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『じつは演劇部で壁ドンから顎クイの練習をすることになっちゃって……』


 僕の名前は姫野晶ひめのあきら

 結城学園の一年生で、演劇部。

 お昼休みはよく部室でお昼ご飯を食べるんだけど——


「壁ドンからの顎クイの流れって、ガチでやられたらヤバくない……!」


 ——部長の西山和紗にしやまかずさちゃんは彼氏がほしいらしく、うちの兄貴がいないときに、たまにこういう話題だったり、恋バナを振ってくる。


 ただ、僕としてはちょっと気まずい……。

 僕と兄貴は壁ドンどころか一緒にお風呂に入ってしまった仲だし、今も一緒のお布団で寝てるから、和紗ちゃんのテンションがそこまでというかなんというか……。


 そうそう、兄貴というのは僕の義理の兄で、一つ上の真嶋涼太くん。

 ぶっちゃけ、僕の大好きな人。

 家族という意味じゃなくて……。


 猛アピールしてるんだけど、兄貴は「家族だから」って理由で、なかなか振り向いてくれないんだよなぁ〜……。


 ううん、落ち込んでてもしょーがない!

 僕ももっと頑張らねば!


 でも、もっとってなにをすればいいのか……兄貴の喜びそうなこと?

 兄貴の喜びそうなことって……——


「晶、どうしたの? 顔、赤いけど……?」

「あ、ごめっ、ひなたちゃん……! なんでもないんだっ!」


 いけないいけない。

 兄貴のことを考えていつの間にか顔が真っ赤になってたらしい……。


 ちなみに上田ひなたちゃんは僕のクラスメート。

 とても可愛くて、優しくて、お料理が上手な、僕の大事な友達。

 いつも支えてもらってばかりだけど、つい甘えてしまう。


 ひなたちゃんには光惺こうせい先輩という一つ上のお兄ちゃんがいて、兄貴と中学からずっと一緒のクラス。兄貴と上田兄妹は、かれこれ四年の付き合い。


「壁ドンかぁ〜……。怖いのは嫌だけど、急に迫られたらドキッてしちゃうかも」

「ひなたちゃんもそう思うの?」

「う、うん……。ちょっとだけ、迫られてみたいかな〜……」


 ひなたちゃんはそういう場面を想像して顔を真っ赤にしている。……可愛いしか感想が出てこない。


 なんというか、ひなたちゃんは僕と違って乙女だ。

 このリアクション、僕も見習わないと……。


 真っ赤になっているひなたちゃんを見ながらそんなことを思っていると、


「チックショー! なんで私、誰からも迫られないかなぁ〜?」


 と、和紗ちゃんが面白くなさそうな顔をした。


「天音もそう思うでしょ⁉︎」

「わ、私? 私は〜……あははは、どうかなぁ〜?」


 訊かれて苦笑いを浮かべてるのは副部長の伊藤天音いとうあまねちゃん。

 スタイル抜群で、大人っぽくて、学年でも十番以内に入るほど頭が良い。

 和紗ちゃんといつも一緒にいて、暴走しがちな和紗ちゃんをいつも陰ながら支える、そういう優しい子。


 その天音ちゃんが苦笑いを浮かべたまま和紗ちゃんに訊ねる。


「どっちかって言えば、和紗ちゃんは自分から迫るタイプじゃないの?」

「そりゃイケメンからグイグイ迫られたいっしょ! で、ちょっと嫌がる素振りを見せつつ、さらにもう一段階クイッとね!」


 和紗ちゃんは自分で自分の顎をグイッと持ち上げた。

 そこまで顎クイされたいのかな……?


