第二章 謹慎生活は手紙とともに

「……こちらから申し入れていた婚約に、りようしようの、返事が来た。エマニュエル嬢は謹慎があける五月のじゆんに我が領にいらして、すぐに私と籍をいれてこちらで生活を始めるつもりがあると、そう書いてある」

 サントリナ辺境伯家の奥、当主であるルースのしよさいで。

 ルースがベイツリーこうしやく家から受け取った手紙を見ながらそうつぶやいたしゆんかん、彼の父の代から仕えている老しつは、せいだいに首を傾げた。

「そ、そんなはずは、ない、と思うのですが……」

 そんな執事の言葉に深くうなずいたルースは、もう一度その信じがたい内容の手紙を見返して、通算一七回目の読み直しをしてみた。しかしやはり何度見ても、そこにはそう書いてある。

 書面は二通。ベイツリー公爵と国王陛下の署名が並んだエマニュエルとルースの婚約を認める書面と、エマニュエル直筆の、もはやこいぶみといっても差しつかえないのではないかというほどこのたびの婚約を喜び、謹慎処分のため輿こしれがえんすることをしんび、そして三ヶ月後には必ずサントリナ辺境伯領に来ると書いてあるものだ。

「その目で見なければ、信じられないだろう。私だって信じられない気持ちだ。……もういっそ、お前も読め」

 ルースがそう言って差し出してきた二通の手紙をそっと受け取り、老執事はばやくその内容に目を通していく。

 別の意味に読み取れるあいまいな表現やこちらをだます意図の文言がふくまれているのではないかと疑いながら、執事はしんちように読み進めた。

 時折はさまれる、かれ切ったエマニュエルによる、脳に花畑でもいたのかと疑いたくなるようなおおぎようなルースへの賛辞になにかをごりごりとけずられながら、彼は三度、すみから隅までをなんとか読み切る。

「……確かにそのように書いてあるように、私にも見えますね」

 じやつかんつかれをにじませるこわで、老執事はそう認めた。

「……どうする?」

「……こちらも、準備を急ぐ他ありませんな。三ヶ月後までに、奥様をおむかえする準備を整えなくては……」

 いくぶん冷静な声音でそうわしてから、その前提となるあまりに想定外の事態をようやくみ込み、主従はそろってうろたえだす。

「え、いや、おかしいよな!? もっとこう、ごねられて引き延ばされる予定だっただろ!?」

「当然にございます! 準備に時間がだ、教育が足りないだ、家族の病気だ、身内の不幸だと、なんだかんだと言い訳を重ねて三年くらいこちらにいらっしゃらないうちに、なにがしかのこじつけでこんやくになると想定しておりました……!」

「そう、そうだよな。というか実際、父のときがそうだったのだろう?」

「ええ。それを幾度かり返した結果父君の婚姻はおくれに遅れ、ルース様の誕生も同じく遅れ、ルース様がその若さでしかも未婚のまま、辺境伯とならねばならない事態に……」

「父もひどい容姿をしているが、私はそれに輪をかけてだからな……。だから、まず一ヶ月後などと無茶を言ってみて、まあ当然反発されるだろうからじように譲歩を重ねたかのように、大いにきようしたというていで一年以内の婚姻成立を目指していた、よな?」

「そのにんしきで、あっておられます」

 たがいの認識を確認し合ったルースと老執事は、そろって大きなため息をいた。

 そして彼らを大いにうろたえさせた想定外が記されている手紙をもう一度見ると、ルースは深刻そうな表情で、口を開く。

「まさかエマニュエルじようは、私が色なしだと知らないのか……?」

「なにを言っておられるのです。あなたの評判を知らない者など、この国にはおりません。だいたい、直接お会いして、何度か話もなさっているでしょう。あなたが『こんなにみにくい自分ときんきよで会話を交わしたのに、顔をしかめられも泣かれもしなかった』と感激して帰ってきた日のことを、私ははっきりと覚えております」

「そうだ。だから、そんな彼女が悪女のめいを着せられ婚約を破棄されると聞いて、いてもたってもいられず、私は新たな婚約者として名乗りを上げたんだが……。いやでも、あのお方が私なんぞとの結婚を了承してくださるなど、色なしだと知らないとしか……」

「その手紙にも、『月のかがやきに似た銀色』などと賛辞をおくられているではないですか。エマニュエル嬢は、ちがいなく【色なしの辺境はく】とのこんいんを、それほどまでに望んでおられるのです。つまり……」

「つまり、それほどまでに、あのお方の置かれている現状が、つらいものだということ、だな? 私などのことを、そうとまでしようさねばいられないほどに」

 つまりの後、結論を言いよどんだ老執事の言葉の続きを、はっきりとルースは口にした。

「……おそらくは。きんしんあけすぐの引っしを望んでおられることから考えても、もしかすると、王都では身の危険を感じるほどなのかもしれません。そこからがし守ってくれるのならば、色なしだろうとかまわないということでしょう」

