七度目の朝
「んう……」
目を開けると、そこには見慣れた天井があった。
……どうやら、今回もあの日に戻ってきたみたいだ。
「さて……そうすると、そろそろ……」
そう呟いて、僕は固いベッドから降りると。
――バン!
「ヒューゴ様! いつまで寝ているのですか! 早くしてくれないと……って、起きていたなら早く食堂に来てください!」
勢いよく扉が開け放たれ、顔をしかめながら入ってくるなり大声で小言を言うのは、乳母であり現在は僕の侍従を務めているモリーだ。
そして、義母の指示で僕の行動を逐一監視すると共に、仕えている者への礼儀もわきまえない不遜な輩でもある。
「……僕は食堂で朝食を食べるつもりはない。ここに持ってくるんだ」
「は? 朝から何を馬鹿なことを言っているんですか! そもそも、そんなわがままを言える立場ではないでしょう!」
「貴様こそ何を言っている。この僕に仕える侍従風情が、口の利き方に気をつけろ」
「っ⁉」
そう冷たく言い放つと、モリーは驚いた表情で一瞬だけたじろぐが、すぐに怒りの形相を見せた。
「……ヒューゴ様、いい加減にしてくださいよ? あなたの言動や態度、全て奥方様にお伝えしますが、それでもよろしいのですか?」
はは……確かに、六度目の人生までは僕もその言葉に怯えていたな……。
あの父だと思っていた男に、義理とはいえ母だと思っていた女に嫌われたくなくて、少しでも心象が良くなるようにこのモリーにも媚びを売っていたのだから。
だが、このモリーには知らないことがある。
この僕が、既に六度の人生を歩んできたことを。
この僕が、既に家族になることを諦めていることを。
だから。
「その時は、父上と謁見する時にでも、貴様が僕の養育費を料理長と共謀して横領していることを報告するとしよう。ああ……ちょうど明日の騎士との試合でお会いする機会があるな」
「っ⁉」
はは、驚いているな。
そう……このモリーは、僕のこの離れでの生活に充てられている養育費を、乳母を務めていた頃からずっと横領していたのだ。
元々、祖父であるノーフォーク辺境伯への建前上、あの男も僕を無下に扱うわけにはいかない。
なので、それなりの額が用意されているにもかかわらず、食事も服装も、家具も、何もかもが貧相なのは、そういった事情があるからだ。
……まあ、横領の件については、放っておいても今から三年後には発覚するんだけど。
「……ヒューゴ様、ご冗談はよしてください。どこにそんな証拠が……?」
「証拠? そんなものは、明日父上に報告すれば調査するだろうから、どうでもいいだろう?」
そう告げると、モリーはその表情をますます青くさせる。
全く……どちらに主導権があるかくらい、僕が横領について口にした時点で気づくべきだろうに。
オマエは、もはや僕に従うしかないのだという事実に。
「それで……僕は朝食を部屋で食べたいんだが」
「か、かしこまりました……」
モリーは恭しく一礼すると、この部屋から出て行った。
「ふう……」
はは……侯爵家の連中の顔色を窺う必要がないというだけで、ここまで気が楽になるだなんて、ね……。
だけど、これからどうするか……。
一度目の人生で身につけた暗殺術で家族全員を殺すことはできるかもしれないけど、それだとその後は皇国のお尋ね者になってしまうだけだ。それじゃ意味がない。
それに。
「……アイツ等をこれ以上なく絶望させて、その上で息の根を止めないと気が済まない」
そもそも、僕は六度もアイツ等に死に追いやられたんだ。
それに見合った償いだけは、キッチリと受けてもらわないと。
「となると……まずはこの家を出ることから始めようか」
少なくともこの家にいる限り、僕に未来はない。
その場合、この僕を受け入れてくれて、かつ、復讐を果たす上で力になってくれそうな者となると……。
僕は顎に手を当てながら思案する。
まず、祖父であるノーフォーク辺境伯については期待できない。
あの男は家の利益のみを追求して、一人娘だった母上をこの家に嫁がせたんだから。
それに……一年に一度だけ見せる、僕に向けた冷たい眼差し。
あれは、僕に対して憎悪を抱いている者の目だ。
なら、他には……。
――コン、コン。
「し、失礼します。食事をお持ちしました……」
どこか緊張した様子で、モリーとメイド達が朝食の用意をする。
まあ、粗相でもしたら僕に横領の事実を報告されてしまうんだ。少なくとも、証拠となるものを処分するまでは、このまま大人しくしているだろう。
「で、では、必要なものなどございましたら、改めてお呼びくださいませ……」
「呼ぶ? どうやって?」
部屋の周囲を見回した後、僕は静かに告げる。
これまで僕の言うことを聞かない者達で、そもそも、この部屋には呼び鈴が置かれていない。
「そ、それでしたら、私がこの部屋でお世話させていただきます!」
そう申し出たのは、メイドのエレンだった。
彼女は……これまでの六度の人生の中で、この僕に唯一優しく接してくれた女性だ。
「そうか……それなら君にお願いするとしよう」
「は、はい!」
僕はニコリ、と微笑みながらそう告げると、エレンは嬉しそうに返事をした。
◇
「で、ではこれで……」
用は済んだとばかりに、モリーと他のメイド達が僕の部屋から去る。
「さて、それじゃいただこうかな」
「はい!」
