第一章 初恋の彼女は、薄幸の美少女と呼ぶには強すぎた(5)

         ◇


 扉の前に立ったサイファーは、無造作に右腕を伸ばす。

「――<ルクスラミナ>――」

「え?」

 少女の手に光が集まる。

 光は手の平へと収束していき、やがて一本の剣を紡ぎ上げる。装飾剣の手合いなのか、妙に握りの長く仰々しい柄で、刀身にも細かな紋様が刻まれている。

 ――今度は剣を召喚した……。

 やはり彼女は召喚魔術の達人なのかもしれない。呪文の詠唱どころか魔力の力場すら感じられなかったのが気がかりだが、実力の開きが大きすぎる力や技術は同じ分野の人間ですら理解できない。それと同じなのかもしれない。

 ただ、召喚された剣は刃こそ分厚いが刃渡りは伸ばした腕くらいの長さ。一般的にはショートソードに分類されるものだ。少女の細腕で扱うには適しているだろうが、この分厚い扉を前に役に立つものではなかった。

 ミコトはサイファーに声をかける。

「その剣で斬るつもり? 無理だよ。十センチ以上ある鉄板が四枚もあるんだ」

 この四層という構造が曲者だ。それぞれの扉の間に隙間があるため、衝撃が殺されてその向こうに届かないのだ。単純に同じ厚さ――五十数センチメートルの鉄板よりも頑丈だと言えた。

 これを魔術で壊そうとすれば小隊規模での攻城魔術が必要になるだろうが、こんな室内で放てば術者もろとも消し飛ぶだろう。もちろん、ミコトの銃でも無理だ。もっとも、たった一発の弾丸は先ほど使ってしまったところだが。

 なのだが、わかってないのはミコトの方だった。

 それは、ショートソードなどではなかった。


「<ルクスラミナ>起動」


 サイファーの剣から光があふれる。

 光は剣に沿って滞留し、さらに巨大な刃となっていく。瞬く間にそれは少女の身の丈以上もある大剣となっていた。

「光の、剣……?」

 あの細腕で軽々構えているところを見ると、質量はないのだろうか。ガラスのように透き通っていて、しかし斧のような厚みを持った刃である。表面には魔法陣のような紋様が浮かび、ほのかに明滅していた。

「マスター、少し下がっていてください」

「え?」

 サイファーは腰を溜めるように身を低くすると、大きく剣を振りかぶる。

「ふぅっ」

 鋭く息を吐いて大剣を一閃する。

 ――鋭い!

 ギャリンッと凄まじい音を立てて火花が飛び散る。剣の素人であるミコトでもわかるほど、その一撃は速く鋭かった。

 だが、その見事な一撃でも鉄の扉を斬ることはできなかった。表面に真っ赤な亀裂を穿つに留まっている。

 しかし、サイファーはかまわず大剣を振るう。

 今度は縦に、次は床すれすれを真横に、四度目はまた縦に。扉を刳り抜くように四方を斬りつける。

 光の刃は振るわれるたびに瞼へ残像を焼き付け、幾重にも光の軌跡を刻みつけた。銀色の少女が振るう姿は幻想的でさえあって、ミコトは思わず見蕩れてしまう。

 だが扉を斬りつけるたびに生じる火花は、確実に少女の体へと降りかかっていた。

「サ、サイファー! もうやめるんだ。キミの方が怪我しちゃうよ!」

 その声が届いたのか、サイファーは五度目の剣を振るう前に手を止めた。同時に、その剣から光の刃も消失する。

「もう、無茶なことしたらダメだよ……」

「マスター。目標の破壊を完了しました」

「へ――」

 ガランガランとやかましい音を立てて、鉄の扉だったものが崩れ落ちた。あとには大の男が立って歩けるだろう空間が拓けていた。

 ――剣で鉄を斬った? しかも四枚も?

 床に散らばった扉の断面は、磨き上げた鏡のように綺麗だった。彼女は召喚魔術だけでなく、剣の上でも達人のようだ。

「……って、そうじゃない! サイファー、怪我は?」

 雨のように火花を浴びたのだ。ただではすまないだろう。

 慌てて駆け寄ると、しかし少女の体に火傷らしきものは見当たらなかった。それどころか衣服にすら焦げ跡ひとつない。

「<スクアーマ>は強化戦闘服です。理論上二千度の熱量まで耐えられます。〝痛い〟は発生しません」

 どうやら、少女の衣服は尋常ではない加護を持っているらしい。デウス教の高位神官の法衣はそういった加護を受けていると聞いたことがある。

 ――いやでも、二千度って鉄も溶けるような温度じゃなかったっけ……?

