二章 学園ではモブになりきるのだ!(3)
◆
僕は学園に入ってからも睡眠時間を削って修行を続けていたが、アレクシアと偽恋人関係になってその時間は減った。
「付き合いなさい」
という一言で、僕はまだ朝早くに王都ブシン流1部の教室まで連れて来られた。
広い教室には僕ら二人だけ。朝日が差し込み静かな空気が流れていく。
早朝稽古。
一心に、アレクシアは剣を振るう。僕もその隣で剣を振るう。
アレクシアは剣に対して
二人に会話はない。ただ黙して剣を振るう。その時間は珍しく僕にとって苦痛じゃないものだった。
「不思議ね、あなたの剣」
アレクシアが言う。
「基礎はできている。ただそれだけ、それ以外は何もないのに」
アレクシアはそこで言葉を切る。
僕は当然、力も、速さも、魔力も、技量も、全てを抑えて剣を振るっている。あとに残るのはただ基礎だけ。
「なぜか目を奪われる」
「どうも」
外から小鳥の鳴き声が聞こえてくる。美しいその声は歌っているのではなく、実は縄張り争いの声。バッチバチにやりあっているのだ。
「でもやっぱり嫌いな剣」
アレクシアはそう言って、僕らはそれ以降一言も喋らず剣を振るった。
◆
あれから2週間、僕はどうにかこうにかアレクシアの恋人として過ごしている。たまに生徒からの嫌がらせに遭うが、それも我慢できる範囲だ。なにより、ゼノン先生が僕をボコボコにしたりとか、短絡的かつ暴力的な手段には出なかったので一安心だ。
そんなゼノン先生だが、授業中僕やアレクシアに対していつも通り丁寧に指導してくれている。以前のように気軽に話しかけてくることはないが、公私をわきまえた大人の対応をしていると言っていい。
それに比べてこいつは。
「むかつくわねあの男。少し剣が
さすがに人前では猫を
「はいはいそうですね」
僕は同意するだけのロボットだ。反論など時間の無駄なことを知っている。
「あの
「はいはい見ました」
今僕らは授業が終わっての帰り道、少し遠回りして
僕らは夕暮れの林道をひたすらゆっくり歩く。普通に歩けば10分そこそこで抜ける道に平気で30分以上かける。暗くなって星が見えた日もあったが我慢だ。もう壁に向かって話してろよと思った日もあったがひたすら我慢だ。
我慢、我慢、ただ我慢。しかしさすがの僕も一言言いたくなってくる。
「あー、ちょっといいっすか」
「何よポチ」
アレクシアはお気に入りの切り株に腰かけて足を組む。
座ってんじゃねぇさっさと歩け、とは言えず僕も仕方なく隣に座る。
「結局ゼノン先生の何が嫌なんだ? 客観的に見て、結婚相手としてはかなり優良物件だと思うんだけど」
「あなたねぇ、私の話聞いてなかったの?」
少し不機嫌そうなアレクシア。
「全部よ全部、あいつの存在全てが嫌なの」
「イケメンで剣術指南役で地位も名誉も金もあって公私をわきまえたいい人に見えるけどね。実際女子からの人気も高いし」
僕の言葉をアレクシアは鼻で笑った。
「
「なるほど説得力のある言葉だ」
そう言えばアレクシアも人気は高い。吐き気がするほど猫を被っているからな。
「だから私は人を上辺で判断しない」
「ならどこで判断するのさ」
「欠点よ」
アレクシアはドヤ顔で言った。
「なかなかネガティブな判断だ。君にぴったり」
「あら、ありがとう。ちなみに私、欠点ばかりでろくに美点のないあなたのこと嫌いじゃないわ」
「ありがとう、こんなに嬉しくない褒め言葉は初めてだ」
アレクシアは苦笑した。
「あなたはわかりやすいクズでいいわ。だからこそあの男が嫌いなんだけど」
「ちなみにゼノン先生の欠点は?」
「私が見た限り欠点はなかった」
「超優良物件じゃん」
「だからよ。欠点がない人間なんていないのよ。もしいたとすればそれは大噓つきか頭がおかしいかのどちらかね」
「なるほど、独断と偏見に満ちた回答をありがとう」
「どういたしまして、欠点まみれのポチ。ほーら取って来ーい」
そしてアレクシアは1枚の金貨を放り投げ、僕は全力ダッシュでキャッチする。
よっしゃ10万ゼニーゲットだぜ。
僕は金貨をポッケに入れて、手を叩いて喜ぶアレクシアの下に戻った。
「よーしよし」
頭を
「嫌がってる嫌がってる」
わちゃわちゃと撫でられながら僕は改めてこいつろくな人間じゃねぇと思った。
「顔に出てるわよ」
「出してるんだ」
フフ、と笑ってアレクシアは立ち上がった。
「さて、帰りましょう」
「はいはい」
「ポチ、明日こそあいつのムカつく顔に木剣叩き込んでやるんだから見てなさいよ」
そう言うアレクシアに、僕はつい聞きたくなった。
「あれって本気でやってるの?」
「どういう意味よ」
アレクシアが振り返って僕を見据えた。
僕はきっと余計なことを聞いたのだ。でも僕にとってそれは無視できないことだった。
「ゼノン先生は確かにアレクシアより上手だけど、僕にはそう一方的にやられるほど差があるようには見えない」
