第一章(2)

            *


『双星別離。コウエイ、巨岩を斬り、【天剣】をオウエイに託す』


 その日の晩。

 俺は張家の屋敷にある自室の窓際で独り椅子に腰かけ、『煌書』に読んでいた。

 屋敷内で湧き出す温泉に入ったお陰か、昼間の心労も和らいだように感じる。時折吹く夜風も最高に気持ちがいい。湖洲には天然の温泉が多いのだ。

 お茶の入った椀に映り込んだ三日月を覗き込みながら、小さく独白する。

「……随分と劇的に書かれているもんだなぁ。自分のことが後世にまでこうやって残っているのは、変てこな気分だが……」

 立ち上がり、置かれている姿見に自分を映す。

 黒髪紅眼。まだ、成長仕切っていない細い身体。来ているのは黒基調の浴衣。

 俺が親父殿に戦場で拾われて十年。


 つまり、高熱で死にかけ、前世の記憶を取り戻してから早十年が経った。


 と……言っても大半は朧気だし、『皇英峰』だったという意識もまるでない。

大半は『ああ、そうだったな~』と思い出す程度で、受け継いでいるのは武才くらいだ。

拾われた際の記憶もぽっかりと抜け落ちていて、覚えているのは今世の両親が商人だったことと、その二人に連れられて旅をしていたことくらい。

……両親は敬陽郊外で盗賊に襲われて命を落とした、と親父殿に聞いている。

 俺は史書を手に取り、再び椅子に腰かけた。

「にしても……まさか、英風が約束通り天下を統一したとはなぁ」

 前世の俺が死んだ後、盟友は皇帝を説得し、瞬く間に【燕】と【斉】を滅ぼしたようだ。

『【天剣】を帯び、常に陣頭で指揮を執るも、一度たりとも抜くことなし』

変に義理堅いのはあいつらしい。

 ……が、二代皇帝は、天下統一後も暗君振りが収まらず。

自らの遊興の為、民に重税を課し遊んでばかりだったようだ。

 そんな皇帝を窘めた英風すらも、あろうことか叛乱容疑で投獄。

 処刑される直前の英風を助けたのは、死ぬ前の皇英峰を助けてくれた『老桃』の守備隊長で――廊下を規則正しく歩く音が聞こえてきた。

「来ました」

 銀髪をおろし、風呂上りの白玲が姿を見せる。

 やや濡れた銀髪と、薄蒼の寝間着に身を包んだ未成熟な肢体。胸はなくとも、微かな色気は隠しようがない。

……夜、男の部屋に来るのは駄目なことだと、一度説教した方が良いんだろうか。

 思い悩む俺に気付かず、白玲はさも『当然』といった様子で部屋へ入り、長椅子へと腰かける。

 ――俺達は十三まで一緒の部屋で寝ていた。

 そのせいもあって、夜寝る前はこうしてやって来て、少し話をするのが未だに習慣になっているのだ。

俺はこめかみを押し、机の上の布を少女へ投げつけた。

「……髪拭かないと風邪ひくぞ? お茶飲むか?」

 細い手を伸ばし、布を取り頭に載せた白玲が口を開いた。

「少しだけ。眠れなくなるので」

「寝坊してくれると、早朝に起こされなくて俺は嬉しいんだが?」

 苦笑しながら、珍しい硝子の杯に茶を注ぎ、近づいて差し出す。

 白玲が小さく「……ありがとう」と呟き、杯を手にした。

 俺は灯りがかけられている近くの柱に背を預け、円窓から外を見た。

 無数の星が瞬き、満月が浮かんでいるが――北天に『双星』はない。

 お茶を飲んでいると、白玲が口を開いた。

「……あっちの方が」

「ん~?」

 視線を銀髪少女へ向けると、顔を伏せている、

 小首を傾げ、続きの言葉を待っていると……静かな問いかけ。

「都の方が楽しかったですか?」

