第二章 暗闇を塗り替える②

(うう……自分のことが自分でもわからない)

 エリスはここ数日間なやみに悩んで、気づいたらイルミナの住まいがある二階の一区画に立っていた。背後には心配した表情をかべるセレジアがいる。

 一人で行動すれば真犯人に足をすくわれる可能性があるため、前回の二のまいにならないよう彼女を連れて行動することが多くなった。

(イルミナが体調不良になっていないかをかくにんしたらすぐ戻りましょう。クラウィスさまがしっかり対応をしているか心配なだけだもの)

 ごうしやとびらの前に二人の王宮が立っていた。エリスは迷いに迷って声をかける。

「ご、ごきげんよう」

 ぎこちない笑みであいさつすると、王宮騎士の一人が重々しい声で「ようでしょうか」とたずねてきた。

「ええっと、イルミナに会いにきたの。開けてくださる?」

 彼らは顔を見合わせると、やがて扉を開けてくれる。

 エリスははくかべに上品な青のじゆうたんかれたろうを歩く。ところどころに置かれた花瓶の花は、エリスのもとに届いたものよりも種類が多い。

 それを横目で眺めながらイルミナの自室に向かう。そのちゆうで十字にぶんしている廊下に差しかかる。エリスが真っすぐにっ切ろうとしていると、横からがっしりしたたいの男が現れる。その片手には分厚い本を抱えていて、腰元にはたいけんたずさえていた。

「おっと。めずらしいお客さまだ」

 エリスは思わず目を見開く。そこに立っていたのは、イルミナの専属騎士であるアルフリートだった。

 彼はザクロのようないろの瞳をにこやかに細めてエリスを見つめる。

「イルミナさまに用? それともクラウィス?」

「え、ええ?」

 いきなり気さくに話しかけられてエリスはまどいつつも「……ど、どちらかといえばイルミナかしら」と伝える。

「じゃあイルミナさまはこっちのしつ室にいるから案内するよ」

 彼はエリスたちを先導するように足を進める。その後ろ姿を見てエリスはこんわくしながらもある疑問を抱く。

(専属騎士がどうして雑用みたいなことをしているの?)

「いま護衛のおれがイルミナさまのそばを離れて使い走りをしている理由を考えているでしょう?」

 ドキリ、と心臓がねた。エリスがきゅっとくちびるを引き結ぶと、アルフリートはまゆを八の字に寄せながら足を止めた。

「ここは王宮のどこよりも警備がしっかりしているからね。イルミナさまにとってここほど安全な場所はないんだ。それにいまはクラウィスもいつしよにいる」

「……そうなの」

 クライシエはくしやく家のなんであるアルフリートはエリスにおびえをいつさい見せない。しかもバラシオンこうしやく家のクラウィスより年下にもかかわらずこの気さくな態度をつらぬけるとは。ただものではない。

(やっぱり彼と仲がいいのかしら?)

 今ならクラウィスのことを聞けるかもしれない。執務室の扉はもう見えているが、エリスはそのまま立ち話を続ける。

「クラウィスさまを信用しているのね」

 するとアルフリートは片手をあごえてうなりだした。

「信用かあ……まあ仕事上はね」

「というと?」

「あいついろんなことにようしやないんだよ。この雑用だっておれが用意しておくはずだった報告書を忘れていたばつだから」

 彼は、うげーといやそうに顔をしかめた。それはあなたが悪いのではという言葉を飲み込み、エリスはここぞとばかりに問いかける。

「仲が悪いってことなの?」

「わるくはないよ。よくもないけど。でもおれ、あんな腹黒いやつと友達はごめんだね。あいつと肩を組んで朝まで飲み明かしたり、楽しく鼻歌をうたっている姿とか想像できないから」