 老執事はそう言って、あまりにひどい立場に追いやられているのだろう主人の思い人に思いをはせ、こみ上げてきたなみだを、そっとぬぐった。

「あの女神のごとき深く思慮深い令嬢を、そうまで追いめるなどと……!」

 ぐっとこぶしにぎりしめてそうらしたルースのひとみには、エマニュエルを追い詰めたのであろう王都の人間たちへのいかりとぞうが、はっきりとこもっていた。

 同じ感情が自分の目にも宿りそうなのをこらえながら、老執事は告げる。

「エマニュエル嬢がこちらでなに不自由することのないよう、早急にすべてを整えなくてはなりませんな」

「ああ、急ぎ準備しよう。いや、この三ヶ月間もあちらの公爵ていで快適に過ごせるように、なにかなぐさめになるものでも贈ろうか。そちらの手配も同時にたのむ」

「かしこまりました。公爵邸から出られないということであればまず安全かとは思いますが、じようきようによっては、こちらから護衛を幾人か送ってもいいかもしれませんね」

「ああ、まずは手紙の返事を書いて、あちらの現状をうかがってみようか」

「……エマニュエル嬢の手紙にあった『ひそかにおしたい』だの『心より尊敬』だのと言った言葉を信じて、みっともなく浮ついた返事などはなさいませんように」

「わかっている。きちんとすべて、『今すぐに助けて欲しい』『本当に困っている』と読みえているさ」

「よい判断にございます。若様……ああいえ、これからはルース様のことは、だん様とお呼びしなくてはなりませんかな。旦那様と長く付き合いその内面を知った後ならともかく、お手紙に書いてあったような『ほとんどひとれ』などということは、ありえませんから」

「知っているから、改めて言うな。しかし、うそでもそう書いてくれたというのは、きっと彼女のやさしさだろう。慈悲深く美しい彼女のため、私に今できるすべてをしなくては……!」

 決意を固め、あわただしく動きだした若き辺境伯と忠実な老執事は、知らない。

 エマニュエルの手紙に書かれていたルースへの賛辞も愛の告白めいた言葉も、うそいつわりなどひとつもない、心からのものだということを。

 そんな彼女が辺境伯領にやってきたその日から、手紙以上にあまりに想定外の彼女の言動に、どんどんり回される未来があるということも。


   ● ● ●


「おい、ベイツリー公爵令嬢の処分の件、もう聞いたか?」

「ああ。たしか、三ヶ月の自宅謹慎だろ? ちっと生ぬるいっつーか……」

「ばっかそっちじゃねえよ! それは国としん殿でんが公表した、表向きの処分だろ?」

「え? ほかにもなにかあるのか?」

「王太子の婚約者から外されたのは知ってるだろ? その次の婚約者が決まったんだ。相手はなんと、【色なしの辺境伯】ルース・サントリナだってよ!」

「そりゃ……、……なんっつーざんこくな……」

「だよな、お前もそう思うよな!? 確かにがみのいとし子様をいじめたっつーのはいただけねぇが、聞いた限り、やったのはみみっちいいやがらせだけらしいじゃねぇか」

「自分の婚約者に粉かけられたらまあそんくらいするよなって感じのな。たまたま相手が悪かったってだけで。なのに、あれほど美しいお嬢さんに、あんなののとこによめに行けなんざ……」

「さすがにやりすぎじゃねーか、なあ?」

「お二人さん、それは違うらしいですよ」

「ん?」

「お?」

「なんでも、前々から、辺境伯領には王家からりよくの高いひめぎみとつがせるべきだと、議論になっていたらしいのです」

「ああ、まあ、あそこはあらゆる意味で最前線だもんな。今の辺境伯は魔力ほとんどなくてもなんかすげー強いらしいけど、次代はどうせなら魔力持ちのやつの方が確実に強いもんな」

「あそこはなにかと重要なきよてんだから、王家ともしっかり結び付いてた方が安心だろうしな」

「そういうことです。そういった国のためのあれこれをおもんぱかって、ベイツリーこうしやく家のご令嬢が自ら名乗りをあげたと聞きました」

「そりゃ……、……案外、【悪女】ってわけじゃ、ないのか?」

「どころか、割と……いい人?」

「国といとし子様たちのために王太子の座をゆずり、国のためにあの辺境伯様のところに嫁ぐのですから、それはもういい人、どころではないと思いますが」

「……元々王太子との仲が冷めきってたっつーのも、いろこいかれる感じの人じゃなくて、そういうどこまでも真面目まじめでストイックな方だったから、なのかもな」

「……なんか、しあわせになってほしいな、エマニュエル様。ほら辺境伯、容姿はマズイけど、金はあるだろうし……」

「辺境伯領は豊かな領地ですからね。きようぼうじゆうが出やすい地ではありますが、そういった魔獣から得られる希少で強力な素材が手に入る場所という意味でもありますから」

りんごくとの輸出入なんかも活発でかなりもうけてるみたいだし、強いぼうけん者もだいたいあそこに集まってて栄えてるらしいよな。あ、そういや聞いたか? この前……」


   ● ● ●


 断罪(?)イベントから二週間後。

 世間でどんなうわさをされているのかすらわからない絶賛謹慎処分中のエマニュエル・ベイツリー公爵れいじようこと私は、現在自宅に引きこもり、婚約者となったルース様との文通を楽しんでいます。

