エリスたちのファーストダンスが終わると、割れんばかりの拍手が沸き起こった。
(よかった。上手くできたわ)
エリスは小さく呼吸を整え、周囲を見回す。みんな面喰らったような複雑な表情を浮かべていたが、今や慄いている者はいなかった。
ちらりとクラウィスを見つめると、彼は青い瞳を和やかにして頷きかけてくれた。
「お見事でした」
「あ、ありがとう」
思わずドキッとしてしまい、エリスは顔を逸らす。
(きっとあなたが相手だったから……死に物ぐるいで頑張れたの)
この一か月の出来事を思い出して心の中で涙する。彼と過ごした時間のおかげで鋼の心臓が出来上がった。今なら何を言われても怖くはない。
ただクラウィスはいつもよりエリスの仕草や動きに沿うようにリードしてくれ、今までで一番踊りやすかったのも事実だ。そこは感謝しなければならない。
このあとはほかの参加者たちが踊りを楽しむため、エリスは彼らの邪魔にならないよう壁際に向かう。その際にちらりと横目でイルミナたちの様子をうかがうと、彼女は同世代の男性からダンスを申し込まれているところだった。
すると抜け駆けを許すなといわんばかりに令息たちが取り囲む。
(まさか全員と踊るつもり……!? 少しは断りなさいよ)
だが近くでアルフリートが目を光らせていたため、頃合いを見計らって彼が切り上げてくれるのだろうと察した。
イルミナはこの世界でも珍しい光属性の王族であることから、他国との軋轢を生まないようにレストレア王国内に婚約者候補が絞られている。そうとわかっていても他国からも縁談を望む声が多く、大臣たちは未だに損得を考えて頭を悩ませているのだ。
一方でエリスに縁談はなく、ましてやこの場でダンスを申し込む猛者はいない。この状況に心の中で拳を突き上げる。
(さて待ちに待った情報収集の時間ね!)
大広間の中央には人の輪ができていて多くの人がダンスの順番を待っているが、壁際では貴族の当主同士や夫人同士で歓談が繰り広げられていた。そのそばで給仕たちが白ワインを配り歩いている。
また端に用意されたテーブルには王国中の料理が並べられ、エリスの好物であるカルモという柑橘系のタルトもあった。あとで絶対にいただきたい。
(誰から挨拶をしようかしら)
エリスは目を据える。真犯人の特徴や動機は依然として不明のままだが、エリスを利用してイルミナを亡き者にしたいと考えていることはわかっている。
(もし私がイルミナとの関係の修復を匂わせたとき、不都合といわんばかりの反応を見せた人が怪しいわね)
処刑の場に居合わせた人だけではなく、王位継承問題を抱える派閥の人たちとも会話をしておきたい。そのためにもエリスはクラウィスを見上げて言う。
「クラウィスさまは私以外の方とダンスを踊りませんの?」
会場には多くの衛兵や王宮騎士が控えているため安全は保障されている。さりげなく一人になりたいことをほのめかしてみると、彼は困ったように微笑む。
「エリスさまに悪い虫がついてはイルミナさまに顔向けできませんので」
嘘おっしゃい、と内心で罵る。エリスは横目で周囲の様子をうかがう。先ほどから女性陣の視線が痛かった。
「周囲には綺麗な花がたくさんあるというのに。見る目がないわね」
わざと挑発するように告げると、クラウィスは身をかがめてエリスにささやく。
「花は一輪あれば十分ですから」
お前を野放しにするわけがないだろうという意味に違いないが、ドレスコードのせいで色っぽい台詞に思えてしまう。予想外の不意打ちに頭がくらくらとしてしまい、エリスはそれを隠すように「じゃあ挨拶回りに行くから」と踵を返した。
(まあいいわ。クラウィスさまが一緒にいればイルミナとの関係の修復という体が説得力を帯びるもの)
そう思いながら、エリスは近くにいた環境大臣と伯爵に挨拶をしていくが、彼らは引きつった顔をして二言くらい言葉を交わしただけで会話を早く切り上げようとしてくる。
