第一章「いっしょに初体験したいです」(2)
「もい! オーガ!! 待っていましたよ!」
ちなみに「もい」はフィンランド語で「やあ」とか「こんにちは」とかいう意味だ。
そして「もいもい」と二回続くと「さよなら」になる。参考までに。
――で、そんな挨拶をして登場したのは、銀髪を振り乱し、青い瞳をキラッキラに輝かせた超絶美少女。
ファンタジーなお城か、百歩譲ってヨーロッパの豪勢なお屋敷にいそうな美少女が、ごく普通の分譲住宅に現れる非日常感。いい加減慣れてはきたが、未だに異世界転移をしたのではないかと疑いたくなる。
当の美少女は待ちきれないことを表すように、その場で足踏みを繰り返す。
「随分とゆっくりでしたね、オーガ」
「エイヤが早いんだよ」
俺も寄り道しないで帰ってきたのに。
「教室を真っ先に出て、駅まで走りましたから!」
さすがエルフ。足速いな。『ロード・オブ・ザ・指輪』で観たとおりだ。
そう。このハイテンションで、まぶしいばかりの笑顔を見せているのは、つい一時間ほど前、教室で委員長のありがたい申し出を足蹴にしていた氷のエルフ。
――何を隠そう、我がクラスの留学生、エイヤ・ピッカライネン。
これがその素顔。
俺だけが知る、真の姿だ。
「やりましょう『イヌ娘』!!」
まるで主人の帰りを喜ぶイヌ動画を彷彿とさせる。頭に生えたヒコーキ耳と、千切れんばかりに振られる尻尾までが見えるようだ。
「さ、さ、早く上がってください」
「そうだな。俺の家だしな」
エイヤは階段をたたたと上がると、ぴたりと止まって、ちゃんと付いて来ているか確認するように後ろを振り向く。なんだか本当に子犬を思わせる動きだ。あとスカートの中が見えてしまいそうで、目のやり場に困る。
クラスの連中がエイヤのこんな姿を見たら、卒倒するのではないだろうか? 或いは他人のそら似か、宇宙人に操られていると思われるかのどちらかだろう。
俺の部屋の前に立つと、俺がドアを開けて中に入るのを見届ける。そして当然のように一緒に部屋に入ってくると、これまた当然のように俺の上着を脱ぐ手伝いをする。
「……いや、ありがたいけど、しなくていいよ」
ちょっと新婚さんみたいでハズいし。
「でも、その方が早くいっしょに遊べますから♪」
一刻も早く、自分の相手をしろということらしい。ひょっとしたら、一緒に遊ばずに別のことを始めるかも知れない……と疑っていて、見張っているのかも。
妙に手慣れた手つきで、上着をハンガーに掛け、何かを待っているエイヤ。
俺と無言で見つめ合うと、
「?」
と首をかしげる。
「……エイヤ、ズボンを脱ぐから」
「はい。後でしっかりプレスして、しわを取っておきます。ホームステイでお世話になってるお礼もしたいです」
うむ。その心遣いは非常に有り難い。しかし、もっと気楽に接して欲しいとも思う。っていうか、それよりも――
「しかしズボンを脱ぐと、パンツをお目にかけるという驚きの事実が待っている」
「は!?」
エイヤはハンガーにかけた上着を手にしたまま、恥ずかしそうに部屋を出て行った。
どうやらパンツを見たかったわけではないようだ。俺は部屋着に着替えると、エイヤの部屋に向かう。
余談だが、この一ヵ月で俺の部屋着はレベルアップした。今まで着古しのダッサい服だったのが、今ではそれなりに気を遣ったものになっている。
なにせ家の中に、あんな人外級の美少女がいるのである。気にするなと言う方が無理だ。
「エイヤ?」
ノックするとドアが細く開き、頬を赤くしたエイヤの顔が半分覗く。
「あの……私そういうつもりではなくて、ですね……」
エイヤは何かに気を取られると、他のことに気付かないなんてことがよくある。意外とポンコツなところがあるのだ。学校では、ほとんど他人と接触がないので気付かれることはないが。
「そんなにやりたかったら、先に初めてくれてても良かったのに」
「え……」
エイヤは虚ろな目をして、斜め下を向いた。
「すみません……一人じゃ何も出来なくて……」
ヤバい。病みモードに突入しそうな予感!
