第一章 砂漠に降る雨(3)
◇
十二番鉱区街を出発した
「これでは結局また衣装が汚れるな……。客車の便を待つべきだったか……」
「いいよ、私は。どこでも」
「元はといえばお前が勝手な行動をしたから、予定していた直通便を逃す羽目になったんだが……まあ、おおよその方角が合っていたのは幸いだった」
「……? え、合ってるでしょ」
「……まさかレインお前、本当に走って会場まで行くつもりだったのか?」
「うん。そのために着てきたし」
プロデューサーは額に手を当て、巨大な溜め息と一緒に天井を仰いだ。
「……凄いですね、レインちゃんは」
依然として暗く硬い表情のまま、クローバーがそう呟いた。
「具合。良くないの?」
「そう見えますか」
「見える。乗り物、苦手?」
「……いえ、得意な方です。そういうんじゃなくて……」
きょとんと首を傾げるレインに、今度はクローバーが尋ねる。
「レインちゃんは、怖くないんですか?」
「怖い? ……何が?」
「
詰まりそうになる息で、クローバーはそう口にした。
今日行われるライブには……否、アイドルには、勝ち負けがある。
各国に所属するアイドル同士が歌やダンスのパフォーマンスで互いに競い、勝った国が負けた国の領土や資源を奪う、文字通りの戦いの舞台……それが戦舞台。
勝った者が、勝ち続けてきた者がどういう扱いを受けるかは、つい先刻「最強のアイドル」レインが十二番鉱区街で体験したばかりだ。そして負けた者がどう扱われるかも、クローバーの恐怖と不安に引きつった表情が物語っている。
「クローバーは怖いの?」
「怖い、ですよ。私もう後がないんです。次負けたら、きっともう……」
縮こまって震えるクローバーの小さな肩に、『砂の国』の領土の一部が懸けられている。彼女が負ければ、領土は敵国に差し出されることになる。
「ステージ、立ちたくない? アイドル、嫌なの?」
変わらず温度差のあるレインの問いに、彼女は憎悪とも絶望ともとれる表情を浮かべた。
「……嫌いですよ、アイドルなんて……でも、もうライブは決まってて……」
「そうなんだ。……なんていうか。大変だね」
レインの発言に、何ら悪意はない。これだけやりたくなさそうにしているのにステージに立たなければならないのは本当に大変だろうな、と思ったからそのまま口にしただけ。むしろ、一瞬だけ言い淀んだぶん言葉を選ぼうともしたのだろう。だからクローバーは彼女の言葉に怒ったり文句を言ったりもしなかった。
「……クローバー。アイドルが嫌だというなら、いつでも辞めて構わない」
「あ……っ、す、すみませんっ! 私、プロデューサーの前でこんな事……!」
「私は関係ない、お前の話をしてるんだ。そんな精神状態でステージに上がるなどもってのほかだ。戦えないなら、今すぐ舞台を降りてアイドルなど辞めてくれ」
「……すみません……切り替えます。今日こそ私、勝ちますから」
「……そう思えるならそれでいい。不安も恐怖も絶望も、舞台上へは決して持ち込むな」
それだけ言って、また黙り込む。車内に再び沈黙が降り、それから
◇
生き残った人々が先の見えない未来への絶望に呑まれる中、彼等の心を癒し、再起を促すために声を上げた少女たちがいた。
彼女たちこそが、当時の「アイドル」。
地域の壁を越え有志で集ったアイドルたちは、人々を勇気づけるべく各地で無償のライブを披露した。滅びかけた世界で歌われた愛と希望の歌が、彼女たちの健気に未来を目指す姿が、人々の心を打ち、支え、奮い立たせ……まさしく「アイドルが世界を救った」。
その強い影響力に『橋の国』が目をつけた。
アイドルの歌は、人々に強く大きな感情を与える。すなわち、より多くの感情エネルギーを手に入れることにつながる。そこで彼らは、エネルギープラントとなる
はじめのうちは「全国対抗アイドル大会」とでも言うべき一種の興行に過ぎなかったそれは、国家間の軋轢や貧富の格差を生んであっという間に「戦争」に置き換わった。
滅びかけた世界では、誰もがみな足りなかった。足りないから奪い合った。
そのための手段が、闘争や略奪から「アイドル」に変わっただけ。
人々に愛と勇気と夢と笑顔を与えてきたアイドルは、絶望の暗闇の中で光り輝いていた希望の
彼女たちが演じるライブさえも、やがて意味を失い兵器同士の武力誇示に成り果てた。
勝てない者は淘汰され、舞台の上から姿を消す。強い者だけが生き残る。戦舞台で負ければ自国の領土や資源が奪われるのだから、弱いアイドルは国にとって必要ない。
そんな戦場で愛の歌を歌おうとするアイドルも、いつしか誰一人いなくなり。
国の思惑通りに機械のように上手に歌って踊る、従順な人形だけが生き残った。
誰もアイドルを愛さなくなってどれだけ経っただろうか。
誰も彼女たちの歌を聞き届けなくなってどれだけ経っただろうか。
誰もアイドルの勝敗以外に興味を持たなくなってどれだけ経っただろうか。
それでも、今日もまた、
「レイン」