 ひなたちゃんは——まだ顔を真っ赤にしてなにかを想像してるみたいだ。

 こういうとき僕は……静かにしていよっと。


 このあとも和紗ちゃんと天音ちゃんの会話が続く——


「そもそも和紗ちゃん、男子と手を握ったことないでしょ?」

「あ、あるよそれくらいっ⁉︎」

「いつ?」

「しょ……小学生のとき……」

「それ、仲良し的なやつだよね、たぶん……」


 ——という感じで、和紗ちゃんに対してたまに、さらっと、辛辣なことを言ったりする。それだけ仲が良いってことなんだけど、たまに身も蓋もないから反応に困る。


 でも、和紗ちゃんも懲りない性格だ。


「よ、よし! じゃあ壁ドンからの顎クイ練習しよっ⁉︎」

「全然よしじゃない気もするけど……」

「天音、これはうちら女子にとっては大事な練習だよっ!」

「えっと、なんで……?」


 和紗ちゃんはそこでふふんと得意げな顔をした。


「いざやられたときのことを考えてみ! いきなりやられて変顔しちゃったらどうするのっ⁉︎ 相手に幻滅されちゃうかもよっ!」

「り、リアルで壁ドンとかする人いないと思うけど〜……」

「いるったらいるのっ! それに演技の幅を広げられるかもしれないじゃん!」

「演技の幅って……」


 こうなったら和紗ちゃんは止められない。なにがなんでも壁ドンからの顎クイ練習をすることになるんだろうけど……。


 そこでようやく想像の世界から帰ってきたひなたちゃんが、小さく「はい」と手を挙げた。


「えっと、誰が壁ドンとか顎クイするの?」

「ジャンケンしよっ! 負けた人が男子役っ!」


 そんなわけで、四人で男子役をかけてジャンケンをすることになった——



***



「——で、僕が男子役かよぉ〜……」


 ジャンケンで負けた僕は男子役に。しかも——


「——これ、着る意味あるの……?」

「晶ちゃん、すっごく似合ってる! バッチリじゃん!」


 僕は今、部室の衣装ケースにあった男子の制服のネクタイとズボンを着ている。男装用かはわからないけど、ズボンのサイズはぴったりだった。


「ついでに髪型もこうやって〜……——」

「ちょっ! おでこ出す意味あるのっ⁉︎」

「役づくりだよ役づく……やべ、マジかっけぇ……」


 和紗ちゃんがぽわんとした顔をした。

 まあ、確かに兄貴には三週間も弟に間違われてたから、今さらだけど……やっぱ傷つくなぁ……。


「すごいよ晶! 可愛いだけじゃなくてかっこいいもいけるね!」

「ひなたちゃんまで〜……」


 ところで天音ちゃんはと言うと——


「あ、晶ちゃん、あとで、一緒に、しゃ……写真をとってくだしゃい!」

「しゃい?」


 ——じつはこういうのに弱かったりする。

 顔を真っ赤にして、もじもじとしているけど、相手は僕なんだけどなぁ〜……。

 いやいや、それよりも早く終わらせたい!


「それで、どうすればいいの?」

「じゃあ、まずは天音からいっとくか!」

「えぇっ⁉︎ い、いきなり私からっ⁉︎」


 けっきょく順番は、天音ちゃん、ひなたちゃん、和紗ちゃんの順になったけど——三人ともやる必要あるの、これ……?


「じゃあさっき渡した台本通りにやってみよぉ〜!」


 台本というか、さっきスマホで見せられた漫画の数ページ分のシーンをやったらいいだけ。たぶん、あの漫画を読んだから和紗ちゃんはこのテンションなんだと思う……。

 ノリノリの和紗ちゃんは置いといて、とりあえず天音ちゃんから——


「ちょーーーっと待った!」

「へ? どうしたの?」

「晶ちゃん、役に入りきれてないっぽいから!」


 厳しいな、そこ……。


「いい? やるなら演劇部らしくガチでいかないとっ!」

「あははは……和紗ちゃん、部長らしさを出すタイミングが違うんじゃ……」


 思わずひなたちゃんがツッコミを入れるけど、その通り。

 役に入りきれと言われてもなぁ〜……。


「いい? よーく主人公の性格や癖を出す感じで〜……」


 主人公と言われても、イケメンだけどちょっと意地悪なタイプで、ヒロインの女の子を振り回す感じの男子だ。

 仏頂面で、たまに勝ち誇ったような顔を〜……顔? ——あっ!


「似てる人いるから、その人の真似してみてもいい?」

「あ、そう? じゃあその人の真似でいいよ。——じゃあナレーションは僭越ながらわたくし西山和紗が務めさせていただきます!」


 とはいっても、すでに天音ちゃん落ちちゃってる気が……ま、いっか。


「じゃあいくよ〜! よーーーい……アクション!」



***



 ——結城学園。

 伊藤天音はここに通う高校一年生。ちょっとドジなところはあるけど頑張り屋さんな女の子。そんな天音に入学式の日からちょっかいをかけてくる男子がいた——


「おい、待てって」

「ひゃいっ! な、なんでしゅかっ⁉︎」

「しゅ? ……まあいい。——お前、なんでいっつも俺から逃げんの?」

「なんでって、あ、あなたが追うからで……——」


 ドォーーーン!


