第一章 英雄夫婦の離縁バッドエンド(1)

「離婚って、それはマズいよ。アルマ中佐……!」

 恰幅のいい初老の男性が憂いを滲ませて唸った。

 東の大国と名高い軍事国家フェデン、西部の中心都市ジョンポート。

 その市に置かれるフェデン国西方軍の司令部にて。

 西方軍司令官である初老の男性――国軍中将のホワイトが座する正対には、もうひとり年若い軍人の青年がいた。

「妻とも既に話し合ったことです。式の仲人を引き受けてくださったホワイト中将には、面目ありません」

 背筋を伸ばした隙のない居住まいで、目をそらさず青年は真っ向から応じる。

 国軍中佐、アルマ・ストレン。

 光を呑む黒髪。堂々たる声色に加え、利発そうな切れ長の双眸。

 屈強というほどの躯体ではないが、軍服を内側から押し返す逞しさが確かに伺える。

 齢二十にして中佐という地位に就いた異例の若輩。どんな過酷な任務も平然とこなしてきた冷静な彼をして、今だけは隠そうとしても隠しきれない苛立ちが漏れていた。

「本日はその報告に。妻も挨拶するのが筋かと思い、連れてきました」

「えっ!? き、来てるの?」

「廊下で待たせています。呼ばせていただいても構いませんか」

「えぇ……来ちゃった以上は仕方ないけど、ここ一応、フェデン軍部の施設だからね。民間人をほいほい招き入れちゃうのは困るなあ」

「ハッ。金輪際致しません。エリーゼ、中将がお目通りしてくださる。入りたまえ!」

「うん……この注意、前にもぼく何度か言ってるけどね……」

 本当に聞き届けてもらえているのかと、胡乱げに呟くホワイトだった。

 さておき、アルマの妻が入室してくるのを、じっと待つ。

 それから――しばし、時が過ぎた。

 刻々と続く沈黙。ホワイトが疑問符を浮かべた頃、アルマはひくっと眉を持ち上げ、足早に移動する。その勢いのまま扉を押し開いた。

 よもや挨拶を放り出して遁走したのかと思ったが、はたして、妻は眼前にいた。

「貴様……いるなら、なぜ入ってこない?」

 尋ねたアルマが、エリーゼを高圧的に見据える。

 膝裏に届くほど長い金髪。

 鼻頭まで垂れた前髪の隙間から、深紅の双眸がちらりと覗く。

 そこでスカートの裾を子気味よく左右に揺らす彼女は、妙に上機嫌に映った。

 生き生きとした瞳で、胸元まで掲げた両の掌へと、一心に視線を注いでいる。何かを手中に包み込んでいるようだが……そこに上機嫌の理由があるのだろうか。

 が、アルマにとって、彼女の機嫌はどうでもいい。

 こちらの声掛けに気づいていないのか、それとも、嫌がらせで無視しているのか。

 どうであれ、眉間に皺を寄せるアルマは、さらに声を張って呼びかけた。

「おい。エリーゼ!」

「……」

 すっ、と彼女の目線が持ち上げられる。

 そして、こちらを視界に収めた途端、エリーゼはめちゃくちゃ嫌そうな顔をした。

 先の機嫌の良さが嘘のようだ。

「いきなり大声を出さないで。何なの?」

「いきなりなものか。さっきから呼んでいるだろ。さっさと部屋に入れ」

「こんな場所に連れ出しておいて、ずいぶんな物言いをするじゃない。こっちは、『ユニファミ』のグッズ販売会を断腸の思いで切り上げて来てあげたのよ」

 言いつつ、エリーゼは右手を突き出した。

 よく見れば、指先に何かつまんでいる。ボールチェーンに繋がったミニフィギュアだ。額に角が生えた白馬……一角獣を模したファンシーな造形である。

『ユニファミ』――正式名をユニコーンファミリーという人気キャラクターブランド。

