プロローグ
十二月に入って寒い日が続いている。
期末テストまで一週間を切ったこともあり、俺と
「ふひぃ〜、あったかぁあ〜〜〜。こたつさいこぉお〜〜〜……」
晶の今の状態を一言で言うなら亀だ。
こたつからニョキっと首と腕を生やしてスマホを弄るデカい亀さん状態になっている。
先日こたつを出してからというもの晶はずっとこの調子で、勉強が亀の歩みのごとく遅々として進まない。
俺は時計を見て一つため息をつき、デカい亀さんに声をかけた。
「なあ、そろそろ続きしないか?」
「う〜ん、もうちょい〜。次こそは〜……どやっ!」
こうもインターバルが長いとどうしても間延びしてしまうな。
晶曰く、冬場の勉強は格ゲーでいうところのパワーゲージを溜めるようなものらしい。こたつで十分に
「やったぁ! 琴キュン(
……とまあ、ゲージを溜めるどころかはしゃいでいる。
けっきょくのところ好評配信中のスマートフォン版アクションRPG『エンド・オブ・ザ・サムライ 〜江戸の
夏から秋にかけてはコツコツ勉強していたのに、あれはポーズだったということか——いや、晶をこんな風に変えてしまったのは俺か。
最初にエンサム2を勧めたのは俺だしな〜……。
「見て見て! 琴キュンのセクシーサンタコスだよ兄貴! やっぱ琴キュンはなに着ても似合うよね〜! 可愛い! 可愛すぎるよぉ〜〜〜!」
「はいはい……。冬だっていうのにへそ出して寒そうだな?」
へそ以外も出しすぎで肌色が多い。
というか、男装の麗人キャラはどうした琴キュン?
琴キュンにツッコんだところで仕方がないか……。
「さ、もういいだろ? 続きやるぞ」
「お願い! あと五分だけ! このセクシーサンタ琴キュンを目に焼き付けたいんだ!」
「そう言っていつも五分が十五分になるだろ? ——ほら、やるときはやる!」
「やらないときはやらない!」
「その通り! ……って、オイ! 返すなっ!」
俺は心を鬼にして厳しめな顔をしてみせた。
「つーか晶、今回の勉強の目的を忘れたのか?」
「はっ⁉︎ そうだった! 僕と兄貴の楽しいクリスマスがっ!」
——お前のやる気スイッチはそこかよ……。
「
「う〜ん……。そっちも大事だけど僕的には兄貴とクリスマスに……ぐふふふっ♪」
「なんだ? なにを考えてる……?」
「シークレット! ってことで、次は英語の勉強しよーっと♪」
俺は思わず頭を抱えた。
勉強の目的——差しあたっては期末テストを乗り切るため。……ただ、この期末テストは晶たち一年生にとっては二年生のコース選択に関わる重要なテストだったりする。
俺たちの通う
それぞれのコースで特進クラスと進学クラスがあり、カリキュラムが違うので大学進学に影響するのだ。
晶はまだ文系に進むか理系に進むか決めかねているらしい——が、一年生はこれまでの成績と今回の期末テストの成績で選択できるコース・クラスが絞られてしまう。
兄の俺としては、少しでも晶の進路選択の幅を広げてやりたいのだが、それよりもなによりも、晶にとって優先すべきは俺と楽しくクリスマスを迎えられるかどうからしい。
晶自身のこれからのこと。
兄妹で過ごすクリスマス。
——この二つを
まあ、理系と文系どちらに進むにしろ、じつはそのどちらでもないある選択を晶は今迫られているのだが……。
俺が頭を抱えていると、晶はいつの間にか俺よりも重たそうに頭を抱えていた。
「どうした? わからないところでもあったか?」
「う〜ん……。仮定法過去が現在ってどういうこと? 過去形なのに現在って意味がさっぱりわからなくて……」
「ん? 時制で世界を変えるんだよ」
「世界を変えるってどゆことっ⁉︎」
「仮定法っていうのは『もしも〜だったら……だ』って訳すだろ? たとえば日本語だったらどういう文になる?」
