これより語られるのは、ある王国の王女様のお話。
魔法に憧れた王女様が、前世の記憶を取り戻した事から始まる物語。
時に人を振り回し、時に人を魅せて、魔法の魅力と真理を追い続ける。
これは、そんな物語の始まり。
* * *
ただ〝魔法〟という言葉が好きだった。誰かを幸せに、笑顔に出来るから。魔法という存在そのものを愛していた。永遠に届かない、実現しないからこそ。もしも願って叶うなら、きっと私は魔法使いになりたかったんだと思う。
ふと、ひょんな事からそんな〝前世の記憶〟の事を思い出した。
私の名前はアニスフィア・ウィン・パレッティア。パレッティア王国の第一王女。御年五歳、ぼんやりと空を見上げていた時の事だった。
魔法があるなら空を飛べるのに。何故かそんな事を思った、まさにその時だった。
そう思ったのは、はて、どうしてだろうか? 疑問を思い起こした時、私の記憶は忘れていたものを思い出すように前世を取り戻した。
パズルのピースが嵌まっていくような感覚。まるで自分という存在に欠けていたものを見つけたように。この日をもって、私は人生の転機を迎える事になった。
蘇った前世の記憶は摩訶不思議と言わざるを得なかった。空を行く飛行機、アスファルトを敷き詰められた道路、その道路を走る自動車を始めとして、次々と脳裏に過る前世では当たり前にあった文明の産物。
それは私にとって未知でしかない。私が今生きている世界には飛行機もなければ自動車もない。空を飛ぶのは鳥や魔物であって、道路だってアスファルトではないし、走るのは自動車じゃなくて馬車だ。貴族なんてお話の中の存在でしかなかったけど、私は王族のお姫様。そうして私は浮かび上がった記憶を思い返して息を吐いた。
「……困ったわ」
口にしてしまう程に困ってしまった。だって前世の記憶が蘇ってからの私の思考や価値観は〝アニスフィア〟として育ったものよりも、前世の影響が色濃くなってしまったから。王族としての責務だとか、貴族としての誇りとか。知識としてはある。
でも、共感が薄くなってしまった。だって前世だったら貴族がいなくても世界は回っていたのに。そう考えてしまうと違和感が酷くて、王族として育てられた自分と嚙み合わない。おかしいのは自分だとわかってる。けど、そう考える自分こそが自分にとって正しい形なので曲げたくない。こうなると前世の記憶が蘇った所で何も良くない。
「まぁ、良いや!」
私は深く悩む事は止めた。なにせまだ自分は五歳。価値観は時と場合だったり、あとは経験で変わるだろう。多分、なんとかなる。私はこの時、とても楽観的だったと後で振り返って思うだろう。そんな楽観的な私はこれから迫り来る問題より、今にも手が届きそうな望みを叶える事の方に意識が向いた。
「そう、だってこの世界は〝魔法〟がある!」
この世界において魔法は御伽話の術や空想の類じゃなくて、現実に存在するものなのだ。
火を操る者、水を操る者、風を操る者、土を操る者。理屈も理論も知らない。それでも記憶に確かに残るその光景は、私の心を摑んで離さなかった。
魔法が使えれば空も飛べるかも知れない。そんな魔法があったのなら。思えばもう止まらない。想像が膨らんで、胸が高鳴る。
「善は急げだね」
私は拳を握りしめながら決意を新たにして、勢い良く部屋を飛び出した。勢いのままに王城の廊下を駆け抜けていくと、曲がり角を曲がった所でメイドのお姉さん達と擦れ違う。私は軽く会釈して、そのまま横をすり抜けて行こうとする。
「ひ、姫様!? 廊下を走ってはいけません!?」
後ろから抱きかかえられるようにして引き留められてしまった。私はあっさりとメイドの腕の中に収まってしまい、足をジタバタさせてみる。けれど所詮は子供の力だ。
メイドが離すまいと力を込めれば流石に逃げられない。観念して力を抜く。振り返ってみれば知り合いのメイドだと気付いた。
「あら、イリア。ごめんなさい、ちょっと急いでるの」
「だからといって、お城を走り回るだなんてはしたないです」
「うぅ、いけず……」
脱出は無理そうなので早々に諦めた。私の抵抗がなくなったのを見て、イリアは下ろしてくれる。そのまましゃがむようにして目線を合わせて来る。
「いきなりどうしたのですか、姫様」
「父上に直訴するの!」
「じ、直訴……?」
「魔法を学びたいと直訴するの!」
「……はぁ、魔法をですか」
ふんぞり返って言う私にイリアは、なんでまた、と言いたげな困惑した表情になる。
「イリア、私は魔法を使いたいの」
「意欲がある事は良い事でございます。しかし、何故また唐突に魔法を学びたいと?」
「空を飛びたいと思ったの!」
「はい?」
「空を飛ぶの!」
「魔法でですか」
「飛ぶのです!」
イリアに何を言ってるんだろう、という顔をされてしまう。それもそうだと思う。魔法で空を飛びたいなどと、私が知る限りは前例がない事だから。
「それはやりたいことの一つで、魔法を使えるなら良いのです。魔法を使って悪い奴等をこらしめたり、民の為に魔法を使えるようになりたいのです」
「それはそれは。立派な夢でございますわね。しかし、陛下もご多忙の身であらせられます。私からお伝えいたします故、お部屋にお戻りになって頂けますね?」
「むぅ、仕方ないわね。ここはイリアに免じて直訴は止める!」
「ありがとうございます、姫様」
面倒な事にならなくて良かった、と胸を撫で下ろすイリア。その胸は豊満だった。顔もよく見れば整った美人さんだ。目を惹く美人さんなのは王城に仕えるメイドさんだからなのかな?
さて、部屋に連れ戻された私に出来る事はない。アニスフィアとしての記憶を浚ってみても、今日の習い事は終わってしまっている。それならば、と自分の部屋を漁ってみる事にした。それだけでもう期待に胸が高鳴った。
後の転換を振り返るのならば、この時こそが私、アニスフィアの始まりとも言えた。
私はなります! 憧れの魔法使いに!
* * *
そうして、少女の目覚めより時は流れた。
パレッティア王国。それは魔法によって発展した大国である。そんなパレッティア王国には国が運営している貴族や王族が通う学院が存在する。その名もパレッティア国立貴族学院。他国からの留学生も招き、学院という小さな社会を形成した社交界の縮図である。
勿論、学び舎としての意味もある。だが、幾ら身分の差を気にせず、成績を高める事で研鑽を促す目論見があっても貴族は貴族で、王族は王族なのだ。
身分が高い者には人が集まり、身分が低い者はそんな身分が高い者に取り入らなければそもそも学院内での地位や居場所を失うなどよくある事。
かといって親が子供の争いに介入すれば新たな諍いに発展する恐れもあり、パレッティア国立貴族学院は一種の閉鎖空間となっている事は周知の事実であった。
さて。今日は学院にとっては目出度き日であった。間もなく卒業を迎える卒業生達の最後の試験が終わり、その成績と今までの努力を称え合う祝いのパーティー。
楽団による優美な音楽が奏でられ、社交へと勤しむ生徒達。煌びやかなパーティーは思惑を孕みながらも、表向きは絢爛豪華な一時を楽しむ。……その筈だった。