フォークとナイフを手に取り、テーブルに並べられた朝食に手をつける。
はは……さすがにいきなりでは、朝食の内容まで改善できないか。
「そ、それにしても……モリー様はどうして急に、こんなに心を入れ替える気になったのでしょうか……」
グラスに水を注ぎながら、エレンがおずおずと尋ねる。
「さあ? ただ、僕としてはありがたいことだけど」
「で、ですよね。失礼しました……」
僕は肩を竦めて苦笑しながら答えると、エレンはそのまま引き下がった。
「それよりも……どうにかして父上のために尽くすことができないだろうか……」
テーブルに視線を落としながら、僕は心にもないことをポツリ、と呟くと。
「お館様に、ですか……?」
「うん……できれば、この僕がその身を捧げることによって、侯爵家の利益につながるものでないとね……何といっても、父上の後を継いで当主となるルイスや、アンナのためにも……」
「ヒューゴ様……」
感極まったかのように、エレンは瞳を潤ませる。
それは、この家のために尽くそうとしている僕に、感激しているかのようだった。
「そうだな……例えばなんだけど、僕がこの侯爵家の利益となるような家……最低でも同格、できれば公爵家や外国の貴族などに養子として迎え入れてもらう、というのはどうだろう?」
「そ、それはよい考えかと!」
ずい、と詰め寄りながら、エレンは顔を綻ばせた。
どうやら、僕の提案はエレンにとっても賛成のようだ。
「うん……もし、明日の騎士との試合で勝ったあかつきには、父上に進言してみるとしよう。はは……エレンに聞いてもらえてよかったよ」
「そ、そんな! 私などでよければ、いつでも!」
「そうだね……この屋敷で、僕が信頼をおけるのは君だけだから……って、早く食べないと、エレンに迷惑が掛かってしまうな」
僕は再度苦笑し、急いで朝食を食べ終えると、エレンが食器を素早く片づけて退室した。
そして。
「はは……」
僕は、ニタア、と口の端を吊り上げた。
この僕に唯一優しくしてくれるエレンが、実は僕を監視するための父の間者だということは分かっている。
あれは……三度目の人生の時。
この離れの屋敷に火をかけられて逃げ場を失った僕が窓から外を覗くと、屋敷の外から義母の陰に、このエレンがいたから。
つまり、エレンは最初から向こう側だったのだと。
ただ……その時彼女が何故、嗤いながら大粒の涙を零していたのか、その意味は分からない……って、今はそんなことはどうでもいい。
とにかく、僕の話を聞いたエレンは、今頃は父に伝えに行っているに違いない。
そして、すぐにでも僕は差し出されることになるだろう。
サウザンクレイン皇国にある唯一の、ウッドストック大公家へと。
このウッドストック大公家は、現皇帝エドワード=フォン=サウザンクレインの叔父にあたるシリル=オブ=ウッドストック大公が興した家で、今も現役であるウッドストック大公が皇国北部を治めている。
そして、ウッドストック大公は跡継ぎである息子を戦争で亡くし、その後継者には大公のたった一人の孫娘だけだ。
でも。
「……この大公の孫娘には、いろいろな噂がある」
曰く、ウッドストック大公家の権力を欲しいままにして、善良な領民をさらっては夜な夜な趣味である拷問を行って血の風呂に入り、悲鳴を聞きながら愉悦に浸っている。
曰く、実は孫娘の正体は魔族であり、その正体を知った者は全てこの世から消されている。
故に、大公家の孫娘はこう呼ばれている。
――大公家の怪物、と。
このような噂が流れている一番の理由は、孫娘の死んだ父親が、魔族と恋に落ちたという噂からだ。
というのも、この孫娘の母親について、未来の大公夫人であるにもかかわらず社交界に一切登場したことがなく、その存在すら疑問視されていることが大きな要因となっている。
また、大公の息子の死についても、あくまでも大公自身による公式発表のみで、葬儀なども大公と孫娘、それにほんの一握りの従者のみで行われたことからも、より信ぴょう性を増している要因となっている。
一方で、この大公は孫娘を溺愛しているという噂もある。
金と権力に任せ、その婿候補をあてがおうとしたらしく、実際に貴族家の次男、三男が大公と孫娘に面談が行われたこともあったとのこと。
……それ以降、その貴族家の次男、三男の姿を見た者はいないらしいけど。
そんなこともあり、今では貴族の誰一人としてウッドストック大公家に近づく者はいなかった。
だが。
「……野心家なあの男のことだ。本心では、皇室に匹敵するほどの大公家の地位や財産、その他全てを手に入れたいに違いない」
今まで近づく者がいなかった大公家だからこそ、肉親であるこの僕がその一員……つまり、後継者である孫娘と婚姻関係を結べば、大公家を実質的に牛耳れると考えるだろう。
幸いなことに、まがりなりにもグレンヴィル家はこの国で最も有力な侯爵家だ。家格としても申し分ない。
あの義母だって、厄介払いができて清々するはずだ。
もちろん、そんな噂がある中で僕の身の安全の保障なんてどこにもない。
いや……これは賭けなんだ。
この僕が生き残り、これまでの人生に対する復讐を行うための。
だから。
「……大公の孫娘がどんな人物かだなんて関係ない。僕は大公や孫娘に取り入って、この家が及ばない力を手に入れ、そして……」
――グレンヴィル家に、悲惨な末路を。