たぶん、いわゆる悪役令嬢転生ってやつだったのかな、と思う。
私、エマニュエル・ベイツリーは、平成の日本からここ剣と魔法の異世界に転生してきた、いわゆる異世界転生者だ。
こちらでの生家は公爵家、婚約者は私のはとこでもある王太子。
国で随一の美人といわれる姿かたちをしていて、魔法の才能にも恵まれている。
おまけに、得意な魔法は氷と闇。
このスペック、いわゆる悪役令嬢っぽい気がしないだろうか。少なくとも、私はそんな気がした。
となれば当然、破滅エンドを回避すべき、ではあるのだが。
ひとつ、大きな問題があった。
これが『私は悪役令嬢転生を果たした!』ないし『私こそが悪役令嬢である!』と断言できない理由でもあるのだが、
私、この世界のことを、まったく知らなかったんだよなぁ……。
いやなんとなくこの世界乙女ゲームっぽいな、とは、思ったけれども。世界観とか、起きている出来事とかから考えて。
だから、たぶんこうなるのかな? みたいな推測は、一応立ったけれども。
でも、具体的なストーリーや登場人物には一切ぴんとくるものがなかったし、この世界そのものすら完全に未知のものだった。
誰の姿を見ても、どんな名前を聞いても、いかに印象的な会話を交わしても、あげくの果てに国を揺るがす事件が発生し本編ストーリーっぽいものが進行しはじめてすらも!
さっぱり、ひとっつも、なーんにも、知らなかったしわからなかった。
いやだって実際知らないし、こんな【珍奇な乙女ゲーム】。
そう、この世界は、ちょっぴり、いやかなり、もしかするとはちゃめちゃに、変、なのだ。
というのも、この世界は、美醜の感覚が、私の知るそれとは、盛大にズレている。
まあ、改めてなにが美でなにが醜なのかと考えると、時代や文化でも変わるものだし、言葉にしづらい。こう、なんとなくバランスがいいとかそんな感じが美……? と、もごもごしてしまうところではある。
それでも、とにかくこの世界のルールはおかしい、とは断言できる。
非常にシンプルでわかりやすくはあるのだろうが、私はどうにも奇妙に感じてしまう。なにせ、『この世界の美=髪の色が濃い』で、『この世界の醜=髪の色が薄い』なのだから。
まあ、一応の根拠というか、原因っぽいものには覚えがある。
というのも、この世界では髪の色=神様の祝福のあらわれと考えられている。
実際、赤は炎、青は水、みたいな感じで、そういう色の人はそういう魔法が得意だ。また、色が濃ければ濃いほど使える魔法が強い。複数の属性の魔法が使える人物はそれを掛け合わせたような色をしていて、その究極、黒髪の人物ともなれば、それはもうだいたいどんな魔法でも使いこなせたりする。
だから、だじゃれとかではなく本当に、髪はエレメント的なあれそれをそれぞれ司る各神様の影響を受けてその色になっている、のかもしれない。
いや魔法が使える理由とか私は知らないし、推測でしかないのだが。
でも一応、この国の宗教ではそういうことになっている。
それはまあ、いい。
だからって、なんでそれが美醜の基準にもなるのかが、いまひとつ納得できないだけで。
最初になんか変だなと思ったのは、私の今世の両親に対する世間の評価だ。
我が母はちょっとぽっちゃり気味だがおっとりにこにことしたかわいらしい人で、我が父は無駄に顔のいいイケオジだ。と、私は思っている。
ところが世間の評価は、艶やかな美貌の公爵夫人と、容姿に多少の難はあるが優れた地位と頭脳と財産で夫人を射止めた切れ者公爵、なんだそうだ。
理由は二人の色だ。
母の髪は艶のある黒で、瞳は栗皮色。
父の髪は亜麻色で、瞳は黒。
主に美醜の基準にされるのは髪だが、それにつられるかのように、瞳の色も濃い方が人に好まれやすい。
よって、母は絶世の美女となり、父は瞳が多少カバーしてくれるのを加味して、並より少し下くらいのブサイクとなるそうで。
……いやいや。いやいやいや。
母、癒される顔立ちはしてらっしゃるが、そこまで美女ではないと思うんだが……?
父、我が父ながら無駄にキラキラしい美形なんだが……?
