Case.1 ‐方舟へみちびく女‐(5)

     5


「──自分自身を、炎上させたい……だと?」

「そう……です」しょうぜんとした様子で答えた。

 ごうは少しばかり驚き、唾を飲み込む。

 元は一人のファンだった一般人が、推しに憧れてVTuberを始めることはザラにある。

 だが、こうして目の前の美少女がVTuberの魂をやっていると打ち明けられたことには、妙な違和感があった。彼女は推しが炎上した経験があるのだ。

「百歩譲ってVTuberを始めたのは、まぁいい。個人の自由だ。でもそれを自分自身で炎上させたいって、めすぎじゃないのか」

 どういう経緯であれ、推しが燃えたらリスナーが悲しむ。

 そんなファン泣かせなことをしようというのは頂けない。業が炎上したVTuberを記事にするのは、彼らがクズだと判明したあとだ。

 もっとも、この自演による炎上を依頼したという時点で十分な火種だが。

 萎縮して下を向く海那に業は白んだ目を向ける。

「経緯はわかった。だが、おれが助けてやる義理はない」

「そんな……っ」

 海那は顔を上げた。その目元が潤んでいた。

 業は、にべもなく淡々と言う。

「昔のよしみで一つだけアドバイスしてやろう。炎上ってのは災害みたいなもんだ。交通事故とはまた違う。故意に起こそうとして起こせるものじゃないし、ネットの関心を引きつける要素がなければ、誰も見向きもしない。おれも火付け役をになったことはない。シンプルで効果的なのは自演だ。匿名掲示板にでもさらしてみろ。運が良ければ、誰かが飛びつくさ」

「でも、それじゃあ──」

「その覚悟はあるか?」

「うぅ……」

 海那は肩を縮こまらせる。絹糸の髪がしおらしく揺れていた。

 実際、業は炎上の速報やまとめを掲載する程度の、順張り路線のブロガーだ。

 ネタの先出しには未公開の情報が必要だが、読者のタレコミごときで集まるさいな情報には誰も興味がない。ゴシップ好きな読者が見たいのは小さな事実ではなく、派手に燃え広がる大火事。

 業のブログは、まだその震源地たるポテンシャルを持っていない。

「わたしは救いたいんです」海那は悔やむような顔で言う。「これから不遇な末路をたどるかもしれないVTuberたちを。これは人助け……いえ、VTuber助けみたいなものです」

 海那の考えはシンプルだ。VTuberの魂を救う。その結果、ファンも救われる。

 意気込みはご立派だ。──目的と手段がちぐはぐなことに目をつぶれば。

「……」業は天井を仰いで目を瞑る。その実、勘弁してくれ、と心でつぶやいていた。

 この少女は、業に──炎上系ブロガーの荒羅斗カザンに助けを求めてやってきた。

 その方法が「自分自身を炎上させてくれ」というもの。あまつさえ、その悪魔の所業がVTuberを救う手立てにつながる、とまで考えているようだ。

 なんて浅ましく、愚かな考えだろう。

「もし本当に、おれが鏡モアを燃やすことができたとして」

 業は言いかけて、止めた。


 燃やすことがとしたら──。


 はたと気づく。「──そうか」

 星ヶ丘ハイスクールの運営は合理的な考えに基づき、かなえ乃亜を殺した。

 業の青春はそうやって拝金主義者に都合のいいかねもうけの道具にされ、あいを巻き上げられたあとに売られたものは悲惨な末路。

 結果、カルゴはこんなザマだ。

 けれど、もし客のほうが推しにふさわしい死に花を咲かせることができるなら?

 そう思い至った瞬間、業のびついた頭に歯車がかちりとまり、空転していた思考のからくりがとたんに回り始めた。

 業はその悪魔の所業に、海那の思いとはまた別の意義をいだしていた。

 幸い、ここにその可能性を試せる裏切り者がいる。利用しない手はない。

「あんたが考えるヒーローごっこの最初の救済対象が、あんた自身になるわけか」

「情けない話ですけど……」

 海那はねた表情を浮かべた。

「あの……カルゴさん、その、あんたって呼び方やめてくれませんか。わたしはカルゴさんを信用してこの話を打ち明けてるんですから」

「じゃあなんて呼べばいい。鏡……? モアか?」

「その体はもうお別れするので……」

 海那はこそばゆいように小声で続けた。

「ミーナがいいです」

「その名前は……」ノア友だった頃の名義である。いまの彼女はミーナではなく、鏡モアでしかない。

「ミーナでいいんです。カルゴさんには、そう呼ばれたい」

「呼ぶほうのおれが抵抗ある」業は苦い表情を浮かべた。

「あれ?」海那が意外そうに顔を覗き込む。「カルゴさんって呼ばれることは否定しないくせに?」

「……」

 痛いところをつく。再会してから今日だけで二度目だ。

 業は短くめ息をつき、気変わりしたように言った。

「いいだろう。あんたの覚悟を試すチャンスをやる」

「本当ですかっ」海那は手を合わせ、ぱぁっと明朗な表情を浮かべる。海那の瞳は宝石のようにきらきらと輝いていた。

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