第一章『前線の街の青年』(1)

 英雄になりたい。

 それが物心つく頃からの俺の──レリン=クリフィスの夢だった。

 少なくとも俺はそのために今まで生きてきたし、それだけの手応えもあったのだ。

 けれど結論から言えば、俺の夢はもう一生、叶わないことが決定している。

 なぜなら、今の時代において英雄とは選ばれるものであるからだ。

 俺はそれに選ばれなかった。お前にはその資格がないのだと突きつけられてしまった。

 俺の人生から、最後の意味が失われた。

 ──証が、手に入らなかったのだ。

 それだけのことで、そして、それが全てだった。

 救道院の講堂前の廊下にある掲示を漫然と眺めながら、俺は無言で立ち尽くしている。

 この救道院では、滅びかけのこの星で人が生きていくための様々な技術を子どもたちに教え、自立のための支援を行っている。要するに、孤児院と学校を兼ねたような施設だ。

 目の前の掲示板は救道院の成績通知に用いられているもので、先月末時点での院内での成績順に、上位二十名までが告知されていた。

 羅列される院生の名前。そのいちばん上には、このように記されていた。

 首席──レリン=クリフィス。

「…………」

 せめて笑ってみようと試みたのだが、喉からは言葉にならない空気が零れるだけ。

 目に映る掲示は、この救道院における最高成績者の名を示している。

 それが紛れもなく自分の名であることが、もちろん俺にわからないはずもない。

 だが、もはやそんなことにはなんの価値もなかった。

 成績通知の上に重ねられる形で今、掲示板には別の知らせが貼り出されている。

『速報』『我らがネガレシオ救道院が誇る予言の英雄』『教会の洗礼が執り行われ──』

 文字を読む目がどうしても滑る。

 そりゃあ一大ニュースだ。世界を救う《予言の英雄》が、この救道院から一気に四人も選ばれたというのだから──どうでもいい成績通知の上に重ねられても文句は言えない。

 たまたまいちばん上にあったから、という理由だけで自分の名前がはみ出ていることがいっそ馬鹿らしく思えてくる。

 なぜなら、俺は英雄として選ばれることはなかったのだから。

 成績が一位だからなんだ。全ては英雄に選ばれるための努力だったというのに、結果がこれでは笑い話にもなりはしない。

 俺の夢は、叶わなかったのだ。

 そうと知ってから一か月以上が経って、それでも現実を認めきれずに虚しく掲示を見る自分が、あまりに愚かしく思えてくる──いや、事実どうしようもなく馬鹿らしい。

 日を改めて見直せば、自分が選び直されていると考えたわけでもないのに。

「──っ!!」

 そのとき。背中に近づく気配を感じ、俺は咄嗟に後ろを振り返った。

「わ、レリン?」

 凛とした声音が、甘く耳朶を揺さぶる。

 視界で、赤く艶やかな髪が流れた。

「びっくりした……相変わらず、妙に後ろの気配に敏感だよね、レリンって」

 意志の強さを感じさせる、鋭いが美しい黒茶色の双眸。

 それがほかでもない自分に向けられていることが、なぜか耐えがたく感じられた。

「……アミカか。旅行から戻ってくるのは明日って聞いてたが、意外と早いお帰りだな」

 思わずつっけんどんな口調になってしまう俺。

 彼女──アミカ=ネガレシオも、この返答には形のいい眉を顰めた。

「何それ。早く帰ってこられたのが不満なわけ?」

「いや、……そうじゃない。悪かった。知らなかったから驚いただけだ」

 首を横に振る。不機嫌を彼女に押しつけるのは、さすがに格好悪すぎるだろう。

「それより、なんだその格好? エプロンまでして……」

「うっ」

 話を逸らしつつ突っ込むと、アミカは前髪で目を隠すように俯いた。

 普段とは違うエプロン姿でいるアミカは、なんでか木製の箱を手に持っており、それを首からかけたヒモで支えている。箱には《新商品・冒険弁当 今限りの大特価!》という文字が手書きされた紙が貼りつけられており、まさにいかにもな売り子スタイル。

「名高きネガレシオ救道院が院長の娘ともあろう者が、なんで弁当売り歩いてんだ……」

「うるっさい、厭味ったらしい説明すんな! 食堂のおばちゃんたちに頼まれちゃったんだから仕方ないでしょ……!」

「まあ、そんなこったろうと思ったけどさ。また雑用やってんのか。飽きないな」

 ちなみに冒険弁当とは、冒険に行くときに持っていく的な意味合いではなく、考案した食堂の職員が突飛なメニューの弁当のことだ。だいたい売れない。

 大方、アミカちゃんが売り子やってくれれば助かるわー、とかなんとか言われて、在庫処分を押しつけられたという辺りか。その手の頼みをアミカは基本、断らない。

 結果、謎のバイトで妙な格好をしているアミカは、今や院の名物と化していた。

「あんたも協力しなさいよ。ひとつ渡すから」

 そんなことを宣うアミカに、俺は顔を顰めて首を振る。

「嫌だよ……。食堂の冒険メニューにはとっくに懲りてんだ俺は。二度と食べん」

「そこをなんとか、的な?」

「お前、忘れたとは言わせねえぞ。例の《目玉商品》とかいう絶滅センスの弁当を、俺に押しつけたときのこと。フタ開けたら眼球並んでたんだぞ、あり得ねえ。トラウマだわ」

 お昼まだ? それはよかった。ねえ、よかったらコレ食べない?