父が母の美を日々熱烈に褒め称えるのはまあ夫婦仲がよろしくてよろしいですねで済むが、世間様も母の方に見惚れるの……?
母が父の容姿を気にせずに愛を返していることが母の美点として評価されるほど、父は醜いと世間様は思っている、と。
それほどまでに、色彩だけで美醜が決まる。
孔雀か?
この世界の人類、美醜の感覚レベルが鳥か虫。
この事実を知った幼い日に、そう思った記憶がある。
その後、逆になぜ目鼻立ちや体格体形は美醜の考慮にいれないのかを周囲の人々に尋ねてまわったら、「なぜそんなものを気にするのか」だの「何代か前の王が、くるぶしのまるみ加減で妃を選んだらしい。その方に似たのだろうか……」だの、さんざんな反応が返ってきた。
私の美醜観、まさかの【くるぶしのまるみ加減】と同レベルの、特殊なフェティシズム扱い。いや、顔立ちや体形が、そのレベルの【どうでもいいもの】扱いされていると言った方が正確か。
うん、実に異世界な異世界に転生してしまったものだ。
この世界が乙女ゲームだとするならば、この辺が攻略対象者なんだろうなと思われる男子たちも、ステキなのは主に髪色である。全員ほぼ黒に近い色をしている。よっぽど極まった黒髪フェチが通した企画なのだろうかと思わずにはいられない。
まあみんなその分魔法も強力なものが使えるし、顔もだいたい良い感じではあるのだが、乙女ゲームの攻略対象者っぽいか? と考えると……。正直、いささかモブっぽい容貌の人物も堂々とメンバーに並んでいるので【珍奇な乙女ゲーム】だと思わずにはいられない。
というか、最終的に推定ヒロインちゃんに攻略された我が婚約者、王太子様その人こそが、いささかモブっぽい容貌だったりする。
私からすると落ち着きを覚えるような、過剰な華はない柔和な印象な顔立ちの彼は、しかしながら髪も瞳ももうほぼ黒な黒褐色なため、この世界的にはとてつもなくかっこいい、らしい。
とてつもなくかっこいい(髪色の)王子様である。
そう、私が悪役令嬢っぽいという根拠に【国で随一の美人】とかあげてみたが、つまりは彼と同様、国で随一の美人(髪)なのである。
母譲りの、お日様の下だと青系統らしいことがなんとかわかるほどに黒い髪というのは、そりゃあもう最高の美女(髪)なのである。
あ、ついでに父譲りの黒い瞳もそこそこのポイントになるらしいので、正確には国で随一の美人(色)だろうか。
……なんにせよ、実にむなしい。
実にむなしいが、まあとにかくこの国では恵まれているスペックではある。
悪役令嬢らしく隙のない美貌(色)、人が羨むような出自、裕福な家庭。その恩恵をフルに受けた贅沢でしあわせな暮らしを、今日この日まで享受してきた。
体が弱く早世した前世から考えると、いくらでも学べて思い切り体を動かせるだけでもありがたかったのに、それ以上、この上ないほどの生活をさせてもらった自覚はある。
だから、十分だ。
これから悪役令嬢として裁かれ、きっと破滅エンドと思われる結末を迎えるのだとしても、魔法の才も、それを十二分に伸ばしてくれた高度な教育も、私には与えられている。
そこまでの重罪は犯していない。
罰としてありえるのは、ベイツリー公爵家からの絶縁と貴族籍の剥奪、何年間か神殿に身を置いての社会奉仕活動、最悪重くて国外追放といったところだろう。
どれであろうと楽しく生きていけるだけの能力は、既に与えてもらっている。
そう腹をくくって、今日この日、私、悪役令嬢エマニュエル・ベイツリー公爵令嬢の断罪の日を、迎えたのだけれども。
● ● ●
悪役令嬢の断罪イベントって、こんなに地味でいいのかしら……?
