六度目の人生の末に

 ――僕は、生まれてから一度も、愛されることはなかった。


 僕は、サウザンクレイン皇国の東部を治めるグレンヴィル侯爵家当主、ジェイコブ=グレンヴィルの長男として生を受けた。

 だが、母であるノーフォーク辺境伯令嬢、エイヴァ=ノーフォークはまるで命と引き換えにするかのように、僕を生んですぐに他界した。

 元々、父と母は互いの家の利益のための、ただの政略結婚に過ぎなかったため、母が死んでも涙一つ零さず、ただ母の亡骸と、その隣で泣きわめいている赤ん坊の僕を見下ろしていただけだったと、物心ついた頃に乳母からに教えられた。

 なので父は、役目は果たしたとばかりにヒル男爵家の令嬢、アンジェラ=ヒルを後妻として娶った。

 そして、僕が生まれてから半年も経たないうちに、父と後妻との間に、弟であるルイスが生まれた。

 つまりは、僕が母のお腹の中にいた頃から、父と義母は、そういう仲だったのだろう。

 僕の時とは違い、父は弟の誕生を殊の外喜んだらしい。

 さらにその二年後には妹のアンナも生まれ、父と義母と弟と妹で、絵に描いたような幸せな家庭を築いていた。

 一方で僕はただ一人離れの屋敷へと追いやられ、乳母一人と数人のメイドだけがあてがわれ、一人寂しく暮らしていた。

 そんな僕が父と会うことは年に一度、祖父であるノーフォーク辺境伯が尋ねてくる時だけだった。

 とはいえ、その祖父にしても、いつも僕を一瞥するだけで言葉を交わしたことなど一度もない。

 だから、父と祖父が会う時に、僕はその場で人形のようにたたずんでいるだけだった。

 後妻である義母も僕のことを毛嫌いしており、顔を見るたびに僕を罵倒する。

 時には、躾と称して背中や脚を鞭で打たれることもあった。

 弟と妹は僕とは違い、そんな両親から一身にその愛を注がれ、幸せに、傲慢に、尊大に育っていった。

 だから。

「兄さん、お父様が大切にしていた壺、割っちゃったんだ。代わりに謝っといてよ」

 こんなことも、日常茶飯事だった。

 なんでこの僕が、弟の身代わりを? そう思いながらも、僕が選んだのは。

「うん……分かったよ、ルイス」

 粉々に砕けた壺の破片を拾いながら、僕はニコリ、と微笑んだ。

 もちろん、義母も前妻の息子である僕が目障りで、疎ましいと考える気持ちも理解できる。

 ルイスやアンナも、半分は血も繋がっていない上に母親がそうなんだから、僕のことなんて邪魔で鬱陶しいと思っていることも分かってる。

 そもそも政略結婚でしかなかった父上と母上なのだから、後継ぎ候補である僕以外の男子であるルイスが生まれた今、不要な存在でしかないことも承知している。

 でも、それでも……。


 ……僕は、家族の一員になりたかったんだ。


 僕が身代わりになることで、ひょっとしたら弟は僕のことを慕うようになってくれるかもしれない。

 僕が割ったと知ったことで、ひょっとしたら『怪我はない?』と妹が心配してくれるかもしれない。

 僕が庇ったことで、『えらいね、優しいね』って、父上と義母上が褒めてくれるかもしれない。

 そんな夢物語よりもちっぽけであり得ない夢を見て、僕は今日も弟の身代わりを引き受けた。

 待っていたのは、窓も何もない、薄暗くジメジメした納屋のようなところで一か月の幽閉という名の監禁だというのに。

 それでも僕は、家族の一員として認めてほしかった。

 だからいつも、僕は自分を高めるためのあらゆる努力をし続けた。

 とはいえ、僕はルイスやアンナと違って、学問も、剣術も、礼儀作法も、一切習わせてはもらえなかった。

 なので誰かの目を盗んでは書庫に忍び込んで本を読み漁ったり、ルイスやアンナが家庭教師から勉強や剣術を習っているのを、隠れて眺めたりして、独学で学んだ。

 無駄に時間だけはあり余っていたし、自分を高める時間は充分にあったから。

 そうして自分を高め続けた、十四歳の夏。

 僕は何故か侯爵家に仕える騎士団員の一人と、剣術で試合をすることになった。

 だけど、僕が剣術を習っていないことは、この侯爵家にいる者なら誰もが知っていること。

 それでもこのような試合を組まれたのは……どうやら義母は、僕が痛めつけられる姿を御所望らしい。

 でも……ひょっとしたら、この僕が騎士を倒したら、父は認めてくれるかもしれない。

 そう考え、全力で試合に挑んだ結果。

「ま、まいりました!」

 地面にひれ伏し、負けを認める騎士。

 それを僕は、期待に満ちた瞳で見降ろしていた。

 はは……これで、父上も僕を見てくださいますよね!

 そう思い、視線を父へと向けると。

 ……僕を見て、満足げに頷いてくださったんだ!

