【#3】山城桐紗は断らない(3)

     §


 俺は1LDKのアパートに一人暮らしをしている。

 家賃は訳あって格安にもかかわらず、築年数が新しいこともあって小綺麗。立地もまずまず。比奈高に入るのと同時にここへ住み始めたが、今まで何の不満もなく過ごしてきた。

 一人暮らししている理由、だが──桐紗のように実家から上京してきたから、というわけでもないし、両親と一悶着あって家を出た、というわけでもない。実家はしがない東京の美容院でしかないし、家族仲も普通だ。

 ざっくり言えば、実際にイラストレーターとしてやっていけるということの証明をするために、親元を離れている。今は仕事も貰えているし少しずつ貯金もできているが、それが十年後も続いている保証なんてどこにもない。終身雇用というシステムに一石を投じられることの多い今の世の中だが、フリーランスだと、そもそもそんなもの無いし。

 一足早い自立、みたいなもんなのかもしれない。そう考えると、自分がそこそこ立派なことをしていると思えて、自己肯定感が高まる。うんうん、今日も生きてて偉いねっ。

『人は、ただ生きてるだけで偉いんデス!』

 ……そういや、あいつの座右の銘が、そうだったっけか。


「うおおおおお! 逆転・満塁・ホームラン! 流石ベテラン、頼りになりマスねえ!」

 帰宅してリビングに入るなり、テレビの音と歓声が混ざった大音量に出迎えられた。

「……あ。おかえり、チカ。なんか、今日はいつもより遅かったデスね」

「ああ。所用で、ちょっとな」

「そうデスか……ああ、それと出前は受け取っておきましたよ。今日はお寿司お寿司〜」

 大きめのビーズソファを踏み潰し、絶叫しながらプロ野球のナイター中継を観戦していたそいつは、俺の帰宅と共にダイニングの方に、とことこやってきた。

 まさに呑気そのもの。俺だって、小言なんか言いたくないんだけどな……。

「な、なんデスか? ニアの顔に、何かついてます?」

「……お前、今日も学校に遅刻しただろ」

「ぎくっ」ぎくじゃない。あれほど言ったのに、またもこいつは寝坊したらしい。

「……客観的に見て、俺はお前を甘やかしすぎているのかもしれないな」

「ま、まさかチカも、キリサみたいに口うるさく説教するつもりデスか?」

 そんなんしても、どうせ身に染みないくせに。聞き流しつつ、俺は宣言する。

「お前には、言葉よりも行動で躾ける方が合ってるのかもな……こんな風にっ」

 我ながら、一陣の風を思わせる動きの速さだった。

 ダイニングテーブルの上に置かれていた寿司の封を開け、瞬時にサーモンを視認。

 そのまま、仲睦まじげに並んでいた遅刻常習犯の大好物たちを一個ずつ、醤油も付けずに口に詰め込んで、そのまま全部、平らげてやった……うめ、うめ。

「あ、あああああああっ! そ、そんな、そ、それが人間のやることデスかあっ!」

「……ふっ。目の前でサーモンが食べられた気分はどうだ? 期待が無に帰した感想は? 悔しいか? 苦しいか? そして、これに懲りたら遅刻なんてするんじゃないぞ。なぜなら、これから俺はお前が遅刻するたびに、お前から好物という名の希望を刈り取ってやるからな、ははははは!」

「ううううう〜……た、立ち直れない……なんで、どうしてこんな酷いことが……」

 そいつは──仁愛はサーモンだけが消失した桶寿司を見て、がっくりうなだれていた。

 やっといてなんだが、そんなに落ち込むことか?


 アッシュグレイのロングヘアにエメラルド色の瞳。高校一年生には見えないくらいちんまりとしている風体に、眠たげな垂れ目。両耳には、エグい量のピアス。

 名前は才座・フォーサイス・仁愛。

 父親がアメリカ人で母親が日本人。ミックスルーツの帰国子女で、春から俺や海ヶ瀬や桐紗と同じ、比奈高の一年生として生活している。

 ……一度見たら忘れないくらいに特徴的な風体をしたこいつとは、どういった関係と呼ぶのがわかりやすいだろうか? 先輩後輩? 友人知人? 家主と居候?