 初めての色恋に浮かれ切った私は、毎日毎日彼へのこいぶみを送りつけてしまっているのだが、ルース様は、りちにそれに返事をくれる。

 ひまと魔力を持て余した私が、魔法で自動で私のもとへと返ってくる返信用レターセットを毎回作成して、いっしょに魔法で送りつけているからだとは思うが。

 彼からの返事はすべて、要約すると『手紙をありがとう。今日こちらではこんなことがありました。あなたに会える日が楽しみです』程度の簡素なものだが、もはやただのめの定型文と化している『あなたに会える日が楽しみです』がそれでもどうにもうれしくて、私は浮かれ切っていた。

 辺境伯領の暮らしも知ることができるし、もうやめられない。

「エマちゃん、また辺境伯様からの手紙を読み直しているの?」

 庭のよく見える自宅のサロンでにやにやと辺境伯様からの手紙を読んでいると、ふいに母が通りかかり、あきれたような声でそう言ってきた。

 そのまま私の対面のソファにこしかけた母に、私はにこりと微笑ほほえんでみせる。

「はい、お母様。私、辺境はく様の字も、いく見てもきないくらい好きなんです。ていねいで美しく堂々としたひつで……、もしもこの字で恋文なんていただいたりしたら、私、嬉しさのあまり背中に羽が生えて、辺境伯領まで飛んで行ってしまうかもしれません」

 ほう、と私がため息をいて彼の字をでると、母はなんだかつかれたようなため息を吐いた。

「よくもまあ、型通りの時候のあいさつえられただけのなんのおもしろみもない報告書のような手紙に、そこまでうっとりとできるものね。……エマちゃんがあんなにねつれつな手紙を送っているのにその返事って、私ならとっくにおこって文通なんてやめているわ」

「仕方ありませんわ。私は辺境伯様だからこそ嫁ぎたいと思っておりますが、辺境伯様としては、魔力の多いむすめであればだれでもよくて婚約をしたのでしょうから」

 私の言葉に、母は不満そうにほおふくらませている。

「でも見てください。最近はこのように、私を案じてくださるような文章も入ってきていますのよ!」

 私がそう言って最新の手紙に書いてあったその部分を母の目の前にきつけると、彼女はしばらくそこをながめた後、首をかしげた。

「……『エマニュエル嬢の身辺警護のため、近日中にこちらから幾名かを送りたく思います』? ……これ、はなれて暮らす婚約者のことが心配でというよりは、『げようとしたりするなよ。近々かん役を送るからな』って言っているように、私には読めるのだけれども」

 母はげんそうにそう言ったが、私はそうは思わない。

 いや、もしも辺境伯様がそんなしゆうちやくめいた感情を私にいだいてくれているのだとすれば、それはそれで嬉しいが。

「違いますよ! どうやら辺境伯領に、いとし子様過激派の、なんだか危険そうな噂が届いてしまったようでして、とっても心配してくださっているのです。そのしように、かなりのせいえいの方々を送ってくださるつもりらしく、お父様が来られる予定の方のめい簿を見て、『じよう戦力……』とつぶやいておられましたわ」

「ふうん? 国内の噂は、うちである程度コントロールしつつあるはずだけど……。あちらにはまだ、手が回っていないのかしらね? 最近は、せいでも、エマちゃんへの同情が割と集まってきていると報告を受けていたのに……」

 母はふしぎそうに首をひねったが、浮かれ切った私は浮かれ切ったまま続ける。

「なんにせよ、それだけ私のことを大切にしようと思ってくださっているに違いありませんわ。確かに手紙は少しクールな印象ですが、毎日のようにおくられてくる品々は、どれも私のことを考えて選んでくださったと感じるステキなものばかりですもの」

「……まあ、そうね。エマちゃんにふさわしいだけの品々を、ぽんぽんとよこすしゆしようさと財力は、評価してあげてもいいと思うわ」

「もう、お母様ったら」

 私がしようすると、母はつんとすねたような表情で視線をらした。

 母はこんな感じで、浮かれ切った私にどうにか冷や水を浴びせようとするかのように、日々ルース様にいちゃもんをつけるのに余念がない。

 ただし、一番の問題とされるルース様の見た目に関しては、一度もこき下ろしたことがないが。

 たぶん、母は、私とけっこう感性が似てるのだと思う。

 日々『男は容姿じゃないの。ゆうふくさと包容力よ』なんてうそぶいているが、時折うっとりと父の整った顔にれているのを、私は知っている。この世界のしゆう観からいけばとくしゆとされてしまうそれを、どうやら彼女は秘密にしたがっているようなので、確かめたことはないけれど。

 だから、色以外の姿かたちはかんぺきで、それ以外のスペックに関しても文句のつけようがないほどのルース様のことだって、なんだかんだ評価してくれているはずだ。たぶん。きっと。だといいな。

