第二章 暗闇を塗り替える①

 うすぐらい視界の中で、一人の少女が立ちすくんでいる。

 背景にけてしまいそうなくろかみには、彼女の血色のいいくちびると同じくらい真っ赤なリボンがつけられていた。着ているドレスはフリルがたっぷりとあしらわれていて、細いたいおおっている。

 れんな容姿が台無しになるほどぶくれしているが、彼女だけはそれに気づかない。少しでも大人に近づくことに必死になっていたからだ。

 しかし周りの大人たちは少女に対して何も言わない。遠巻きにして困った表情をかべているだけだ。一方で同じ世代のれいじようからはなおな感想が出た。かざったところでイルミナさまに近づけない、逆に悪目立ちしている、と。

 それを聞いて少女は唇を動かすと、無数の黒いちりい上がる。それはやみ属性のみが使える『かい』のじゆもん。黒い塵に覆われたものを破壊する強力な魔法だ。

 すると少女は周囲から責め立てられる。どうして人に向けて魔法を使ったのだと。

 少女が答えることはなかった。



「!」

 エリスは飛び起きると両手でむなもとを押さえた。うなされていたのか、のどが張りつくほどかわいていた。うでをサイドテーブルまでばし、水差しの取っ手をつかむとコップに注ぐ。

 喉をうるおしてから一息つくと、空が白みカーテンの隙間から光がれる。

(……久々にこの夢を見たわ)

 とう会で相当気を張っていたのだろう。エリスは力をいて背中からベッドに倒れる。こんな夢をひんぱんに見ていたら心労で死んでしまう。そうならないためにも対策を練らなければならない。

(そうよ、せっかくの二度目の人生なんだもの。もっと楽しいことも考えないと)

 美味おいしいおのことだったり、ぼうけん小説の登場人物の視点になって見たこともない景色を想像するのも楽しいかもしれない。

(風を感じながらおおうなばらを船で進んだり……きっと空も海も青くてれいなのでしょうね)

 まるで誰かのひとみみたいに、と連想したところでエリスはカッと目を見開く。

「待って、私ったら誰を思い浮かべたの?」

 するとクラウィスの容姿がはっきりと浮かんできて、エリスは声にならない悲鳴を上げてブランケットを頭までかぶる。

(え、昨日は本当におめでとうございますって言われたのよね……?)

 形式的なあいさつ以外で祝いの言葉をもらったのはあれが初めてであり、まさか長年がれていた言葉をくれるのがクラウィスとは思ってもいなかった。

(やだ! やだやだ! こんなの認めたくない!)

 たった一言でこんなにも心がかき乱されるなんて、彼はとんでもない男だ。エリスは熱に浮かされたようにぼうっとしたが、すぐにはらう。

「もう! あなたのことを考えているひまはないのに!」

 今後の自分の展開に思いをせて、ころんだまま頭をかかえる。

 前回の人生と展開が同じなら、舞踏会から約三か月後に何者かが王宮に集められたたみの税金を横領したことが明らかになる。

 もくげき者の証言から、むらさきいろの瞳と黒髪の女性が政務室の資料庫に出入りをしていたという情報が上がった。王宮でそのとくちようを持つ者はエリスしかいない。

 そこでレナルド・アルムスという三白眼と口調のあらさが特徴的な三十代前半の内政調査官が、衛兵と神官を引き連れて毎日のように事情ちようしゆいてきた。

 エリスは絶賛引きこもり中だったため身に覚えはなく『うそくさい目撃証言ね! 瞳の色まで知られるなんて、犯人はずいぶんとのろまな動きをしていたのね』とっぱねた。

 だが今度は城下町の闇市で大金をルビーにえた人がいるという情報が上がった。エリスは幼いころ、両親の気を引くために宝石をねだったことがあった。だからこそ調査官はエリスが衛兵の目をかいくぐり城下町へ出たと疑い、部屋の中を見せるよう告げたが、エリスは自分の領域をらされたくなくて断り続けた。