 ――栄帝国首府『リンケイ』。

 五十余年前。【玄】の大侵攻によって大河北方を喪った帝国が定めし臨時の都。

都から見て北西部に位置する敬陽とは大運河で繋がっており、無数の水路と橋が張り巡らされた大都市だ。人口も軽く百万を超えているらしい。

 俺は外の満月を眺めながら、素直に感想を述べた。

「大陸中から、人と物と銭が集まっているのは確かだったなー。東栄海から、異国の船も直接入って来るし」

「…………答えになっていません」

 ムスッとした表情の白玲が俺を見た。

 茶碗を置いて考え込み――わざとらしく手を叩く。

「ああ! そうか、白玲様は俺に置いて行かれたのを、未だに拗ね――」

「今すぐに死んでください。いえ、私が殺します。覚悟はいいですか?」

 極寒の反応。こ、心なしか。銀髪も浮かびあがっているような……。

 俺は途端に怯み、しどろもどろになる。

「そ、そんなに怒るなよ。張家の跡取り娘がそういう言葉を使うのは……」

「貴方に対してだけです。……拗ねてなんかいません。初陣は一緒に、っていう約束を破られたのも全然気にしていませんし、手紙が全然来なかったのも、嘘吐き、だなんて思っていません。本当です。…………本当に、拗ねてなんかいません」

「………」

 白玲はそう言うと、頬を少し膨らまし顔を背けた。

 ……折を見て、と思ってたんだがなぁ。

 頬を掻き、部屋の隅に避けておいた革製の鞄から布袋を取り出した。白玲へ手渡す。

「ほい」

「? ……これは??」

 銀髪の美少女は布袋の紐を解き、中から螺鈿細工の小箱を取り出した。

 各面に精緻極まる花や鳥が彫り込まれている。軽く手を振りながら説明。

「都で流行っている舶来品の小箱。東の島国の物らしい。髪紐や花飾りの保管用に、な。使わないなら、使わなくて――……」

 俺の言葉は尻すぼみになって消えた。

 部屋を別々にして以来、冷静さを増したように思う銀髪の美少女は、小箱を子供のように眺めながら、顔を綻ばせている。

「――綺麗」

「…………」

 不覚にも見惚れてしまう。……こういう所が敵わない。

 背を向け、照れ隠しに早口で回答する。

「親父殿の命令で行ってはみたが……俺にはこっちの方が合ってるなっ! 科挙に受かる気もしないし、目指せ! 地方勤めの文官だっ!!」

 栄帝国では、命を張る武官よりも、書類仕事をする文官の権限が強い。

 『科挙』と呼ばれる超難関の官僚登用試験に合格すれば、将来は約束されたも同然。

 国家中枢で働くなら合格は必須だが……人間業とは思えない程、勉学に励まなくてはならないのだ。そして、俺にそんな才覚はない。

 だからこそ――俺は地方文官になって、のんびりと生きるのだ!

 小箱を大事そうに布袋へ仕舞い、しっかりと紐を結んだ白玲が、くすくすと笑った。

「貴方が地方の文官? 似合っていない、くしゅん」

 可愛らしいくしゃみ。耳と首筋が赤くなっていく。俺は少女へ手を振る。

「部屋へ戻れよ。明日は、親父殿も前線から戻られるんだろ?」

「……貴方も寝るならそうします」

「もう少し読書を」「なら、私も寝ません」

 俺が『煌書』を指差すと。白玲は即座に否定し、枕を抱え口元を隠した。

額に手をやり、顔を顰める。

「お前なぁ……分かった。俺も寝るって」

「よろしい、です」

 勝ち誇った顔になった白玲は両手でしっかりと布袋を持ち、立ち上がった。

 そして、軽やかな足取りで俺の傍へ。

 ――花の香り。

あれ? 俺の寝台と同じ匂い、か?

