第1話「じつは父親が再婚することになりまして……」(3)
* * *
用を足してトイレから出ると「あの」とトイレの前で声をかけられた。
晶だった。俺が出るのを待っていたらしい。しきりに右手で左の肘を
「なに?」
思わずぶっきらぼうな返しをしてしまう。
慌てて笑顔を作ったが、今日はひたすら笑顔の作りっぱなしで顔が引きつる。
「さっき……というか会ってからずっと冷たい態度をとってたから、その──」
晶はためらいながら、「ごめんなさい」とまた謝った。
「……気にしなくていいよ。なんとなくわかるから。君、親の再婚には反対なんだろ?」
「ちがっ、そうじゃなくて──」
今度は顔を赤くし、慌てた様子で言葉を繫いだ。
「──僕は母さんたちの再婚には反対してないよ、ほんと!」
意外だった。
最初から再婚がダメというわけではないらしい。
「でも、互いの領分っていうの? 侵害しないようにして欲しいってだけ……」
侵害という言葉が妙に引っかかる。
彼がなにを守ろうとしているのか気にはなったが、まだ関係ができていない以上、あまり深く掘って
「これから家族になるんだから、その中で擦り合わせていけばいいんじゃないかな?」
「そうだよね。一緒に住むんだし、そのうち──」
「いや、家族になることと一緒に住むことはまったく別物だ」
「え? どういうこと?」
「そうだな……。君は家族ってなんだと思う?」
「やっぱり、一緒に生活する人かな。それぞれの役割を果たすことで成立する共同体的な?」
「たしかにそれも一つの意見で筋は通るな」
「君の意見は違うの?」
「そうだなー……──」
俺は顎に手を置いた。
言うべきかは迷ったが、「家族」についての俺の答えは前々から決まっている。
「──メンデルの法則には血が通っていない、ってところかな?」
晶は顔をしかめた。
「えっと……。つまり、どういうこと?」
「俺たちの親が再婚したとして、それでも俺たちの親は親だし、その子供はやっぱり子供で兄弟ってことさ」
「……ちょっとよくわからない」
「『血の繫がり』と『血が通う』はまったく別の意味だよ。家族になるってことは、一緒に住む人と人が血を通わせることなんだ」
「血を通わせること?」
「血じゃなくて心が繫がっているっていうのかな」
「心……」
「シンプルに言えば、俺は君と仲の
俺が笑顔でそう言うと、晶は顔を真っ赤にした。
「それ、自分で言ってて恥ずかしくならない?」
「まあ多少は? ──君は嫌か?」
「……難しいけど──」
すると晶はなにかを考え、なにかをためらい、
「──君、じゃなくていい」
と、
「じゃあ、なんて呼んだらいい?」
「……僕のことは晶でいいよ」
それは、おそらく、晶なりの精一杯の譲歩。
ただ、俺にとっては大きな前進でもある。
「そっか。じゃあ晶、よろしくな」
俺は右手を差し出した。
「うん」
晶も俺に
俺たちはそこで初めて握手を交わした。
彼の手は冷たく、それでいてすべすべとしていて柔らかい。ほんの少し力を入れただけで壊れてしまいそうな、ガラス細工のような手だった。
なんだか互いに気恥ずかしくなり、思わず一緒に手を引っ込める。
タイミングが合いすぎて、互いに顔を見合わせて笑ってしまった。
少しは打ち解けられたのだろう。
* * *
顔合わせの帰り道、俺と
「──って感じで、晶は不器用なだけで良いやつだったよ」
晶が道に迷っていたところに声をかけたところから、最後に握手を交わすまでの経緯をかいつまんで話すと、親父はなんだかほっとした表情で息を吐き、俺の肩を軽く
「ありがとう涼太」
「なんの感謝だよ? やめろよ気持ち悪い……」
照れ臭くてそっぽを向くと、親父の笑い声がした。
「美由貴さんからはなかなか人と打ち解けない子だって聞いてたから、安心してな」
「ふーん……」
ふと、俺は気になっていたことを親父に訊いてみた。
「なあ親父、晶はどうしてあんなに人と距離を置きたがるのかな?」
「距離?」
「見ず知らずの人っていうのはわかるけどさ、もう少し愛想良くしたりするもんだろ?」
考えてみると不思議だった。
不器用な性格だということはわかる。べつに相手のことが好きとか嫌いとかは関係なく、周囲に壁を作りたいという気持ちも。思春期なら不干渉を好むし、まして他人ならなおさらだ。
『あの、最初に言っておくけど
けれど、再婚には反対していない。
『でも、互いの領分っていうの? 侵害しないようにして欲しいってだけ……』
それは親の再婚と、自分の在り方は関係ないと言いたかったのではないか?
