第二章 暗闇を塗り替える③

「あの子はいつも言葉が少なすぎるのよ。私はどうやって納得すればいいの?」

 エリスにとってイルミナは子どもの頃から手の届かない存在だった。何をやってもイルミナのほうが上回り、大人たちといつしよに会話をしてもそんしよくがない。いつもエリスだけがぽつんと取り残されている。

「それはエリスさまも同じでは?」

「え?」

 思わず顔を上げると、クラウィスはしんけんまなしでこちらを見つめていた。

「あなたもかんじんなところをせて行動している。どうしてあなたがイルミナさまを気遣うようになったのか。ぜひ教えていただきたいところです」

「それは……」

 クラウィスはイルミナだけは裏切らない。もし彼と協力関係を築くことができれば、横領の原因や毒の入手先の発見を早めることができるかもしれない。

(……でも)

 もともとエリスは人を信用することが苦手だった。それにクラウィスの真っすぐな視線を見ていると胸が苦しくなる。

 顔をらしたかったが、できなかった。どうしてか彼がそれを許してくれない気がした。やがてひとつのため息が聞こえる。

「どうかイルミナさまのじやだけはしないでください」

 そうき放され、エリスは両手で顔をおおいたくなった。

 とう会でクラウィスのとなりで環境大臣たちと会話をわしたとき、話を合わせることができてほっとしたと同時に、かたを並べている気分になって少しだけこうようしていた。

 そのときの感情が一気にしようちんしていき、かれていた自分がずかしくなってくる。エリスは苦々しく声をしぼる。

「クラウィスさまに何を言われようと、私は自分のやりたいように振るうわ」

「それが困るから忠告しているのがわからないのですか?」

 低い声でいさめられてエリスは肩を揺らす。周囲にはけんのんな空気がただよい、激しい言い争いの予兆をいだく。

「……じゃあ私が何もかもなおに打ち明ければあなたは信じてくれるの?」

「!」

「できないでしょう? あなたは合理的な人だもの。しようがなければ動かない」

 エリスは力強い声で告げた。すると彼は真顔になる。

「ええ、俺たちの独断で国民を振り回すわけにはいきませんから」

「さすが未来のさいしようさまのお考えね。でもその考えは時として大切なものを取りこぼすことになるわよ」

「ご忠告どうもありがとうございます。この際だからエリスさまもご自身のことをかえりみてはどうでしょうか」

「あら、大切なものが少ないほうが身動きしやすいでしょう?」

「それを世間では独りよがりというのです」

「……不敬罪でうつたえてあげましょうか?」

「はは、おどろきましたね。この程度で訴えられるとは」

 クラウィスはかわいた笑い声を出したが、うでを組みなおしてエリスを見下ろす。

「それで、あなたは何を知っているのです?」

「はい?」

「信じるかどうかは聞いてから判断しますので」

「ずるい! というか私の真意なんかあなたにけるわけがないわ!」

「俺はできると思っていますよ」

 こんな展開は初めてだった。てっきりエリスが押しだまるまで小言を並べてくると思っていた。エリスは視線を泳がせる。

「何よ、今さら。私の言うことを無視してきたのはあなたたちのほうじゃない」

「俺は無視した覚えはありませんが」

「え……そう、なの?」

 思えばそうだったかもしれない。幼い頃から多くの人がエリスの言葉を聞こうとしてくれなかった。だからこそクラウィスのことも一方的にそうだと決めつけていたのか。

(私、いつからこんなふうになってしまったの?)

 ああだ。考えがまとまらなくなってきた。呼吸を整えるためにテーブルに右手をつこうとすると、思った以上に体重をかけていたのか、支柱がミシッと音を立ててけた。

(えっ)

 エリスの体がどんどんかたむいていく。しかもテーブルの上にあったびんが宙に浮いたため、無意識のうちに手をばす。

(あれ、届かない)

 何もできないまま体がゆかに吸い込まれたとき。

 エリスのおなか周りにクラウィスの腕が回った。そのままぐっと引き寄せられる。

「おはありませんか!?」

 返事をするために身じろぎすると、ちょうどエリスのほおが彼のむなもとに当たっていることに気づいて身をこうちよくさせる。

(ダ、ダンスのときより密着しているわ)

 エリスの体中にどうはやがねのように鳴りひびき、それがクラウィスに伝わっていないか心配になる。黙ったままでいると、彼は「右手を見せてください」と言う。

 素直に差し出すと、彼はけんに深々としわを寄せて怪我がないかかくにんしてくれた。

(待って、花瓶は!?)