「もしもお金があったらペリー様の限定衣装が当たるガチャも回せるのに……」
「……まあそういうことだけど感情を込めるな。琴キュンのサンタコスだけで我慢しろ」
「そんなの無理……。僕の頭の中でペリー様が『晶、ガチャを回して世界を変えろ』って言ってくるんだ!」
「末期症状だな……」
俺はだいぶ呆れたが、そのあとも辛抱強く解説を続けた。
「——つまり、それって現在の現実世界じゃ金がないってことだろ? 金があったらガチャを回せるっていうのは仮定の世界の話で、そういうあべこべな世界を表現するためにわざと時間軸を過去にずらしてるんだ」
ガチャを回すための小判(=有料ダイヤ)やらペリー様やらの絵をノートに描いて説明すると、晶は妙に納得した様子で目を輝かせた。
「なるほど、超納得! さっすが兄貴!」
「まあ、それならいいけどさ……」
「妹の未来を応援する、家庭教師のアニキ!」
「それ、なんかのパクリくさいからやめてくれ……」
「じゃあじゃあ仮定法過去完了は?」
「過去完了の形をとるけど、けっきょく過去の仮定のこと。『もしも〜だったら……だったのに』って訳すんだ」
すると晶は「そっか」とまた納得した顔をして——
「もしも兄貴が最初から僕のことを妹だってわかっていたら、僕は兄貴のことを大好きにならなかったのに——ってこと?」
——と、今度は上目遣いになって俺の目をじっと見つめてきた。
英語の質問にかこつけて、俺たちの今の関係について俺がどう思っているか探りを入れてきたのだろう。困った俺は、
「いちおうそれは、仮定法過去完了の文になってるな……」
と、はぐらかしておいた。
仮定のこととはいえ、そのイフを出されると非常に悩む。
義妹だと知っていたら、最初から晶と距離を置いて生活していたのではないか——
晶もまた、出会ったときのまま、警戒心強めな義妹のままだったのではないか——
勘違いしていなかったら、俺たちは今とは違う現在を歩んでいたのではないか——
ある意味で、俺にとっては一番の難問かもしれない。
けれど晶は「考えるまでもないか」と言い、
「兄貴が僕を弟だって勘違いしなかったとしても、僕は兄貴のことを絶対好きになってたし、今も、これからもずっとずっとずーーーーーーっと大好きだよ」
と、いとも簡単にこの難問に答えてしまった。
「え〜っと、それ、いろいろごちゃごちゃで英語でどう訳すのかさっぱりわからん」
「えっとね、まとめるとアイラブユーってこと! これぞまさに不変の真理だよ!」
「不変の真理って……。これまたずいぶん単純化したな……?」
「シンプルイズベスト♪ ドゥーユーラブミー? はい、イエスかノーで答えて?」
——どの角度からでも俺に繋げてくるな……。その頭の回転力を勉強にまわしたらいいのに——いやいやいやいや、感心している場合じゃないか。
「……あのな、アイラブユーは意味が広くて挨拶程度に友達や家族にも使う言葉で——」
「照れんなって」
「照れてねぇからっ!」
——とりあえず。
時間は未来に向かって進んでいる。
そして晶が望む未来はハッピーエンド。
理系か文系かどころではない差し迫った晶の究極の選択。
イエスかノー、そういうシンプルな解答が実際は一番難しいと、このところよく思うようになった。
そして晶だけではなく、じつは俺も、ある大きな決断を迫られていたりする……。
つまり、今の俺たちは能天気に見えるだろうが、あれやこれやと問題が積み重なって、クリスマスでもないのに頭の中がジングルベル状態だったりするのだ。
なぜこうなってしまったのか?
まずは俺たち兄妹のあいだでクリスマスの話題が出た十二月三日から振り返ってみることにしよう——