「あ、あなたの近状はいかがかしら? ほら、何か変わったこととか」
もっと歓談を楽しみましょうよという意味を込めて発言してみるものの「特に変わりはありませんでした」「みな息災です!」と返ってきただけで、心の距離だけではなく物理的な距離も離れていく。
(待って、お願い行かないで)
彼らの仕事ぶりや領地運営の仕方もクラウィスからの課題でしっかり学んできた。それを生かしたいのに、上手くいかない。
そのときだ。
「そうそう、お聞きしましたよ。お二人とも新事業が上手くいっていると。イルミナさまも興味を持っておられました」
滑らかに会話に入り込んできたのはクラウィスだった。イルミナ、という名に二人とも反応し、環境大臣がわずかに表情を緩める。
「もうイルミナさまの耳に入っているのですか?」
「ええ。期待値の高い情報をお伝えするのが私の仕事なので」
クラウィスは一人称を改めた。宰相補佐官としての本領発揮というところか。言葉を選び、ぐっと彼らの心を掴む。
(すごい……)
いや、感心をしている場合ではない。エリスは必死に考え込む。環境大臣と伯爵は同郷だった。伯爵の領地は海に面していて、海産物が有名だ。
「もしかして……廃棄される貝殻を使って別の物に作り替えるという?」
恐る恐る声に出すと、二人が弾かれたようにエリスを見た。
「エリスさまもご興味があるのですか?」
環境大臣に尋ねられ、エリスはぎこちなく頷く。
「廃棄されるものに魔法で手を加えて、家の外壁や彫刻の材料に使おうとするやり方は、その、昔から海の環境について考えているお二人らしい政策で、尊敬します」
私としては既存の貝殻のランプやアクセサリーといった工芸品も気になるところですけど、という言葉も付け足すと、この場にいる誰もが目を見張った。そして大臣と伯爵の顔つきが先ほどよりも柔らかいものに変わった気がした。
その後は滞りなく会話ができ、エリスは会釈をして彼らから離れる。
(なんかいい感じに終わったけど、おそらく二人はシロね……よし、次!)
エリスはこの勢いに乗って次々と気になっている人たちに声をかけていく。彼らの警戒心を解くことは難しかった。だがクラウィスが意図してくれているのか、自然な会話の糸口を切り開いてくれ、予想以上に会話が続いたこともあった。
(ふうん。やるじゃない)
クラウィスへの称賛を抱きつつ、そろそろイルミナと対立している派閥の人たちのもとへ突入しようとしたとき、周囲にいた人々が道を空けるように左右に避けた。
エリスはその先に視線を向けて表情を凍らせる。
(……お父さま)
第十四代国王であるウィルトスは今年で四十八歳となるが、心臓の病を患っているせいで頬がこけていて、紫黒色の髪には白髪の束がいくつもあった。だが土属性を司る『豊穣の神』の象徴である琥珀色の瞳は未だに力強さを感じさせる。
その隣には宰相と大神官もいた。
エリスは小さく息を吐くと、気持ちを切り替える。この三人はエリスの処刑の場に居合わせていた重要人物だ。
(私の様子を見に来たというわけ?)
ここ数年でまともに会話をしたのはあの処刑のときくらいだった。仕方がない。ここは悪徳の娘と対面したご感想をうかがうとする。
エリスもまた優雅な足取りで彼らに近づき、ドレスの裾を持ち上げてお辞儀をした。
「いかがお過ごしですか。国王陛下、フォルスターさま、ハインツさま」
この一か月でエリスの立ち居振る舞いは洗練された美しい所作となった。息を吞んだ三人に畳みかけるように心からの笑みを浮かべる。
「ああそうですわ。改めてお礼を。私とイルミナのためにこのような盛大な舞踏会を開いていただき、心より感謝いたします」
国王は小さく頷くと、真顔で「ああ」と返事をするだけだった。
もっとくどくどと文句を言われると思っていたため、二の句を待ったが続かない。
(すでにかける言葉もないの……?)
