ふと、メアリ・アルバートは全てを思い出した。
始業式の真っ最中。学園長が長ったらしい話を終えて一礼し、そのハゲかかった頭がライトを反射させたその瞬間。
この世界が前世でプレイした乙女ゲームだということを、それはもう突然、知識がなだれ込むように思い出したのだ。
ゲームの内容は至ってシンプル。
貴族が通うカレリア学園に転校してきた主人公アリシアが、学園生活を送りながら魅力的な異性達と恋に落ちる……という王道ものだ。
もちろん攻略対象は漏れなく見目が良くスペックが高い、その上このゲームのテーマが『身分差の恋』であるゆえ揃って高貴な家柄の出である。そんな彼らに対しアリシアは庶民出身であり、その身分の差に悩み、時に傷つき、それでも太陽のような笑顔と前向きな性格で彼等と恋に落ち壁を乗り越えていく。
おまけに、庶民だと思われていたアリシアが実は行方不明になっていた王女で、物語が進むにつれそれが判明するという、まさに乙女の夢を詰め込んだような内容である。
ありきたりと言うなかれ。テンプレートというものは逆に言えば一定の層を確実に摑む安牌でもあるのだ。
そんな王道的なストーリーに加え、イラストやシステムも出来が良く、ファンディスクや続編が発売されるほどに人気だったことも今では思い出せる。
ちなみに、メアリ・アルバートはそのゲームに出てくる悪役キャラクターである。
王家に次ぐ権力を持つアルバート家の令嬢で、我が儘かつ高慢な性格をしており、ことあるごとに主人公アリシアに嫌がらせをする。まさに悪役令嬢。ゲームのクライマックスでは主人公アリシアと彼女と結ばれたヒーローに糾弾され、今までの悪事を裁かれ、王女として君臨したアリシアにより一族もろとも没落という……。まさに悲惨の一言に尽きるが、これがゲーム内のメアリの結末である。
いわゆる、悪役令嬢没落コース。主人公に共感しながらプレイすると「ざまぁ」と思わず口走ってしまうような展開だ。
それら全てを一気に思い出し、メアリの頭の中はまさに混乱状態だった。
ハゲかかった副学園長の長ったらしい話も、明らかにカツラな指導担当の長ったらしい話も右から左で頭に入ってこない。
間違いない、自分はあのゲームに出てくる悪役令嬢のメアリだ。
美人だが気が強く、きっちり巻かれた銀髪の縦ロールがいかにもといった風貌の我が儘お嬢様。なるほどどうりで、どんなに時間をかけて美容師が持てる術全てを費やしてストレートヘアにしようが、美容師の「終わりましたよ」の「よ」と同時に髪形がロールされるわけだ。それはもう驚くほどの威力で、いったい何人のカリスマ美容師達が強固な縦ロールに敗れて鋏を置いていったことか……。思い出すだけで胸が痛むが、それと同時に顔の両サイドで縦ロールが揺れるのだから居た堪れない。
しかし、それがゲームの抑制力によるもの、自分を悪役メアリにするために必要不可欠な要素だというのなら納得しよう。……些か不服ではあるが。
なにより、今問題にすべきは強固な縦ロールではなくメアリを待ち構えている結末なのだ。このままいけば没落まっしぐら。カリスマ美容師たちが総じて白旗を上げた超強力縦ロールの威力から考えるに、簡単に回避も出来そうにない。
となれば自分が進む道はただ一つ、悪役令嬢としての人生の先に待ち構えているのがしっぺ返しと没落だというのなら……。
「いっそのこと前向きに没落しようと思うの!」
「なんでそういう結論になりますかね!?」
迷いのない真っ直ぐな瞳で宣言するメアリに、思わずツッコミを入れたのは従者のアディ。
錆色の短髪に同色の瞳、高い身長と無駄のない引き締まった身体つきという男らしさを感じさせる風貌だが、今は男らしさもどこへやら呆れを全面に出した脱力気味の表情で溜息をついている。
代々アルバート家に仕える従者の家系でありメアリより五つほど年上の彼は、本来ならカレリア学園に入学する権利を持ち合わせていない。それでも男子生徒用の制服を纏いこの場にいるのは、他でもないメアリが彼にそれを命じたからである。「高等部に生徒として入学して私に仕えなさい」と、つまりメアリの付き人という例外措置で通学しているのだ。
これもまた、アルバート家の権力の為せる業である。
そんなアディとメアリは、誰もいない食堂の一角を陣取り顔を突き合わせていた。話題はもちろん、つい数時間前に蘇ったメアリの前世の記憶である。
「しかしですよお嬢、さすがに前世だのゲームだってのは……」
「なによアディ、あんた私の従者のくせに私の言うことが信じられないの?」
「はい、まったくもって、これぽっちも信じられません」
「迷いなく言い切ったわね……まぁ良いわ、信じられないのも無理はないものね。でも、確かにこの世界は乙女ゲームと同じなの」
