく大胆な振り付けが特徴の、フレアが最も得意とする楽曲。
「………………」
それでも、レインの目には既にフレアは映っていなかった。
ステージの上では、アイドルはいつだって、一人きり。
「♪────」
音楽が流れ、二人が同時に動き出す。
レインの頭には、何も無い。
こう動こう、こう歌おうという意識も。
こう見せたい、こう踊りたいという欲望も。
ただ一心に歌い踊る、その一心さえも存在しない。
全ての重りを捨てたからこそ、誰より軽やかに踊り、誰より伸びやかに歌える。
一方、フレアの動きには欲が出る。せっかく引き当てた得意曲。自分の実力を最大限発揮するチャンス。十六連敗の汚名をすすぐ千載一遇の好機。
もちろんフレアも歴戦の強者、雑念や私情ならば容易に押し殺せる。しかしどれほど完璧なパフォーマンスに徹するつもりでいても、その吐息には、指先には、どうしても欲や気負いが、余計な熱が乗る。
レインにはその熱が全く無い。
機械のように正確に、精密に、繊細に。これまで何百何千何万回と繰り返してきたレッスンの延長のように、完璧なステージを『再演』していくだけ。
一切の熱なく演じ切る彼女の姿を、誰かが『
何度繰り返しても毎回同じように完璧な彼女のステージを、誰かが人形劇と呼んだ。
レインこそ
（……まだ、届かないっていうの……！）
曲が終わりに差し掛かる。
レインにはほんの一瞬、フレアには永遠のような時間が終わる。
遠すぎる『最強』。思わず滲み出す焦りや悔しさも、レインの目には映らない。
そして、いつも通りに完璧なレインの姿もまた、誰の目にも映らない。
舞台上には二人のアイドル。しかし誰より孤独な四分間を終えた二人を照らしたのは。
『最終演目、『砂の国』レイン対『鉄の国』フレア。勝者、レイン』
目も眩むような、青い光だった。