アレクシアの剣が僕は好きだ。一歩一歩、日々歩みを重ねて積み上げてきた剣だから。だけど、いざ本気の戦いになるとアレクシアの剣には余計なものが交じる。僕は僕が認めた剣に、そんな見苦しいものが交じるのが嫌だった。
「簡単に言うわね、白服のくせに」
「白服の
「いいわ、教えてあげる。あなたが思っているほど簡単なことじゃないのよ」
「へえ」
「私には才能がない。生まれつき魔力は多かったし、努力もしてきたつもりよ。私自身そこそこ強いとも思ってる。それでも、本物の天才には絶対に勝てない」
「そうかな」
「私はずっとアイリス姉さまと比べられてきた。周囲の期待もあったし、何より私自身がアイリス姉さまを尊敬し、追いつきたいと思っていた。だけど、私はアイリス姉さまと同じようにはできなかったのよ。何もかも、最初から持っているものが違ったの。だから私は私なりに考えて強くなろうとした。その結果、私の剣が何て呼ばれているか知ってるでしょう」
アイリスとアレクシア姉妹の剣を比べるとき、必ずといっていいほど出てくる言葉がある。
「凡人の剣」
「そうよ。ちなみにあなたも私と同じ凡人の剣。残念だったわね」
アレクシアは片頰で笑った。
「残念とは思わないよ。僕は君の剣が好きだし」
アレクシアは僕の言葉に一瞬息を止めて、睨み付けた。
「かつて、同じ言葉を言われたわ。ブシン祭の舞台でぶざまに負けた私にアイリス姉さまが言った。『私、アレクシアの剣が好きよ』」
唇を歪めて声まねをするアレクシア。
「あの人に私の気持ちなんてわからないでしょうね。あのとき私がどれほど
アレクシアは笑った。それが何の笑みなのか僕にはわからなかったけど、少なくとも楽しそうには見えなかった。
僕には言わなければならない言葉があった。それを言わなければ、僕は僕自身を否定することになる。
「僕は適当な人間でね。世界の裏側で不幸な事件が起きて100万人死んでも割とどうでもいいし、アレクシアが乱心して無差別通り魔殺人犯になっても割とどうでもいい」
「乱心したら真っ先にあなたを斬ることにするわ」
「けどどうでもよくないこともある。それは他の人にとってはくだらないものかもしれないけれど、僕の人生において何よりも大切なものなんだ。僕は僕にとって大切なほんのわずかなものを守りながら生きている。だから今から僕が言う言葉に噓はないよ」
ただ一言。
「僕はアレクシアの剣が好きだよ」
しばらく沈黙して、アレクシアが応える。
「その言葉に何の意味があるの」
「何も。ただ、あるとすれば、自分が好きなものを他人に否定されると腹が立つ。そんな気持ち」
「そう」
アレクシアは
「今日は一人で帰る」
歩いていった。
◆
「こうやって3人で食べるのも久しぶりですねぇ」
裏切り者のジャガが言った。
「こいつ毎日王女と食べてたからな」
とヒョロ。
「仕方ないだろ」
と僕。
僕らは久しぶりに3人で食堂に来ている。アレクシアは珍しくいない。
「シド君、いい加減機嫌直してくださいよ」
「そうだぞ、男が細かいことでいつまでも根に持つんじゃねーよ」
「日替わり定食980ゼニー貧乏貴族コース
「そうだぞ、奢ってもらったんだから全部水に流せ」
「わかってるって」
僕は大きめのため息をついた。
「よーし、それでこそ男だ」
「シド君ありがとうです」
「はいはい」
「それで実際どこまでいったんだよ」
声を抑えてヒョロが言う。
「なにが?」
「だから、アレクシア王女とアレだよ。2週間付き合ったんだから、ちょっとぐらいアレあるだろうよ」
アレを連呼するとても頭の悪い会話である。
「何もないよ、あるわけないだろ」
「かー、どうしようもないヘタレだな。俺だったらもう最後までやってるぜ」
「ですねぇ。自分でもチューぐらいはしてますよ」
「だからそういう関係じゃないって」
僕は適当にあしらいながら食事を続けた。すると。
「少しいいかな」
金髪イケメンのゼノン先生が登場。
「はいどうぞ!」
「どうぞです!」
そう言って置物になる二人。
「僕になにか」
少しだけ警戒しながら僕。一応アレクシアのいない間に仕掛けてくる可能性を警戒。
「ああ。もう聞いているかもしれないが、アレクシア王女が昨日から寮に戻っていない」
もちろん初耳である。けどきっと自分探しの旅にでも出かけたんだろう。そういう年頃だ。
「今朝から捜索したところ、これが見つかった」
ゼノン先生が取り出したのは片方だけのローファー。アレクシアのものだ。
「付近には争った形跡もある。騎士団は誘拐事件と見て捜査を始めた」
「そんな……!」
僕は悲痛な叫びを上げながら、心の中で「よっしゃ、ざまぁ!!」と
「容疑者を絞り込んでいく中で最後にアレクシア王女と接触した人物が浮かび上がった」
そう言って僕を見据えるゼノン先生。
「騎士団が君に話を聞きたいそうだ」
食堂の入り口には完全武装で殺気立った騎士団の皆さま。
「協力してくれるね?」
僕は悟った。
これあかんやつだ。