第一章 初恋の彼女は、薄幸の美少女と呼ぶには強すぎた(1)
「うわあっ?」
足元の瓦礫が崩れ、ミコトは悲鳴を上げた。
珍しいことではない。
周囲を見渡せば緑が石でできた地面を割って這い出している。数百メートルほど離れると木々も多い茂っているのだが、ここ数キロ四方は拓けてしまっている。恐らく地下に空洞でもあるのだろう。不用意に歩けば地面が抜けるのは仕方がないことだ。
――でも、さすがに多い。地震があったって話だし、地盤がゆるんでるのかも……。
こうして足を取られるのも、かれこれ十数度目である。
周囲に人の気配はない。
この辺りはろくに建物も残っていない古い遺跡なのだが、発掘作業も進んでいないため危険で、一般人の立ち入りは禁じられているのだ。
もっとも、こんな遺跡はどこにでもある。
――厄災戦争――
三百年ほど前に、この世界で大きな戦争があったのだそうだ。
敵は魔族だの異界からの侵略者だのと言われているが、明確にはわかっていない。ただ《厄災》とだけ呼ばれるなにかである。
それまで栄華を極めていた人類は食物連鎖の頂点から蹴落とされ、それはもう悲惨なくらいボロ負けしたらしい。
あまりにも惨めな姿に同情を堪えきれなくなった〝神さま〟――デウス教の言う神さまはこの神さまである――が人類に戦う力を与えてくれて、長い戦争の果てに《厄災》を封じ込めることに成功したという。
それから三百年。人類は神から与えられた力――魔力によって復興したが、かつての栄華にはまだまだ及ばないものらしい。ろくに調査も整備もされていない遺跡が各地に残り、ちょっと地震なんかがあるたびに崩れて事故を起こしている。
絵物語ではこうした遺跡に神秘の宝が眠っていて、それを持ち帰った主人公が財産を得たりする。
しかし悲しいかな、現実には無価値な石ころや錆クズが転がっているだけなのだ。
――鉄を拾っても路銀にもならないし……。
錆クズも純鉄に精製し直せばそれなりの金額で売れるが、錬金術もタダではない。薬剤や触媒の金額を考えれば精製しても元は取れない。
値打ちのない遺跡に興味を持つのは考古学士くらいのもので、しかもデウス教からはいい顔をされない。調べたがるのは利益を顧みない一部の好事家くらいだろう。
商人の通り道でもなければ人里に近いわけでもないこんな遺跡は、いまもこうして放置されたままなのだった。
もちろん、人類の安全のためには整備するなり埋め立てるなりするべきなのだろう。だが、目先の利益に繋がらないせいか危険が伴うわりには待遇も悪く、この世界でもっとも誰もやりたがらない仕事のひとつと化している。
そんな嫌われ者の遺跡だが、数日前この辺りで少々大きな地震があった。
人里での被害は大したものではなかったが、遺跡では崩落が起きている可能性がある。それゆえ、今日の調査に差し向けられたのがミコトだった。
ミコトは
錬金術師と言えば工房を構えて道具造りにいそしむか、その工房に従事するか、さもなくばギルドという組合に所属してチームのために働く。だが、ミコトは〝とある事情〟からそのどれにも入れてもらえず、何でも屋のようなことを請け負っていた。
それゆえ、儲けにならないうえに危険なこんな仕事でも、ひとりでやらなければならなかった。
なんとか瓦礫をよじ登り、小さく息をもらす。
ぺたんと地面に腰を下ろすと、山羊の胃袋でできた水筒を開けるが……。
「あれ? 水がない……って、穴が空いてるっ?」
先ほど足を滑らせたときだろうか。水筒の底が破れてしまっていた。そう簡単に破れる構造のものではないのだが、不運なことになにか尖ったものが刺さったらしい。
一応、予備の水筒はあるが、予備でしかない。大した量は入らないのだ。大口の水筒を失うのは手痛い。
「………………」
水筒だったものを見つめて、ミコトは涙目のまま小さくうなづいた。
「水をまいた分、きっと草木とかが育つよ! うん!」
少年は空元気に縋った。
とはいえ、水を失ったのは問題である。
まだ陽は高いが、野営地までの距離を考えるとそろそろ帰還を考えた方がいいかもしれない。ミコトの場合は、なぜか野営地が獣に荒らされるようなことも多い。帰れば休めると考えるのは楽観なのだ。
水筒を覗き込んでため息をもらすミコトは、今年十五歳になったばかりだ。
男子としては少々長すぎる黒髪は後ろで三つ編み結ってある。大きな黒い瞳のわりに体躯は同年代の中でも小さく、年齢より下に見られることも多い。
いかにも動きにくそうな丈の合わないローブを羽織っているが、これは祖父の形見であるため夏でも手放さないことにしている。彼は少々特殊な事情から、手荷物の手合いはいつ失ってもおかしくないのだった。
そんなローブの下から覗くのは、いくつものポーチをくくり付けたベルトだ。そこにひときわ目立つ長物がぶら下がっている。真っ黒な鉄の筒は、
ひとまず予備の水筒を開けて水分を補給し、ミコトは慎重に瓦礫の下を覗き込む。
「地下室……というより、階層があるのかな? 結構広いみたいだ」
鞄から石ころをひとつ取り出し、下層に向かって放り込む。
カツンと小さな音が響くと、やがてぼんやりと中の様子が照らし出された。
衝撃を加えると光る<灯り石>――これも錬金術の道具だ。光量は部屋ひとつをなんとか照らせる程度だが、半日以上持続するのが強みである。
ミコトは魔術の才には恵まれなかったが、
幸い、物作りに関してはそれなりに向いていたようで、いまのところなんとか生活できる程度にはやっていけている。
「やっぱり、一度戻った方がいいかな?」
地下はさらに崩れている可能性もある。となると、深く降りるための装備も必要になってくる。
そこで思い浮かんだのは、この仕事を依頼されたときの言葉だった。
『キミはその歳にしてはまあまあの腕だと言えるが、本職の錬金術師には足元にも及ばないということを自覚しておきたまえ。一瞬でもできるかなと思ったら迷わず引き返したまえ。迷わずできると思ったときでも考えたまえ』
信用がないというか高圧的というか、それではなにもできないのでは思ったが、額に指をぐりぐり押しつけては『わかりました』としか答えられなかった。
ただ、その人はこうも言っていた。
『キミの死に責任を感じる者が、ここにひとりいることを忘れないでくれたまえ』
困ったように頬をかいて、ミコトは立ち上がる。
「……ミリアムさんは心配性だからな」
ミコトの方からすると、ご自分の私生活の方を心配してもらいたいところなのだが。
目印に
「え――」
ぐらりと、足元が揺れた。
また瓦礫が崩れたのかと思ったが、そうではなかった。
ズンッと、足元から突き上げるような衝撃が走り、世界が震える。
――地震――
その名前に思い至ったのは、足元から地面がなくなってからだった。
「うわあああああああああああああああああああああっ」
真っ暗な地の底へと落ちていきながら、依頼主が最後に告げた言葉を思い出した。
『そうそう、キミの運の悪さはついぞ災害と認定されたらしいぞ――《人型災害》――キミの歩く先では竜巻だろうと嵐だろうと地震だろうと、起きて当然ということだ』
災害認定されるほどの不運体質――それが、このミコトという少年だった。