一章 再会(2)
◇ ◇ ◇
一人の時間を過ごし続ける。カナが離れてから電車は一駅停車し、現在は何事もなく走行していた。中々帰ってこないので探しに行こうか。
その考えが浮かび始めたとき、すぐ隣の通路に人の気配を感じる。カナだ。
「ごめん。戻った」
カナの目は薄ら赤みを帯びていた。それ以外に目立った変化はないので、気持ちは落ち着いたらしい。再びカナはオレの正面に座る。
そして、断固たる決意を感じさせる――強い口調で宣言した。
「アタシ、リクに協力する。協力者になるよ」
「協力?」
「うん。リクは彩奈のために頑張る……それをアタシは支える」
「カナ……」
「協力者になるよ、アタシ。何があっても力になる。全力を尽くす。リクと彩奈こそ幸せになるべきだから」
協力者とはまた大げさだな……と思うが、カナの想いと決意を表した言葉なのは間違いない。オレとしても、事情を理解し、応援してくれる人がいるのは素直に嬉しかった。
それに、このまま星宮と向き合ったところで平和に事が進むとは思えない。
星宮の性格を考えると、絶対に自分を責め続けている。
オレに罪悪感を抱き、オレからの優しさすら拒絶するだろう。
この状況、星宮の親友であるカナが力になってくれるのはとても心強い。
「リクの話を聞いてさ、気になったことがあるんだけど……いい?」
「いいよ。この際だ、何でも聞いてくれ」
「リクは今も春(はる)風(かぜ)のこと、好きなの?」
「もちろ――」ん、今も好き。
そう言おうとして言えなくなった。
星宮を気にしてのことではない。違和感があった。
星宮のもとに行くと決め、陽乃と別れてから不思議なほどに心が軽い。
頭が冴え渡る。重い鎧を脱ぎ捨てた感覚。目の前の現実をはっきり認識できる。
それは自分の内側に対しても同じだ。
星宮に対する好きと、陽乃に対する好き。その二つは、本質的に何かが違う。
今まで自分の言動なんて気にしたことがなかった。
改めて振り返ると――――。
「ごめんリク。やっぱいいよ。余計なこと聞いた」
考え込むオレを見て、カナは反省した様子を見せた。
オレも考えることをやめ、口を閉ざす。今は星宮以外のことで悩むべきではない。
「なんかさ、リクにばっかり話をさせたじゃん? そのお詫びってわけじゃないけど、アタシの話もするよ。……といっても、リクほど勇気がいる話じゃないけど。恥ずかしくもある黒歴史的なエピソード」
「へぇ、気になる。犬のうんこを踏んだとか?」
「違う、うんことか言うなっ。一回大人しく聞け」
そう前置きし、カナは語り始める。駅に到着するまでの暇つぶしにも良さそうだ。
「あれはアタシが中二の頃。友達に影響されて恋愛に興味を持ち始めていたの」
「カナも恋愛に興味を持てる人だったんだな」
「まあね……ひょっとしてバカにした?」
「し、してないです……」
ギロリと鋭い目で睨まれたので、即謝罪する。
元々目つきが怖い上に雰囲気も刺々しいものが混じっているので、カナからは恋愛のイメージがなかった。当然そんなことは口にせず、カナの話を静かに聞く。
「一つ上に、校内の女子たちから絶大な人気を得ている先輩がいてさ、アタシから見てもイケメンなわけよ。身長高くて頭良くて、皆に優しいって評判のイケメン」
「カナも好きになったのか?」
「好き……ってほどではないかな。皆が気にしてるからアタシも気になった程度。ま、付き合うとしたら、あんな人がいいなぁとは思ったけど」
「なんか普通だな」
「まあね。てかアタシ、普通の女の子だし」
「…………」
「相槌打てよバカリク」
「話の続きをお願いします」
「釈然としないけど…………ある日、その先輩と目が合ったの。そしてその日の放課後、先輩からの手紙が下駄箱んとこに入れられてた」
「急展開だな。一目惚れされたとか?」
目つきが怖い云々はあるが、カナの顔立ちは整っている。モテてもおかしくはない。
しかしオレの問いかけに、カナは「ふふっ」と乾いた笑いを漏らして話を続ける。