 嬉しかった。

 歓喜に震えた。

 ああ……これで僕は、家族の一員になれるんだ。

 その後、僕は剣術の才能を認められ、すぐに壮年の男に預けられた。

 そして、徹底的に技術を叩き込まれた。

 血を吐こうが、わめこうが、手加減は一切なく鍛えられ……僕は、暗殺者になった。

 それからは、侯爵家の敵となる者をことごとく殺していった。

 それこそ、老若男女身分を問わず、徹底的に。

 でも、そのたびに僕は嬉しかった。

 だって、人殺しをしている時は、僕は家族の一員なのだと実感できたから。

 そうやって暗殺を続けた結果、サウザンクレイン皇国の実権を握った父は……この僕を、一連の貴族殺害事件の犯人として、処刑した。


 ――それが、の人生だった。


 ◇


 の人生を終えた後、目を覚ました時は騎士とのの前日の朝、ベッドの上だった。

 その時は状況が分からず混乱したけど、鏡に移る自分の幼さを残した顔と背格好で、ようやく自分が過去に戻ったことを悟った。

 なので、の人生での失敗を踏まえ、僕は騎士にわざと敗れた。

 もちろん、の人生で身につけた暗殺技術は健在で、この騎士を殺そうと思えばいつでも殺せた。

 でも……そんなことをしてしまったら、僕は永遠に家族として認められない。

 なので、急所を外しながら騎士の攻撃を受け続け、降参した。

 それを見て満足したのか、義母は口の端を吊り上げながら笑顔で席を立つ。

 はは……義母上も、これで少しは僕を見てくれるかな……。

 それからは、僕は剣術ではなく学問で身を立てることにした。

 これなら、暗殺者である僕を疎ましく思ったりはしないだろうから。

 なので、その後も独学で勉強を続け、歴史、経営学、法学、果ては帝王学まで、少なくとも侯爵家にある書物はほぼ誦じて話すことができるようになった。

 あとは、これをどうやって父上に認めてもらうかだけど、それについては弟を補佐するという体を取ることにした。

 そのためにまずは弟に近づき、通っている皇立学院で出された課題を僕がこなすことで信用を得ることにした。

 その結果。

「はは! 兄さんのおかげで課題は最高評価だったよ!」

「そうか……それは良かったよ」

 うん……どうやら弟は、僕のことを兄として認めてくれたみたいだ。

 その証拠に、それ以降は課題を含めた学院での全てについて、僕に頼るようになったんだから。

 もちろん、試験などについては替え玉として僕が受けて。

 こんなところでも、の人生で身につけた暗殺のための変装術が役に立った。

 そんなことを続けていると、弟は学院に通うことすら僕に任せるようになった。

 弟の信頼を得たということも嬉しかったが、何より、学園生活はすごく楽しかった。

 好きなだけ勉強ができて、こんな僕にも友達と呼べるような人ができて……。

 でも……それは、全て弟の人生で……。

 そんな生活に疑問を持ちながらも、僕は弟の替え玉としての生活を続ける。

 そして……いよいよ学院を卒業する、僕と弟が十八歳を迎えた時。

 僕は、弟のルイスに毒殺された。


 ――それが、の人生だった。


 ◇


 は、十九歳の時に義母に離れの屋敷ごと火をかけられて死んだ。

 は、十七歳の時に妹のわがままで父が違法に買ってきた魔獣の遊び相手にされ、噛みちぎられて死んだ。

 は、十六歳の時に弟と間違えられて暗殺された。

 そして……の人生。

「……ヒューゴ、貴様は国家転覆罪の罪により、明日の正午、処刑されることとなった」

 僕は、皇国でも一級犯罪者のみが収容されている施設の最も深い地下にある牢の中で、目の前の父から死刑宣告を受けた。

「だが、貴様はであるにもかかわらず、ルイス……ひいてはグレンヴィル侯爵家のためにその命を捧げることができるのだ。光栄に思うのだな」

「…………………………」

 今回の人生では、僕はことにした。

 父のために、暗殺者となって人を殺すことも。

 弟のために、替え玉としてその評価を高めることも。

 義母のために、妹のために、祖父のために、家のために、国のために。

 そういったことに一切かかわらず、ただ無為に過ごした結果。

 僕の役目は、馬鹿な真似をした大馬鹿な弟の身代わりとして死ぬことだった。

「ハ、ハハ……」

「? ヒューゴ?」

 駄目だ……笑いがこみ上げてくる。

 目の前の父と慕っていた男が目の前に現れた時、僕を救いに来てくれたのだと期待した自分に。

 父が……最後のはなむけとして、この僕を家族と認めてくれるのだと期待した自分に。

 ああ……僕は何を欲しがっていたのだろう。

 そんなものを求めても、無駄なのに。


「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!」


「……とうとう気でも触れたか」

 気で触れた?

 ああ、そうだ。

 僕はもう、壊れてしまったんだ。

 もう……家族なんて、要らない。

 だから。

「っ⁉」

 僕は、隠し持っていた暗器を、自分の胸に突き立てた。

「ハハ……ハ……次、は……絶対に……」

「…………………………」

 無言で見つめる父だった男に、僕はニタア、と口の端を吊り上げた。

 次は、絶対に。

 オマエを……ルイスを……義母を……アンナを……グレンヴィル侯爵家を……全部、コワシテヤル。


 ――そして、僕はの人生を終えた。

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