「……ねえエマちゃん、そんなにしあわせいっぱいのお顔、おうちの外では絶対にしちゃだめよ?」

 ふいに母があきれのにじんだ声でそう言ってきたことで、なるほど、問題はルース様というより、私があまりに浮かれすぎている方かとさとる。

 まあそれもそうか。しん殿でんや貴族議会は私に対するペナルティになるだろうという心づもりで私とルース様のこんやくを後押ししてくれたのだろうに、私が実際こんなにもハッピーだと知ったら、面白くないだろう。

 そう気づいた私は気まずさで視線を泳がせてみたが、母がじ────っと私を見つめるばかりなので、観念して、口を開く。

「わ、わかっています。外ではちゃんと、顔を引き締めますよ。……いやでも、あまり深刻そうな表情をしていて、このこんいんが不服かのようにルース様に思われるのもいやです。え、あれ。わ、私、どんな表情をしてあちらにとつげばよいのですか……!?」

 二ヶ月半後にこの家を出るとき、私はどんな表情をしているべきなのか。

 よく考えてみればよくわからない。

 私に泣きつかれた母は小首を傾げながら、ゆったりと答える。

「んー、そうねぇ。辺境伯家に着いてあちらのみなさんに挨拶をする段階になったら、初めてがおを見せる、くらいで十分じゃないかしら? 一応は道中各所に挨拶をする予定も入っているし、サントリナ家の騎士も同行するはずでしょう? だれがどこでどう見てなんて言うか、わからないもの。あちらまではしゆくしゆくと、しおらしく行った方がいと思うわ」

「粛々と、ですか……」

 辺境伯領は、けっこう遠い。私一人ならそれこそ空を飛べそうな気もするが、ついて来てくれる予定のじよも一人いるし、ある程度色々持参する都合もあって、馬車で一週間ほどの旅程をこなす予定だ。

 そんなにずっと、粛々としたふんを保てるだろうか。内心はこんなにもハッピーを極めているというのに。

 考え込む私を見た母は、重いため息を吐いた。

「エマちゃん、外でも今みたいにずーっとにやにやしていたら、『あの悪女、今度はいったいなにをたくらんでいるんだ』って思われるわよ。エマちゃんに今同情が集まっているのだってかわいそうだと思われているからなのに、全部台無しになるわ」

「それは、困りますね……」

「下手を打てば、かたかしをらったいとし子様過激派によって、あなたの結婚式でくさった生卵が飛んでくるかもしれないわ」

「うう……。私のとなりにいるであろうルース様にもしもぶつかったら、すごく嫌です……」

 ようやくテンションが落ち着いて、というかむしろしょぼしょぼとそう認めた私に、母は『わかればよろしい』とばかりにおうようにうなずいている。

 私の評判なんざどうでもいいと言ってしまいたいところではあるが、辺境伯夫人となる私の評価は、夫であるルース様にも多大なえいきようおよぼす。

 実際は全然まったくそんなことはないのだが、『国のためになにもかもをみ込んだ』だの『こくな運命にも悲観せずおのれの役目を果たそうと決意』だの、うちのこうしやく家が宣伝しようとがんばっている【エマニュエル公爵れいじよう】像からかけ離れた言動は、しない方が良いのだろう。

 少なくとも、誰の目があるかわからないような場所や場面においては。

「それにほら、れんあいっていうのは、追いかける方が楽しいものなのよ? ちょっとぐらいもったいぶっておいた方が、きっと辺境伯様だって燃えるわよ」

 空気を切りえるようにえらく愛らしいこわでそう言った母に、私の耳と意識は一気に持っていかれた。

「そ、それは、……今もなお社交界のはなとうたわれる、独身のころにはあちこちであなたをめぐけつとうを巻き起こしたほどせいぜつにモテたという、お母様の経験則ですか……?」

 ごくりとのどを鳴らしながら私が問うと、母はにやりとぞくっぽい笑顔を返す。

「さあ、どうかしらね? でもつう、ライバルがいっぱいいるとか、完全に自分のものにはなっていないとか、そういうじようきようじゃなければ、どうしても手に入れたい! とか、急がなきゃ! って、思わないんじゃないかしら」

 くすくすと笑いながらそう言った母は、確かに【あでやかなぼうの公爵夫人】だった。

 こ、これが、はくしやく家からその美貌(かみ)を武器に格上の公爵家に嫁ぎ、二五年の時を経て男を二人女を一人産み育てても(私には兄と弟がいる)夫の愛はかげりを見せるどころか日々ますますねつれつになるばかりの女のげん……!