 間違いないのは、隣人だということ。俺の部屋である一○一号室の隣、一○二号室に住んでいて、事あるごとにやってくる。

 性格はわかりやすく怠惰で、ガキだ。駄々捏ねるわ遅刻するわ俺の部屋に勝手に私物置くわでやりたい放題。野球中継を映すテレビだって、勝手にこいつが持ち込んできた。

 そんでもって、日々を漫然と過ごしている。学校から帰ってきたらゴロゴロして、俺と一緒に飯食って、夜になったら自分の部屋に戻っていく。それの繰り返し。

 常々思う。こんなんで一人暮らしできていると言えるのか、と。

 俺含めた周囲が恵まれた環境を与え、甘やかし続けた結果、このモンスターが生まれてしまったのでは、と──。


「そういや、どうしてニアが遅刻したってわかったんデスか?」

「……この娘を見る機会があったからだ」

 証拠を突きつけるべく、俺はスマートフォンで彼女のことを検索する。

 すると──きりひめがデザインとモデリングを担当した、大人気VTuber。

 シリウス・ラヴ・ベリルポッピンちゃんの、公認切り抜きチャンネルが出てきた。

「はっ。そ、それは……」

「……シリウスちゃんについて調べた時に、シリウスちゃんのメイン配信サイトも覗いた。そしたら、直近の配信アーカイブの生成時間が今日の日中になってることにも気づいた──せいで学業に支障が出るようじゃ、ロクな人間にならないぞ」

 俺のいかにもな説教ワードを聞いた仁愛は、口をへの字に曲げてしまう。

「……ふんっ。ロクでもない奴ばっかの世界なのに、そんなん言われたくないデス。それに、人は生きているだけで、とっても偉いんデス! だから仁愛だって、ただ生きてるだけで褒められて……」「次に同じようなことあったら、俺の部屋出禁にしようかな」

「ご、ごめんなさいごめんなさい! それだけは嫌デス、謝りマス!」

 不穏なことをぼやくと仁愛は途端に泣きそうな顔になって、俺の身体にひしとくっついてきた。すげえ鬱陶しいし、結局そこまではできそうにない自分の甘さに呆れてしまう。

「口うるさく言っても無駄。こうやって好物を奪ったり罰を与えようとしても効果があるかは微妙だし、何より逐一やるのは俺が面倒くさい……さて、どうしたもんかな」

 そもそも論として、どうして俺がここまで仁愛に構うのか、だが。

 ──それはもう簡単な話で、仁愛のダディに頼まれてしまっているからだ。


 高校受験が無事終わり、これからの住まいをどうするか探している時のことだった。

 ひょんなことから、俺の親父の知り合いがやっている不動産会社──仁愛のダディがやっている会社だが、そこを紹介された。

 で、俺がイラストレーターやってることとか、一人暮らしの理由を話したところ、だったら他の人より家賃安くしてあげるからここ住まない? と今のアパートを案内された。

 自立の証明がしたいとはいえ、節約できる手段があるならば利用しない手はない。

 持ちかけられた俺は良いんですかありがとうございますと素直に喜び、引っ越し当日にはニコニコしながら手持ちの荷物と共に、期待を膨らませて部屋に入り──。

 そこに、仁愛がいた。段ボールの群れに紛れて、部屋の隅っこに仁愛が座っていた。


『諸事情で、アメリカに住んでた娘も日本で一人暮らしすることになってね。歳も近いしボクはキミのお父さんとも面識あるし、何より──ウチの娘、シャイだからさ。隣の部屋に住んでるわけだし、良かったら面倒見てやってくれない? ああ、もちろんボクも、定期的に様子見に行くつもりだから、ね?』


