第一章 祝福の鐘は丑三つ時に鳴る(6)

「葉桜が、異世界を支配したと言ったよな」

 俺は尋ねた。

「そもそも、葉桜はどうやって異世界を支配したんだ?『送り込む』能力も、『引き戻す』能力も、別の世界と繋がるための能力だから、別に異世界で暴れる分にはあまり役には立たないと思うんだが」

 そうですね、と使者は小さく相槌を打つ。

「その二つの能力は、確かに異世界で権力を持ってからしか使えないものでしょう。しかし、先ほども言った通り、私たちの世界の魔力と異能は他人に認識されて初めて効力を得ます。逆に言えば、認識されなければ魔力は攻撃力を持たないのです」

「悪霊が渦巻く心霊スポットも、霊感のない人間の前ではただの廃墟みたいな感じ?」

「心霊スポ……?」

 使者がきょとんとする。異世界の彼女にはピンと来ない喩えだったようだ。彼女は小さく咳払いをして、「説明しますね」と人差し指を指揮棒のように振るう。

「私たちの世界の魔力や異能は、認識されなければ他者に干渉することができないのです。しかし私たちの世界では、魔術師や異能者が跋扈しています。魔力も異能も生まれたときから身近にあるものなので、それを『認識しない』ということはまず不可能なのです」

 家電に囲まれた現代日本で『電気』というものを知らないまま過ごすのは不可能、みたいな感覚だろうか。

「しかし、葉桜様はそういった能力を全く認識していませんでした。その状態で私たちの世界に転移した葉桜様には、私たちの世界の魔力や異能が一切効かなかったのです」

 使者は苦々しい表情で、吐き捨てる。

「葉桜様には、ありとあらゆる攻撃が無効でした。転生者である葉桜様への処遇を巡って起こった〈ストレイド魔術学院〉学内抗争の際にも、彼女は粉塵舞い散る最前線で『嫌だわ、私のために争わないで』とプリンセス気取りで優雅に紅茶を飲んでいたくらいです」

 それはちょっと可愛い。

「しかし、それも当然です。だってどんなに強大な魔力も、彼女自身は何もせずとも『おいかわざくら』にだけは触れることすら叶わず消失してしまうのですから」

「葉桜には攻撃が効かないから、そのまま誰も葉桜を負かすことができなくて支配者にまで上り詰めてしまったということか?」

 いや待てよ、と俺は口を挟む。

「確かにそれは、異世界に転移した直後は罷り通るかもしれない。でも、異世界でしばらく生活すれば、魔力を知らないままじゃいられなくなるだろ。魔法を知っていくにつれて、葉桜の無知特権も消えていくんじゃないか?」

「いえ、葉桜様は魔法にも異能にも全く興味がありませんでした」

「はあ?」

「興味がないから、ろくに知ろうともしなかったのです。葉桜様が唯一関心を抱いたのは、〈ストレイド魔術学院〉の支配者が国内の権力を全て握っているという都市の政治体制でした。『それって私が何でも好きなようにできるってこと? 結婚制度とかも?』と目を輝かせていた時点で、危機感を抱くべきでした」

 俺は思わず「うぐ……」と呻いた。胸を押さえて前屈した俺を見て、使者は訝しげに眉根を寄せる。

「それ、どういう感情です?」

「ぐっ……ときそうになって、さすがに不謹慎だから抑えている感情」

「はい?」

 異世界に行っても、最優先事項が「俺と結婚できるかどうか」なのか。魔力や異能が罷り通る世界において、それらに一切興味を抱かずに「ここならわきくんと結婚できるかも!」と夢想していた葉桜を想像して、なんて一途な姉なんだと感激してしまいそうになる。

 しかしそんな感想は、自分の都市の制度を捻じ曲げられた使者に失礼な気がしたので、なんとか堪えた次第である。落ち着け俺、変わらぬ姉のスタンスに感動している場合ではない。実姉が異世界を支配しているんだぞ。

「とにかく葉桜様は、都市の支配者の特権だけに目を奪われて、〈ストレイド魔術学院〉の有力な魔術師や異能者たちを次々と倒していきました。〈ストレイド魔術学院〉はその名の通り、魔術系統の技を使う者たちが集まる都市です。葉桜様の『魔力が効かない』というギフトは、学生たちとの戦闘で大いに役立ちました。戦闘の結果は全て同じ、相手の魔力が切れておしまいです」

