第一章 英雄夫婦の離縁バッドエンド(2)

   ◇


(それが、どうしてこうなっちゃったんだろう……)

 追憶から立ち戻ったホワイトが、額に添えた掌の隙間から正対を流し見る。

 執務室に備え付けられたお茶菓子を淡々と口に運び、ぱくぱくと頬の動きが止まらないエリーゼ。真面目な話の最中だというのに、甘味に目がくらんでいる様子だ。

 所作だけは恰好がついており、一見すれば麗しいティータイムに見紛う。

 実態は自制心をちっとも働かせていないだけなので、アルマは白眼視していた。

「……食べ過ぎだ。遠慮というものを知らないのか」

 アルマの苦言を受け、異を唱えるようにエリーゼがキッと凛然と睨み返す。

「なにをひぃっていふの。もてなひをふけるのがふぁくだとへも?」

「食べながら喋るな! 何を喋っているのかわからないのはこちらのセリフだ!」

「だいふぁい、あにゃははこまはいこふぉをきにふぃふひ。めいふぁふよ」

「迷惑被っているのも僕のほうだ。細かいことを気にしすぎだと言われる筋合いはない」

「ねえ、めちゃくちゃ意思疎通できてない? すごくない?」

 目を丸くするも、当のアルマたちは険悪でそれどころではない様子だ。

 そんな二人のあいだへ、ホワイトは「ま、まあまあ」となだめに割って入る。

「何だかんだ、きみたち今まで仲良くやれてきたじゃないか。だから……早まる前に聞かせておくれよ。離婚だなんて、軽々しくできる決断じゃない。何か、よほどの事情があったんじゃないのかい?」

 気遣いがちに尋ねられ、アルマは神妙な面持ちをつくる。

「ええ、お恥ずかしながら。僕としても一年足らずで夫婦生活を終わらせるのは本意ではなかったのですが、こちらにいるバカ……あぁ失礼。このバカが元凶なのです」

「言い直しきれてない、言い直しきれてないよ、アルマくん!?」

「私からも中将さんにお詫びします。人の心がわからない鬼畜ロボが、不甲斐なくて力不足で情けないばっかりに。人間としてどうかと思いますよね。なかなかどうして、ロボというのも言い得て妙だったかしら。物事の効率ばかり重視していてバカみたい」

「エリーゼくんも彼を煽らないで!? あっあっアルマくんどうか落ち着いて!!」

 鬼の形相で立ち上がったアルマを、必死な慌てぶりでホワイトが窘める。

 深呼吸をして、どうにか頭を冷やしたアルマが改めて口を開く。

「ふ……僕はこの上なく冷静です、見ての通りね」

「どう見ても冷静な人の顔じゃなかったよ」

「そんなことより事情を説明させていただきますが、構いませんか」

「ああ、うん……」

 夫婦に振り回されて早々に悄然としているホワイトが頷いた。

 そうしてアルマが語りだしたのは、つい昨日の出来事だった――……。


   ◇


「――誘拐? ウェギス国の外務大臣が、この西方で?」

 唐突に舞い込んできた驚愕の事件に、アルマは切迫した声色で聞き返す。

 顔面蒼白の様相で眼前にいる男は、平常なら中央司令部に勤務しているドグマ大佐だ。記憶によれば、彼は外務大臣の警護責任者を任されていたはずである。

 神経質そうに眼鏡を押し上げるドグマは、落ち着きのない素振りで首を振る。

「いや、行方がわからなくなっているのは外務大臣のご息女だ」

「ご息女? まさか、家族同伴で公務に訪れていたのですか……?」

「実はそうなのだよ。とんだ家族バカだと笑わないでやってくれ、無論ワタシもそんなことは考えていないが。どうしてもフェデンに行きたいという娘の駄々を外務大臣は断れなかったそうなんだ。まったくいい迷惑さ。ワタシはね、そんなこと思っていないが」