「校舎裏に来てほしいって書いてあったから、向かったわけよ。そりゃ色々想像したよ? 告白されるのかな~て。アタシは先輩のこと好きじゃないけど、とりあえず付き合ってみるのもいいかなって。ドキドキしながら校舎裏に向かった」
「お、おう」
「校舎裏に行くと、真面目な顔をした先輩がいた。そしてアタシを見るなり土下座した」「…………え」
「お金は渡すから勘弁してください、って許しを懇願された」
「な、なんで?」
「噂のせい」
カナはオレの顔から窓の外に視線を移す。悲しいくらい遠い目をしていた。
「アタシさ、小学生の頃からボクシングやってんの。で、割と良い結果出してて……それのせいなのか、もしくはこの目つきのせいなのか……。多分目つきの方が原因なんだろうけど…………知らない間に、不良のレッテル貼られてた」
「あぁ……」
「『カナという女だけには喧嘩を売るな、殺されるぞ!』『あの冷たい目で睨まれた奴は、翌日東京湾に浮いている!』ってね……」
おどけた口調でその噂を言ったカナは、最後に「ほんとバカかよ」と吐き捨てた。
「一応聞くけど、人に暴力は――――」
「振るったことない。喧嘩もしたことないよ。口喧嘩は何度もあるけどさ」
「そ、そっか……」
「アタシは土下座する先輩を見て思ったね。初恋もまだだけど、一生恋愛はできないと。アタシは恋愛とは無縁の人間なんだと」
「……」
「パパ譲りの、この凶悪な目。これが全ての元凶……だからこそ、見た目関係なくアタシに接してくれる友達だけは大切にすると……そう決めてる」
語り終えたカナは、どこか満足そうにして背もたれに体重をかける。
オレも話を聞いたおかげで、カナという人間について少しだけ理解できた。
先輩との一件は、星宮を本気で心配し、オレの力になろうとする理由の一端でもあるのだろう。
「カナなら……良い彼氏ができるよ」
「はぁ? 何のお世辞?」
「お世辞じゃない。他人の幸せを心から願える優しい性格をしているんだ、絶対に良い彼氏ができる」
思ったことをそのまま口に出す。
こちらの本心を探るようにカナがジロジロと見つめてくるが、ウソではないと判断したらしく、口元を緩めた。
「……ふぅん。今のリク、結構良い線いってる。モテそうな雰囲気出てるよ」
「ふっ。オレに惚れるなよ……火傷するぞ」
「あーもうダメ。ダメダメ。今のでモテ度マイナス一億。その辺に転がってるダンゴムシの方が魅力的だわ」
「小学生レベルの罵倒やめてくれよ……」
「あ? 今、アタシをバカにした? 殴ってやろうか」
ファイティングポーズみたく両手をあげるカナ。こえぇ……。
冗談のノリだろうけど、こんな危なっかしい少女を好む男は滅多にいないだろうな。
互いにモテ評価を大きく修正したオレたちは、駅に着くまでの間、無言で窓からの景色を眺めるのだった。
◇ ◇ ◇
目的の駅に到着したとき、すでに夕方になっていた。
駅のホームを囲む柵の向こう側にはオレンジ色を帯びた畑が広がっている。ポツポツと民家の集まりも見えた。さらにその向こう、電車から眺めていた山が立っていた。
「田舎だな。これぞ田舎だ」
「アタシ、虫とか苦手なんですけど」
「虫の方が逃げていくんじゃないか?」
「あ?」
「あ、線路にも草が生えてる」
「おいこら」
露骨にカナを無視してみせると、かかとをコツンと軽く蹴られた。
「もうすぐ星宮と会えるのか……。嬉しいけど緊張してくる。星宮……」
「ほんと彩奈に夢中じゃん。リクって浮気とか絶対にしないタイプでしょ」
「当たり前だ。浮気をする暇があるなら星宮をデートに誘う」
「もう彩奈と付き合ってるつもりでいるし……」
「つもりじゃなくて本当に付き合っているんだ」
お互い、正式に別れるとは言っていないからな。……そう考えるとオレは浮気をしたことになるのだろうか。星宮と付き合いながら陽乃に告白し、付き合っていた。
考え込むオレは腕を組み、風に揺らされる線路に生えた草を睨み続ける。
