第一章 命運をかけた舞踏会④

 季節は四月ノアとなり、いよいよ舞踏会当日となった。

 エリスはしよう台の前に座り、鏡に映る自分の姿を見てため息をつく。このドレスを見るたびに『クラウィス監修』という事実が頭をよぎる。

(しかも仕上がりが私好みになっている……!)

 仕立屋の店主とお針子たちはエリスのだんを見ただけで好みを読み取っていたようだ。じゆんすいにお気に入りのドレスとして大切にしたいという気持ちと、いやこれは『クラウィス監修』のドレスだからなおに認めたくないという気持ちがせめぎ合う。

 かつとうで頭がいっぱいになっていると、自室のとびらからノック音が聞こえた。

 エリスが返事をすると涼やかな表情をしたクラウィスが現れる。

「失礼いたします。おむかえにあがりました」

 彼は黒地の礼服をまとっていた。一見、かたくるしさがあると思いきや、えりのブローチとそでのカフスボタンにはサファイアをあしらっていて、はなやかさを演出している。雰囲気に合わせるように前髪もくせを付けられ、いつもよりしいまゆが見えた。

(ふうん。悪くはないわね)

 相変わらず表情はツンとしているが、彼は今年で二十一歳になることもあり、あでやかな成人男性の色気をただよわせていた。さらに騎士道をたしなんでいたため、所作が美しく、エリス以外の女性にはづかいを見せた。現にエリスのじよたちがうきあしっていて、今もかべ側でクラウィスの姿を見て甘いため息をついている。

 おそらく以前エリスに上着を貸してくれたのは彼の他意のない行動だったのだろう。

(まだ気を許すことはできないけど……私の敵ではないわ)

 時折観察されているようなするどい視線を向けられるが、もしも害そうとしているなら警備の強化の提案などしなかったはずだ。

 この心地ごこちの悪い生活も今日で終わる。

(だから最後くらいあなたに本気を見せてあげる)

 エリスは立ち上がると、クラウィスに近づく。そして絵画の中の天使のようにうるわしい微笑みをたたえる。

「お待ちしておりましたわ、クラウィスさま」

 彼はいつしゆんだけ目を見開くと、わずかにちようはつ的なみをかべる。

「とてもよくお似合いですよ。俺の見立てにちがいはなかったようですね」

「お、か、げ、さ、ま、で、ね」

 しまった、本気は一瞬でくずれた。すると彼はめずらしく「ふっ」と声をあげた。

うそ、笑った?)

 エリスがぽかんと小さく口を開けると、クラウィスは何事もなかったかのように涼やかな表情で手をすくいあげる。

「では参りましょうか」

「え、ええ」

 エリスは導かれるようにクラウィスの腕に手をえた。慣れというものはおそろしい。彼に対する死の恐怖よりも、とう会を乗り切りたいというきんちようのほうがまさった。

 彼にエスコートされ、エリスは王宮でもっとも大きい広間があるすいしよう宮に向かう。き抜けの通路に差しかかるとこんいろの夜空がかいえ、しよくだいのオレンジ色の光がエリスたちをやさしく照らし出し、心地のよい風がはだでた。

 水晶宮にはすでにレストレア王国中の貴族や有力者が集まっている。

 エリスが舞踏会に参加を表明したことで、だれもが驚きとけいかいそうぜんとしたという話を侍女たちの会話からぬすみ聞きしていた。

 参加者からしてみれば不安や心配の声をあげたいところだが、成人として節目の祭事に第二王女が不在だと他国に不信感をいだかれるねんがあるため、じようきようみ込むしかない。

 そんな彼らの前に姿を現したときの反応を思い浮かべるだけで気がるが、この中に間違いなくエリスとイルミナをおとしいれた真犯人がいる。

 その人物はかざったエリスを見てどう思うのだろうか。恐れを見せるのか、それともにくしみを込めてにらみつけるのか。

おどり場からくまなく見下ろしてあげるわ)

 今回はイルミナと共に水晶宮の大広間の二階から登場し、踊り場からふたまたに分かれた階段を下りてから国王へあいさつをし、そのままファーストダンスを踊ることになっていた。

 大広間へのごうしやな出入り口に向かうと、すでにイルミナの姿があった。

 彼女もまた華やかなよそおいで、アイボリーのドレスは見る者をうっとりとかんたんさせてしまうようなりよくがある。スカート部分はすそにむかって徐々にき通るようなラベンダー色に染まり、腕まで覆う長ぶくろには銀糸のしゆうレースがぜいたくに使われていた。

(イルミナのお相手はアルフリートさま?)

 彼女のとなりには専属騎士がいた。エリスが視線を向けると人当たりのいい笑みを返してくれる。今日はたいけんたずさえてはおらず、すがすがしい緑色の刺繍がとくちようの黒い礼服を着ていた。

 ひようひようとした印象があるが、彼もまた油断ならない人物だろう。

(彼ならクラウィスさまがさいしようへの道に転向した理由を知っているはずだわ)