 クラウィスからの追撃も相まって、じよじよにエリスの逃げ道がなくなってきたとき、イルミナが毒入り紅茶を飲んで意識不明の重体となったと言われた。

 自分をさらに追い込むための演技だと思っていたら、ついに国王から強制的な命令が下り、エリスの自室に取り調べが入った。

 するとタンスの中からおおつぶのルビーがひとつ見つかり、テーブルの引き出しからも白い粉が入ったびんとメノウ製のにゆうばちや乳棒が出てきた。

 エリスはきようがくのあまり『何よこれ!! だれが仕込んだの!?』とさけんだが、調査官は『ここまでしようそろってまだ白を切るとはなァ』とちようしようした。

 調査官が出した結論はこうだ。エリスはイルミナにいやがらせをするだけではき足らず、横領した税金を持ち運びしやすいルビーに換え、その悪行に気づいてしまったイルミナをくちふうじのために毒殺しようとしたのだと。

 エリスは否定するが、証拠が揃っているため誰も信じてはくれなかった。

 そのあとはろうこうそくされ、寒さにこごえる日々を一週間ほど送ってからしよけいされた。

(てっきり舞踏会でアルムス調査官にも会えると思っていたのに)

 しやくを持っていなくても王宮で働いている役人であれば参加資格はある。貴族とこんにできるということで野心家たちはこぞって参加するが、彼はちがうようだ。

(アルムス調査官は誰の指示で動いていたのかしら? それに私の部屋に横領と毒殺の証拠を仕込んだ人物のことも気になるわ)

 この部屋に入れる人はかぎられている。三人いるエリスのじよのうちの誰かが部屋に証拠物を仕込んだ可能性もある。

(私は彼女たちにとっていい主人じゃなかったから、裏切りたい気持ちもわかるわ)

 しずんだ表情をしたとき、自室のとびらが開かれた。

 現れたのは侍女のまとめ役となっているセレジアだった。エリスが起きているとは思ってもいなかったのだろう。彼女の緑色の瞳がどうようのせいからいだ。

「おはようございます、エリスさま」

「……おはようセレジア」

 エリスがそう声を返すと、彼女はていねいなおをしてからこちらに近づいてきた。

「朝食を用意いたしましょうか?」

「ええ、お願い」

 彼女はエリスに対して落ち着き払っている。今までの侍女の中でもっとも任期が長いからかもしれない。

(確か、お母さまがりようようされたときから?)

 二十代半ばとなった彼女がエリスの侍女を務めているのは、闇属性の王女に仕えれば破格の給金がもらえるからだ。彼女の実家であるアリーン男爵家がお金に困っていると残りの二人の侍女たちがうわさしているのを聞いたことがあった。

 セレジアがテーブルに朝食を並べていく。丸いパンがひとつにクルミが練りこまれた輪切りのパンが数切れ。果物のジャムはかんきつ系といちごの二種類だった。そして紅茶は黄金色にき通っている。

 エリスはソファに座って、丸いパンを半分に割る。柑橘系のジャムをつけて口にふくむと小麦のやさしい甘みが広がった。

(このジャムはカルモだわ!)

 本来ならカルモのしゆんは真夏だ。四月ノアでも食べることができるのは水ほうや火魔法でさいばいの時期をずらしているおかげだ。

 エリスはさりげなくかべぎわひかえるセレジアを見つめる。いつも食事や間食を用意してくれるのは彼女だった。

 エリスの生命線をにぎっているのは間違いなくセレジアである。彼女がいなければ生活することはままならない。地下牢に閉じ込められたことで、ありがたさがより身にみた。

(それなのに私は彼女をクビにしてしまって……)

 実は前回の人生で、エリスはアルムス調査官から横領の件でじんもんを受けている際にセレジアをかいしていた。

 彼女のせつぱくした様子を思い出して苦々しくまゆをひそめる。

『エリスさま、失礼を承知の上で申し上げます。潔白を証明するためにも身の回りのすべてを明かすべきです』

『……あいつらをこの部屋に入れるってこと? 嫌よ。ここは私の領域なの。私を疑い、声を聞こうとしてくれない人をここに入れたくはない!』

『だからこそさつきゆうに疑いを晴らしましょう』

 あのときのエリスには彼女が本気で身を案じてくれていたのか、そうでなかったのかの判断がつかなかった。だからセレジアをクビにした。

 二人の侍女もおとなしくなり、エリスに口出しする者はいなくなった。そういった面からきようかつと判断されたのだろう。

 もしセレジアが最後までエリスのそばにいてくれたら、部屋から数々の証拠が見つかったときにも『そんな話があってたまるものですか!』と反論してくれたのか。

(わからない。でもあれが親切心だとしたら私は……セレジアのじゆうの決断を無下にしてしまったことになるわ)