「あの……黒峰さん……でしょうか?」
おずおずとした尋ねられた方に反応し、顔を上げる。
ホームの木製ベンチに腰掛けていたのだろう、一人の老婆がそこにいた。
白に染まる髪と皺が走る顔からは、数え切れない苦労があったことを想像させる。着用している渋い薄緑色の着物と田舎の雰囲気が合わさり、古風なイメージを強くさせた。
…………誰だ? 見たことがない人だ。見たことがない人なのに、頭の中が疼く。
脳みそに手を突っ込み、掻きむしりたい衝動に襲われた。
「リク?」
心配そうにするカナがオレの袖を軽く引っ張る。それに反応をしている余裕すらない。
動揺を隠し切れないオレたちを気にすることなく、目の前の老婆は背筋を伸ばし、瑞々しい双眸でこちらを見据え、穏やかな口調で自分について説明する。
「私は、星宮彩奈の祖母です」
「えっ――――」
声を上げたのはカナの方だった。
カナによると、星宮はおばあちゃんの知り合いの家にいる。
そして目の前にいる方こそが、星宮のおばあちゃん。
とても落ち着き払った、年齢相応以上に貫禄がある人に感じられた。
「カナさんお一人とお聞きしていましたが……黒峰さんもいらっしゃいましたね」
「あ、ごめんなさい。今の彩奈の状況を考えると、リクが行くことは逆に黙っていた方がいいのかなって思いまして……」
オレの代わりにカナが事情を説明してくれる。
星宮のおばあちゃんは構わないと言いたげに首を左右に軽く振った。
「私はカナさんにお礼を申し上げたく、お待ちしておりました」
そう言うと今度はオレを見つめ、腰を折って深々と頭を下げた。いきなりのことで驚かさせる。行動の意味がわからない。
「あの……?」
「あの事故のことは一日たりとも忘れたことはございません」
「――――ッ」
「今、彩奈と黒峰さんを取り巻く事情も門戸から聞いています。申し訳ございません」
「あの――――」
頭を下げたまま謝罪する星宮のおばあちゃんに声をかけようするも、「しかし」と言葉が続かれたので口を閉ざす。
「彩奈も苦しんでいます、これ以上なく……! もし、もし黒峰さんが彩奈に……事故の一件でこれ以上のことを……!」
――――あぁ、そういうことか。何を言いたいのか察する。
星宮に恨みをぶつけるために、オレはここに来たのだと……そう勘違いしているのだ。
「お許しを得るつもりは毛頭ございません。ただ、彩奈ではなく、この私に――」
「事故のことは、まだ割り切れていません」
「――――」
星宮のおばあちゃんは頭を下げているので、どんな表情をしているのかわからない。それでもオレの一言で息を呑む気配は伝わってきた。
オレの隣にいるカナも、微動だにせず現状を見守っている。
場に強烈な静寂をもたらし、風を切る音がオレたち三人の間を通り抜けていく。
世界が、オレの言葉を待っている気さえした。
だから純粋な本音を、一つの願いを口にする。
「オレは……会いたいだけです。ただ、星宮に会いたい。それだけなんです」
「…………」
「恨みなんてあるわけがない。怒ってもいない。もちろん事故のことは、まだオレの中で割り切れていません。でもそんなこと、関係ない」
すらすらと本音が紡がれていく、自分でも驚くほどに。
心の奥深くに積もり続けた星宮への想いが込み上げてくる。
「オレは星宮に会いたい。そして……一緒に生きたい」
「――――!」
事実を語るかのように、淡々と言い終えた。
星宮のおばあちゃんは顔を上げず、何も言わず、ひたすら腰を折り続けている。
もはや言葉は必要ない。
この場で、全てが解決したのだ。
「カナ、行こう」
「え、でも――――」
「行こう」
オレは星宮のおばあちゃんの横を通り過ぎ、一度も振り返らずに歩みを進める。
カナが後ろを気にしている素振りを見せていたが、意図的に無視して歩き続ける。
振り返らなくてもわかるのだ。
今もなお、オレの背中に向かって頭を下げていることくらい――――。