 不思議に思いながらも、関係ない事を聞く。

「独りで戻れるよな?」

「子供扱いしないでください。蹴りますよ?」

「もう蹴ってるだろうが!?」

 口よりも早く出て来た少女の足を躱し、部屋の外まで見送る。

 軽やかな足取りで白玲は廊下を歩き始め――すぐに立ち止まった。

「明日」

「ん?」

 聞き返し、言葉を待つ。

 夜風が吹き銀髪を靡かせる中、少女は振り向き提案してきた。

「明日、御父様が戻られたら、久しぶりに馬で遠駆けしませんか? ……三人で」

「? 別に良いけど……」「本当!?」

「うおっ」

 いきなり白玲が、小さい頃のように俺の胸元へ飛び込んで来た。

 ――薄手の寝間着故に、柔らかい双丘の感触がしっかりと伝わってくる。

 俺の逡巡に気付かず、御姫様がはしゃぐ。

「ふふふ♪ 昼間見せましたよね? 私は馬術もかなり上達しました! 明日は絶対に負けませんよ? 競争です」

「……そうか。取り合えず、だ」

「? どうかしたんですか??」

 不思議そうな顔をしながら、白玲は俺を見つめてきた。未だに、自分がどういう体勢なのか気付いていないようだ。……どうして、頭が良いのに気づかないんだよ。

 頬を掻きながら、仕方なく状況を説明。

「離れてくれ。い、幾らお前に胸がそんなになくとも……な?」

「…………あ」

見る見る内に少女の白い頬と肌が朱に染まっていく。

 殊更ゆっくりと離れ、手と足を同時に出しながら廊下へ。

 背をむけたまま深呼吸を繰り返し――そのまま口を開いた。

「――……おやすみなさい。明日は寝坊しないでくださいね?」

「ああ、おやすみ。しないしない」

「……ふん」

 不貞腐れたかのよう呟きを漏らし、少女は去って行った。

 気配が完全になくなった後――俺は部屋へと戻り、『煌書』を手に取ると、寝台へ寝ころんだ。わくわくしながら、書物を開く。

 英風がどうなったかを見届けてやらないとなっ!


            *


「やばいっ! やばいっ!! やばいっ!!!」


 翌朝。

俺は屋敷の廊下を全力で駆けていた。外から、民衆の歓声と馬の嘶きが聞こえてくる。

親父殿――栄帝国の防衛を一身に背負っている名将、張泰嵐が敬陽に帰還したのだ。

居候の俺が寝過ごして出迎えないのは、非常にまずい!

「し、しかも、こういう日に限って白玲は起こしに来ないし……昨日の仕返しか!?」

 悪態を呟きながらとにかく急ぐ。

 親父殿の趣味に合わせ頑丈に作られている廊下を駆け抜け、質素な玄関前に辿り着くと、軍装の礼厳がそわそわした様子で待っていた。

「若! お早く、お早く!! 皆、既に整列しております!!!」

「お、おうっ!」

 爺に頷き、急いで屋敷の外へ。

 すると――正門前で張家に仕えてくれている者達が整列していた。

皆、緊張しつつも高揚が見て取れる。

前線の実情を知らない臨京にいる連中はともかく、湖洲に住む者で、【玄】の侵攻を防ぎ続けている親父殿に感謝しない者はいないのだ。

誇らしく思いながら、俺も淡い翠を基調した礼服の白玲の隣にそそくさと立つ。今日は白と蒼の髪紐で銀髪を結い、花飾りも前髪に着けている。

少女はちらりと俺を見て、冷たく一言。

「……遅い」

「お、お前が起こしに来ないからだろ」

「…………はぁ」

「な、なんだよ」

 溜め息を吐いた銀髪の美少女の手が伸びてきて、細い指で黒髪を梳いてきた。

張家に仕えている人達はともかく、警護の兵達の視線が集まり、恥ずかしい。

「お、おい」

「動かないで。……寝癖、みっともないです。枕元に礼服の用意もしておいたのに、普段通りの服を着て来るなんて……」

 有無を言わさず、白玲は俺の寝癖を直していく。

……起こさなかったのは、まさかこれを人前でする為に!?