 ……ちょ、ちょっともったいぶってみちゃおうかしら。

 ほら、お母様ゆずりの髪を持つ私は、この世界ではめちゃくちゃ美少女らしいし。

 婚約だって、一応はあちらから言い出してくださったのだし。

 私の心が、かなり【粛々と】にかたよっているのを見て取ったらしい母は、くすりと笑うと、私に問う。

「あなたが【公爵令嬢にふさわしいふるまい】を保つのにそこまで苦労しているのは、初めて見るわね。ねえエマちゃん、あなた、どうして、そんなにも辺境伯様のことが好きなの?」

 元現代人の私は、元現代人だからこそ、貴族制度が生きているこの世界の、それも公爵令嬢としてふさわしいふるまいをすることに、かなり心をくだいている。

 そういえば、母に説教や説得をさせたのは、もしかしたら初めてのことかもしれない。

「どうして、と、言われましても、その……」

 仮にも母親に対してこいバナをすることにていこうを覚えた私は、ごにょごにょと言葉をにごした。

「どんなところが好きなの? いつから好きなの? 好きになったきっかけは? ママにだけは聞かせてくれてもいいでしょ? ねっ?」

 ところがいつさいついげきの手をゆるめる気がないらしい母はぎ早にそうたずね、キラキラとしたひとみで私を見る。

「どんなところが、とかれましても……。こうなんとなくというか、好きになったから好き? とか、そういうものではないでしょうか……」

 前世の感覚からするとあの人ちようぜつイケメンなんで、ほとんどひとれでした。というのは、どうにも言える気がしなかったので。というか、たぶん言ったら正気を疑われてしまうので。

 あいまいにそう言ってみたが、母は不服そうにほおふくらませている。

「一度好きになったらほかの部分も美点にしか見えなくて、その人のことがどんどん好きになっちゃうのは、わかるわよ。でもきっかけ? とか、恋に落ちたしゆんかん? とか、そういうのはあるはずでしょ?」

「いえ、その……」

 ううん、だから、そのきっかけが説明しづらいんだよなぁ。私に感性が似てるっぽい母なら、平気かなぁ……。

 なやみながら、どうにか曖昧なきれいごととかでごまかせないものかと、私は抵抗を試みる。

「その、説明はできないけど、なんとなく好きになっちゃったーって、あると思うんですよ。ほら、例のくるぶしできさきを選んだといういつぞやの国王陛下だって、髪色なんて関係なくその人のことが好きになってしまったから、この人はだれよりもくるぶしが美しいのでとこじつけてみただけなんじゃないですか、ね……?」

「その方は、妃選びの際には候補者をずらりととくしゆだんじように立たせ、くるぶしだけが見える状態で厳選したそうよ。くるぶしがよく見えるようにとはいえ仮にも王族をゆかいつくばらせるわけにはいかず、女性にとって足を見られることには抵抗があるものだからくついたままでだいじようなように、くるぶしより上が見えてしまうこともよろしくない、と、かなり苦労して壇を作った記録が公式に残されているわ」

 ごうが深いなくるぶし陛下。

 だいなる先人のまさかのやらかしに、私は頭をかかえた。

 まあきっと、おう候補になれるような貴族令嬢の中から選んだのだろうから、くるぶしで選んでも問題はなかったのだとは思うが……。

「……エマちゃんも、まさかそんな特殊なしゆからサントリナ辺境伯にかれたの……? いったいなにかしら、目の大きさと鼻の高さとか……?」

 お。割と正解。

 さすが一八年私の母親をやっているらしくかなりの正解を導き出した母は、けれど四〇ウンねんこの世界の人間をやっているために、『いやありえないでしょ……』とばかりのドン引きの表情でそう言っていた。

 ううう、やっぱりダメか。父の顔にれているのは『一度好きになったら他の部分も美点にしか見えなくて』ということか。

 ……仕方ない。あんまり話したくはなかったが、ずかしがってる場合ではないな。

「……ちょうど、半年くらい前に、学園裏手の山から、じゆうはんらんしてしまったことがありましたよね?」

 私はかくを決めて、ルース様と初めて直接お話させていただいた日のおくを、母に語りだす。

 実際にはほとんど一目惚れではあったものの、これはもうどんな容姿であっても惚れずにはいられないだろう、母をなつとくさせるに足るだろうと確信する、あの日のルース様のことを──。


   ● ● ●


 デルフィニューム魔導学園。

 王家の名をかんする、がみのいとし子ディルナちゃんと王太子殿でんの恋、すなわち推定おとゲームのたいにもなった、私がつい先日まで通っていたそこ。

 個々の事情によって多少そこからズレることもあるが、まあだいたい一五歳から一八歳の魔導の徒が国中からつどうその学園は、半年前、学園始まって以来の危機をむかえていた。

 近年守護りゆう様が弱り、国のそこここで魔獣が活発化。氾濫といって差しつかえないほどの勢いで、魔獣の群れがあちこちで暴れまわるようになってしまった、その中で。

 ある日とうとう、はしの端とはいえ、守護竜様の住まう王都にある魔導学園、その裏手の山でまで、魔獣の氾濫が発生してしまったのだった。

 すぐれた能力資質が無ければ入学することがかなわないそこに通う私たち学園生は、未来のと前に付く気はするものの、一応はエリートぞろい。自分たちの通うここを守りたいという気持ちも強かった。

