「で、まずは主人公の確認ですか」
と、アディが小さく声をかければ、彼の下に構えていたメアリが頷いた。
場所は先程の食堂から移動して学生寮に続く通り道。その曲がり角に、上下に並ぶように身を隠して陣取っている。
今日の学園行事は始業式のみで、ほぼ全ての生徒が既に帰宅している。それは学生寮で暮らす生徒達も同じことで、明日から始まる授業に備えて自室に戻って休んでいるか、既に遊びに出ているかだ。散歩をするにも面白味が無く、遊びから帰ってくるにはまだ早い時間。ゆえに、しばらくこの道を通るものはいないだろう。
今からここを通るであろう、主人公を除いて。
……あと、曲がり角で陣取る奇怪な二人組を除いて。
「確か、主人公はオープニングのアニメでここを通っていたはず。毎回スキップしてたから覚えてないけど」
「ちゃんと見ましょうよ。製作者が泣きますよ」
「だって毎回同じなんだもの。ってそうじゃなくて、ほら来たわよ!」
見つからないよう壁に身を寄せつつ、慎重に様子を窺う。
見ればカレリア学園の制服に身を包んだ一人の少女が、茶色いトランクケースを引っ張りながらゆっくりと歩いてきた。地図を片手にキョロキョロと周囲を窺う様は、まさに右も左も分からない転校生。貴族の通うこの学園の全てが珍しいとでも言いたげにあちこちに視線を向けては、圧倒されているのか小さく溜息をついている。
「あれがそうですか」
「そうよ。彼女が主人公のアリシア」
「そうですか、あの子が……いやなんというか……」
アディが呆然としながらアリシアに視線を向ける。
それを聞きながら、メアリは言わんとしていることは分かると頷いて返した。
可愛いのだ。
流石は主人公と言えるほど、とにかくアリシアは可愛い。
胸元まで伸びたストレートの金髪は日の光を浴びて美しく輝き、それを手で軽く押さえる姿がまた素朴で愛らしい。金色の髪に紫色の瞳がよく映え、これからの学園生活を期待しているのか形の良い唇が緩やかな弧を描いている。
いわゆる美少女というやつだ。もっとも、ゲーム上では『平凡な少女』という設定なのだが、そこは乙女ゲームのお約束というもの。
とにかくアリシアは可愛らしく、なるほどこれは確かに学園の男子生徒達が惚れ込むのも無理はない。
「えらく可愛い子ですね。おまけに金髪に紫の……紫の瞳って王族の証じゃないですか!」
「やだ、あんたラストで明かされる事実をオープニングアニメでぶちまけるんじゃないわよ」
「王妃様そっくりだし、これで最後まで気付かないってどんだけ節穴なんですか!」
「そんなこと私に言わないで。あ、こっちに来るわ。よし、いっちょ挨拶してあげますか!」
悪役のお出ましよ! と意気込んでメアリが曲がり角から躍り出れば、当然だがアリシアはその登場に驚き「どなたですか?」と目を丸くしつつ恐る恐る尋ねた。
その可愛らしく女の子らしい声色、小さく首を傾げる仕草。まさに乙女ゲームの主人公といったアリシアに対し、ここが悪役の腕の見せ所だとメアリが意気込む。
ここでビシッと決めてやるのだ。これから恋愛イベント満載の学園生活を送るアリシアに、誰が敵かを知らしめてやる必要がある。
「あの、あなたは……この学校の生徒さんですよね?」
「私? 私はメアリ、アルバート家のメアリよ」
「アルバート家の……やだ、私ったら馴れ馴れしい口を聞いて、失礼しました! まさかアルバート家の方だなんて!」
「まぁ貴女とは世界が違うんですもの、わからなくっても仕方ないわね。名乗る前に相手の名前を聞くあたり、生まれの程度が知れるわ」
「あ、すみません! 私アリシアです。今日からカレリア学園に通うことになりました、よろしくお願いします!」
「あら、この私が庶民なんかと仲良くなるとお思いで?」
冗談はやめてちょうだい、とメアリが冷ややかに笑う。その仕草と視線はまさに悪役令嬢そのものだ。そんなメアリに対してアリシアは僅かに息を吞み、申し訳なさそうに眉尻を下げると「そうですよね……」と小さく呟いた。
「そ、そうですよね。すみません、私なんかが気安く声をかけてしまって……あの、せめて教えてほしいんですが……」
「あら、なにかしら?」
「はい、その……学生寮の受け付けが分からなくて……」
どこに行けば良いんでしょう、と弱々しく呟くアリシアに、メアリとアディが顔を見合わせた。
「学生寮の受け付けっていうと……アリシアちゃん、こっちとは真逆だよ」
「え!? そうなんですか?」
「まさかあなた方向音痴なの? 場所も分からずに歩くなんて、浅はかも良いところよ」
「そんな、知らなかった……建物がいっぱいあってどこに行けば良いのか分からなくて……」
「学生寮関係なら第二校舎だったはずだけど。お嬢、第二校舎って最短でどう行くんでしたっけ」
「目の前にある建物を突っ切って、その向かいにある校舎を抜けて渡り廊下から行けるわ。でも今日は先生方も早くお帰りになるはずだし、急いだところで間に合うかしらね」
「わ、分かりました、急ぎます! ありがとうございました!」
慌てて頭を下げ、アリシアが踵を返して来た道を戻っていく。
彼女が走るたびに金糸の髪がなびき、ガチャガチャとトランクケースが鳴る。その姿はまさに『ドジな美少女』ではないか。
確かに記憶を辿れば、『ドラ学』の主人公アリシアは『ちょっとドジな女の子』だった。太陽のような笑顔と愛らしさ、庶民生まれの活発さと健気さ、それでいてドジなのだから最早完璧とも言えるだろう。もちろん、作中で彼女のドジな面は欠点ではなく長所として描かれていたのは言うまでもない。
そんなアリシアが去って行った先を眺めながら、ふとメアリが我に返ってアディを見上げて尋ねた。
「……私、悪役っぽかったかしら」
と。だがそれに対して返ってきたのは、
「いや、単なる親切な人ですね」
という無情なものだった。