第一章「いっしょに初体験したいです」(3)
そもそも日本に来た理由が、オタク文化の本場、日本でオタ活をするためである!
エイヤはオタク文化に憧れ、日本への留学を勝ち取った。
しかし表向きには、エイヤはあくまで日本文化が好きで、やって来たことになっている。ご両親も、人生経験と見聞を広めるため、異文化の価値観を学ぶため、ということで留学を許してもらったとのことだ。
だから我が家でも、オタ活のことは秘密だ。唯一、秘密を共有しているのは、家でも学校でも俺だけなのだ。
秘密を知る人間が三人になれば、秘密は秘密でなくなる。
俺の両親に知られたら、エイヤの両親に話が行くだろうし、クラスメートに知られたら、数日の内に全校生徒の知るところとなるだろう。
そんな事情だから、オタトークが出来るのは俺だけ。まして一緒にオタ活するなど、俺以外には考えられないのだ。
とはいえ、そこまでして秘密にしなければならないのか? と疑問に思うのも無理はない。しかし……エイヤにも色々と事情がある。
当の本人はスマホの画面から目を離すと、むんと拳を握りしめた。
「やはりこの『好き』は抑えられません。この感動を伝えたいです」
最近では、エイヤは自分の好きなものを楽しむだけでなく、その楽しさを語りたがっている。でも、俺以外の人間とはまともに話が出来ない。
それに、エイヤのオタ活を他人に知られるわけにもいかない。
――だからエイヤは、エイヤじゃない別の姿を借りて、気持ちを伝える。
「よし。じゃ今回のテーマはイヌ娘だな。じゃ、今からほぼ初プレイってことで実況でもするか」
「はい!」
俺の部屋に移動して、エイヤをWEBカメラの前に座らせる。PCを立ち上げてソフトウェアを起動すると、画面にもう一人のエイヤが現れた。
「いつ見ても可愛いですね!」
エイヤが微笑むと、画面の中の少女も微笑む。
エイヤにそっくりな、頭に耳の生えた銀髪の狼少女。
名前は――蒼夜もい。
最初は「二人で作ったキャラクターだから、二人の名前を入れましょう! 蒼井エイヤでどうでしょうか!?」というとんでもない意見も出たが、身バレの危険性が凄すぎるので却下。なんか結婚したみたいな感じになってるし。
「この子は、いわば私たちの娘ですね!」
デキ婚だった!?
もちろん生きているわけではなくて、元は2Dのイラストだ。それにモーションを付けられるソフトで、擬似3Dのように動かしている。WEBカメラで撮影したエイヤの動きをトレースして、画面上のもいが首をかしげたり、視線を動かしたりしている。いわゆるVTuberだ。
直接本人が他人とコミュニケーションを取れるならいいが、誰もが社交性や対人スキルが高いわけじゃない。
無理に自分を変える必要はない。自分を変えられなくて悩む必要もない。自分の『好き』を伝えるのに、苦しい思いをする必要なんてないんだ。
テクノロジーの力を借りれば、自分を変えずに好きなことが出来る。
エイヤがエイヤのままでいられるように、俺はこのキャラクターを作った。
俺はマウスを動かして、配信ソフトウェアの録画開始ボタンをクリック。
「テストも兼ねて、リハーサルしとこう。何か喋ってくれる?」
エイヤはにこにこ笑顔で、カメラに向かって両手を振り始めた。
「もい~♪ 蒼夜もいですっ。今日も、私の『好き』をいっぱいお届けしちゃいますね~」
PCのモニター上では、もいがヤバいくらいの可愛さで両手を振っている。はい優勝。この可愛さ、最上級。
俺は録画を停止すると、エイヤに声をかけた。
「OK。確認取れた。もういいよ」
エイヤはうなずくと、
「もいもい~? それじゃ、またね~」
と、律儀にお別れの挨拶までしてくれた。
俺はブラウザのブックマークから、エイヤの動画配信チャンネルを開いた。手探りでアップした動画が十本ほど並んでいる。登録者数は二十三人。アクセス数はどれも一桁か二桁。最高で四十回。
ただの野良VTuberだから当然といえば当然だが……。
「登録者を増やすのが目的じゃないが、もう少し再生数を伸ばしたい気もするな……」
すると、画面の中のもいが、ぶるぶると顔を左右に振った。
「いえいえ! そんなの緊張するじゃないですか! 一人でも二人でも、私なんかの話を聞いてくれる人がいるだけで幸せですし、何より――」
エイヤは少しうつむくと、恥ずかしそうに上目遣い。
「オーガと一緒に、自分の『好き』をお話しするのが……嬉しいですから」
……やべ、めっちゃ照れる。
「ま、まあ……配信をすること自体が楽しいしな。他人がどうこうよりも、俺たちが楽しむことが大事だよな」
「はい。クリエイターが作った作品を楽しむだけのオタ活も楽しいですが、こうして自分たちで何かをするのはもっと楽しいです! 何より、オーガとの初体験が嬉しいです!」
……言い方に問題はあるが、確かにこれが、俺たち二人が初めて作る側になったオタ活。とはいえ、人の作品について語るだけだし、もいのイラストも人に頼んで描いてもらったものだけど。
けれど、俺とエイヤが発信する側になった初体験には違いはない。
「それじゃ始めるぞ」
「はいっ……あ」
そのとき、ちょうど登録者が一人増えた。
「幸先いいな」
「きっと神様からのプレゼントですね」
――ん?
俺の目は画面に釘付けになった。
静かに、しかし確実に起こっている変化。
「何だ……これ……」
何か、とんでもないことが始まった。そんな予感がした。
いや、予感はあのときからあった。
俺の人生を変える出来事――エイヤと出会った瞬間から。