 それはエリスにも想像できなかった。クラウィスがくつたくのない笑顔で鼻歌を歌っていたとしたらきようのレクイエムに聞こえる。

 思わずぶるいをすると、アルフリートがじっとこちらを見つめていた。

「ごめんね、かたくるしい言葉づかいが苦手で。気にさわった?」

「え、ええ?」

「クビでもはねる?」

 ぶつそうな発言が飛び出し、エリスはおののきつつも口を開く。

「……あなたが気をつかってくれていることはなんとなくわかるわ。だから私からとがめることは何もない。それにあなたのしよぐうを決めるのは私ではなくってイルミナよ」

 そっか、とアルフリートはこうたんをつり上げて笑った。

 前から彼のことはひようひようとしてつかみどころがない人だとは思っていたが、イルミナが手を焼いていないか心配になる。

「ねえ、どういったけいでイルミナの専属騎士となったの?」

 専属騎士とは王族一人につき一人しか選ばれず、ゆえに主君のもうひとつの命と呼ばれ、絶対的な忠誠だけではなく、時に主君を導く役割を持った人だ。

 だいたい十歳くらいになるとたがいのあいしようまえて選出されるが、エリスの場合は極力人付き合いをけたくて断っていた。

(イルミナがアルフリートさまのような方を選ぶなんて意外だけど、彼はよほどうでの立つ人なのね……それにしても返事がないわね)

 なんとなく場の空気が張りつめた気がしてエリスが顔を見上げると、アルフリートの唇はいまだにれいえがいているが、緋色のひとみの奥が冷え冷えとしていた。

「──知りたい?」

 ぞっとするような低い声に、エリスがとつに身構えたとき、

「彼女にからむな」

 すがすがしく品格のある声と共にアルフリートの頭上に紙の束がり下ろされた。

 ぽこっ、という軽快な音が鳴る。

 エリスはアルフリートの背後にいる人物を見て悲鳴を上げそうになる。そこにいたのはあきれ顔のクラウィスだった。

「いつまで経ってももどって来ないと思ったら。執務室の中まで話し声が聞こえてきたぞ」

「あらー。イルミナさまおこっていた?」

「少なくとも俺は呆れていた」

「それ答えになってないじゃん」

「……きようせいするまでたたかれたいのか」

「いやだね」

 アルフリートは片手で頭上を守りながら、クラウィスときよを取るように横歩きでエリスに近寄ってくる。

「ほら、エリスさまも見たでしょう? ひどいよね、王国一の騎士に向かって。ああ、こう見えてもおれ、騎士団長より強いから。強さについては安心してね」

「…………」

 エリスがいぶかしげな視線を向けると、アルフリートは「本当だから」と弁明しようとしてくるが、クラウィスに首根っこをつかまれた。

「お前はけいかい態勢中とそれ以外の差がひどいんだよ。これもたのんでいた資料とちがう」

「あれ? あ、本当だ。ごめんごめん」

 そういってアルフリートはしようした。クラウィスは深々とため息をつく。

「騎士の手も借りたいほどいそがしいというのに。お前はもうイルミナさまの警護に戻れ」

「そうこなくっちゃ。それでは失礼します、エリスさま」

 アルフリートは足早にろうを進み、執務室のとびらを開けてすべるように中に入った。

(あ、イルミナ)

 いつしゆんだけ彼女の横顔が見えたが、扉がすぐに閉まってしまったせいで目が合うことはなかった。そのことを残念に思っていると、クラウィスがせきばらいをする。

「それで、エリスさまはイルミナさまにどのようなご用件でしょうか」

 数日ぶりに彼の表情を見て困惑する。なぜだろう、前よりもかべを感じた。

「……あ、あなたがちゃんとイルミナに気を遣っているかかくにんしにきたの」

 しどろもどろになりながら告げると、クラウィスは熟考するように押しだまる。その間が気まずくていたたまれない。

「エリスさま、少し歩きませんか。二人きりで」

「え?」



 エリスはクラウィスのあとに続いていくと、ベランダに案内された。ここはイルミナの住まいの区域にふくまれていて、わきには一階から三階をつなせん階段もあった。

(王宮にこんなところがあったなんて。イルミナが休息に使っているのかしら?)

 やテーブルが置かれ、テーブルの上には水ほうの加護がかかっている花が生けられたびんが置かれている。

 エリスが手すりに寄りかかりながら外を見回すと、しげるような森とその奥に城下町が見えた。ふわりと風がいて黒いかみが宙をう。視界をさまたげないために横髪を耳にかけると、クラウィスと目が合った。

「身だしなみはしっかりされているのですね」

「あったり前でしょう!?」

 エリスはぷいっと横を向く。

 今日のドレスは五月トウーリに近いということで、水色の生地にかたのフリルがとくちようのものをしよう部屋から引っ張り出してきた。決して『クラウィスかんしゆう』のドレスであわい色を気に入ったからではない。