 後から確認の電話を入れたら明るい声でそう返されて、文句も言えずに月日は流れ……。

 今日もまた、仁愛は俺の部屋に、当然のようにやって来ている。

 これも俺の経験してきた厄介エピソードのうちの一つ。そして、現在進行形で取り組んでいる問題でもあるため、厄介度で言うと間違いなくティアⅠに来る気がする。

 今後、引っ越しを考えている人は、ぜひとも事前に不動産屋に確認してほしい。

 敷金が返ってくるのかということと──子守をする必要があるのか、ということを。


 ずりずりと、泣き言を喚いていた仁愛を伴いながら冷蔵庫の方へ移動。

 ペットボトルの水を取り出して、一思いに喉を潤す。さ、本格的な夕飯にするか。

「……罰の代わりにご褒美があれば、ニアも頑張れるかもしれないデス。例えば、ちゃんと学校に行った日には、チカが一緒にゲームをやってくれる、とか」

 ダイニングテーブルに戻ってくるなり、馬に人参作戦を馬の方から提案してきた。

「却下。アトリエの一日のスケジュールにおいて、FPSに割ける時間は存在しない」

 だいたい、なんで当たり前のことしただけで俺がご褒美やらないといけないんだよ。

「そんなかっこいいこと言っちゃって。どうせ、エロい絵描いてるだけのくせに」

 だとしても俺は何一つとして悪いことはしていない……海ヶ瀬の件、以外は。

「つか、FPSのランクマッチ回す時はネット上のフレンドとやってるじゃないか」

 しかも、くっそハキハキ報告してたし。だったら、それなりに仲良いんじゃねえの?

「……そのフレンドは一位取るための関係であって、友達じゃないデス。FPS以外の他のゲームで遊んだこともないデスし……それに、ニアはチカだから誘ってるんデスよ?」

 きゅぴんとウインクしてきて、さらにすり寄ってくる。屋上で海ヶ瀬に抱きつかれた時と違って微塵も動揺しなければ、ときめきもしない。圧倒的虚無だった。

「断る。リアルの恋愛なんてただただ面倒くさいだけだし、それに、どうせお近づきになるならお前みたいに自堕落なガキじゃなく、自立したかっこいい女性が良い」

「む、ムカつく……ただ絵が上手いだけのオタクのくせに、要求だけは立派デスね。チカみたいなのばっかりだから、この国の出生率はいつまで経っても上がらないんデスよ」

「主語でっか」そして俺に社会問題を押し付けるな。

「……だったら、学校で友達作りゃ良いだろ。ゲームしてる奴なんて、いくらでもいるだろうし。探せば他の趣味が合う奴だって見つかるはずだ」

「うっ」急に胸を押さえ、苦しむ素振りを見せる仁愛。よし、やっと離れたな。

「それができたら苦労しませんし……一から人間関係始めるのって、面倒くさいし、恥ずかしいし……もうグループとか、できちゃってるみたいデスし……」

「最後のはお前が配信にかまけて学校に行かなかったのが悪いだろうが。自業自得だ」

「う、うるさいうるさい! 正論なんて、聞きたくないデス!」

 こ、こいつ……あまりにも、ダメ人間すぎる……。

「そうだ! そんなにもニアに友達作ってほしいって言うなら、チカが連れてきてください。ニアと同じ趣味で、ニアのこと甘やかしてくれて、無条件でニアのことを好きになってくれるような人、そんな人をお願いしマス!」

「お前そんなんでよく俺に文句言えたなっ」

「ついでにVTuberやってる人なら、コラボ配信とかもできて最高デスね!」

「やかましいわ!」


 今さら、それも、誰にするでもない答え合わせをするならば。さっきから、俺の目の前でくるくると喜怒哀楽を表現し続けている仁愛こそが──。

 人気VTuber、『シリウス・ラヴ・ベリルポッピン』ちゃんの、その魂だ。


『そうそう。それでここだけの話なんだけどね? ボクの娘、VTuber?ってのやってるから。イラストレーターやってる業界人のチカゲくんならわかるかな? そんなわけで、なんかあったらよろしく!』


 仁愛の存在を電話口で訊ねた際、同時に仁愛のダディは明らかに軽々しく言っちゃいけない話を、当時はまだ、ほぼ他人だった俺にしてきた。おまけに俺のことも仁愛にバラされていたせいで、初対面の時の仁愛の第一声は『あなたがアトリエとやらデスか』だったし──これ家賃安くなかったら逆に俺キレていいだろ。情報管理がザルすぎる。

 にしても。俺の周り、VTuber(希望者含めて)が多すぎないか?

 しかも、皆して一癖も二癖もあるし……まともなのって、桐紗くらいなんじゃ……。

『──デッサンモデルの件だけど。海ヶ瀬さんとあたしがお互い譲歩していった結果、無制限じゃなくて、一回だけってことになったから。以上、文句は聞かない』

 ……Digcordの通知音が鳴り、確認すると、VTuber制作用のチャットにわざわざ、その通告が書かれていた。

 桐紗の頭の固さも、相当な癖だった。


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試し読みは以上です。


続きは2022年11月25日(金)発売

『Vのガワの裏ガワ 1』でお楽しみください!


※本ページ内の文章は制作中のものです。製品版と一部異なる場合があります。

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