 可愛いもの好きであるエリーゼのお気に入りで、情熱的にグッズを収集していた。上機嫌だったのは、戦利品であるグッズを愛でていたおかげだったのか。

 その喜びも、アルマを前にして、膨らみ切った不満に押しのけられたようだが。

「せっかくの限定グッズが、コンプリートできなかった」

「知らん。どうでもいい。部屋に入れ」

「いま、『ユニファミ』を軽んじた? 万死に値するわ」

 エリーゼの眼差しが剣呑さを帯びる。

 視線を向けられたのが一般人なら、きっと震え上がるだろう眼力の鋭さだ。

 それを、アルマは眉一つ動かさずに跳ね除けた。

「いいから、さっさと、部屋に入れ!」

「頭ごなしに指図されるのは不愉快よ。さながら『ファミユニ』の主人公ユニちゃんのライバルであるガラクタ島の鬼畜ロボみたいな強引さね」

「語るな。うっとうしい!」

「あなたが深々と頭を下げて謝罪するまで、私はテコでも動かないわよ」

 気分を害したと被害者面のエリーゼが宣った。無駄に威勢がいい。

 ちっとも話が進まず、アルマは額に浮かぶ青筋を濃くした。

 そんなとき、執務室で待つホワイトから呼び声が届いてくる。

「エリーゼくん、まだぁー?」

「あら。いま行きます」

 潔い前言撤回ぶりで、軽やかに足を動かしたエリーゼが入室する。

 変わり身の早さに目を見張るアルマは、廊下に置き去りにされた。一瞬出遅れて、エリーゼの後を追う。

 アルマ当人が相手でなければ、こうもすんなり話が進むか。

 文句を言いたいところだが、エリーゼは早速、ホワイトと挨拶を交わしていた。

「お久しぶりです、中将さん。少し痩せました?」

「はは、二回りは太ったよ。ご無沙汰だね、エリーゼくん」

「半年ぶりですね。結婚式ではお世話になりましたから、中将さんを無下にはできず、足を運ばせていただきました。日を改められたら、どれほどよかったことか……」

「すっごい不満そうだ……何というか、大切な用事を潰してしまって、ごめんね」

 廊下での言い合いが聞こえており、いたたまれなくなったホワイトが詫びた。

 それから、おずおずと慎重な口ぶりで、エリーゼに尋ねる。

「ええと……アルマくんから聞いたところだけど、本当に離婚しちゃうの?」

「はい」

「だ、だけど、きみら結婚して一年も経っていないよ。時期尚早というか、もうちょっと考え直したほうがいいんじゃない?」

「いいえ」

「……………………」

 ホワイトが目元に翳を落とし、手で額を押さえた。

「えっと、もうひとついいかい。……エリーゼくん、腰元のそれは?」

「愛剣です。離婚の報告と聞いたので」

「おかしいな……正しく話が伝わっているとは思えない……」

「他の何を差し置いても必要かと思って」

「この状況のどこに用途を見出したの!?」

「ふふふふ」

「怖い! 笑顔がすごく怖いよぉ!」

 己の肩を抱き、ホワイトが青ざめた顔で叫ぶ。

 薄い笑みのエリーゼは、シャリシャリと鋼の擦れる音を剣から鳴らしていた。

 寒気を覚える姿に一転して沈黙するホワイトだったが、深く嘆息すると、とぼとぼとソファに座り直す。

 その対面で、アルマとエリーゼも横並びに腰をおろす。さながら猛獣の縄張り争いかのごとく視線でお互い牽制しており、心なしか部屋の気温が下がった気がした。

 半端ではない居心地の悪さが漂う空間で、元凶の夫婦が火花を散らす。

「まったく……僕に無意味に突っかかってくるのも大概にしろ。時間の無駄だ」