 静かに落ち込んでいると、追い打ちをかけるように、以前クラウィスから『どうしてそこまで人を遠ざけるのか』と言われたことを思い出す。

(あなたに言われなくてもわかっているわよ)

 一か月もいつしよにいた支障に、エリスは思い切り顔をしかめた。

 クラウィスがはなれた今、真犯人の魔の手に立ち向かうためにも味方は多いほうがいい。今度こそセレジアと向き合ってみたいと思うが、会話のきっかけがつかめない。

「えっと、今日はいい天気なのかしら」

 棒読みの独り言をつぶやいてみると、セレジアは窓を見てうなずいた。

「そうですね。少し雲が多いですが、おおむね晴れでしょうね」

(! 返事をしてくれた!)

 エリスは不器用ながらも言葉を続ける。

「じゃあ、今日は王宮の庭園でも歩いてみようかしら……なんて」

 するとセレジアはほんの少しだけ目をなごませる。

「それはいいことですね。いききは大切だと思いますよ」

 彼女はエリスに対してここまで気さくに返事をしてくれる人だったのか。

「私が、こわくないの?」

 思わず声に出すと、セレジアは困ったように微笑ほほえんだ。

「……怖くないですよ」

「なぜ」

 エリスが食い気味に問いかけると、セレジアは新緑の葉の色に染まったひとみを細める。

「ここ最近のクラウィスさまとのやり取りを見て、私はあなたの努力する姿に胸を打たれました。それにとう会でのごかつやくも風の噂でお聞きしましたから」

「! そう思っていてくれたのね」

 真っ先にクラウィスの名前が出てきたことに反論したかったが、最後まで話を聞いていたらどこかにっ飛んでしまった。

 こんな自分を彼女はめてくれた。それがうれしくて、エリスは自然と言葉をつむぎ出す。

「今日の午後、庭園を歩いてみようと思うの。えっと、セレジアも一緒に来てくれる?」

「ええもちろんです」

 嬉しい返答に、頭の中に花がふわっとった。

「今はどんな季節の花がいているのかしら?」

「そうですね……早咲きの薔薇ばらが見頃をむかえています。ピンクや赤の小さな花がかわいらしくて。そうだ、ちょうどいいものがありますよ」

 彼女は一度部屋から出ていくと、花束をかかえてもどってきた。

「誕生日のお祝いの品です。水魔法の加護がかかっているため一か月ほどいろあざやかなまま楽しめるそうです」

 そういってエリスに向けて花束を見せてくれる。青色の丸々としている花、白色と黄色の小ぶりな花、そしてオレンジ色の大輪の花があった。かおりもそれぞれが引き立て合っていて、セレジアがびんに生けると部屋全体が明るくなった気がした。

 エリスはおそる恐る彼女のとなりに立って横顔をうかがう。

(ああどうしよう。だれかと話しているとこんなにも心が楽しくなるなんて)

 時が巻き戻っていなかったら、この感動はいだけなかった。

 セレジア以外の侍女にもごろからお世話になっている。何かしらの形で礼をくし、少なくとも三か月後にエリスの味方でありたいと思われるような行動をこころけたい。

 エリスはセレジアに向き合うと、きんちようしたおもちで告げる。

「ねえ、セレジア」

「はい? なんでしょうか?」

「いつもありがとう」

 エリスはセレジアの反応を見るのが怖くなって、一度視線を彼女の足元に向けた。

(私なんかにそんなことを言われても困るのはわかっているけど……)

 勇気をもって顔を上げると、セレジアは微笑んでくれていた。まるで幼子の成長を見るように優しいだった。

 母親に対する安心感とはこういうものなのか。

(ふふ、くすぐったい)

 エリスは少しだけほおを赤くしながら、再びソファにこしけて紅茶を口に含む。ほっと一息つくと、自室の扉をながめた。

 この一か月、日がのぼり切る頃にクラウィスは課題の紙の束を持って現れた。だが今日はいつまでってもやってこない。

 それもそのはず。クラウィスのかんけん教育は舞踏会が終わるまで。

 かたの荷がひとつ下りた気分になるが、エリスはみようにそわそわする。

(クラウィスさまの顔を見なくて済むのに。どうして?)

 胸の内にぽっかりと穴が開いたようなこのそうしつかんはなんだろうか。

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