エイヤは涙目になりながら、無理に笑おうとしている。
「学校との往復がやっと出来るくらいで……一人だと迷子になりますし……店員さんと話が出来ないから買い物も出来ませんし……オタ活だって……すみません。すみません」
引きつった笑顔を伏せる。今はもう、頭頂部しか見えないほどに。
エイヤは自己評価が低い。これだけの美貌に加えて頭もいいのに、どういうこと? ワケが分からん、と普通の人なら思うだろう。
しかし対人恐怖症レベルのコミュ障というものは、全ての美点を帳消しにしてしまうようだ。
既にお分かりのように、エイヤはシャイで内向的で、あがり症で人見知りなのだ。
だから学校では、常に極度の緊張に晒されている。どこから弾が飛んでくるか分からない戦場に放り込まれた、新兵のようなものだ。
だからどうしても無表情。無口。他人とのコミュニケーションを拒否することになる。
よくそれで留学なんかしようと思ったな!? とツッコみたい気持ちは良く分かる。というか、声に出さずにツッコんだことなら、俺もある。
ただ、それほどの苦難を乗り越えて、日本にやって来た情熱は本物だ。
その行動力を、俺は尊敬している。
少なくとも、俺にそんな行動力はない。
でも、今は何をするにも俺に頼り切りという現実。それはエイヤのためにならないんじゃないか? そう思ったこともある。
けれど――
「い、いや! 待っててくれて、う、うれしいよ! やっぱ一人でやるより、二人でやった方が楽しいもんな!」
「……本当ですか?」
「当たり前だろ! 俺がエイヤに嘘を吐いたことがあるか?」
エイヤは顔を上げると、指先で目じりの涙をぬぐう。
「で、ですよね。オーガは私に嘘なんて言いませんし、何より私のヒーローですから!」
少し騙したような気分がするのと、俺に対する過大評価で胸が痛い。
「それより、やるんだろ? 『イヌ娘』」
「はいっ! ぜひ教えてください!!」
きらんと青い瞳を輝かせると、俺を部屋に招き入れる。一応、うちの両親とエイヤの両親には、俺はエイヤの部屋に入らないという誓いを立てている。
しかし何ごとにも例外は付きものだ。まして部屋の主が入れと言っているのだ。これが断れようか、いや断れない――反語。
以前は物置同然だった部屋が、今では立派な『女の子の部屋』だ。オシャレな北欧家具と雑貨で飾られた、可愛らしくもセンスを感じさせるインテリア。そしてとても良い香りがする。この前までの埃臭さは微塵もない。
エイヤと一緒にインテリアを選びに行った日のことを思い出した。
ちょっと恥ずかしくもあるが、胸がくすぐったくなるような、楽しい経験だった。新婚さんと間違えられたときは特に。
でも、ヤバい状況でもあったな。まさかそこで、あいつが現れるとは――
「どうかしましたか?」
俺は回想から抜け出し、軽く咳払いをする。
「あー……教えると言っても、『イヌ娘』は俺も初めてなんだぞ?」
しかしエイヤはブレないポジティブさで両手を合わせると、きらきらした瞳を向ける。
「それじゃ、二人でいっしょに初体験しちゃうんですね!」
言い方ァ!
でも、にっこーって音がしそうな、めっちゃいい笑顔!