「ひゃわっわわっ⁉︎」

「俺から逃げんなよ?」

「な、ななななななんででしゅかっ⁉︎」


 ——クイッ……


「なんで緊張してんの?」

「き、ききききき緊張なんてしてましぇんっ!」

「あそう……じゃあ、そのまま目を瞑れよ——」

「ひゃわぁあああ〜〜〜っ⁉︎ 晶様ぁ〜〜〜……——」



***



「——はいカットォーーーっ!」


 和紗ちゃんがパンと手を叩いた瞬間、僕は大きなため息をついた。それと同時に、天音ちゃんが壁を背にへなへなと崩れ落ちる。


「いやぁ〜! さっすが晶ちゃん! バッチリ! バッチリすぎるっ!」

「あ、そう……?」

「すごいしっかりしてたっ! それ、誰の真似なの?」

「えっと〜……ア、アニメの、主人公的な……」

「へぇ〜! アニメの主人公かぁ〜!」


 ……まあ、ぶっちゃけ光惺先輩なんだけど。


 とりあえず、ひなたちゃんには申し訳ないけど『イケメンだけどちょっと意地悪なタイプで、ヒロインの女の子を振り回す感じの、仏頂面で、たまに勝ち誇ったような顔をする』タイプといえばあの人しか思い浮かばない。


「天音的にはどうだった?」

「これ、ダメ……。心臓、ドキドキしすぎて……。和紗ちゃんが言ってた練習って大事なのかも……」

「でしょ? 天音はずっと『しゅ』とか言ってカミカミだったから、もうちょっと落ち着かないと! てことで、今の天音は七十点!」

「そ、そうだね……はぁあああ〜〜〜……」


 天音ちゃんが胸の辺りを押さえながらへたっている。前に押しに弱いタイプだって聞いてたけど、本当だったみたい。


 僕で落とせるなら、兄貴に押されたらすぐに好きになっちゃうかもしれない。帰ったら天音ちゃんに壁ドンしないようにって兄貴に言っておこう……。


 ふと、ひなたちゃんと目が合った。


「晶、今の男役って、まさか……」


 ひなたちゃんが顔を真っ赤にしている。

 どうやら、モデルが光惺先輩だってバレたらしい。


「ひなたちゃん、やっぱ『今の』だと気まずいよね……?」

「う、ううんっ! そんなことないっ! アニメの主人公なら大丈夫っ! 平気っ!」


 その割にどんどん真っ赤になってる気もするけど……まあいっか。……いいのか?


「よっしゃ! この調子でひなたちゃん、次いってみよぉ〜!」

「はいっ!」


 ひなたちゃん、すごくいい返事だ……。

 僕もこのままやるしかなさそうだ……。


「じゃあ、ちょこっとひなたちゃんの設定変えておこっか? ひなたちゃんはね〜——」


 和紗ちゃんがひなたちゃんにゴニョゴニョと話している。

 ところで、設定、変える必要あるのかな……?

 これって、僕らが壁ドンとかされたときのための練習じゃなかったっけ……?


「じゃあいくよ〜! よーーーい……アクション!」



***



 ——結城学園。

 上田ひなたはここに通う高校一年生。ちょっと気が強いけど、じつはとても優しい女の子。そんなひなたに入学式の日からちょっかいをかけてくる男子がいた——


「おい、待てって」

「な、なに? 私に近づかないでくれる?」

「お前、なんでいっつも俺から逃げんの?」

「そっちこそなんで追ってくるの……——」


 ドォーーーン!