それなりに覚悟を決めて迎えた今日のこの日、まず感じたのは、そんなことだった。
国が平和になり、そろそろエンディングを迎えるのだろうと思われる二月下旬の今日、私が呼び出された場所は王城の応接間。
ただし、一応城の奥まった部分にはあるものの、王族の方がごく親しい者と小規模なお茶会なんかをするときに使用される、比較的小さな部屋だ。
参加者は、推定悪役令嬢である私エマニュエル・ベイツリー、私の父であるベイツリー公爵、現状まだ一応私の婚約者であるフォルトゥナート・デルフィニューム王太子殿下、殿下の恋人にして推定ヒロインであり我が国を救った【女神のいとし子】であるディルナ・ラークスパー男爵令嬢、国王陛下。以上。
……もっとこう、大勢の人の集まる場で、高らかに私の罪を暴き立て、鮮烈な婚約破棄と断罪をするのがセオリーではないの……?
まあ、ああいうのはあくまで物語的な演出であって、実際に物事が決まるのは、案外こんなような、当事者だけを集めたひっそりとした会議なのかもしれない。
そう思っておこう。
さてさて、私に下される判決はなんだろうか。
王都からの追放とかで済むと嬉しいなぁ。
今、国王陛下によってつらつら読み上げられている私の罪状、ほとんど心当たりないし。
どうも、学園で、推定ヒロインなディルナちゃんに対する、物を隠しただの嘘を教えただの悪い噂を流しただのといったいじめがあったようだ。私はほとんど知らないけれど。
ただ、罪状のすべてに付いている『誰それを使って』だの『なにがしに命じて』だのの、誰それさんやらなにがしさんらの名には、覚えがある。すべて私と仲のいい友人か、我が家と派閥を同じくする家の子女らだ。
使った覚えも命じた覚えもないが、本当にあったことなら、みんな私のためにしたのだろう。
婚約者の心を奪われていたのは事実だけど、私たちの婚約は政略も政略で、特別な感情はすこしもなかったのに。その上、乙女ゲームなら負け確定の悪役令嬢である自覚があった私は、早々に諦めていたのに。
正直に言ってしまえば、余計なお世話でしかなかった。けれど、みんなは私のためにと動いてくれたのだろう。たぶん。
そんなことをあの子がするかなと疑問なことにもきっちりうちの派閥の人物名が添えられていて、それ、どこかの誰かがやったことを、ついでに全部うちに押し付けてない? と、思わないこともないけど。
なんにせよ、派閥一同政治で負けたということだろう。そのトップである公爵家の長女として、私が責任をとらなければならない。
ディルナちゃんが女神様のいとし子様であると発覚した以上、彼女がこれまで軽んじられていたことに対する落とし前は、誰かしらにつけさせなければならないのだろうし。
女神様に祝福された二人の結婚を盛大に祝うために、『いやいや、略奪なんかじゃないですよー。というのも、前の婚約者ってのがそりゃあもうひどい女でね。王太子妃にはふさわしくないと、婚約を破棄されたところだったんですよー』ってしたいんだろうし。
仕方ない。これも、この立場に付随する責任というものだ。
「『……以上が、エマニュエル・ベイツリーの罪であり、神殿は厳格なる処罰を国に求める』……と、これが、神殿から私に送りつけられてきた親書の全文だ」
ところがそう言った後、国王陛下は、手に持っていた紙の束(どうやら神殿から送られた手紙だったらしい)を、雑に机の上に放り捨てた。
「まったく、実にくだらんな」
ついで不機嫌そうに鼻をならしてそう言った陛下に、私は首を傾げてしまう。
あれ? もしや陛下は、私を糾弾しようとしている神殿に、あまり同調してらっしゃらない……?
「本当ですよ! エマ様は、なんにも悪いことなんかしてません! 今のお手紙の九割くらいを占めていた『~という誤った作法・慣習を教え、いとし子様が失敗するよう誘導した』シリーズ、全部、純然たる私の自爆ですし! そんな回りくどい嫌がらせなんか、エマ様も誰もしていませんから!」
ぷりぷりと怒りをあらわにしながらそう言った推定ヒロイン、ダークブラウンの髪と瞳がいとし子様の力を使うときだけピンクに光る、なかなか面白い生態をしているディルナちゃんに、ますます私の困惑は深まる。彼女は怒りのあまり暴走しかけているのか、若干桃色になりつつある。
いや、まあ実際、それほど堅苦しくない田舎の男爵家でのびのびと育ったディルナちゃん、あんまり貴族的作法・習慣、身についてなかったけれども。
その上割と考えなしに行動するから、私が止める間もなく元気いっぱい自分でやらかしていたけれども。
むしろ、クラスメイトとして、やらかしたことをフォローしたり正しいやり方を教えているうちに、いつの間にやら【ディルナちゃん】【エマ様】と呼び合うほど仲良くなったのだけれども。
でも、あなた、私がきちんと断罪されなきゃ困る立場に自分がある自覚は、ないの……?
