第一章 命運をかけた舞踏会⑥

(……いた。ちょうど取り巻きも少ない)

 きつえん室やきゆうけい室に向かう人が増えてくる時間帯であり、大広間の音楽も落ち着いた曲調となっていた。エリスはなるべく笑顔をこころけて足を進める。

 その先にいるのは、しよけいの場にはいなかったが、要注意人物たちだ。

 クラウィスもエリスが彼らに近づいていくことに気づき、すっと目を細めて表情を引きめた。

 エリスはその反応を横目で流してから、自分よりもたけの低い少年に声をかける。

「ごきげんよう、アレン」

「これはこれは……お久しぶりですね、エリスさま」

 皮肉たっぷりに笑ったのはアインハウアーこうしやく家のちやくなんであり、エリスの三歳年下の従弟いとこだった。

 そして彼の隣には体のりんかくに沿ったしんのドレスを着て、かざり羽根がついたせんあおみようれいの女性がいる。

「あら、エリス。てっきり今日も不参加だと思っていましたのに。今のところそうをしていないようで安心しましたわ」

 そういって赤い口紅をったくちびるゆがませる彼女はアレンの母親であり、国王であるウィルトスの妹のマリアンヌだった。

 彼女はエリスたちの母親に代わり、貴婦人たちのまとめ役になっている。エリスにとっては母親に意地悪をしてその地位をうばい取ったようにしか見えなかった。

(相変わらず派手ね。さすがイルミナと張り合おうとしているだけあるわ)

 現在、このレストレア王国には三人の王位けいしよう者がいる。

 王位継承権一位のイルミナ・ルーシェン・レストレア。

 王位継承権二位のエリス・アウリア・レストレア。

 そして王位継承権三位のアレン・アインハウアーだ。

 マリアンヌは気位が高く野心家であるため、公爵家へこうすると決まったときはかなりもめたらしい。だからこそアレンを国王にすることにじんりよくし、貴族たちはイルミナ派とアレン派というばつに分かれていた。

 イルミナは幼いころから自分なりに国民のことを考え、さまざまな分野へえんを打ち出し、災害があったときはだれよりも早くかけつけて自分の光ほうを存分に振るった。その功績は大きく、三年おくれて生まれたアレンにとって越えられないかべとなっていた。

(そう考えると私とイルミナをおとしいれることでもっとも得をするのはアレン派だわ)

 エリスをおそれずに見下したような態度を取る親子に、少し前までのエリスだったら彼らに対して敵意をにじませていたが、今日はちがう。

叔母おばさまにめられるなんて。てきな誕生日になりそうだわ。どうもありがとう」

 マリアンヌは口端をピクリと動かし「そう、ならよかった」と言った。彼女としてはエリスを煽り、少しでも逆上しボロが出たところをたたきたいと思っているようだが、その手に乗るつもりはなかった。

 アレンはつまらないといわんばかりにあごを上げる。

「ずいぶんと取りつくろっているようですが。それも彼のえいきようですか?」

「彼?」

 エリスが聞き返すと、アレンは視線でクラウィスをうながした。

「しらばくれなくてもいいのに。そこのさいしよう官とコソコソとしていたのでしょう?」

 コソコソという表現がお年頃の子どもっぽいが、要はこんやく者でも何でもないのにいろこいがあったと疑っているのだろう。

 エリスはそんなことはいつさいありませんという意を込めて微笑ほほえむ。

「クラウィスさまにはダンスの練習のお相手をしてもらっていただけよ。こうしてとう会を楽しめるのも彼のおかげだわ」

 当たりさわりのない返事をすると、クラウィスはむなもとに右手をえた。

「こちらこそ教え甲斐がいのある生徒を持つことができて光栄でした」

 なんだかふくみのある言い方だが今は聞き流すことにする。だがアレンはなつとくできないのかまゆを寄せる。

「婚約者でもないのに部屋に入りびたっておいて、まだ生徒だって言い張るのですね」

 その反応にエリスは疑念をつのらせる。アレンはここ数週間のエリスの様子を知っているようだ。彼の住まいは王都の一等地にあるため王宮にはあまりいない。みつていかアレン派の取り巻きを使って情報収集をしていたに違いない。

(もしかして……クラウィスさまが警備を増やそうと言ったのはこのため?)