「人を非難する前に自分の行いを顧みたらどう? まず私に対する口の悪さを矯正してくるべきね。他の人にはそこそこ慇懃に接するくせに、なぜ私にはできないの?」

「僕の礼節をそこそことか言うな。僕は軍人として上下関係を遵守しているだけだ。敬意を示すべき相手かどうかは、僕が選ぶ」

「謎が深まったわ。それなら、私にも敬意を示して然るべきじゃない」

「自分を格上だと信じて疑わないのをやめろ。たわけが!」

「そっちこそ、当たり前みたいに私を見下すのはやめて。不愉快極まりないわ」

「はんっ、お褒めの言葉が望みか? いいだろう、きみが勝る点を見つけたぞ。己の不平不満を解消することに前のめりで、状況の最善を鑑みない短絡的な思考は一級品だ」

「ふ、ふふ……言ってくれるじゃない。でも――お生憎さま、本当に私が短絡的だったなら、とっくに剣を抜いていたわ。つまり、あなたの言い分は見当違いもいいところ」

「おや。気のせいかな。声が震えているぞ。実のところ我慢の限界なんだろう。珍しく理性を働かせているが、どうせすぐにボロを出す。きみはそういうやつだ」

「気安く私を語らないでほしいわね、あなた風情が!」

「――……」

「……――」

「ちょ、そこまで、そこまでにして二人とも!?」

 暴力沙汰に及びかねない気配を察し、ホワイトが必死の形相で止めにかかる。

 アルマとエリーゼは不服そうに鼻を鳴らし、互いに顔を背けた。

 この短時間で心労が重なり、悄然と肩を落とすホワイト。

「きみらの気持ちはともかく――……離婚は、簡単にはいかないかなあ」

「……」

「? どうして」

 口を真一文字に結ぶアルマの隣で、エリーゼが疑念を呈した。

 醸される空気の質が変わる。真に迫った声色で、ホワイトは明快な事実を並べるかのように続けた。

「きみら二人の立場はね、特別なんだ。世間から注目を浴びすぎている」

 過去に想いを馳せる、遠い眼差しで。

「知っての通り、ここフェデン国は隣り合う西国ウェギスと長いこと戦争をしてきた。終戦を迎えたのはわずか一年ほど前、今でこそ両国は和平を結んで復興期に入っているけれど、戦時中からすれば奇跡のように平穏な光景だろう」

「……」

「新時代の功労者となったのは、西国ウェギスを徹底して滅ぼす姿勢でいたフェデン国の前政権に対し、クーデターを成功させた東西連合軍。戦争を終わらせるため、敵対していた国軍の一部とウェギス国の兵隊とが結託した。それぞれを率いたのが――……」

 視線を往復させ、ホワイトが目配せする。

「そう、他でもないきみたちだ。終戦後に結婚したきみらは、根深く敵対していた東西の垣根を超え、両国から大いに祝福された。まさしく平和な時代の幕開けだとね。いまや世間では両国に安寧をもたらした『平和の象徴』だよ」

 ソファから腰を上げ、窓際に歩み寄ったホワイト。

 そこから見渡せるのは、澄んだ青空の下で、多くの市民が往来する街並み。

 その光景を目に焼け付けるようにして部屋の内側へと視線を戻す。

「繰り返すけれどね、きみらは――ストレン夫婦は、東西の『平和の象徴』だ」

 いっそ鬼気迫る声色に、誰かが固唾をのんだ音が響く。

 深刻な面持ちのホワイトは、言葉にするのも憚られるような重い舌で紡いだ。

「もし、きみらが離婚したと世間に知れ渡れば、動揺は隅々にまで広がってしまう。フェデンとウェギスが再び対立を煽られ、挙句には第二の戦争にまで発展する恐れがある。わかるかい? このままじゃあ東西の平和が、こう、とにかく……ヤバい!」