エリスと国王のあいだの空気が張りつめた。それを払拭しようとしたのか、灰色の口ひげを蓄えたフォルスター卿が口を開く。
「先ほどのファーストダンスは素晴らしいものでしたよ。見ているこちらまで気持ちが華やぎました」
それに同調するように大神官のハインツも頷く。
「ええ、きっとこの祝いの場を見守る神々も喜んでおられることでしょう」
彼は礼服ではなく神官の特徴である純白の立ち襟の祭服を着ていて、ボタンまわりの前立てには銀糸の刺繍が施されていた。神殿に仕える神官たちはみな光属性で構成されているため、エリスは彼らに対してどこか苦手意識を持っていた。
(イルミナとの仲を強調してもフォルスターさまもハインツさまも顔色に動揺はない)
もともと彼らはエリスに対して恐怖心を見せたことがあまりなかった。歳が離れているのもあるが、フォルスター卿は王国の行政を担う宰相であり、ハインツは光属性を束ねる偉大な聖職者だ。そう簡単に隙を見せない。
エリスは頑張って国王に話題を振るが「ああ」「そうだな」としか返ってこなかった。
(時間の無駄ね。今は様子見しましょう)
そろそろ切り上げようとしたとき、国王がぽつりと呟いた。
「ユーリスに似てきたな」
エリスは笑みを絶やさないまま手のひらに爪が食い込むくらいにぎゅっと拳を握った。
ユーリスは妃の名前であり、エリスとイルミナの母親にあたる。
彼女の髪は癖のないプラチナブロンドであり、雪ウサギのような赤色の瞳を持っていた。さらに彼女は居るだけで場が華やぐほどの話術と気配りを見せたと聞く。母親譲りなのはどう考えてもイルミナのほうだ。
(いつだって私のことをちゃんと見てくれないのね)
取ってつけたように言葉を並べないでほしい。嫌みに聞こえてくる。
エリスはクラウィスを連れてこの場を離れた。その際にフォルスター卿からは「慣れないことは控えるように」と言外に羽目を外すなと釘を刺され、ハインツからは「今度は神殿にもお越しください」と今後は王族としての公務もサボらないようにと念押しされた。
(て、手ごわい……!)
どっと疲れが出たため、どこかで一息つきたかった。そこでエリスはクラウィスを見上げ、大広間の端に用意された食事のほうを視線で促す。彼は頷くと付いてきてくれた。
エリスは小皿に野菜の酢漬けやジャガイモのチーズ焼きや白身魚と海老のパイ包みをよそっていき、こわばった顔の給仕から水を受け取った。しぶとく生きていくためには食べることも大切なのである。
ちらりとクラウィスの横顔をうかがうと、彼は口角を上げて鴨肉のローストやラム肉の香草焼きといった力がつきそうな料理ばかりに手を伸ばしていた。
(……意外)
もっと彩りのよい野菜が使われたおしゃれな料理を好みそうな印象を抱いていた。見過ぎていたのか、クラウィスは眉をピクリと動かした。
「エリスさま、カルモのタルトが無くなりそうですよ」
「え、本当!? 確保してくるわ!」
エリスは慌ててデザートのほうへ向かい、オレンジ色の粒だつ果実の菓子を確保する。ほっと胸を撫でおろすが「ん?」と首を傾げる。
(どうしてカルモのタルトを狙っていたことを知っていたの?)
そんなに表情に出ていたのか。急に気恥ずかしくなって、エリスは耳元のピアスを揺らすようにうつむく。自分を気遣ってなんの得があるのか。そう思いつつ料理を口に運んでいく。好物のタルトもいつもよりほろ苦く感じた。
一度化粧直しをしてから、エリスは改めて大広間にいる参加者たちの様子を見回す。遠くのほうから歓声が聞こえてきた。どうやらイルミナがダンスを終えるようだ。
彼女が輝かしい笑みを人々に向ける姿が離れていても確認できた。
(魔法で足のふらつきをごまかしているのかしら?)
あれだけ踊り続けられるなんて、普通ではありえない。『治癒』の魔法は便利でいいわね、と悪態をつきたくなる。エリスは先ほどよりも人の声が大きく聞こえて落ち着かなくなってきた。長いあいだ人目を避けていたせいで人混みが苦手になっているのかもしれない。
わずかに顔をしかめたとき、視界の端に深い紫色の髪が見えた。