 エリスが約六年分の知識の遅れを取りもどすために、立ち居いや王国の歴史まで最初から学びなおしていたことまでは知らないようだ。そんなことがこの親子に知られていたらもっとやつかいからまれ方をしていただろう。

 つまり自室から不用意に出ないことで自分の身を守れていたことになる。

 クラウィスはアレンに向けてやさしくみをかべる。

「アレンさま。失礼を承知で申し上げますが、そばにいるからといって密接な関係になるとはかぎりませんよ」

「なんだと──」

「そうよ、アレン。男女の関係は複雑なの」

 マリアンヌは声をあらげた息子むすこをたしなめた。

 アレンは表情を引きつらせて押しだまる。彼女はしばらく息子を見つめていたが、やがてあさつゆれた薔薇ばらとげのような深い緑色のひとみをすっと細める。

「なんだかくやしいわ。あなたがエリスといつしよにいる姿をわたくしに見せるなんて」

 マリアンヌはクラウィスのうでに片手を添えた。エリスは思わずぎょっとする。

「そうだ、クラウィス。今度わたくししゆさいのパーティーにいらっしゃって。また昔みたいにお話ししましょう?」

 エリスは見てはいけないものに直面した気持ちになりつつも、クラウィスの反応をうかがう。だが彼は「もちろんです」とうなずいた。

(どうしてイルミナと対立するマリアンヌのさそいに乗ったの?)

 ふとマリアンヌと目が合った。彼女は厚い唇にえがく。お子さまは黙っていなさいといわれているような気がした。

「わたくしたちはそろそろ行きますわ。またね、クラウィス」

 マリアンヌは彼に向けて手を振ると、エリスとすれ違いざまにささやく。

やみ属性のあなたにこのはなやかな世界はふさわしくない。いずれ身にみるときが来るわ」

「!」

 エリスはハッと息をむ。

(もしかして叔母さまが……でも)

 しようがなければ公爵夫人である彼女を検挙することはできない。それに先入観で決めつけてしまえば足をすくわれる。真犯人はイルミナを出しいたのだから。

 だがマリアンヌは最後にぞっとするほど冷たい顔でエリスをあつした。

 そのしゆんかん、エリスののうにある光景が思い起こされる。

 王宮の庭、少女たちの姿、けつける大人たち、黒いちりが舞う空間で立ちくす自分。

 ──あなた、自分がしたことがわかっているの!? 魔法で人を傷つけるなんて。

 誰もがおびえた表情でこちらを見ている。幼いエリスは自分でもじようきようが吞み込めなくて言葉をつむぐことができない。

(……! しっかりしなさい私!)

 今は舞踏会の最中で、あのときの自分とは違う。

 エリスは苦々しい表情でマリアンヌとアレンの後ろ姿を見送った。


    ● ● ●


(これで最後かしら)

 マリアンヌたちと別れたあと、アレン派の貴族や大臣にも声をかけたが、彼らはエリスに話しかけられた不快感を強くあらわにしただけで、イルミナに危害を加えるかどうかの判断は難しかった。

 まだ目当ての人物はほかにもいたが、どこにも姿が見当たらなかった。別の機会を考えるしかない。エリスは力なく口を開く。

「クラウィスさま」

「どうかされましたか?」

「部屋に戻るわ。あなたはどうするの?」

 あえて言わなくてもわかることを口にした。彼はなんてことないように答える。

「部屋まで送りましょう」

 エリスたちはすいしよう宮から出て王宮のほん殿でんに向かう。

 通路には支柱のすきから月明かりが差し込み、ハイヒールの音とかわぐつの音が重なったり、重ならなかったり。まるで音楽をかなでているようにおだやかだ。

 エリスはどうが静かになっていくのを感じる。同時に頭もえてきた。

(もしもアレン派の誰かがイルミナをはいじよしたいと思ったとき、それが世間に明るみに出れば印象は悪くなるわ。そのために私は濡れぎぬを着せられたのかしら)