「っ⁉︎ い、いきなり、なにっ⁉︎」

「俺から逃げんなよ?」

「な、なんで……?」


 ——クイッ……


「なんだ、けっきょく逃げねぇじゃん?」

「そ、それはっ! そっちが——」

「ああもう、わかったって。そのうるせぇ口、ちょっと塞ぐわ——」

「ひゃわぁあああ〜〜〜っ⁉︎ お兄ちゃっ……——」



***



「——はいカットォーーーっ!」


 和紗ちゃんがパンと手を叩いた瞬間、僕は大きなため息をついた。それと同時に、ひなたちゃんが壁を背にへなへなと崩れ落ちる。……またか。


「いやぁ〜! 晶ちゃんヤバすぎっ! 完璧なりきってるじゃん! アニメとかじゃなくてリアルにいそうな感じだよっ!」

「あ、そう……?」

「ところでひなたちゃん、最後、なんか言いかけてなかった?」


 ひなたちゃんが顔を真っ赤にして首を横に振る。


「い、言ってないよ〜……」

「あそう? でもすっかり恋する乙女の顔になってたから百二十点!」

「あ、ありがとう……はぁあああ〜〜〜……」


 ひなたちゃんも胸の辺りを押さえながらへたっている。ひなたちゃんも押しに弱いタイプなのかもしれない……。


 帰ったら天音ちゃんだけでなくひなたちゃんにも壁ドンしないようにって兄貴に言っておかなきゃ……。


「じゃあいよいよ私だね! まあ、二度も同じシーンを見てるから、私は全然動じないけどっ⁉︎」


 顔を真っ赤にしながら言うセリフじゃないよね、それ……。


 そのタイミングでガラッと扉が開き——




「おい、お前らなにしてんだっ⁉︎」




「兄貴⁉︎」「涼太りょうた先輩⁉︎」「真嶋まじま先輩⁉︎」「げっ……」


 ——と、兄貴がやってきた。


「『げっ』てことは、やっぱこの騒ぎはまたお前か、西山……!」

「あははは……。うちら、な〜んにもしてませんよ〜?」

「嘘つけっ! 隣の軽音部の一年の子が俺んとこにすっとんできたんだぞ! 隣からドーンって壁を叩く音がするって! 心配してわざわざ二年の教室までなっ!」


 壁ドン……そっか、壁ドンって近所迷惑なのか……。

 喧嘩かなにかと間違われてしまったのかもしれない……。


「って、晶、おまっ、なんて格好してるんだっ⁉︎」

「あ、兄貴、これはね〜……あははは〜……」


 笑って誤魔化したけど、ひなたちゃんと天音ちゃんがそろ〜っと和紗ちゃんのほうを向く。


「にぃ〜しぃ〜やぁ〜まぁ〜……」

「ひえっ⁉︎ な、なんですか真嶋先輩⁉︎」

「余所の部活の子に心配かけさせただけでなく、晶になんて格好させてんだっ!」

「こ、これは〜、いちおうジャンケンで〜……」

「発端は絶対にお前だろうがーーーっ!」

「ひえぇえええーーーーーーーーっ⁉︎」


 兄貴が和紗ちゃんを追いかけ回す。

 部室の真ん中のテーブルをくるくると回り、和紗ちゃんはなんとか捕まらないようにしていたけど——


「おい、待てって!」

「ひゃいっ! なんですかっ⁉︎」


 ——あれ? これって……。


「お前、なんでいっつも俺から逃げるんだっ⁉︎」

「だって! いつも先輩が私のこと追うから〜!」

「それはお前がアホなことするからっ! つーか待てって言って……ってってって——おわっ⁉︎」


 ドォーーーン!


 壁際に追い詰めた和紗ちゃんを捕まえようとした瞬間、なにかにつまずいた兄貴がそのまま——壁に手をついて壁ドン状態になった⁉︎


「ひゃわっ⁉︎」

「に、逃げんなよっ!」

「ご、ごめんなさいっ!」


 和紗ちゃんがいきなり頭を下げた拍子に、兄貴の顎におでこがぶつかり——


「あいたっ!」「ひゃっ!」


 ——まさかの頭突き!

 お互いに痛そうにしていたけど、兄貴が先に「はっ!」とした表情になって——


 ——クイッ……


 兄貴は心配そうに和紗ちゃんの顎をクイッと持ち上げた。


「お、おい、西山、大丈夫か?」

「わ、私は、平気ですっ!」

「わ、悪かったな、追いかけ回したりして……」

「いいえ! それより先輩は?」

「俺? まあ、平気。でも、良かった。お前が怪我してなくて……」


 兄貴は安心したのか、ふっと笑顔になった。

 いやいやダメだよ兄貴!