 クラウィスとアルフリートの仲ははたから見れば悪くはなさそうだ。機会があればクラウィスのことを聞いてみたい。

 エリスがイルミナの横に立つと、彼女に声をかけられる。

「あらエリス。表情がかたいわ。おじきましたの?」

「まさか。あなたのほうこそ顔色が青白いようね。大事な場面でたおれても知らないわよ」

「ふふふ。わたくしの心配は無用ですわ」

 ゆうふくんだこわいろだったが、急に真顔となり「この扉の先でわずかでも気を許せばすぐに足をすくわれますわ。これだけはきもめいじておきなさい」と告げられた。

 ややあってエリスは苦々しい表情でつぶやく。

「そんなこと私だってわかっているわよ」

 水晶宮に集められた人々は誰もがイルミナの登場だけを待ちがれている。

 すでに国王の入場は終わっていて、彼は玉座にこしをかけている。そしてその隣のは空席だった。きさきは心労のため療養から戻れる状態ではないほど弱っている。

 だからこそ人々は次期国王にもっとも近いといわれるイルミナに期待を寄せるのだ。

 何より彼女はほう属性の中でも希少な光属性のひめぎみだ。美しくて勤勉で、常にたみの心に寄り添ってくれる彼女がいるかぎり、この国の将来はあんたいだろう。

(私も心のどこかでそう思っていたけれど)

 前回の人生ではさんな結末を迎えていた。

 ──イルミナさまにたよりっぱなしでいいのですか?

 ふとのうからその言葉が再生され、エリスは顔を上げる。

「どうかされましたか?」

「……いいえ」

 エリスは首を横にる。クラウィスに声をかけられたように感じたが、違ったようだ。

 いよいよ二人の姫君の入場を知らせるファンファーレが鳴りひびく。久々のおもてたいにエリスはかたに力が入ってしまう。直前になって緊張が込み上げてきた。

 そのとき、低い声が耳元をかすめる。

「最後の課題です、エリスさま。心からの笑みを浮かべてください」

「!」

 エリスが首をひねると、すぐそばに彼の顔があった。あわてて視線を正面にもどす。

「まだ指導が必要なの?」

 ぼそっとき出すと、彼は素直に「はい」と言った。なんだか気を張るのが鹿馬鹿しくなってしまう。

「自分が幸せを感じるとき、心から笑える光景、言われてうれしい言葉などを頭に浮かべてください。嘘でも演技でもいいですから」

 エリスはすねたように目を細める。そんな思い出など今までなかった。

(あ、でも……)

 今日、ひとつだけ期待している言葉があった。

 みんなにとっては当たり前にもらえるものだけど、エリスにとってはささやかなせき

 もしも誰かひとりでもそれをくれるなら、エリスは心から笑えるだろう。

(──そして未来を変えてみせる。絶対に)

 エリスはかくを決めて一歩み出した。



 水晶宮に待機する人々は、期待を寄せながら主役の登場を待っていた。

 むらさきいろの天幕はゆうになびき、ところどころに飾られた旗には金糸の刺繍で王家のもんしようである二羽のたかえがかれ、よくみがかれたシャンデリアがきらびやかに大広間をいろどる。

 まさに祝いの日にふさわしいそうしよくだ。ついに家令の合図により、水晶宮の豪奢なとびらからしんのような少女と近衛このえが現れる。

「イルミナ・ルーシェン・レストレア王女、ご入来!」

 彼女は人々の心にやわらかな春のの光を差し込むような笑みをたたえていた。花弁のようなアイボリーとラベンダーのグラデーションのドレスを着た姿はとても美しい。

 たくさんのはくしゆが鳴り響き、中にはその成長になみだぐむ者までいる。

 しかし家令が「続いて」と言ったことで、誰もがしんみような表情を浮かべ、心なしか拍手の勢いが弱まった。

「エリス・アウリア・レストレア王女、ご入来!」

 王国でも珍しいくろかみを持つやみ属性の少女は、見た目からも敬遠される対象だった。

 ──ひっ、本当にやってきたぞ。

 ──ああいやだ。きつしようちようがこの場に現れるなんて。

 ──神官たちが少ないのではないか。いざというときしっかり守ってくれるんだろうな。

 ──クラウィスさまもよく平然とされているわよね。可哀かわいそうに。

 ──あれはおどされているに決まっているでしょう!

 拍手に交じって人々が思い思いにささやく。

 だがエリスはうやうやしく頭を下げると、花がきほころぶようなみをかべる。

 勝ち気なひとみは闇夜に浮かぶ星々のように生き生きとかがやきを帯びていた。オニキスのような黒い髪は編み込まれてハーフアップとなっていて、金細工にふちどられた髪留めで飾られている。さらにほおくちびるは春を象徴するようなあわいピンク色に染まっていて、れんな印象を抱かずにはいられない。

 それにしてもドレスがよく似合っている。

 うすむらさきいろの布地はアイリスの花のような柔らかさとつややかさをね備えていて、体の線に沿ってスカートがひかえめに広がる。裾やうでおおう長手袋には黒い刺繍レースがふんだんに使われ、成人と認められる舞踏会にふさわしい大人っぽさを演出していた。

 そして耳元にはアメジストのピアスがれていた。レストレア王国の祭事では宝飾品が好まれるため、男性も女性もピアスやイヤリングをつけることが多い。よく見ればエリスのドレスやピアスのしようはイルミナのものとよく似ていた。

 いつのまにか人々のささやきが止まっていた。

 エリスとイルミナたちは中央に向けて歩みを進め、ダンスを踊るための定位置につく。国王に向けて一礼をすると、彼はおごそかにうなずいた。

 やがてエリスとクラウィス、イルミナとアルフリートが向かい合って体を寄せる。それに合わせてワルツが流れ、エリスはクラウィスと呼吸を合わせてステップを踏んだ。


 二人の姫君がれいう姿を見て、だれもが当たり前のことを思い出す。

 エリスがこの王国の第二王女であり、イルミナのふたの妹だということを。

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