「そうですか……」

「ともかく、我々警護班が目を離した一瞬の隙だった、ご息女が忽然と姿を消していたんだ。おかげで外務大臣はお怒りだよ。それに娘をさらったのは東の過激派だと言い張って聞かない。心配性なきらいがある人だとは思っていたが、ここまで重症だとは!」

「…………」

「ワタシは、そんなこと思っていないがね?」

「お話をうかがう限り、誘拐とは限らないのでは。断定した根拠はあるのですか」

「クク、そんなものはない。だが外務大臣に面と向かってそんなこと言えるか!? すでに誘拐の線で捜査を始めている。万が一にでも、本当にテロ組織の標的になっていたのだとすれば、東西対立の危機に直面しかねない!」

「――……。それは、おっしゃる通りです」

「だろう? いやあ、きみならわかってくれると思っていたよ。そこで協力を頼みたい、きみがいれば最悪の事態だけは免れるはずだ、ストレン中佐!」

 切実に訴えていたドグマは、ここぞとばかりに縋り寄ってくる。

「外務大臣の愛娘……ニナ嬢の救出はくれぐれも、傷ひとつ付けずに完遂するぞ!」

「ハッ」

 仮にも上官命令である。軍服の襟を正したアルマは司令部の外へと足を向けた。

 それが露ほどの可能性だろうと、東西平和の存続を死守するためなら、アルマは全身全霊で戦うことを厭わない。凄みを宿した横顔は、英雄のそれに変貌していた。


 ――同時刻。

 雑貨店を巡り歩くエリーゼが、愛する『ユニコーンファミリー』のまだ見ぬキャラグッズを探していたところ、その段取りを中断せざるを得ない事態に直面した。

「あなた……迷子?」

 つい声を掛けた相手は、まだ幼い少女だ。見たところ年齢一桁。

 保護者らしき大人も連れず、きょろきょろと不審な挙措で街道をひとり歩いていた。そのため、親とはぐれたのだろうかと思ったエリーゼだったが、

「迷子って、あたしが? ちがうわよ」

 当の少女は、子ども扱いが心外だと言いたげに顎を持ち上げた。

「さがしもの。用がすんだらパパのとこへ帰るもの」

「そう……。探し物って?」

「あなたにはカンケイないわ。いそがしいの、かまわないでちょうだい」

 にべもなく突き放し、小さな歩幅を精一杯に広げて少女は立ち去ろうとする。

 だが……びたっと、すぐに足が止まった。

 前方から接近してくる巡回中の憲兵を避けるように、少女は焦り顔で身を翻す。ぱたぱたと足早に移動して、物陰に矮躯を押し込むと、憲兵が通り過ぎるまで息を潜めた。

 憲兵が完全に立ち去った後も、油断なく左右に視線を振って、安全を確信した頃にようやく物陰から出てくる。人馴れしていない仔猫のようだ。

 そんな一連の行動を後方から眺め、エリーゼは察する。

「憲兵に見つかったら、無理やりにでも保護されちゃうから隠れたのね。探し物を見つけるまでは、絶対に帰りたくない……そういうこと?」

「……うっ」

 図星を指された少女がたじろぐ。

 頼りなく揺れる瞳。先の態度も強がりだったと見て取れる。

 このまま別れたとして、早々に少女は保護されるだろう。子どもの独り歩きというのは目立つ。憲兵でなくとも、善良な一般市民であれば、少女のためを思って親元へ帰る手助けをするはずだ。それが大人として正しい行動には違いない。

 だが、それでは少女の望みが叶わなくなる。

 他ならない少女自身も、それを理解しているからこそ、見ず知らずの大人を頼らないのだろう。己の望みに添えないのなら、それが善意でも迷惑になるのだ。

 でも、頼れるものなら頼りたいはずだ。でなければ、そう不安を露わにしないだろう。

 少女の味方に立てる大人がいるとすれば、それは――彼女の意思を尊重して力を貸せる者だけに違いない。

 そして数奇なことに、少女が巡り合ったのは、その性分を持ち合わせる人間であった。

「ねえ。目的を果たしたいのなら、きちんと周りを利用してみたらどうかしら。意地を張るよりも、そのほうがよっぽど大人らしい振る舞いだわ」

 子供扱いを抜きにして真摯に語り掛けるエリーゼに、少女はハッとした。

(……な、なんて大人らしい女性なの、このかた!?)

