第一章『前線の街の青年』(3)
「まあ気にすんなよ、予言なんて」
気楽な様子で、ライナーは俺に向けてそう告げた。
あえてそうしてくれているのか、いや、これは彼の本心だろう。俺は笑う。
「そんなこと言って。熱心な信徒に聞かれたら怒られるぞ」
「いねえよ、こんな場末の酒場に。教会に信心向ける類いの奴は教都に住むもんさ」
教会は信仰の強制どころか布教活動さえ行わない。
彼らは教えを説くのではなく、ただ研究と検証を繰り返して確認された事実を公表する組織に過ぎず、その本質は宗教団体というよりも研究機関に近かった。
問題は、その教会が神の実在を証明した組織だということだが。
──なにせ教会の予言は必ず当たる。
宗教組織ではないはずの教会が、それでも信奉者を集めている最大の理由がそれだ。
「かもしれないけどさ。そんな調子で付き添い大丈夫だったわけ?」
「ん? ああ……」
彼は、選ばれたアミカたちの付き添いで教会の総本山がある教都まで向かっていた。
なにせ五名中、四名までもがネガレシオ救道院から選ばれたのだ。面会を兼ねた教会の任命儀式──いわゆる洗礼を執り行うため、この前線の街からの送迎を担当していた。
「つったって儀式までは見てねえよ。教都観光はしたが」
「儀式っていったい何したんだ?」
「だから知らねえって。俺が確認したのは噂の聖女様の顔くらいだ。かわいかったぜ」
「何を確認してんだよ……」
確かに教会には、神の声を聞く聖女がいるとかなんとか聞いた気がするが。
興味がなさすぎてよく知らなかった。そもそも俺は教都まで行ったことすらない。
「聖女……って確か何年か前に、教会が急に幼い少女を祀り上げたとかいうアレだよね」
「ああ。魔女が人類を滅ぼす側ならその逆もいるはずだ、みたいな感じで探し当てたって話だったな。俺も詳しくは知らねえけど、教都周りのほうじゃかなり人気らしいぜ」
「人気って……なんか特殊な魔術的才能があったとか、それ系の話なんじゃ?」
「俺に訊かれても知るわけねえだろ」
仮にも学術機関たる教会が保護している以上、何かしら相応の根拠はありそうだが。
それとも、まさか本当に信仰へ縋る者のための
「教都は盛り上がってたぜ。ついに英雄が動き出したってお祭り騒ぎだ」
「はは……そのまま聖人として祀り上げられそうだね。いよいよ宗教じみてきてる」
冗談のつもりだったが、言っていてあり得るような気もしてきた。
教会は、いわば最先端研究所だ。旧文明技術の
発展した分だけ旧文明に対する憧れも強い、ということだ。かつての栄華を取り戻してくれるかもしれない英雄たちに、過度な期待を抱いている者もいることだろう。
「でも少し意外だよ。ライナーが聖女様に興味を持つとは思わなかった」
「ん? あー、そうか、お前は知らねえのか」
「え?」
「教会の聖女様だよ、五人目は。見てきたってのはそういう話だ」
「あ……ああ、そういうことか……」
どうして急に聖女の話が出てきたのか、これで得心がいった。
なるほど、教会の信者に人気の聖女様が五人目の英雄ともなれば、話題性も強くなる。
いや、魔女の対抗馬として探し出されたのだから、考えてみれば当然の成り行きか。
「そういうことだよ。言ったろ? だからお前が気にする必要はねえってコトさ」
俺は目を見開いて顔を上げる。ライナーは笑って、
「予言の英雄っつったってよ、結局は教会の息がかかった奴が選ばれてるってワケだ」
「…………」
「救道院だって、組織としちゃ教会との結びつきも強い。どこの誰とも知らない一般人がいきなり選ばれるならともかく、きちんと訓練を受けた連中や聖女が選ばれてる時点で、神様が予言していた、なんてのもどこまで本当かわかりゃしねえ。違うか?」
「……教会のお偉方の意向が含まれた選定だ、って?」
「そう考えるほうが自然だろ。そりゃ教会の本部には、本当に予言書があるんだろうとは思うぜ。そこに『魔女が復活するのでどうにかしましょう!』とか書いてあっても、別に不思議とは思わねえ。ただ、本当に個人名が五つ載ってるとは考えにくい気がするがね」
──神様が人間なんかをひとりひとり見てるとは思えねえよ。
ライナーは淡々とそう語る。投げやりなその言葉に含蓄を感じるのは、彼が歴戦の探索者だからか。救われなかった人間なんて、それこそ山のように見てきたことだろう。
事実、少なくとも神は機械に滅ぼされる人類に、救いの手は差し伸べなかった。
そんなふうに考える人間のほうが、むしろ多いのかもしれない。──ただ、
「どっちにしろ同じことだよ。才能を磨ける環境にいる運命も含めて、才能なんだから」
聖女はともかく、それ以外の四人のことは俺も知っている。
その全員が選ばれるに足る才能を持っていた。俺にはそれがなかっただけだ。
「そうか。ま、なら本当に神様が選んでんのかもしれねえけどな」
「んな適当な……」
「だが少なくともお前の親父は、この街を作り上げた英雄だ」
「────………‥」
「教会に頼らず、自分の力で英雄になったんだ。お前も悲観する必要はねえ。だろ?」
その通りだ──まったくもってその通り。
ライナーの言葉は正しい。誰が選んだわけでもなく、自らの力で《英雄》と呼ばれるに至った男は、かつて確かに存在した。反論の余地もない正論だ。いっそ暴力的なほど。
予言の英雄に選ばれるかどうかなんて大した問題ではない。要は何を成すかだ。
たとえ選ばれなかったのだとしても。
俺には俺で、まだやらなくてはならないことがあった。
「俺は、お前の親父の最期の圏外探索には連れて行ってもらえなかった。合流の予定こそあったが、俺が着く頃にはもう全てが終わっていた。……お前の親父を守れなかった」
訥々とライナーは、かつての後悔を語る。だがそれらは終わった話なのだ。
「それはむしろ運いいだろ。もし第一陣にいても、死人がひとり増えてただけだし」
「ま、それはそうだ。部隊が壊滅させられたってのに、俺がいたところでどうもならん」
聞く者が聞けば、俺たちの会話はいっそ冷淡に響くのかもしれない。
だが、圏外探索者とはそういう考え方をする者だ。長く圏外を生きるライナーは当然、俺だって下手なプロより圏外には慣れている。だから圏外の現実はよく知っていた。
──どうにもならないことは、どうにもならない。