 クラウィスは青い瞳を細めて真顔で告げる。

「よくお似合いですよ」

「……あ、ありがとう」

 まさかお世辞をいわれるとは思っていなかったため、エリスは何度もまばたきをした。

(こんなところに呼び出して、何を考えているの? まだ悪いことをした覚えはないもの。そもそも前回の人生だってイルミナに嫌がらせはしていないわ)

 心当たりがなくて必死に答えを探そうと頭をひねっていると、クラウィスはためらうように口を開く。

「エリスさま、先ほどのアルフリートの言葉を真に受けないでください」

「?」

だんのあいつはもっと真面目まじめに取り組んでいますから。イルミナさまの守りはばんぜんです。そこはご安心ください」

 歯切れの悪い言い方だった。よく見ると、クラウィスの耳がじやつかん赤く染まっている。先ほどのアルフリートとの軽快なやり取りを人に見られたのが気まずかったようだ。

(それを伝えるためにきんちようしていたの?)

 彼にも年相応の青年らしいところがあると知って、エリスは思わず口角を上げてしまう。同時にからかいたいしようどうおそわれたが、あとで返りちにあうことが容易に想像できたためこらえる。だが聞くべきところはしっかり問いただしておきたい。

「具体的にはどういった対策を?」

 するとクラウィスは気持ちを切りえるように表情を引きめる。

「日々の食事のメニューや素材、イルミナさまの体調を整えるためのけんしんの回数、や衛兵の配置などを見直しました」

「…………なるほど」

 うなずいたものの、エリスの心に一てきの疑念がもんをつくる。日常のことを見直したところでイルミナを守りきることができるのだろうか。

 彼女に使用された毒は『』の魔法を使ってもどくできないものだった。そんな毒が存在すれば王国だけではなく大陸中をるがす劇薬となる。

(イルミナが毒入り紅茶を飲んだと想定されるのは八月キルトから九月ライセンに差しかかるころ。一体、だれがそんなきようあくな劇薬を持ちこんだのかしら?)

 前回の人生では知らされていないだけで、イルミナの食事の毒見をしていたじよも苦しい思いをしていたのかもしれない。それを見過ごすわけにはいかない。

(クラウィスさまの仕事ぶりは評価にあたいするわ。でも私の言葉ひとつでここまでていねいに動いてくれるなんて、やっぱり変よ)

 もしかしたらアレン派があやしい動きを見せているのか。イルミナをおびやかす存在に気づいているからこそ、エリスの言葉もあってさらに強化してくれたように思える。

「私はイルミナが仕事をしやすいかんきようや食事に気をつかってあげてと言ったの。警備の配置まで口を出した覚えはないわ。イルミナの周りで何が起きているの?」

 しばらくちんもくが続いた。こんなに彼の口数が少なくなるのは初めてだった。それでも根気強く待っていると、彼はゆっくりと口を開く。

「イルミナさまにとって今はとても大切な時期です。各地の貴族たちを交えた春の定例会議、城下町への視察に、地方へのえん金の準備。たくさんの人と接する機会が増えるため、先立ってエリスさまの不安を取り除こうと警備の話をお伝えしました」

「それでなつとくできるわけがないでしょう? 悪いけどイルミナから直接聞くわ」

 エリスが方向てんかんしようとすると、クラウィスの片手にはばまれた。

「……どういうおつもりかしら?」

 むらさきいろひとみするどくすると、彼もまた青色の瞳を力ませた。

「失礼を承知で申し上げますが、イルミナさまにはあなたのとつぴようもない行動に付き合っておられる時間はないのです」

 あからさまなきよぜつにエリスはわざとらしく小首をかしげる。

「あなたに私を止める権限などないはずよ」

「ではイルミナさまのお言葉といえば納得していただけますか?」

 エリスはまゆを寄せて胸の痛みにえる。

(どうしてイルミナは私をけるの? やっぱりきらいだから? でも)

 イルミナは感情に任せて行動する人ではないと思う。幼いころから口を開けば厳しい小言ばかりだったが、今になって考えるとクラウィスの指導によく似ていた。彼女もまたエリスに足りないものを補おうとしてくれていたのではないか。

 イルミナはいつも胸のうちにしんぼうえんりよめているのだろう。エリスはそれが知りたくてたまらなかった。

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