「向こうの攻撃はそれでおしまいかもしれないけど、葉桜は? どうやって異世界人たちをねじ伏せたんだ?」

 使者は「……はふ」と溜息を漏らした。語っているだけなのに、そのポーカーフェイスの顔にはどこか疲れのようなものが滲んでいるように見えた。

「……どうやったんですか?」

「は?」

「いえ、なんというか……納得してもらえないような話だとは承知しているのですが……葉桜様が魔力切れした敵と何かをされると、何故かみんな葉桜様に刃向かうことをやめてしまうのです。翌日にはもう葉桜様の配下になっています」

「あぁ、なるほど」

「な、納得するんですかこの説明で」

「まあ葉桜だし。元気そうで何より」

「…………はあ、そうですか」

 じとーっとした目で俺を睨む使者の反応を見るに、葉桜の傍若無人な無双っぷりは〈ストレイド魔術学院〉の生徒たちにとって相当な悪夢だったのだろう。

「……ん?」

 待てよ、と俺は小首を傾げる。

「俺はさっき異世界の存在を知らなかったのに、お前の魔法にかかったよな? 認識しない人間には、魔力は効かないんじゃなかったのか?」

「それは私の使う魔法が、認識改竄の魔法だからです。認識改竄魔法は『魔法がかかっている』と認知されたら破られてしまいます」

「ああ、明晰夢みたいな?」

「はい。認識改竄魔法だけは魔力を認識しない者にも使うことができます。それが、私が葉桜様に使者として派遣された理由でもあるのですが」

「じゃあ、葉桜にそれをかけて無双を止められたんじゃないのか?」

「あなたに破られた程度の魔法が、葉桜様に効くとでも?」

 自嘲気味な言い方にドキッとする。使者はジトッとした三白眼で俺を睨み上げていた。

「お姉さんのことが大好きなあなたが即座に破った魔法ごときでは、葉桜様を止めることなどできません。期待外れで申し訳ありません」

 自棄を滲ませて吐き捨てる使者は、もしかして異世界の都市でおいかわざくらの暴虐を止める最後の砦として期待されたのではないのだろうか。しかし、俺との結婚だけを強固に夢想していた葉桜には認識の改竄が一切通用せず、「期待外れ」と烙印を押されたとか?

「だいたい認識改竄の魔法は、微弱な魔力しか使えない持たざる者が最後の望みとして究めた魔法なのです……都市の命運を託されても困ります……今までさんざん、単純に破られる魔法だと、馬鹿の一つ覚えだと、そんなふうに評価していたくせに……」

 ぶつぶつと呟いている内容から察するに、俺の予想は当たっているのだろう。

「なんか、あれか? 大富豪で革命が起こった、みたいな感じ?」

「はい? 一から十まで分かりません、大富豪とは?」

「いやそういうトランプゲームがあって、同じ数字を四枚以上揃えるとカードの強さが逆転して今まで弱かったカードが……って、そんなことはどうでもいいんだ」

 使者が不満げに唇を尖らせる。自分から説明し始めたくせに、とでも言いたげだ。

 俺は気にせず、言葉を続ける。

「つまり、葉桜は魔力による攻撃を一切受けずに、支配者まで上り詰めたんだな」

「その通りです。支配者になって『きょうだいで結婚できる』という制度を成立させて、ようやく葉桜様は『ところで魔力とか異能とか、あなたたちのその能力ってどうなってるの?』と興味を持ち始めました」

「無双は終わったんだな?」

「いいえ。異世界の能力に興味を持った結果、今度は葉桜様はこちらの世界に異世界人を『送り込む』能力と、異世界人を元の世界に『引き戻す』能力を使えることに気付きました。その能力は、〈ストレイド魔術学院〉において未知の力でした」

「そりゃ、『別の世界』の存在自体が未知だったんだもんな」

「その通りです。その二つの能力で異世界侵攻をすると言い出した葉桜様を、もはや止められる人間などいません。それどころか、自分たちの都市の力を強めるために、むしろ葉桜様の異世界侵攻に協力しようとする実力者たちが集い始めたのです。だから、今の葉桜様は、むしろ異世界人たちに重宝される存在なのです」