 なにがなんでもここで食い止め王都も守るという決意で、ひよっこ学園生たちはぴよぴよとけんめいに危機に立ち向かおう……、とは、したものの。

 学園生の中には王太子殿下なんてものもいたし、私のような高位貴族の子女も多数ふくまれていたし、なにより、学園から先には、王都があったわけでして。

 当然、えんぐんが来た。

 私たち学園生と教職員が力を合わせ結界を張って魔獣たちを山にふういんし、とはいえずっと封じ込めておけるものでもないので封印が持つだろうと思われる一週間ほどの間にげいげき態勢を整えていた。そのうちに、国中から、魔獣の対処に慣れているエキスパートたちが集結し、私たちと力を合わせ戦うことになったのだった。


 はー? なんかめっちゃくちゃキラッキラしてるイケメン様がいるんだがー? なんだあれ、かっこよすぎやしないか。ふざけているのか。

 エキスパートの集団を学園に迎え入れるそのとき、その集団の先頭に立つルース様を見た瞬間、私はあまりに自分の好み過ぎるルックスの彼に、そんななぞにキレ気味の感想をいだいていた。

 長年の公爵れいじよう生活でつちかったすまし顔の仮面を必死にキープしていたものの、その仮面をただ歩いているだけでたたき割ろうとしてくるルース様に、静かにキレていた。

 きゃー! かっこいいー! えっあし長いですね何頭身あるんですかうわぁ顔もいい! ちょっとあくしゆとかしていただいてもー!? とかさけびそうになってしまうのを、必死に、それはもう必死にこらえていた。

「なんてしゆうあくな……」

「おいあれ、色なしのルース・サントリナ辺境伯だろ? ろくな魔法も使えないそこないが、なぜこんなところに……」

「実力は確かだし、魔獣との戦いに慣れているのは事実だろう。……まあ正直、士気のことも考えて欲しかったが」

 ところが。周囲の私以外の学園生たちは、私の内心とは完全に真逆の方向でざわざわとしていたので、めちゃくちゃびっくりした。

 えっえっえっ。

 醜悪ってどうし……、あ、かみと瞳が銀色? 色がうすいから? どうでもよくない?

 魔法が使えないって、ここは魔法が使える人間がめちゃくちゃ揃ってる学園だよ? むしろ、バランス的に、これ以上魔法使いはいらなくない?

 あのお方歩き方にすきがないし見た感じかなりきたえてそうだし、なによりサントリナ辺境はくちよういちりゆうけんだって評判でしょう? できそこないって、むしろお前らひよっこのことでは?

 というかみんな、助けに来てくださった、それも辺境伯様にめちゃくちゃ失礼でしょ……。

 学園の仲間たちにせんりつを覚えた私は、ひよっこどもをぐるりぎろりとひとにらみしてからルース様たちにけ寄り、彼らに声をかけることにする。

 ほら、学園の最高学年の三年生、王太子のこんやく者でもあるこうしやく令嬢の私こそが、責任者とか準責任者とか、そういう感じのあれにちがいないでしょうし? あ、それこそ、真の責任者であろう王太子殿下のところに彼らを導くべきは、私だろう。

 というのは歩きながら考えついた言い訳で、単に、この世界に生まれてぶっちぎり一番にかっこいいと思ったその人、ルース様に、お近づきになりたいだけだった。

みなさまのおし、心より感謝いたします。私はデルフィニューム魔導学園三年生、ベイツリー公爵家長女のエマニュエルと申します」

 私がカーテシーをふわりとキメながらそう言って、にこりとみでしめたのに、なぜかルース様はこうちよくしていた。

 ……。

 そのままなにも言ってくれず、名乗りも返してくれないルース様に、いやあせが背中を伝い始める。

 れい作法の授業は、いつも満点だったんだけどな。先生は、私の礼も笑顔も『実に美しい』とめてくれたのに。好印象を抱いてはいただけなかったのか。私は知らずになにかやらかしただろうか。

 そう不安になったしゆんかん、彼の後ろにひかえるそうねんの騎士様に背中を叩かれたルース様は、ぼぼぼっと一気に赤面されたかと思うと、急にあわてた様子でしやべりだす。

「……っ! 失礼、その、ああいや、ちょっと予想外というか、見惚れてしまったというか……。あ、気持ち悪いですよねっ! あの、自分の方がベイツリー公爵令嬢よりもはるかに格下ですのでそこまで礼をくされなくとも十分ですよ、というか、あ、あ、失礼! 私は、一応サントリナ辺境伯のルースと申しましてっ!」

 なんだかパニックになっていらっしゃる様子のルース様に、思わず笑ってしまったのは、仕方ないことだと思う。

「ふふっ、サントリナ辺境伯様こそ、そこまでどうようなさらないでくださいませ。確かに私の父は公爵ですが、今の私は、まだまだひよっこの、いち学園生にございます。魔獣との戦いにおいて、私ども学園生はあなた様方の指示に従うべきですから、礼を尽くさせて欲しいと思ったまでですわ」

 くすくすと笑いながら私がそう言うと、ルース様は急に真顔になってしまう。

「……女神か?」

 ぽつり、とルース様の口かられた言葉の意味は、よくわからなかった。

 ???