 爺を始め、使用人達の『仲がおよろしくて、大変結構ですね♪』という生暖かい視線に耐えていると、屋敷の正門前に黒い馬が止まった。

 降り立ったのは、厳めしい顔と見事な黒髭、巨躯が印象的な偉丈夫。

 腰に無骨な剣を提げ、身体には傷だらけの鎧を身に着けている。

 【護国】の異名を持つ、字義通り栄帝国の守護神――張泰嵐だ。

 七年前、【玄】の先代皇帝が生涯最後に行った大侵攻を不屈の闘志で凌ぎきった名将。

 白玲の実父であり、俺を戦場で拾い、育ててくれた大恩人でもある。

 親父殿は従兵に「頼むぞ!」と馬を預け、門を潜り抜けて大股で屋敷内に入って来た。

 すぐさま俺達に気付き、名を呼んでくれる。

「おお! 白玲! 隻影!」

 少女は俺をようやく解放し、向き直ると優雅な動作で一礼した。

「――父上、御無事の帰還、おめでとう、きゃっ」

 最後まで言い終わる前に、親父殿は丸太のような両腕で娘を軽々と抱き上げた。

 厳めしい顔を崩し、大声で笑う。

「はっはっはっ! また少し背が伸びたのではないか? 小さい頃のお前は食も細く、何時まで経っても背が伸びず、亡き妻と一緒に、夜な夜な心配したものだったが……。うむうむ! 上々上々。やはり、隻影が帰って来たからか!」

「ち、父上。み、皆が見ていますっ!」

 堪らず、白玲が抗議した。

 親父殿は愛娘を地面に降ろし、手を頭に置いて謝罪。

「うむ? おっと、すまんすまん。どうにも癖でな。許せ!」

「…………」

 白玲は恥ずかしそうにしながら黙り込み、すぐ俺を睨んできた。助けなかったのが不満らしい。爺にも視線で促されたので、口を挟む。

「親父殿、前線よりの帰還おめでとうございます」

「うむ! 臨京と義姉上はどうであった?」

 愛娘を解放した名将は髭をしごきながら、簡潔に尋ねてきた。

 白玲が俺の後ろに回り込み「……遅い」と囁いてくる。後が怖い。

「叔母殿にはしごかれました。都市も栄えてはいましたね。……ただ」

「ただ?」

 当代随一の名将の視線が俺を貫く。

 ――その何でも見通す瞳は、煌帝国初代皇帝に少しだけ似ている。

「いえ。どうやら、俺には敬陽の方が性に合っているようです」

 親父殿はそれを聞いて破顔。

 近づいて来て、俺の肩を大きな手で何度も叩いた。

「はっはっはっ! そうか、そうかっ!! 明日以降は混み合った話を諸将とせねばならん。その前に土産話を聞かせてくれ。――礼厳、息災か?」

「はっ! 殿。御無事の御帰還、何よりでございます」

「なに、城に籠って睨み合っていただけよ。玄の皇帝は恐ろしく慎重で有能な男だ。七年前、先代皇帝が急死した折、全軍を指揮し追撃する我等を、見事な指揮で押し留めてみせた。あの時が十五。しかも、初陣であったという。この七年で更に成長しておろう。――どうにか、都から増援を引き出せねばなるまい」

 俺達から離れ、親父殿は爺や皆と言葉を交わしていく。

 どうにかこれで――白玲に裾が引っぱられた。

 長い付き合いなので理解する。『昨日の遠い駆けの話!』。……約束だしな。

 皆からの歓迎を受けている名将の大きな背に声をかける。

「あ~――……親父殿。お願いがあるのですが」

 すると英雄は即座に振り返った。

「? どうした?? 何か――……はっ! もしや、お前も白玲と同じようにしてほしかったのか!? ……すまぬ。儂としたことが気付かなんだ。許せ! さぁ、この父の胸に飛び込んで――」

「違います。違います。何処ぞのお姫様と違って、そういう趣味は持ってない、っ!」

「…………」

 慌てて否定すると、白玲に俺の左手の甲をつねられた。

 美少女へ抗議の視線を向けつつ、提案する。

「落ち着かれた後で構わないので、遠駆けに行きませんか? 昔みたいに三人で」

 名将は目を大きくし、驚いた様子を見せ――次いで破顔。

「良かろうっ! この張泰嵐。少々歳を喰ったとはいえ、未だ未だ子等には負けぬ。遅れず、着いてこい!」

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