学校での氷の無表情とのギャップが凄い。油断したら一撃KOでやられそうだ。
「それじゃ、こちらに座って下さい」
エイヤはベッドに腰を下ろすと、隣に手を添える。
いつもながら、この警戒心のなさ。俺の理性を常に試されているような気がする。
俺はなるべく意識しないようにして、ベッドに腰を下ろす。ここに毎晩、エイヤが寝ていると――考えるな!
「このゲーム、とても気になるので……オーガといっしょに初体験したいです」
言い方ァ!!
追い打ちをかけるように、目を細めてとろけそうな笑顔をされた。やめてくれ、俺のすべてがとろけそうだ。
「と、とりあえず始めるか……って」
エイヤが体を密着させるように、にじり寄ってきた。なにその波状攻撃!?
「あの、エイヤさん? 何でぴったり詰めて座るの?」
「オーガくんの画面がよく見えませんから」
「あ、一緒ってスマホまで一緒?」
「初めてですから、同じ画面を見た方が理解が早くありませんか? 見逃すこともないですし、気付けることも多いと思います」
「それは、まあ……確かに」
やはりエイヤに妙な下心などあるはずがなかった。深く反省する俺を、エイヤは心配そうな顔で見つめていた。
「もしかして……イヤだったですか?」
無論、俺だって嫌じゃない。嫌なものか。むしろウエルカム。
ただ、気になって仕方がないんだよ。
すっげ良い匂いとか、体温とか。
それにエイヤは夢中になると、距離が近くなる。普段は他人との距離をすごく気にしているというのに。
フィンランド人は、パーソナルスペースをとても大事にするそうだが、特にエイヤはそれが顕著。満員電車とか、見ただけで顔色が真っ青になるレベルである。
それが俺とのオタ活となると、体が触れても全然気付かない。一方こちらは、逆に集中力を接触した箇所に全て持って行かれる。エイヤの体の柔らかさに全集中だ。
それを強靱な精神力で引き剥がして、ゲームに向けさせるという激務。しんどいです。
「ですよね……やっぱりゲームは一人で楽しみたいですよね……私なんかのために、ごめんなさい……」
うわ! いつの間にかまた病みモード!? 油断がならないぞ、このエルフ!
「嫌じゃない! 嫌なわけないって! と、とにかく初めてみようか」
強い気持ちで精神を集中させ深呼吸。ゲームの呼吸だ。
よし行くぜ!
と思った直後、ダウンロード&インストールが始まった。
「出鼻を骨折しましたね」
「大惨事だな!」
エイヤの捏造慣用句をさらりと流し、ダウンロードを待つ間に飲み物とお菓子を用意して、仕切り直し。
イヌを擬人化したキャラクターが、ずらりと並ぶ。
一目見て、エイヤの瞳にハートマークが浮かぶ。
「きゅぅうう~かわいいですぅ……?」
お前が言うか、という感じだが、自分に自信がないせいか、エイヤはあまり自分の美しさや可愛さに自覚がない。
前に思い切って訊いたことがある。そうしたら、思いっきり意外そうな顔をした後、真っ赤になって、めっちゃ照れまくった。そして言い訳をするように――
「そ、そんなことないです。私なんて普通です。ヘルシンキにはもっとキレイな人、いっぱいいますよ!」
フィンランド! 恐ろしい国!
いや、多分エイヤは謙遜しているだけなのだろう。もし本当なら、北欧の顔面偏差値のインフレがヤバ過ぎる。美のハイパーインフレだ。
「本当にどの子も可愛いですね……キャラデザは一体誰なんでしょう? 興味があります」
「スタッフはとりあえず置いておこうか」
最近、エイヤのオタクレベルがどんどん上がっている。イラストレーターや声優は誰だとか、そんな話までするようになった。
かくいう俺もだが。
小学生の頃は結構オタ活してたんだが、中学に入ってからはオタク文化から離れていた。
何かに熱中することなく、一応は流行り物をチェックして、みんなの話題に乗り遅れないようにしていた。目立ちすぎることはせず、でも空気にならないように。
誰からも不満を抱かれないように。和を乱さないように。不興を買わないように。叩かれないように。
俺は上手くやっていたと思う。
何かに夢中になるって、他人から見たらバカに見えるもんだ。特に夢中になっているものが、その人に理解出来ないものなら尚更だ。
そして人は自分が正しいと証明するために、理解の出来ないものを叩く。容赦なく。
だから俺は大切なものを持たないように過ごした。
それが一番いいというか、無難で、賢い選択だと思っていた。
そうして何となく過ごしている間に、中学校を卒業してしまった。
このまま俺は大人になるんだろうか。
どんな大人に?