 私が首をじやつかんかしげながらとりあえず笑っておけ精神で微笑ほほえんだところ、ルース様はげふんげふんとなんだかわざとらしいせきばらいをしている。

「失礼。若い女性にこのきよまで近寄られることもそうなければ、ましてこんなに美しい方に笑顔を向けられるなんてことに慣れておらず、取り乱しました。ええと、ベイツリー公爵令嬢、まずは現状をかくにんしてもよろしいですか?」

「かしこまりました、こちらへどうぞ。ああ、それと、私のことは、エマニュエルと呼び捨てていただいてかまいませんよ。家名など関係なく、あなたの配下の魔法使いとしてあつかっていただきたいので」

『美しい方』などと言われた私は、かれ切ったここでにこにこと笑いながらそう言ってみた。

 うそである。

 配下だのどうだのは今考え付いたこじつけで、単にルース様と親しくなりたいだけである。

 ずいずいとファーストネーム呼びをねだり、ぐいぐいと急激に距離をめようとする私に、けれど確かに女性にあまり慣れていないらしいルース様はひどく赤面し、そして、困ったようにへにゃりとまゆを下げて笑った。

 くうっ、イケメンの照れ笑い、すごいかい力あるな! まさに、かっこいいとかわいいのぜいたく詰め合わせセットっ……!

 ヤバイ、好きになっちゃいそう……!

 仮にも婚約者のいる身の私は、そんな心から漏れ出そうになったかんたんねんをぐっとみ込み、言葉にはしなかった。


 出現したじゆうの種類規模、学園生と教職員のうち主だった者のできることできないこと、学園のしきのどのあたりをせんとう区域と想定しているか、学園に備わっている設備・備品、その他もろもろ、ついでにちょびっとだけ雑談。

 集団の後方に控えるフォルトゥナート王太子殿でんのところまで一団を案内する道中、主にルース様の質問に答える形で、私たちは様々なことを話した。

 見れば見るほどかっこいいルース様が眼福だったのと、【ルース様】呼びを許可されるなどした私は、終始非常にじようげんだったと思う。

 もしかすると、ずっとにやにやしてしまっていたかもしれない。公爵令嬢の意地でどうにかにこにこに見えるようがんばったつもりではあるが、あまり自信はない。

 まあそれも、王太子殿下=我が婚約者様の顔を見るまでの話ではあったが。

 ……ディルナちゃん、このまま王太子殿下ルートに行ってくれないかなぁ。

 今のところの二人は、気心の知れた友人の距離をギリギリ保ってはいる。けれど、おたがいにひそかにかれあっているんだろうなと、二人の間に立ちはだかってしまっている推定悪役令嬢としては、はだで痛感しているので。

 殿下から私との婚約をしてくれたら、ルース様を思う存分追いかけることができるのに。

 現実に引きもどされた私がそんな現実とうをしているうちに、ルース様と殿下の話は、まとまったようだった。

 魔獣との戦闘に慣れていて、かつ近接での戦いを得意とするルース様たちを前方に、まだまだひよっこであり時間はかかるものの、時間さえかければりよくの高い魔法を放つことができる者の多い我々学園生を後方に。ざっくりとそんな位置取りで戦うことが決まり、私たちは動き出す。


 戦闘が開始して、しばらく。前線の能力の高さのおかげで、私たちは安定して魔獣の数を減らすことに成功していたと思う。

 しかし私は、高位貴族のむすめということもあり、また魔力の豊富さゆえに遠距離までも魔法を飛ばせることから、かなり後方に配置されていた。

 ぶっちゃけ、あんまりよく見えなかった。見たかった。

 ルース様のかつやくを、この目でどうしても見たかった。

 後方にはあまりにも魔獣が来な過ぎて、気のゆるみもあったかと思う。

 せんきようが進むにつれ隊列がくずれ、魔力切れやろうで後方に下がる学園生などもちらほらと現れてきていた。そんな中、戦場でもひときわ目立つルース様のかがやく銀にさそわれるように、じよじよに私は、前に出過ぎてしまっていた。のだとは、後から痛感したことだったが。

 魔獣、それはだいたいが地を駆けるけものの姿に似ているのだが、たまには、そのセオリーを打ち破ってくるモノがいる。

 そう例えば、空を駆けるドラゴンなんてものが、魔獣のはんらんの際には、現れることもあったりするのだ。

 豊富な魔力にものを言わせ、ばんばん高位の魔法を放っていた私は、たぶん魔獣の群れから見ると、非常にじやだったのだと思う。

 敵のしゆほう=私をくだかんとしたのか、多数の仲間をほふった私にせめていつむくいようとしたのか。

 私をふくむ学園生たちがばかすか魔法を放っていた、魔獣の群れに相対した正面側ではなく、そこをかいするかのようにひゅっとせんかいし、ソレは宙をおどった。

 りゆうとしては小型ながらも、それでも最強の種らしいはくりよくを持ったその飛竜は、もうれつな勢いで空を駆け、私をまっすぐににらみつけ、真横から飛来し、

 あ。これ、

 死、

「エマ様ぁあああっ!!」

「エマニュエルじよう……!」

 ディルナちゃんと殿下が同時にさけんだのが、どこか遠くに聞こえた。

 私はせまる死の予感にかくりとひざから力がけ、地面にへたり込み、ぎゅっと目を閉じる。

 しゆんかん、ガキンとひびく、こうしつな音。

 痛く、ない。

 まだ、死んで、ない?