 ハッとして床を見回すと、花瓶の欠片かけらすらなかった。しんに思ってクラウィスの胸元からひょっこり首を伸ばして様子をうかがうと、空の花瓶がエリスの目線の高さで宙に浮いていた。

 よく見ると水のまくに包まれていて、花瓶の中にあった花もぷかぷかと浮いている。

 この場で水をあやつれるのは水属性のクラウィスしかいない。

「すごいわ。いつじゆもんを唱えたの?」

 思わずかんたんらすと、彼は一息ついてから指先を動かして水の形を自在に変えていき、ピチャンと心地ここちよい音をたてながら花を一本ずつ花瓶にもどしていく。

「これくらい呪文を唱えなくてもできますよ」

 魔力が豊富な者は自分の感情によって魔力をにじませ、時として自分の魔法属性に近い物質を呪文なしで操れる。クラウィスもまた相当な魔力の持ち主だ。

れい。私だったらこんなふうにできないわ)

 エリスも呪文なしでにじみ出た魔力を黒いもやのように可視化させて立体的な星形だってつくることができるが、そんなことをしたら大人にまで泣かれてしまう。

 少しだけほかの魔法属性がうらやましくなった。

 エリスは出来心で人差し指で水をつついてみる。ねんちやく性を帯びているように見えたがしよつかんはただの水だった。

(青色の花に、黄色の花……それに大輪のオレンジ色の花まで。ここにあるのは私の部屋にある組み合わせと同じだわ。あれ?)

 クラウィスは最後にコロンとした丸いつぼみがとくちようの白い花を花瓶に戻した。一見してすずらんだと思ったが、鈴蘭にしては形が不自然だ。

「この花……どこかで見たような気が」

 のうおくを深くさぐる。セレジアの反応ばかりに気を取られていたが、この白い花もエリスの部屋にあった気がする。

(いえ、それだけではないわ。私はこの花について一度調べたことがある……!)

 息をむと、一連の様子を見ていたクラウィスがいぶかしげな視線でたずねてくる。

「どうかされましたか?」

 エリスはややあって言葉をつむぐ。

「……用事を思い出したの。助けてくれてありがとう。このお礼は必ずするから、もう少し時間をちょうだい」

 そしてこおりついた表情のままクラウィスに背を向けた。



 エリスはセレジアを引き連れて、そのまま王宮の蔵書室に向かう。

 蔵書室は王宮に仕える者であればだれでも利用でき、さまざまな分野の専門書や地域ごとの歴史や記録がへきめんほんだなにびっしりと並べられていた。

 久々にここをおとずれたが、古びた紙の落ち着くかおりは変わっていない。

 右奥の部屋に向かうと中は窓がない小部屋となっていて、年季が入ったテーブルが置かれていた。かべ側のしよくだいろうそくには常に火がともされている。

 エリスは考え込みながら口を開く。

「セレジア、私が以前あなたにたのんで持ってきてもらった本の場所は覚えているかしら?」

「ええ、もちろんです」

「では花のかんや薬草学の本を。レストレア王国だけではなくてりんごくのものもあればお願い。それとりよく関係の本をすべて。場所さえ教えてくれれば私も手伝うわ」

 彼女はあわてたように告げる。

「いえ、そんな。エリスさまはどうかお待ちください」

さつきゆうに調べなければいけないの。手伝わせて」

「! ……わかりました。ではこちらへ」

 エリスはセレジアの案内に従いながら目当ての本を探す。実は自室に引きこもっていたときにやみ属性のことを知るためにたくさんの本を読んでいた。闇属性の情報はとにかく少なく、王国中の歴史書だけではなく他国について書かれたものまで目を通していた。