「ごめんなさい、エマ様。私が、無知で馬鹿な田舎娘なせいで、変な言いがかりをつけられてしまって……」
うるりとその大きな瞳をうるませてディルナちゃんがそう言って、私はぎょっとしてしまう。
「いえ、そんなことは……」
「いや、ほんとに。さっきの手紙で、あー、私ってそんなにやらかしてたんだなーって、恥ずかしくなりました。あ、ちゃんと反省して学習するために、さっきのやつ、書き写したりした方がいいですかね?」
私の反論を遮り、ことりと小首を傾げながらそう言ったディルナちゃんの肩をそっと優しく抱きしめるのは、彼女の隣に座る、フォルトゥナート王太子殿下。
「今や王族以上の立場になった女神のいとし子であるあなたがするなら、特に間違いではないものも多数含まれている。わざわざこんな悪意に満ちた禍々しい物を教材としなくていいと思うよ」
愛しさが全面に出た甘い声音でそう言った彼から、なんとなく目を逸らしてしまう。
直視できないくらい甘い。甘すぎる。勘弁してほしい。
「じゃあやめときます! ……しかし、そんなに色々変わっちゃうんですね。む、難しいなぁあ……!」
殿下の甘さなんてなかったかのように、どこまでも元気よくそう言い、ううーと呻いて頭を抱えたディルナちゃんに、苦笑いが漏れてしまう。
「ディルナ様は、お立場が急激に変化されましたものね……」
私が思わずそう言ってしまうと、ディルナちゃんはぱっと顔をあげた。
「エマ様までディルナ【様】だなんて……! 寂しいです! 今までみたいにディルナちゃんって呼んでくださいよぅ……」
めそめそと半泣きになりながらそう言ったまでは、苦笑いで流してあげられたのだけれども。
「今まで私のことを【ほぼ庶民】とか【おいそこの】とか呼んでいた学園の人たちだって、急に女神のいとし子様って……。別にそのままでいいのに。私なんか、ただ」
「それ以上はいけません」
さすがに流してはあげられない発言をしたディルナちゃんの言葉を、私は遮った。
そのまま、彼女が先ほど、自身を【無知で馬鹿な田舎娘】と言ったときから言ってやりたかったことを、言ってしまうことにする。
「ディルナ様、おそれながら申し上げさせていただきます。あなた様は愛と癒しの女神様のいとし子様としての力を発現させ、国の守護竜様を復活させたお方です。おかげでこの国は救われました。あなた様が守った命がどれほどあるか、あなた様に感謝する者がどれほどいるか、よく考えてください」
常より硬く厳しい私の言葉に、ディルナちゃんは真剣に耳を傾けているようだ。私は、続ける。
「この国の成り立ちをなぞるような奇跡を見せたあなた様は、この国の誰よりも貴い身分となられました。そのあなた様が自身を低く扱われるということは、その下にある我ら貴族も国民一同も、まとめて下げる行いと自覚して欲しく思います。あなたに感謝しあなたを崇めるすべての者を、愚弄する行いだと理解してくださいませ」
きっぱりと言い切ってから『さしでがましいことを言って、これでまた罪状が増えたかな』と考える。
まあいい。きっと、一〇〇かそこらが一〇一かそこらになるだけだ。大して変わらないだろう。
「私も、エマニュエル嬢の言うとおりだと思うよ」
王太子殿下が柔らかく苦笑しながらそう言って、どこか呆然としていたディルナちゃんは、ゆっくりと幾度もうなずきながら、まるで自分に言い聞かせるように語りだす。
「……なんか、今ので、最近教えてもらった色々なことが、すーってひとつにつながった気がします。そっか。だから私は、人に侮られないふるまいをしなくちゃいけなくて、なんでも自分でやっちゃいけなくて、謝罪を気軽にしちゃ駄目で、感謝をするときもあくまでも上からで、ああー……!」
最後は頭を抱えながらも、とにかくなんだか納得してくれたらしい。
「……ありがとうござい、……いいえ、ありがとう、エマ様。あなたがはっきりとおっしゃってくれなければ、私はこれからも、あなた方を貶め続けてしまったことでしょう」