 至近距離でその笑顔! しかも壁ドンから顎クイで、その流れからの優しさはゼッタイダメだって!


「あ、でも、俺の顎が目に入ってなかったか? あとで腫れたらいけないし、ちょっと目を瞑って見せてくれ——」

「ひゃわぁあああ〜〜〜っ⁉︎ せ、先輩……——」


 そのときどういうわけか、和紗ちゃんは肩を震わせ、目を瞑り、唇を差し出して……——って!


「カットカットカァーーーーーーット!」


 僕は慌てて二人のあいだに入った。

 兄貴は小首を傾げていたが、今のはさすがに危なかった……。


 和紗ちゃんは相当テンパってたみたいで、兄貴に向かってキス顔になっていた。

 兄貴が変な勘違いをする前に止められて本当に良かった……。


 ——というか兄貴はやっぱり兄貴だった。

 不可抗力とはいえ、まさか和紗ちゃんに壁ドンからの顎クイをかますとは……。


 そのあと、みんな冷静になって今回の件を反省。

 なにか悪ふざけをしたのか? と兄貴に訊かれたけど、みんな最後まで『壁ドンから顎クイまでの練習』だったとは言わなかった。


 ……さすがにバレたら恥ずかしい。

 僕らは『乙女の秘密』ということで、そのあともこの件を口外しなかった。


 とりあえず、迷惑をかけてしまった軽音部の人たちに謝ったところで、昼休み終了のチャイムが鳴った。


 ——それから、四人で教室に戻る途中のこと。


「いやぁ〜、さっきの壁ドンから顎クイはパなかったわ〜……」


 和紗ちゃんが頬を赤くしながら困ったような顔をしている。


「まさかリアルでやる人がいたとはね……」


 天音ちゃんが呆れて笑う。その隣でひなたちゃんも「あははは……」と苦笑いを浮かべていた。


「にしても、そっか。やっぱり真嶋先輩は私のこと……」

「「「ないないないない……」」」


 僕、ひなたちゃん、天音ちゃんは同時に首を左右に振った。


「兄貴はただドジなだけ……」

「そうそう、涼太先輩だから……」

「真嶋先輩、そういう天然なところあるからね〜……」


 三人でそれぞれそう言うと、和紗ちゃんがむぅっとした表情になる。


「てか、私だけ晶ちゃんに壁ドンとかしてもらってない!」

「えっ⁉︎ まだする必要あるのっ⁉︎」

「だってだって! 真嶋先輩のはただの天然でしょ⁉︎ 迫られたわけじゃないんだから練習になってないじゃん!」


 和紗ちゃんがそう言うと、ひなたちゃんが「和紗ちゃん、残念だけど……」と口を挟んだ。


「さっき涼太先輩が部室に張り紙してたよね?」

「うぐっ……!」



【壁ドンはダメ、ゼッタイ! (いちおう顎クイも!)】



 まあ、ご近所迷惑になることがわかったし、僕ももう誰かにする気はない。


 でも、和紗ちゃんも懲りない性格だ。


「壁ドンがダメならべつの方法で〜……——」


「——なにがべつの方法だって?」


「ひゃわっ⁉︎ 真嶋先輩っ⁉︎」


 いつの間にか兄貴が和紗ちゃんの背後にいた。

 まあ、和紗ちゃん以外、僕ら三人は気づいていたんだけど……。


「ったく、お前はほんとロクでもないな……」

「それ、先輩にだけは言われたくないですっ!」

「なんだとっ!」

「なんですかっ⁉︎」


 やれやれと思う僕らだったけど、僕ははっとした。


 ——これだっ!