舞台袖の暗がりで目を閉じていたレインは、自身の名を呼ぶ声に目を開ける。
暗くてもよくわかる、炎のように紅い瞳をした目つきの鋭いアイドルが立っていた。
「今日こそあんたに勝たせてもらうから。覚悟はいいわね」
「え……っと」
「…………」
「………………………………あ。フレア」
思い出すまで待ってくれた彼女は、一層鋭く目を細めてレインを睨みつけてから、くるりと踵を返し、捨て台詞ひとつ残さずに自国の待機スペースへと戻っていった。
今日のレインの対戦相手、『鉄の国』のフレア。
自国では間違いなく最強と言われる彼女だが、『砂の国』……レイン相手の戦舞台にはこれまで十六回連続で敗れている。
もっともレイン以外の相手には一度も負けたことがなく、『砂の国』以外の国に対してはお釣りがくるほど勝利を収めてきていたが、ならばどうして彼女がレインとの対戦にこれほど強く執着し続けるのか。レインは知らなかったし興味もなかった。
「そんなに勝ちたいなら、今ここで私の指の一本や二本でも折っていけばいいのに」
「い、痛そうなこと言わないでくださいよ……」
レインのひとつ前の出番を目前にしたクローバーが青ざめる。
「何で国同士の戦争なのに、誰もそういうことしないのかなって」
「国同士は戦争だと思ってないからじゃないですか」
首を傾げたレインに、クローバーは律儀に説明した。
「国の偉い人たちは、これを『戦』舞台なんて呼びません。アイドルたちが集まってライブをしているだけです。血も流れないし人も死なない。ただ勝ち負けがあるだけの平和なライブ、そういう建前。裏で何が起こっていても、どんな酷い目に遭う子がいても、舞台の外から見えなければ何も無かったのと同じですし」
この世界には、隕石が落ちるよりもずっと前から「戦争はよくない」「命は大切だ」といった不文律とも呼ぶべき価値観があった。限られた資源を奪い合うために兵器を造って撃ち合えば人が死ぬ。人が死ねば、いずれは国も痩せていく。
その点、戦舞台では血が流れない。ただアイドルが舞台の上で歌って踊るだけで、誰も死なない。どの国にとっても都合が良かったから、今までずっと続いてきた。
「敵国のアイドルの指を折る子が出れば、その子は次の舞台の日に足を折られるでしょうね。それを取り締まるルールはありません。ここは戦場ではないので、そんな物騒なことは起こらないからです。みんな報復から自分の身を守るために何もしないだけで……案外、無法地帯が一番平和なのかも」
「私、別にフレアの足折らないよ」
「……そうですね。そんな必要もないでしょうし。そもそも、レインちゃんなら指の一本や二本折られたところで問題なくパフォーマンスできそうです」
「うん。……いや、折られたことないからどれくらい痛いかわかんないけど」
温度のない瞳で、握っては開く手を見つめ。
「でも死ぬほど痛くても私は歌えるし、絶対に壊れない」
淀みなく、揺るぎなく、まっすぐに言い放った。
「……本当に、凄いですね。レインちゃんは」
「凄いのかな。わからない」
「一体どうしたら、そんなに……」
突如、青い光が舞台側から差し込んだ。続いて、無機質なアナウンスが鳴り響く。
『第十一演目、『砂の国』ブルーローズ対『霧の国』ヴェール。勝者、ブルーローズ』
自国の勝利を告げるアナウンスに背中を押されてか、クローバーの表情が少し和らぐ。
「……私も、勝ってきます」
「うん。行ってらっしゃい」
降りてきた二人のアイドルと入れ違いに、クローバーとその対戦相手は眩い光に照らされた舞台へと上がっていった。
この光はすべて、
光が強いほど多くの感情エネルギーを生み出している証であり、より強く、より多くの光を発生させた側の国が勝者となる。
大昔のアイドルは一人ずつ色を持っていて、人間の観客がそれぞれの色に光る棒を持ち寄って互いに愛を伝え合っていたという。もっとも、色の多さで勝ち負けが決まるようなルールは無かったらしいが。
「……これも、誰に聞いたんだっけ」
興味がないことは、すぐに忘れてしまう。
だって全部、舞台の上では必要ない。
不安も恐怖も絶望も舞台上へは持ち込むな、そうプロデューサーは言っていたけれど。
それ以外の感情も、余計な知識も記憶も。
ふわふわした愛も夢も、何もかも全部必要ない。
アイドルは、歌とダンスの実力が全て。それだけが石を光らせると歴史が証明してきた。実力で戦わずに愛の歌を歌おうとしたアイドルは、一人残らず負けて淘汰された。
実力以外のものは全て重りだ。ステージで自在に舞い踊るためには、重りは必要ない。
必要ないから全部捨てて、全部忘れ去って……そうしてレインは『最強』になった。
「……今日も私が勝つから、フレア」
そんな闘争心未満の当たり前な宣誓も、舞台袖に置いていく。
実力以外の何を持ち込んだところで、実力以上のパフォーマンスはできない。
たとえどんなに負けたくない相手が隣で歌っていたとしても。
ステージの上では、アイドルはいつだって一人きりだ。