ディルナちゃんはぎこちなくも、なんとかそう言った。さっそく私に敬語を使うまいとする姿勢は素晴らしい。
ただ、『おっしゃって』だと、私をあげてしまっているんだが……。まあそんな細かいところは、講師役の人間がこれから教えていくことか。
今は、彼女の背筋がのびて、ちょっぴり威厳っぽいものを感じられるようになったことを素直に喜んでおこう。
「……とはいえ、エマ、やはりお前は罪を償わなくてはいけない」
私とディルナちゃんが微笑みを交わして、どこかゆるんだ空気の中落とされたのは、硬い声音のそんな父の言葉だった。
「そうですね」
「な、なんでですかっ!? 当の私が、エマ様にはなにもされてない……、どころか、学園でもこんな感じで色々教えてもらっていただけだってわかってるのに……!」
私はそれを当然のこととしてうなずいたが、ディルナちゃんは悲痛な声でそう叫んだ。
「落ち着いてディルナ。この場の誰も、エマニュエル嬢が悪い、とは思っていない。しかし、神殿から親書まで送られてきている以上、なにもなしに、とはいかないんだ……」
なだめるように王太子殿下がそう言ってくれたが、納得いかない様子のディルナちゃんは、そんな彼をキッと睨みつけている。
「仕方のないことです。我が公爵家は、政治上の戦で負けました。神殿が勝手に言っていることであれば、まだ勝ち筋が残っていたかもしれませんが……。もはや世間も、エマこそが悪役で、女神のいとし子様はそれに打ち勝ち殿下と結ばれたと思っている」
父のその言葉に、まさかの国王陛下が頭を下げた。
「本当に、すまないと思っている。不誠実なことをしたのは、王家の方だというのに……」
非公式の場とは言え一国の王のそのふるまいに、私は気まずく震えてしまう。
陛下のいとこでもある父はそこまで気にした様子もなく、なんとも読めない無表情でうなずいているだけだが。
「かまいませんよ。敗者にはペナルティ、当然のことです。それに、婚約破棄ひとつで、王家と女神のいとし子様に貸しを作れるなら安いものだ。女神様の祝福した二人の障害になりたい人間など、この国にはいないでしょうし。とりあえず、本日付けで、エマニュエルとフォルトゥナート殿下の婚約を破棄いたしましょう」
父はさらりとそう言った。
そう、ディルナちゃんは王太子殿下と心を通わせて、女神様の奇跡を顕現させたのである。女神様へ呼びかけられるのはいとし子であるディルナちゃん、ではあるのだが、愛の女神だからだろうか、彼女が力を使うには、殿下が傍にいて、そしていっしょに祈らなければならない。実に乙女ゲーム的。
とにかくそんなわけで、この二人はもう、なにがなんでも国も神殿も挙げて全力で祝福し、末永くしあわせになってもらわなければいけないのである。
だから二人の邪魔になっている私と殿下の婚約は破棄。それはいい。私も特に異論はない。
「……問題は、神殿と民衆が望んでいるそれ以上、【悪女】に対する相応の罰、だな」
苦々しい表情で国王陛下が言った言葉に、『ざまぁってやつですね!』とわくわくしてしまっているのは、どうやら私だけのようだ。
どうやら私に悪いことをしてしまっていると思っているらしい陛下、殿下、ディルナちゃんは罪悪感に押しつぶされそうな表情で固まってしまっているし、父も『どうしたものか』と顔に書いてあるかのようである。
「けれど実際、ディルナ様が」
「ディルナちゃんでお願いします」
私の発言を遮る勢いで、すかさずディルナちゃんがそう主張してきた。そんなにか。
話を進めるためにも、私は素直にいとし子様のお言葉に従うことにする。
「……ディルナちゃんが、ほんの残り一割だけでも神殿のあげたようないじめにあっていた以上、私は彼女のクラスメイトとして、しかもその中でも皆をまとめあげるべき立場にあった公爵家の者として、責任をとるつもりがあります。悪女とされることも、相応の罰を与えられることも、当然のことと思っております」