真剣な瞳で訴えるメアリに、気圧されつつアディが眉間に皺を寄せた。
メアリの言う『乙女ゲーム』とやらの存在も信じがたいというのに、そのうえ彼女は「ここがそのゲームの世界だ」とまで言ってくるのだ。相手がメアリでなければ鼻で笑うか、もしくは宥めて病院にでも連れていきかねない案件である。
そこまで考え、ふとアディがメアリに視線を向けた。
彼女はここがゲームとやらの世界で、おまけに自分は前世の記憶が蘇ったと言っている。だが今目の前にしているメアリに変わった様子は無く、話の内容こそ現実離れしているが口調も態度もなんら変化はない。前世とやらが本当にあって、そのうえ記憶が蘇っているのなら多少は変化がありそうなものだが……と、そう考えてアディがメアリを呼んだ。
「お嬢……つかぬことをお伺いしますが、お名前は?」
「……メアリ・アルバート。カレリア学園高等部三年、麗しのアルバート家令嬢よ」
「聞いてないことまで喋ってる、流石はお嬢……じゃなくて、アルバート家と言えば?」
「主に外交よね。国外にまで手を出してるし、おかげで海外の美味しいものがいっぱい食べられて幸せだわぁ」
「うーん、なんともお嬢らしい回答。いや、でもこれぐらいなら誰でも答えられるか……それじゃ次です。今年の目標は?」
「私のことを疑って質問攻めにしてくる無礼な従者をいい加減クビにすること」
「そう言い続けて?」
「早数年」
そろそろ本気で取り組もうかしら、と付け足すメアリに、アディが誤魔化すようにコホンと咳払いし「それでこそ俺の知っているお嬢です」と質疑応答を終了した。
もちろん、これ以上続ければメアリが目標達成に動きかねないし、なにより今の応酬で彼女が自分の知るメアリ・アルバートであると確信できたからだ。回答もそうだが、なによりやりとりの内容が変わらない。
よかった、とアディが安堵と共に呟けば、それを見たメアリが「疑うなんて失礼ね」とジロリと睨みつけた。
「いやだって、前世の記憶だ何だと言い出すから、てっきりその記憶とやらで人が変わったのか、もしくはドリルの重みに負けて頭がおかしくなったのかと思いまして」
「ねぇちょっと後半のひどくない?」
「それほどまでに俺にとっては信じ難い話なんです。でもまぁ、お嬢が言うのなら信じますよ。でも……」
睨みつけるメアリを宥め、アディが話を続ける。随分と突拍子もない話だが信じたとして、それでもアディにはもう一つ聞くべきことがあった。仮にメアリの言う通りこの世界が『乙女ゲーム』なるものだったとしても……。
「もしもお嬢の言う通りだったとして、どうして没落するのが分かっていて悪役令嬢なんてやるんですか?」
「そりゃ、そういうもんだからよ。アルバート家のメアリに生まれたからには、没落コースを突っ切るのが道理ってもんでしょ。底なし沼に飛び込むのよ!」
「……そうですか、俺は何も言いませんよ。で、この世界がそのゲームというものだったとして、なんて言うゲームだったんですか?」
タイトルを尋ねてくるアディに、メアリが蘇ったばかりの記憶を引っくり返す。
なんというタイトルだったか。確か略称は『ドラ学』で、正式名称は……。
「思い出した。『ドキドキラブ学園~恋する乙女と思い出の王子~』だったはず!」
「うわまたコッテコテな……よくそんなタイトルのゲームを恥ずかしげもなくできますね」
「あんたの持ってる『巨乳学園2 淫乱先生と放課後個人授業』よりマシだと思うわよ」
「お嬢ぉ! なんで俺のエロ本のタイトル知ってるんですか! 勝手にひとの部屋入らないでくださいよ!」
「誰があんたの部屋なんて入るもんですか! あんたが私に返す本と間違えて渡してきたんでしょ!」
「すいませんでしたぁー!」
「紅茶片手に優雅に読書に耽ろうとして、本を開いた瞬間ドロドロの濡れ場が視界に飛び込んできた私の気持ちにもなってみなさいよ! 返してよ私の四時間半!」
「熟読してる!」
互いに喚きあい、ゼェゼェと息を荒らげること数秒。
そうしてどちらともなく一息つき、「さて」と小さく交わしながら本題に戻る。今話題にすべきは巨乳学園よりカレリア学園なのだ。
「で、そのゲームだっていうこの世界で、お嬢は悪役をやりたいわけですね」
「そうよ。主人公を追い詰めて、しっぺ返しくらって没落するの!」
「なんでそこまで全力で後ろ向きに走るんだか……まぁ良いですよ、付き合いますよ」
はぁ、と溜息をつきつつ、アディが立ち上がる。
それを見たメアリも続くように腰をあげ、決意を改めるように力強く拳を握りしめた。
「いざ、没落コース! ラストにギャフンと言うのはこの私よ!」
頑張るわ! と意気込むメアリに、呆れたアディがそれでも応えるべく力なく片手を上げた。