『僕のことは晶でいいよ……』
あれは、少しは距離を縮めようとしてくれたのか?
星空を見上げて晶のことを考えてみる。
そしてなんだか心配になった。
出過ぎたことかもしれないが、あのままだときっとあいつのためにならない。
冷たいことを言い放ってしまって後悔して謝るくらいなら、その不器用さをなんとかしてやらないといけない、と思う。これから家族になる人間として。
人との距離の縮め方について、俺がとやかく言う義理もないし、そもそも俺自身が人に伝えられるほど器用な性格ではないと思うけれど、それでも、やっぱり……。
「晶はどうしてあんなに対人関係が不器用なのかな?」
「まあ、答えになるかわからないが、涼太には伝えておこうかな……。お前ももう大人だし、これから家族になるんだから──」
親父は複雑そうな表情を浮かべた。
「じつは美由貴さんの別れた元旦那さんなんだけど、まあとにかく大変な人だったらしい」
「大変ってどういう意味?」
「酒やタバコ、ギャンブルは当たり前だったそうだけど、いきなり何日も家を空けたり、帰ったと思ったらしばらく働かなかったりで、のらりくらりとしていたそうだ」
「なるほど。その人、ロクデナシだったわけだな……」
「まあ、夢を追いかける人だったって美由貴さんは笑いながら言ってたけどな。そんな父親を見て育ったから、もしかすると晶は男性不信なのかもなー……」
女性が男性に対して不信感を抱くのは聞いたことがあった。けれど同性に対してそういうことがあるのだとすれば……。
晶は、同性の友達がいるのだろうか?
そのことが、なんとなく気になってしまった。
「男性不信か……。それで俺たちを突っぱねる言い方を……」
「決して悪い子ではないと思うんだけどね」
「それは俺もそう思う。晶はきっと良いやつだよ」
親父の論が正しければ、相手がべつに俺たちだからという理由ではない。
相手が男なら、きっと誰に対してもああいう態度をとってしまうということ。
だったら、俺にできることは──
「じゃあ、これから晶の過去を塗りつぶすくらい良い家族にならないとな!」
──やっぱり、家族になること。
「涼太……」
「だろ? 親父」
過去はどうであれ、俺たちはこれから家族になっていく。
だったら俺にできることは、自分から晶に歩み寄るしかない。
『──メンデルの法則には血が通っていない、ってところかな?』
晶のためだけではなく、親父や美由貴さん──そして俺自身のためにも。
「……そうだな。まったくその通りだ、涼太」
「だからさ、俺に任せとけ、親父」
うざいと思われても、とことん関わってやる。
そうして晶が誰とでも笑顔で過ごせるように。
そうして晶が大人になったとき、最高の家族に巡り会ったと思ってもらうために……。
「ところで涼太、晶とはどう接していくつもりだ?」
「それはまぁ、最初は兄弟というより、友人に近い感じかな?」
「……お前、友達いるのか?」
「い、いるよ! 友達の一人や二人!」
「一人か二人しかいないのか……」
「そのかわいそうな目で見るのやめろ。大事なのは量より質だ」
つい、強がりを言ってしまったが、友達……。友達って、なんだろう?
「とりあえず、生意気な年下は嫌いじゃないし、あいつ、
「……それ、本当に大丈夫か? あまりやりすぎるなよ……」
「わかってるって!」
「じゃ、じゃあ、晶をよろしく頼む……。なんだか不安だが……」
──今にして思う。
親父、どうしてこのとき言ってくれなかった!?
晶は義理の弟じゃなくて、
まあ、『晶』という名前や見た目、性格や話し方で、晶が男だと勘違いしてしまった俺も悪いんだけど。