 なんとなくイルミナはろうすい以外で死ぬことはないと思っていたため、今さらながら自分の視野のせまさにあきれる。

(私が知らなかっただけで、イルミナもクラウィスさまも前回の人生のいやがらせの犯人が私かアレン派だと目星をつけていたはず)

 それに国王の病も気がかりだ。五か月後のしよけいのときまで生きていたが、この舞踏会で大神官と行動を共にしていたということは有事を想定していたのだろう。

 おそらく世代交代が近い。父親に対してあまりいい印象をいだいていなかったが、それでも肉親の死が近いとわかると込みあげてくるものがある。

(真犯人はアレン派のうちの誰か、それともアレン派を利用した第三者で、お父さまの退位が近いと感じ取って行動を起こしたというの?)

 今後はそこを重点的に調べなければならない。それにエリスになすりつけられた横領や毒殺の出所も気になる。

(あとは……)

 エリスは横目でクラウィスをぬすみ見る。

 れいそうな横顔からは何を考えているか読み取れない。

(本当にあなただけだったの。ここまでしんに私と向き合い続けてくれたのは)

 引きこもる前にも教育係はいたが、みな長続きはしなかった。エリスの顔色ばかりうかがい、満足いく出来にならなくても無理に褒めたたえていく。

 クラウィスだけがエリスに足りない部分を本気で補おうとしてくれた。

(あなたは胸の内におもわくめながらも、信念をつらぬける人)

 彼の行動にはいつかんしてイルミナの思惑や願いがかかわっている。忠誠をちかっていなければ前回の人生も今回もここまでてつていできない。

 彼はどんなことが起きようと裏切ることはない。それだけは理解した。

 エリスは足を止めた。

「クラウィスさま、最後にお願いがあるの」

 彼は表情を変えず立ち止まった。二人のあいだにふわりと風がく。

「イルミナの『』のほうを使う機会を減らしてあげて。私たちの魔力はだれよりも豊富だけど、たよりすぎればかんじんなときに魔法が使えなくなるわ」

 彼は時が止まったかのように息を吞む。

「……イルミナさまが魔法を使われていることに気づいていたのですか?」

「失礼ね。それくらいわかるわよ」

 エリスはしんけんまなしでクラウィスをく。

「体調をくずすことが多くなれば、取り返しがつかないほど悪化する危険性もあるわ。特に食事には気をつかって」

 イルミナは紅茶に入れられた毒をせつしゆしたことでたおれたと聞いていた。魔法でどくできなかったということはまんせい的に摂取していたのかもしれない。

「……」

 クラウィスは何度かまばたきをする。おどろいて声が出ないようだ。

「あら、私が気を遣うのがおかしいの? だってしょうがないでしょう。あの子に元気でいてもらわないと私が楽をできないの。あと、このことはイルミナに絶対に言わないで。それくらい約束してくれるわよね」

「承知、いたしました」

 それっきり会話はなくなった。

 たがいにそのまま歩みを進める。やがて自室につながるろうが見え、とびらの前にとうちやくするとむかえてくれた。

 エリスは瞳をせながらクラウィスにしやくをして部屋に入る。

(これでクラウィスさまとの密着生活とはおさらばね)

 同時にあることに気づく。今年も欲しかった言葉をもらえなかった。

(……別に期待していなかったもの)

 いつものことだ。期待するほうがむなしい。

 そんなことを思い始めた矢先のことだった。あともう少しで扉が閉まるというところで「エリスさま」と呼び止められる。振り返ると青い瞳とかち合った。

「お誕生日、おめでとうございます」

 エリスは目を見開いた。耳に残るやわらかい声が頭の中をぐるぐるとめぐって、なつとくする。

 クラウィスはイルミナの側近であるため、彼女のついでとして口にしたのだろう。彼にとっては他意のない、誕生日にがいとうする人がいればつうに出てくる言葉なのだ。

 だけどエリスにとっては特別で──生まれたことを許されるようなささやかなせき

「あ、ありがとう。それじゃあおやすみなさい!」

 エリスはげるように自室に入る。そして扉が閉まったのをかくにんしてから、ずるずるとその場にしゃがみ込んだ。

(……っ、熱い)

 ほおや耳だけではなくかたまで真っ赤に染まった。

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