「……すまない」
陛下に再び頭を下げられてしまった私は、焦りで若干早口になりながら主張する。
「いえ、これは私自身のためでもありますから。世間様に悪女であると思われている以上、ざまぁ……失礼。相応の罰を受けた、と思っていただかなくては、私刑を執行しようとする過激な方が現れないとも限りませんもの」
「それもそうだな。この国を救った【女神のいとし子様】の人気は、今や絶大だ。その熱がどう暴走するか、わかったものではない。お前を無罪放免としては、集まる同情も集まりようがないしな」
父が認めた通り、守護竜様が弱り魔獣たちが国のそこここで暴れ、あわや国家滅亡かと暗く沈んでいた国を救った女神のいとし子様の人気は、もはやカルト的なほどだ。
そしてこの話の流れが、この国の建国の神話を、ほぼなぞっている状態なのだ。
元々小さな集落が寄り集まったような状態だったこの国の基となった地域に、【愛と癒しの女神様】の祝福を受ける乙女が出現。後に初代国王となったとある集落の長である青年と心を通わせ、『私の祝福する二人が、愛するすべてを守れるように』と、この国の守護竜様が女神様より遣わされた。
乙女と青年の祈りに応えて力を振るう守護竜様により、人々を襲う凶悪な魔獣からこの国は守られることとなり、国は急速に発展し永く繁栄した。というのが、この国の建国の神話だ。
それを再現したかのようなディルナちゃんと王太子殿下の間に立ちはだかった【悪役令嬢】が、いかに許されざる存在かわかるだろう。
ざまぁされなきゃ、私が困る。ここでやりすぎなくらいにざまぁされておけば、我が公爵家が、後々世間の同情を得ることだって叶う。
「えっと、ちなみに今のところ、私に対する罰ってどんな候補があります……?」
ざまぁの必要性を改めて痛感した私がそっと問うと、難しい表情で黙り込んでいた父が、顔をあげた。
「国外追放、ということにして、隣国への留学を考えていた。……の、だが。お前と殿下の婚約が破棄になるだろうと判断した、とある家がとある提案をしてきて、神殿と貴族議会が、『それはちょうどいい』と賛同しているような状態だ」
婚約破棄、からの。ということは、よっぽど、悪役令嬢にふさわしい罰になるような過酷な婚姻を結べ、ということか。
私の推測を裏付けるように、その話を知っているらしい国王陛下と我が父は、揃って悲痛な表情だ。
……どうにか国外留学ですまないものだろうか。
いや、でも一応、どんなひどい結婚なのか、試しに訊いてみようか。
「それは、……どういった、提案なのでしょうか」
そろりと私が問うと、国王陛下が重いため息を吐いた。
ため息を吐いたまま少しうなだれた陛下は、頭痛を堪えるかのように額を手で押さえながら、ゆっくりと教えてくれる。
「元々は、王家が対応しなければならない話であった。国防の要であるそのとある家に、王家から魔力の高い娘を嫁がせるべきである、と、前から議題にあがってはいたんだ。ただ……」
「ああ、王家の未婚のお子様方は今、王子殿下ばかりですものね。王家に一番近い独身者と考えると……、うん、私、ですね」
それは仕方ないのではなかろうか。もしかするとお相手がひどく年上だったりするのかもしれないが、貴族の娘の婚姻なんて、そんなものだろう。
当然の義務を果たしただけで世間様がざまぁされたと思ってくれるなら、それはそれで別に……。
あれ。でも待って。
……国防の要? で、婚約者がいないとなると、まさか……。
「国防の要であるとある家、つまりはサントリナ辺境伯爵家だが、から、エマニュエルを、学園を卒業する一ヶ月後にでも、すぐに花嫁として迎えたいとの申し出があった」
「国一番のブサイクとの婚姻──、それが、エマニュエル嬢に対する罰の、現状、最有力の候補だ」
父と陛下の悲愴感漂う声音の言葉に、感じたのは、とてつもない衝撃。
サントリナ伯爵家から、国で一番ブサイクな方と、婚姻を結べとの提案。
それって、それって……!