普通の人。
世の中が決めた、誰の邪魔にもならない量産型の人間。
世間はそれを求めているようにも思える。
でも俺は――
「ああっ悩みます~! どの子も私に育てて欲しいと言ってるみたいです!」
エイヤは眉を寄せて、スマホの画面とにらめっこをしていた。
「まあ、でも決めないとゲームが始められないからなあ」
「思い切って、えいやっで決めないとですね! エイヤだけに!」
このダジャレを教室で言ったら、大爆笑か凍り付くか……果たしてどちらだろうか?
俺予想では、凍り付いた後で、裏で笑われるような気がしてならない。
そして十分経過。
どのイヌ娘を育てるかでだいぶ悩んだが、何度もやり直せると知って、エイヤも安心したらしい。それなら……と、茶髪でツインテール。お姫様のようなティアラを付けたキャラを選んだ。ちなみに犬種はポメラニアン。
「それじゃ育て方を調べるか……」
攻略サイトを検索しようとした俺を、エイヤが止める。
「それは邪道です。やはり、ここは自分自身の力で成し遂げるべきかと!」
なんという硬派! ならば……見せてみるがいい! お前の実力を!!
ドッグレースの最高峰、D1レースを目指してトレーニングを積みながら、徐々に大きなレースを目指してゆく。
「ああっ! 何でレース前になると体調を崩しちゃうんですか!?」
「ええ!? せっかく休憩で体力を回復してあげようと思ったのに、休憩に失敗するって意味が分かりません!」
とかなりのエキサイト。
ゲームを進めるには条件があり、特定のレースで上位に入らなければ先に進めない。今回は、志半ばでゲームは終わった。
『まあ、目標には届かなかったけど……ありがとね』
というセリフと、清々しい顔でファンに手を振るキャラクターのグラフィックに、エイヤは思わず涙ぐんだ。
「ごめんなさい……ダメなトレーナーで。あなたを勝たせてあげられませんでした……やっぱり私はダメな人間なんです……」
「そう気を落とすなって。次頑張ろう」
「そ、そうですね! 今度こそ幸せにしてあげなければ!」
「にしても、随分気に入ったみたいだな」
「はい。やっぱり私、ワンちゃんキャラが大好きなんですね。フィンランドでは、犬を主人公にした日本のマンガが大人気ですし。もう国民的なレベルで」
犬の……? そんな凄い人気タイトルあったかな?
「少年シャンプでやってた『金牙 流星の金』です」
「意外過ぎる! ワンビーズとかじゃないのかよ!?」
「ですから、耳や尻尾のついたキャラも全般的に人気です」
「まさかのケモナー大国!?」
「特に犬が好きなのは、犬ぞりが生活に密着していた過去があるからかもですね」
「なるほど……」
「ですからこのイヌ娘は、とっても気に入りました! 激しく興味があります! 全てを知り尽くしたいです!! とりあえず攻略サイトを読破しましょう」
「さっきと言ってることが違う!?」
「だって、こんな可愛い子たちを、これ以上悲しませるなんて出来ないじゃないですか!」
落ち込みながらも、エイヤはいつも頑張っている。
――但しオタ活に限る。
そもそも日本に来た理由が、オタク文化の本場、日本でオタ活をするためである!