「――!?」

「……いささか大袈裟かと思いますが……」

 素直に瞠目するエリーゼと、可能性に理解は示しつつも半眼のアルマ。

 危機感が思いのほか響いておらず、わりとガチに半べそをかき始めたホワイトは、

「い、いやね、これは決して些細な問題じゃないんだよ。当事者であるきみらは、ひょっとしたら自覚が薄いかもしれないけれど、周りにとっては一大事だからね……?」

「はあ」

「そ、そもそもだけど、ぼくだってまだ信じられないよ。結婚したばかりの頃はラブラブの夫婦だったじゃない。そうでしょ?」

 一縷の望みに縋る必死さでホワイトが尋ねる。

 あわよくば幸福な情景を呼び起こさせ、心を繋ぎとめてはくれないかと……が。

「……らぶ、らぶ…………はぁ~~~~~~~……」

「……………………………………………………結婚当初……ふっ」

「めちゃくちゃ嫌そう!?」

 見たことないほど長い溜息をつくエリーゼと、いっそ冷血漢のように鼻で笑うアルマを前に、ホワイトの悲痛な叫びが空虚に反響した。

 いや、しかし――ホワイトはかぶりを振るう。自分が知るはずの夫婦は、決して、こんな愛想という愛想が尽き果てたカップルではなかった……!

 魂が抜け落ちた昏い瞳の夫婦を前に、ホワイトは思い返す。

 戦地という過酷な環境下で紡がれた英雄同士の恋愛譚、そのハイライト。

 このような末路を迎えてしまう前にあった、幸福な晴れ舞台を――……。


   ◇


 東西の歴史にも刻まれたストレン夫婦の結婚式、その当日。

 両国の重鎮が列席し、大手メディアも取り上げた。現地に赴けない市民の多くは歴史的な瞬間をその目に焼き付けようと、ラジオやテレビを囲むように集まった。

 式場としては、フェデン西方で最も広大な聖堂が特別に貸し出されている。

 そこに立った新郎新婦、アルマとエリーゼは誰の目から見ても――

「綺麗だ、言葉では伝えきれない。きみを愛している……」

「……私も好き。アル、愛しているわ。世界で一番、誰よりも」

 周囲など意に介さない惚気ぶりをまき散らしていた。

「あのおー、愛の誓いは、まだ先なんですけどお!?」

 段取りを無視され、事あるごとに二人の世界に入るおかげで司祭がキレ気味に叫んだ。

 それが聞き流される光景も、もう何度見せられたかわからない。

 同情の余地しかない司祭に参列者は気の毒そうな目を向ける。式は一向に進まないが、あの甘すぎる空気に割って入る度胸の持ち主はいない……かのように思えた。

「二人ともその辺にしてさ、ほら、司祭も困ってるから」

「! ホワイト中将」

 アルマを我に返らせることに成功したホワイトに、参列者から感嘆の声が重なる。

 遠目だが声の届く距離で、信頼する上官を視界に入れたアルマが相好を崩す。

「これは失礼。気づきませんでした」

「あはは……あれだけ夢中ならね。仲が良いのはいいことだけど」

「いつから来ていたんです?」

「そこから!?」

「ああ、申し訳ない。そういえば式の最中だった」

「そこまでうっかり忘れる人いるかな。当事者だよね、きみ」

「……エリーゼ。きみは美しい」

「二人の世界に戻るの早すぎない!?」

 結局、結婚式を進展させることは不可能だった。

 ふがいない結果に参列者からはヤジが飛び、ホワイトが肩をすぼめて着席する。

 万策尽きたと司祭は目元を覆うが、アルマとエリーゼの愛情表現は歯止めがきかない。

「エリーゼ。好きだ」

「聞かせて、もっと」

「エリーゼ…………好きだあ――――――――――――――――――!!」

 愛をねだる新婦の期待に、新郎が全力で応えた。

 声量の圧で参列者たちは思わずのけぞる。これが後に市民の間で流行する『絶叫する英雄』である。

 感極まったエリーゼのほうから、とうとう瞑目して唇を差し向ける。

 一貫して怜悧な面構えのままアルマも緩慢に顔を近づけた。

 またしても段取りを無視されつつも、式の山場を漫然と流すわけにはいくまいと、気を取り直した司祭が参列者やメディアに向かって声を上げる。

「……やるんですね、いまここで! いいですか、皆さんいいですか。聖堂の鐘も合わせて鳴らす準備を、急いで! お二人は私たちを待ってはくれません、さあ早く早く早く、はいキス……ってもうやってる!? 今すぐ鳴らして、ほら、鳴らせ――!!」

 荘厳な鐘の音が響き渡る。数多のカメラが祝福の瞬間を切り取ったのだった。

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