はやる気持ちをどうにか抑えて、震える声で、私は尋ねる。
「国一番のブサイクって……、あのルース・サントリナ辺境伯様のこと、ですよね……?」
私の言葉に、父は苦々しい表情でうなずいた。
同席していた面々は皆、どうやら私に対する同情から、揃って悲痛な面持ちだ。涙ぐんでいる者すらいる。
信じられない。ありえない。
でも、どうやら本当のことらしい。
「つまり、ルース様に、私が嫁ぐ。……そんな、そんなの……」
ああ、声が震える。
表情を律することができない。
衝動的に動きたがる自分の体を抑えつけるのすら一苦労で──、
「ただのご褒美じゃないですかっ!」
つい漏れた私の心からの叫びに、その場のみんなが、ぴしり、と硬直した。
● ● ●
私の【ご褒美】発言から、しばし。
私はかまわない……どころか、むしろ大喜びだというのに、まだ涙目の父は、なんだかんだと食い下がり、私を説得しようとしてくる。
「わかっているのかエマニュエル。かの方は、瞳も髪もくすんだ灰色で、【色なしの辺境伯】とまで呼ばれている方だぞ」
「あの輝きは銀色だと、私は思いますが。それに、私は好きですよ、あの方の見た目」
「!? い、いや、仮にお前が見た目を気にしないとしても、かの方は非常に魔力が少ない。『神に見捨てられた』とまで評されてしまうようなそれも、気にならないと言うのか?」
「確かに魔力は少ないようですが、だからこそ、私が辺境伯家に嫁ぐ意義があるのではないでしょうか。足りない部分を補い合う、良い夫婦関係が築けるかと」
「補い合う、というか、お前にばかり負担がかかるのでは……」
「いいえ、そうは思いません。魔力は少なくとも、辺境伯様は素晴らしい剣の腕をお持ちです。あの、隣国と接しているだけではなく凶悪な魔獣も多数出現する過酷な領地を、実際に守っていらっしゃるほどの。先の魔獣の氾濫の際にも、かの方が私たちを守っていてくださったからこそ、私は安心して長い詠唱の必要な大規模魔法が使えたのです」
「……歳も、お前より一〇も上だし……」
「一〇〇は違わないのですから、さしたる問題ではないかと。というかお父様自身、確かお母様とは八歳差ですよね?」
「……その、……辺境伯領は、あまりに遠い」
「そうは言いましても、同じ国の中のことでしょう。私を隣国に留学させるおつもりであったのなら、むしろ近くなっているのではないでしょうか」
私が淡々と反論していくうちに、父は段々とトーンを落としていった。
そろそろ諦めて欲しいものだ。
黙り込んだ父に、私は畳みかける。
「というか、そもそも、辺境伯様との婚約が私への罰になるだなんて、私は思っておりません。まあ、王太子妃から辺境伯夫人と考えると、格としては多少さがっているのでしょうが……。けれど、先の魔獣の氾濫を乗り越える中で交流した結果、私はルース様のことを、たいへん好ましく思っておりますので」
私の言葉に、一同信じがたいものを見る目で私を見た。なぜ。
守護竜様が弱っていたため強力な魔獣が大量に出現し、ディルナちゃん含む私たちひよっこ学園生までも参戦した戦いにおいて、ルース様は前線で大活躍なさっていたのだ。そこで惚れ込んだ、というのは、そこまでありえない話ではないと思うのだが……。
なんでだ。髪と瞳が銀色だからか。でもどんなブサイクだって関係ないくらい、めちゃくちゃかっこよかったのに。
あの活躍ぶりなら、いや実際ルース様は私からするとものすごくかっこいいルックスをしていらっしゃるのだが、たとえそうでなくとも、私はきっと惚れていた。
幾度か会話もさせていただいたが、責任感が強く善良で、とてもステキな方だった。密かに憧れてしまっていた相手だ。
だから私はしっかりと顔をあげて、心の底からの本心を、堂々と告げる。
「国外追放の憂き目に遭いそうなところを、ルース様に救っていただく。世間や神殿がどう思おうと、私はそう思っております。お父様にも、この場の皆様にも、同じように考えていただきたいです」
私の言葉に父はうつむいて、陛下はそんな父をなぐさめるかのように肩をそっと叩き、殿下とディルナちゃんはなにやらアイコンタクトを交わした。
「そこまで言わせてしまって、すまない。本来なら王家のものであるはずの責務を果たす君の献身に、どう感謝を示せばいいのか……」
「わ、私、神殿でちゃんと本当に偉くなって、きっとエマ様にご恩返しできるようになりますから……!」
殿下とディルナちゃんが、なにやらまだ誤解がありそうなことを言っている。
「いえあの、本心。本心です。我慢してるけど皆さんに気をつかわせまいと健気にふるまっているとかではなく、私は、本当に、心から、この縁組をよろこんでいるんですってば!」
私は必死に訴えるが、殿下とディルナちゃんは、泣くのを堪えるような表情で、うんうんとうなずいているばかりだ。絶対伝わってない。
「……まあなんにせよ、そこは思い切り、恩を売っておきなさい」
父がぽそりとそう言った。
まあ確かに、今後この国のトップに立つことが確定しているこの二人に恩を売っておいたら、後々便利なのか……?