 ──という流れで渡された弁当の、フタを開けたらアレだった俺は泣いていいと思う。

「体にはいいらしいじゃん。いろんな食べられる目玉を仕入れるの大変だったらしいよ」

「知るかよ。体によくても目に毒だわ。目が。努力の方向性がおかしいんだよ」

「その件は悪かったけど……ほら、たまにアタリのときもあるじゃん」

「言っちゃってんじゃん、たまにって……今回、何?」

「さあ? 旧文明の食事を再現しようとしたとかなんとかで、なんかブロック状の肉とか入ってた気がする。あとなんか、緑色したゼリー状のよくわかんない塊とか。どう?」

「その食欲を微塵もそそらない説明で買うと思う?」

「まあそう遠慮せず、ほらほら」

「遠慮じゃねえよ拒否ってんだよ……!」

 弁当を押しつけようとしてくるアミカと、しばらく睨み合いが続いてしまった。

 なんとか全力で拒否し続けると、やがてアミカも諦めて小さく息をつく。

 それから首を振り、彼女は俺の全身を上から下まで眺めると、呆れたようにひと言。

「にしても。レリンこそ何、その格好? そんなヨレヨレの服で、髪もボサボサ……規律正しきネガレシオ救道院の首席として、ちょっとは外見も考えて生活してほしいよ」

 という言葉が、戻りかけていた俺の冷静さを再び奪い取った。

 だからなんだ? そんな肩書きにはなんの意味もないと、ほかでもないお前が証明したじゃないか──喉まで出かかった言葉を、わずかに残った理性がなんとか押し留める。

「それでも、選ばれなかっただろ」

「……っ」

「お前とは違うんだ。もう、努力する理由なんてひとつもねえよ」

 いや。結局、何も押し留められてはいなかった。

 俺は言わなくてもいいことを言って、意味もなくアミカを傷つけてしまう。

 ──アミカ=ネガレシオ。

 この救道院の院長の娘であり、総合成績では俺に次ぐ二位の院生。中でも魔術に関する才能は飛び抜けており、それに限って言えばダントツの一位を記録している。

 そして、選ばれた四人の英雄──いずれ世界を救うとされる英雄たちの内のひとりでもあった。

 言ってしまったことに後悔して、俺は視線を目の前の少女に向ける。

 だが悲しげな表情で肩を震わせる姿を見た瞬間、気まずくなって再び視線を逸らした。

 彼女は悪くない。

 俺が選ばれなかったことを気にしていると知っていて、だからこそ気を遣わず、普段と変わらない接し方を選んでくれた。それこそが、アミカなりの気遣いだとわかっていた。

 ──悪いのは、その優しさに応えてもやれない俺のほうなのだ。

「あー……教都の教会はどうだった? 英雄になるんだ、もてなしてもらったんだろ?」

 話題を変えるように俺は言う。

 まっすぐに向け直した視線──それを今度は、彼女のほうから外して。

「……別に。洗礼の儀式とかいうのやって、すぐ帰ってきただけだし」

「ああ、そう。そうか」

「……っ、そんなことよりレリン──」

「そろそろ帰るわ」

 何かを言い募ろうとするアミカを、わかった上で制止する。

 話したくなどなかった。彼女が何を言うかなんて、ほとんど予想できてしまう。

 なにせ選抜の結果が発表されてから、何度も実際に聞かされてきたのだ。慰められても叱咤されても、何を言われても俺は素直に聞き入れられないだろう。

 ──お前は選ばれたじゃないか。

 ──俺より下の順位だったのに。

 これから過酷な運命を課される未来の英雄に、そんな言葉は聞かせられなかった。

「大変だろうががんばれよ。何ができるでもないが、幼馴染みだ。応援くらいはするさ」

「……、レリン」

「なにせ敵は大量の機械生命スカヴェンジャーと、それを支配する《厄災の魔女せかいのおわり》だ。とっくに滅びかけのこの世界が、本当に滅んじまう前に……どうか俺たちを救ってくれよ、予言の英雄様」

 当てこするような言い方になってしまったが、今日くらいは許してほしい。

 今後は会う機会も減るだろう。これから教会の戦力となる彼女たちは、俺とはまったく違う人生を歩んでいくのだ。縁など、ここで切ってしまったほうが後腐れなくていい。

 踵を返し、その場を立ち去ろうと俺は足を踏み出す。

 そんな負け犬の背中に、それでも声をかけることを彼女は選んだ。

「──お父さんみたいな英雄になる夢、もう諦めるわけ?」

「…………」

 一歩目で足を止められた。でも振り返れない。

 背中を見る気配が、その視線が、さらに鋭くなっていくことを肌で感じる。

「聞いたよ。あれからずっと講義にも出てないって。そのくせ、ここには来てるんだ?」

「…………」

「ねえレリン。あんた、本当に諦めて──」

「──うるさいな。俺のことは放っておいてくれ」

 だから、俺はそれを断つ。

 アミカに振り返って俺は言った。

「俺はもうグレたんだよ。これ以上、真面目な優等生なんてやってられっか。そんなことしてたって何も叶えられないって、ではっきりしてんだから」

 言いながら、すぐ脇に掲示されている成績表を目で示す。

 この救道院で育ち、学んできた多くのことを思い出しながら俺は自嘲する。

「今後は俺のやり方でやる。もうここに用はない」

 何か言いたげなアミカから視線を切って、俺は今度こそ救道院の敷地を後にした。

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