 刀剣鍛冶のかまどがそれくらいの温度だったはずだ。

 困惑しながら、ミコトはサイファーが口にしたもうひとつの言葉に気付く。

 ――あれ? 〝痛い〟は発生しないって……。

 そういえばミコトが痛い思いはしないでほしいと言った直後に、サイファーはこの衣服を召喚したのだ。

 どうやら彼女はそんな言葉にすら生真面目に応えてくれていたらしい。

 ――なら、僕はこの子にどう応えてあげればいいんだろう。

 なぜミコトのことをマスターと呼ぶのかはわからないが、彼女の献身をただ享受するだけでいいはずがない。

 ミコトは頭を振る。

 ――それより、先に言うことがあるよね。

 サイファーに手を差し出す。

「えっと、ありがとう、サイファー。道を開いてくれたのも、さっきガラスから守ってくれたのも」

「マスター。質問です。〝ありがとう〟とはなんですか?」

 半ば予想できた言葉に、ミコトは苦笑を返した。

「ありがとうは、感謝を伝える言葉だよ。僕はサイファーに助けてもらったから、お礼が言いたかったんだ」

 そう説明すると、少女は小さくうなづく。

「ありがとう=感謝の言葉。お礼――認識しました」

 それから、眉をひそめて自分の胸に手を当てる。

「胸部に異常を感知。体温が上昇しています。マスター、メンテナンスを要請します」

 そんな反応に、ミコトは思わず笑ってしまった。

「それはたぶん、嬉しかったってことじゃないかな? 僕も誰かから〝ありがとう〟って言ってもらえたときは嬉しいし」

「〝ありがとう〟を言われると嬉しい――情報をアップデートしました。わたしは、嬉しいようです」


 そう言って、サイファーはほのかにだが、微笑んだ。


 頬を緩めて、幽かに唇の端が上がった程度で、笑顔と呼ぶにはあまりにささやかだが、確かに笑みと呼べる表情を作った。

 思わず顔が熱くなった。

「マスター。体温が上昇しています」

「ふぇっ? あ、うん……。僕も嬉しかった、のかな?」

 少女の顔を直視できなくなって、視線を逸らしてしまう。

 ――なんだろう。心臓がドキドキしてる……。

 どういうわけか落ち着かない気持ちになってしまう。

 戸惑いを振り払うように頭を振ると、ミコトは扉がなくなった通路を足早に進んだ。

「い、行こう? まずはここから脱出しないと」

「はい、マスター」

 通路を進めば、すぐに最初の広場へと到着する。

「……さて、問題はどうやってここから出るか、だよね」

 ざっと見た限りでは、通路はサイファーが閉じ込められていた部屋に続くものひとつで、道中に扉や分かれ道はなかった。

 となると、出口は瓦礫に埋まっているということになるが、人の力で動かせるようなものではなさそうだった。

 頭を抱えていると、サイファーが頭上の亀裂を見上げる。

「マスター。上空からの脱出が可能です」

「そうだね……。空でも飛べればいいんだけど」

「了解しました。<ゼフィラム>起動します」

「え?」

 サイファーが両手で銀色の髪を掬い上げると、今度はその背中から光があふれた。

 何本もの金属の管が突き出し、その隙間を埋めるように光が収束していく。頭上には同じく光が集って円環を描いていた。

 そうして紡がれたのは、翼のように見えた。

 円環を頂き、翼を背負うその姿は聖書に描かれた天使のようでさえある。

 だが天使と決定的に異なるのは、その翼が鳥のそれではなく、ガラスの破片を集めたように歪な形であることだ。鉱物にも有機物にも見えて、しかし実体がないかのように透き通っている。頭上の円環も同様で、魔法陣のように細かな紋様が刻まれている。

 鳥とも竜とも異なる異形の翼。ミコトはこれによく似たものを見たことがあった。


「結晶蝶……?」


 ここから遙か南の大森林のさらに秘せられた奥地――封印の地ズィーゲルヴァルトに生息するという、水晶でできた蝶である。死ぬと翅も消失してしまうため、幻の蝶としても名を知られている。

 サイファーの翼は、そんな蝶の翅と酷似していた。

 ――この力は、なんだ?

 先ほどまでのものは召喚魔術かもしれないと思えたが、これは明らかに魔術ですらない異質な力だった。

 そのまま羽ばたこうとしたのか、異形の翼が大きく震えるが、そこでサイファーはなにかに気を取られたように後ろをふり返る。見れば、ミコトのローブが絡まるように引っかかっていた。

 サイファーはローブを脱ぐと器用に立ったまま丁寧に畳んでいく。

「マスター、申し訳ありません。損傷の危険があります。預かっていただけますか?」

「あ、うん」

 ローブを受け取る。こんなときではあるが、ミコトはなんだか微笑ましい気持ちになった。

 ――そういうことはちゃんと気にしてくれるんだ……。

 しかも丁寧に畳んで渡してくれるとは。

 顔を緩めていると、サイファーはミコトの背中と膝の裏に腕を回す。いわゆる〝お姫さま抱っこ〟の状態になってしまう。

「へ……?」

 ローブを抱える腕に、やわらかくもあたたかい重量がのしかかった。

 ――え、乗っかって……いや、乗るッ? これって、乗っかるものなのっ?

 ミコトの腕の上に乗っかったのは、少女が少女であるがゆえの膨らみだった。

 脳が混乱するミコトに、サイファーは言う。

「マスター、します」

 翼があるものは飛ぶものである。

 それは当然の話なのだが、ミコトにはなにを言われたのかよくわからなかった。

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