「と、とにかく! 私はよろこんでルース様に嫁ぎます! 一ヶ月後の学園の卒業後すぐに!」
これだけは決定事項としておきたい私は、そう宣言した。
顔色を悪くした父が、慌てた様子で私に叫ぶ。
「さ、さすがに一ヶ月後はないだろう! 婚約期間を、一年はとるべきだ!」
「なぜですか?」
「な、なぜって、色々と、準備が……」
「なにかと準備が必要となる式はそのくらい後としても、私があちらに行き、籍を入れることはできますでしょう。先方がおっしゃっている期日を、なんの理由もなく破るのは、いかがなものかと」
一歩も譲るつもりのない私が父と睨み合っていると、ふいに誰かのため息が聞こえた。
「……三ヶ月間の、謹慎処分」
ついでぽつり、とそう言ったのは、国王陛下だった。
「……?」
首を傾げた私に再度ため息を吐いた陛下は、難しい表情で告げる。
「エマニュエル・ベイツリー公爵令嬢、先ほどの神殿からの親書に、どう返したものかと、考えたのだがな。確かにエマニュエル嬢の言う通り、サントリナ辺境伯との婚姻は、罰にはならない。罰だとしてしまえば、それは辺境伯への、ひどい侮辱となる」
うん。それはそうだ。
私がひとつうなずいたのを確認してから、陛下は続ける。
「だから、君への処罰は、本日から三ヶ月間の謹慎処分だ。社交も、公的な場へ出ることも、学園の通学や行事への参加も、もちろん辺境伯領に嫁ぐなどということも、三ヶ月間は慎むように。……急に遠方に娘を嫁がせることになってしまった父親に、せめてそのくらいの心の準備期間は与えてやりなさい」
「陛下……!」
感激したかのように父がそう言って、まあ仕方がないかと、私はため息を吐く。
まあね。ご褒美だけじゃ、バランスとれないよね。
おそらく針の筵になるであろう卒業式やら好奇の目にさらされるだろう社交界やらに出なくて良いというのは、正直私も助かるし。結婚の前に、家族との時間をとっておいた方が良いのだろうし。
「……かしこまりました。陛下のご決定に、従います」
私がしぶしぶそう言うと、陛下は柔らかく微笑んだ。
だいたいの話はまとまった。
そんな気の抜けた雰囲気のところに、なぜかむしろ表情を引き締めた陛下が口を開く。
「すまないな。エマニュエル嬢には、苦労ばかりをかける」
「え、いえ、そんなことは……」
「辺境伯家とのことを抜きにしても、婚約者がいる身にもかかわらず、君を尊重せずに他の誰かと心を通わせてしまったのは、我が愚息の言い訳の余地すらない愚行だ。改めて、謝罪させてほしい」
すっと下げられてしまった陛下の頭に、私は慌ててしまう。
「いえ、いとし子様が心を通わせたお相手が、殿下でよかったと思います」
いや本当に。
だって、これが乙女ゲームだとしたら、他のルートだって当然あっただろう。
その相手の家によっては、建国王の再来の新国王派と現国王派とかに、国が割れていた可能性が高い。
なにより、殿下がディルナちゃんに選ばれなかったら、私はルース様には嫁げなかったわけだし。
「……君の思慮深さには、頭が下がる。私もフォルトゥナートも、君のためなら、できる限りのことをすると、ここに誓おう」
私のちゃっかりとした本心など知らないのか、知ってその程度は目をつむってくれているのか、わからないけれど。
推定悪役令嬢は、断罪イベントを乗り越え、理想の婚約者と、国王陛下と次期国王殿下と女神のいとし子様という豪華すぎる面々の、負い目と感謝を手に入れてしまったようです。