 手分けして本を集め終えると小部屋のテーブルに積み上げる。片っぱしから本をめくっていき、気になるページがあるとそれを開いたままテーブルに置き、次の本を手に取った。

 それを何度かり返してから、エリスはつぶやく。

「やっぱり。さっきの白い花は『月夜のしんじゆ』ね」

『月夜の真珠』はあまり市場に出回らない花で、鈴蘭にちがわれることが多い。だが白い花びらのような部分は葉であり、それを取ると真珠のように肉厚な花が現れる。

 薬草学の本によれば、その肉厚な花弁をつぶして熱を通すと、魔力をよくせいする効果を発揮し、なんと魔力が豊富な者ほどそのえいきようを受けるという。

 エリスは自分の魔力に思うところがあり、実際におさえることができるのか知りたくて取り寄せようとしたが、生産地はよくな密林に接した隣国だけであり、高価であることから国王にねだることはできず断念していた。

(なぜこんなものがかざられていたの……?)

 エリスはほかの花にもよからぬ効果があると疑い、自分の部屋とイルミナの住まいのベランダの花瓶に生けられていた花の特徴が書かれた頁を指でなぞる。薬草学の本と照らし合わせながら調べていくと、どれもかげしして水分をいてから粉末にすると、頭痛や眩暈めまいといったしようじようを引き起こす可能性があることが書かれていた。

 もしもあの四種類の花を混ぜ合わせたら、どんな効果になるだろうか。

 エリスの顔が青ざめる。

(イルミナに使用された毒は調合されたもの?)

 思えば前回の人生でエリスの部屋から毒の粉が入ったびんおうしゆうされたとき、一緒ににゆうばちなども出てきていた。

 現在、王宮内に飾られた花のほとんどがエリスとイルミナの誕生日のお祝いとして運び込まれたものだ。花はしおれないよう水魔法の加護がかかっている。

「セレジア、確かこの花のせんが保たれる期間は一か月と言っていたわよね」

「はい、なのであと三週間ほどでしょうか?」

 加護の効果は魔法を使った人がどれだけ魔力を込めたかによって変わり、術者以外の者がその効果をさまたげることはできない。

(まあ『かい』の魔法にかかればなんてことないけど)

 闇魔法を使えば加護の効果どころか花まで消してしまうため、やはり加護が切れるのを待つのが現実的だ。

(あと数週間は生花のまま……それから熱を通したり花の水分を抜いたりするのにかなり手間と時間がかかるはず。そうなると粉末状の毒の完成までは三か月と少し?)

 イルミナが毒を盛られた時期といつする。

「誰よ! こんな悪夢のような花束を用意した人は!」

 そうさけばずにはいられない。無害だと思っていた花のおくり物がイルミナの命をねらった毒だったとは。エリスはそのまま片手で額を押さえてうなだれる。

「エリスさま、もしかしてこれは」

 口を開いたのはセレジアだった。オレンジがかった茶色のまえがみからのぞく緑色のひとみは心配そうにエリスの様子をうかがっていた。

「そうよ、イルミナに危害を加えようとしている人がいるの。セレジアは私の部屋にこの花束を持ってきた人に心当たりはあるかしら?」

「ええ、いつもあいさつわす使用人の一人ですから。でもそんな危険なものだとわかっている上で私にわたすとは思えません」

「探りは入れられそう?」

「はい。やってみます」

「お願い」

 エリスはぎゅっと目を閉じる。

(私一人の力ではこの危機は乗りえられない)

 そう思うだけで両手がふるえるが、エリスは勇気を出して一歩み出すことにする。

 むらさきいろの目をえて、セレジアに向き合う。

「私はイルミナを助けたいと思っているの。どうか力を貸してもらえないかしら」

 すると彼女はその場にひざまずいた。

「アリーン家の名にかけてじんりよくいたします」

 エリスはその言葉にこたえるように力強くうなずいた。

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