 情けをかけるわけでもなく、ただ対等な目線で自分に語り掛けている。

 たとえ拒もうと、その意思を彼女は尊重するだろう言葉の重みさえ感じられた。

「……くぅ……!」

 少女は歯がみした。ただ何となく、このまま懐柔されるのは癪だったのだ。

 むしろ反発心を煽られ、子供らしい感情だと理解しながらも無性に手を払いたくなる。

 が、流石にそれは恥知らずが過ぎる。小さな胸のうちで育まれた気位の高さが、そんな無様を許さなかった。

 悔しさで顔を赤らめつつも少女は、どうにか、すんでのところで余裕を取り繕った。

「いいわ。あたしはニナ。あなた、あたしのお手伝いをしてくれるのよね」

「あんなに偉そうにしておいて今更断らないわ。任せて」

「……。……そう? ありがとう。それで、あなたのおなまえは?」

 そう、あくまで己は相手を認めてあげる立場。ニナは腕を組んで尋ねた。

 西国の重鎮である父の名に懸けて、容易にへりくだるわけにはいかないのだ。

 背伸びするニナに対して、エリーゼはたおやかな微笑を向けた。

「私はエリーゼ」

「…………エリーゼ? ふうん、あの『西の英雄』とおなじおなまえなのね」

「うん? ああ、それ私」

「……?? なんのジョークかしら……」

「だから――あ、そっか。騒ぎにならないように変装してるんだった」

 エリーゼは人目を気にしつつ、つば付きの帽子を傾けて伊達メガネもずらす。

 膝を折って目線を合わせた素の相貌は、正面に立つニナにのみ晒された。

「…………」

 ニナの目が点になる。

『西の英雄』といえば、ニナの母国であるウェギス出身の伝説的な女性である。

 戦争を終わらせて東西を平和に導いた二人の英雄、その片割れ。パートナーである『東の英雄』ことフェデン国の軍人アルマとの恋愛譚はあまりにも有名だ。

 それは特にニナのような、色恋に敏感な年ごろの少女にとって羨望の的だった。

「――エ、エリーゼ、さま……!?」

「様?」

「ごめんなさい、あたし、そうとも知らず……! ど、どうしましょう、とても失礼な態度をとってしまったわ。頭ならいくらでも下げますから、パパが!」

「パパ?」

「……パパのことならいいの、あたしがお願いすればなんでも聞いてくれるから……。それより、エリーゼさま、どうかあたしを手伝って!」

 一気に態度を軟化させたニナに、当惑気味のエリーゼが首を傾ける。

 そうして堰を切ったようにニナは事情を語った。少女の探し物、それは――

「……風船?」

「動物さんみたいに結んでくれて、かわいかったのよ。でも、びゅわって風で手元から飛ばされちゃって、急いで追っかけたけど見つかなかったわ」

「そんなに、特別なモノだったの?」

「…………妹がいるの。体が弱くてあんまり遊べないけど、あたしと同じでエリーゼさまのファンなのよ。もしかしたら会えるかもって、パパにお願いしてこの街に連れてきてもらったわ。でも、すぐ疲れて寝こんじゃった。いまはおうちで休んでる」

 形のいい眉を八の字に傾げ、ニナは頼りなげに呟いた。

「このままじゃ妹がかわいそうだわ。だから、あの風船をあげたいの。きっと落ち込んでるだろうから、ちょっとでも元気になってほしくて」

「そっか……事情はわかったわ。いいお姉さんね、あなた」

 この上なく優しい声色で、慈しみを持ってニナの小さな掌を取った。

 英雄然とした凛々しい姿を、子供の潤んだ双眸が反射させる。

「任せて。どんなことがあろうとも、あなたの願いは、私が守ってあげる」

 ――この約束が、誘拐事件の解決に動く国軍を大いなる混乱に招くことになる。

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