***



 家に帰ったあと——


「兄貴兄貴!」

「ん? どうした晶?」

「ちょっとこっち、こっち来て座って!」


 僕は兄貴をフローリングの床に座らせた。そして——


「なんだよ? これでいいのか——」

「え〜い!」

「おわっ⁉︎」


 ——そのまま兄貴を床に寝転ばせ、ついで兄貴の顔の横に両手をつく。


「あ、晶さん、なにしてるのかなぁ〜……?」

「えっとね、床ドン」

「床ドン⁉︎」

「身長差あったら壁ドンできないなぁ〜って。あと、ご近所迷惑になるし」

「いやしかし、これは……——」


 兄貴は顔を真っ赤にして、視線をせわしなく左右に揺らす。

 効果はてきめんのようだ。


「どう? ドキドキする……?」

「するよ、するする! だから、ちょっと離れてくれないかっ⁉︎」

「ここからが重要なんだって」

「重要ってなにが——って、顔っ! 顔が近いっ⁉︎」

「いいからいいから、僕に任せて〜……——」


 徐々に兄貴に顔を近づけていく。顔ごと逸らそうとする兄貴の顎をつかんでクイッと正面を向けさせて、そして——


「兄貴、いいから目を瞑って……——」

「わわわっ⁉︎ 晶さんっ⁉︎ ちょっと! ちょっとタンマタンマーーーっ!」


 ——けど、その瞬間。


「あ……」


 僕は、あることに気づいてしまった。


「タンマーーー……って、どうした、晶……?」

「ごめん兄貴、やっぱやめるね……」

「そ、それは安心したけど、なんで急に冷めたんだ……?」


 僕は今日、壁ドンからの顎クイの練習を二回した。

 モデルは光惺先輩。

 つまり、兄貴は今、光惺先輩に迫られて顔を真っ赤にしているのと変わらない。……なんか違うし、なんか悔しい。


「兄貴、女の子に壁ドンも床ドンもしちゃダメだよ?」

「えっとな、しないぞ?」

「顎クイも」

「それもしない……」

「あと、上田先輩に迫られてもドキドキしちゃダメだからねっ!」

「それは絶対ないっ! というか意味不っ! 光惺に迫られる⁉︎ どういう状況なんだ、それっ⁉︎」


 このあと兄貴にお願いして床ドンしてもらったけど……キュン死にしそうになった。


 ——とまあ、こんな感じで。

 僕と兄貴の距離は、近いようで、遠いようで、近づきたいけど難しい。

 でもまあ、今はまだこれはこれで……。





***《 晶の日記 》***


今日は学校で昼休みに壁ドンからの顎クイの練習をした。

文字に起こすと変な感じだけど、事実としてあったことだからいちおう書いておく……。


和紗ちゃんが発端で、僕とひなたちゃんと天音ちゃんの四人でやることになったんだけど、なんと私が男役。こういう役回り、私、多くない?

というか、かっこいいって褒められてもすごく微妙……。

まあ、ジャンケンで負けたからやることになったんだけど……。


けっきょく男子の格好をしてまでやることになったんだけど、天音ちゃんもひなたちゃんもなかなかいいリアクションだった。


私的には上田先輩の真似をしていただけだったけど、二人とも完落ちしていた。

たぶん和紗ちゃんも、と思ったけど、そこに兄貴が怒った顔でやってきた。


私たちが隣の軽音部に迷惑をかけていたらしい……。反省……。

壁ドンは周りの迷惑になるからやめようと思った。


ただ、兄貴はやっぱり兄貴で、逃げる和紗ちゃんを追い回しているうちにコケそうになって、そこから壁ドンからの顎クイ……。

まさかリアルでやる人がいたとはって天音ちゃんは言ってたけど、マジそれ!

なんでやっちゃうかなぁ〜……。

和紗ちゃんも真っ赤になっちゃってたし、僕が止めに入らなかったらそのままの勢いでやっちゃってたかも!


まあでも、兄貴はあれがキス顔だって気付いてなかったみたい。

帰り道で兄貴に聞いたら、「西山のやつ、なんでタコみたいな顔してたんだ?」って、よくわかってなかったみたいだし……。

兄貴、女の子の渾身のキス顔をタコみたいって言っちゃダメだよ……?


それで、帰ったあとに兄貴に床ドンしたら、壁ドンで練習していたせいかすんなりいけたし、兄貴も顔を真っ赤にしてた!

でも、あれって上田先輩の真似なんだよねぇ〜……。

兄貴、上田先輩に迫られたら簡単に落ちちゃうかも……。


逆に兄貴に床ドンしてもらったけど……あれ、ヤバい!

思い出しただけでキュン死にしそうになるっ!

兄貴にあんなふうに迫られたら、私はもうダメかもしれない……。


で、今日の結論。

演劇部はチョロい……。




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