 でも私は、と言いかけて、使者はふと俺の表情を訝しげに見つめた。

「……あの」

 そのときの俺がどんな表情をしていたか、自分ではよく分からない。しかし、心臓がやたらと激しく打っていたことだけは覚えている。恐怖や緊張のせいではない。

「さっきから、どうして嬉しそうなのですか?」

 そう。俺は嬉しかったのだ。だって、つまり葉桜は怪我をしたり痛い思いをしたりはしなかったということだ。でも自分の都市を乗っ取られた使者に対してその本音を言うのは憚られてしまって、俺は三白眼の使者を前に無言を貫く。

 俺の表情から何を読み取ったのか、使者がぼそりと呟いた。

「……似た者同士」

 生温い風が吹く。

 その風に引っ張られるように、使者の銀髪がかき乱された。使者は「……ん」と少し嫌そうに顔をしかめる。

「ずいぶんと早いですね」

「は? 何が」

「葉桜様の息がかかった異世界人が現れたということです。残念ですが、弟くん。私は、あなたを早急に暗殺しなければならなくなりました。この異世界侵攻の原因であるあなたを排除すれば、葉桜様は目的を失い、〈門〉を閉じるはずなのです」

 使者は低く呻く。

「現在、〈ストレイド魔術学院〉の勢力は二分されています。一方は葉桜様の異世界侵攻に賛同する派閥、もう一方はそれに反対する派閥です。こちらの世界の存在は、まだ私たちにとって未知なのです。それを〈ストレイド魔術学院〉が侵略するなんてことがあれば、八つの都市の均衡が崩れてしまうのです」

 彼女は言った。

「八つの聖園指定都市は、長い間ずっとお互いに牽制しあいながら均衡を保ってきました。都市間での戦争を経た末に、有力な魔術師の家系や異能者たちなどを都市の支配者と契約させ、各々の都市に魔力と異能が均等に配分されるようにしていたのです。それぞれの都市の中で一つの都市のみが特出することがないように、ということだったのですが」

 使者は言葉を切って、ほぅっと小さな息を吐いた。

「未知の世界を侵略するということは、度が過ぎています。そんなことが実現すれば、〈ストレイド魔術学院〉の勢力が極端に巨大化してしまう。そんなことが罷り通れば他の都市が黙っていません。そもそも二つの世界が交わって、何が起こるか分からないという不安もあります。葉桜様が異世界侵攻を実現させた時点で、第八聖園指定都市の勢力が危険視され、他都市から戦争を仕掛けられることになるでしょう」

 だからこそ、と使者は呟き、口の中で小さく呟く。

「私たちの派閥は、葉桜様の異世界侵攻に反対しています。あなたという元凶を、私はここで排除しなければならないのです」

「つまり、葉桜を裏切ったということか」

「そういうことになりますね。しかし私一人の裏切りではありません」

 使者は頷く。

「しかし、これは私にしかできないことなのです。葉桜様に信頼され、こちらの世界の使者として選ばれた私の使命です。異世界侵攻の『元凶』であるあなたを殺して、葉桜様の横暴を止めます」

 使者が、スッと五指を伸ばす。その指が剣を握るような形を作ったのを見て、俺は片手を差し出した。

「待ってくれ」

「待ちませんよ。命乞いなら聞かな──」

「いいと思う」

「はい?」

「葉桜を止めるの、いいと思う」

 俺の願いは、おいかわざくらをこちらの世界の日常へと戻すことだ。葉桜が世界を侵略したり、葉桜が住む都市が戦争を仕掛けられたり、そんな展開は望んでいない。

 おいかわざくらは、俺の姉だ。それだけでいい。異世界の支配者とか、世界を侵略した暴君とか、そんな肩書は絶対に付けさせない。おまけに学校ごと俺を異世界に召喚するなんて、そんなことさせてたまるか。

 それに。

「葉桜を確実に止めたいなら、葉桜のことを一番よく知っている俺が必要だろ」

 使者に、片手を差し出す。

「だから、殺さないでくれ。異世界から来た侵攻者たちを、俺が全部何とかするから」

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