「エマニュエル嬢、ご無事ですかっ!」

 そろりと開けた視界の先、息を切らせたルース様がそう言いながら、私にまっすぐに向かって来ていた飛竜のするどつめけんで受け止め、その背に私をかばっていた。

 こくこくとうなずくことしかできない私を確認した彼は、ぎりぎりときつこうしていた飛竜をバシリと剣で押し返す。

「……空飛ぶトカゲごときが、調子にのってんじゃねぇっ!!」

 中空で体勢を崩す形になった飛竜にそう叫んだルース様は、そのまま迷いのない剣筋でやつの腹を切りいた。

 ……あら、意外とワイルド。

 そう思ったものの、先ほどは私のがおごときにあからさまにうろたえていた、いかにもじゆんぼくそうなこの方が見せた意外な一面に、きゅんとしてしまう。

 地に落ちた飛竜の絶命を確認したらしいルース様は、持っていた剣をこしさやにおさめ、そろりと私をり返る。

「おは、ございませんか……?」

 きゅんきゅんっ

 そっとそうたずねてきた声は甘くやわらかく、私を心配する気持ちがとてもよく伝わってきたので、先ほどのあらあらしくもたのもしいお姿とのギャップに、またもや私の胸は高鳴った。

「ルース様のおかげで、怪我は少しもありません。申し訳ございません。前に、出すぎました」

 反省した私はそう言って、深々と頭を下げる。

「いえ、この位置にいてくださったおかげで、私が間に合ったとも考えられます。顔をあげてください」

 その言葉にそろりと見上げると、ルース様は心底ほっとしたような笑顔をしていた。

「ご無事でなによりですが、あまり顔色がよくありません。一度後方に下がって、休まれた方が良いでしょう。もう、空を飛べそうな敵はいないように見えますし。立てますか?」

 ルース様のお言葉に、従いたい気持ちはあったのだが。

 実はさっきからいくも立とうとは試みているものの、全然立ち上がれそうにない。

「その、……こし、が、……抜けました」

 私がその情けない事実をそつちよくに白状すると、ルース様はしばし、考えるようなしぐさを見せる。

「……ほかだれか、ああいや、無理か……。……気持ち悪いとは思いますが、きんきゆうですので、ゆるしていただきたい。失礼」

 ちらちらと周囲の状況をかくにんした彼はそう言うと、ひょいっと、えらく軽々と、私の膝の裏と背中の下に手を差し込み私を持ち上げ……、私! ルース様に! おひめさまだっこされてる!!

 ひょえっ。ひょえええ。

 急に持ち上がった視界、眼前に迫るどタイプの美形の顔、かなり密着してしまっているあこがれの人のたくましい肉体──、私は、パニックになりかけていた。

「るる、ルース様! 私、重い、重いですよっ!」

 あせった私がそうさわいでみたものの、ルース様は重さなど感じていないかのようなしっかりとした足取りで歩き進めるまま、ふわりと微笑ほほえむ。

「ベイツリーこうしやく令嬢は、羽根のように軽いですよ」

 そりゃ、羽根だって、集めに集めれば成人女性一人前の重さになりますからね!

 ってそうじゃない!

「さっきは【エマニュエル嬢】と呼んでくださいましたのに、さびしいです! なんならエマって呼んでください!」

 あ、ちがった。これでもない!

 パニックになりかけ、というか、しっかりパニックにおちいっていたらしい私は、気づけば欲望のままにそう叫んでいた。

「……っ! 『お前が気持ち悪いから下ろせ』とののしられるかくは、していたのですが。そんなに赤い顔をされて、そんなに愛らしいことを言われると……」

 困ったようにそう言ったルース様のほおは、私のそれがうつってしまったかのように、赤い。

「そんな、気持ち悪くなんてないです。ちょっと、ずかしいだけで。むしろ私は、ルース様のたくましさに、ほれぼれとして、います……」

 恥ずかしさで段々と小声にはなってしまったものの、私はしっかりと、そのことを彼に伝えた。

 親切でしてくれていることに、そんな悲しい反応が返ってくるだなんて、思わせたくはなかったから。

 勇気を振りしぼって告げた私の言葉を聞いたルース様は、なにかをこらえるかのようにくううとふるえ、彼のうでの中の私を見返し、口を開く。

「あまりからかわないでください、……エマニュエル嬢」

 きゅううううん!

 イケメンのすねたような照れ顔、尊い!

 そして、彼に呼んでもらえるだけで、私の名前がらしいものみたいに思える!

 そう叫びたくなった私の視界がなんだかピンク色に染まって見えたのは、その瞬間に、もうあらがいようがないほどにルース様へのこいに落ちてしまったから……。

 ではなく。

 事実として、ルース様の背後にいたディルナちゃんが、ピンク色に光っていたらしい。

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